第五話
――帰らずの森には十センチ程度の角を二本持つ女が居て、魔獣を飼い慣らしていた。
その女は自ら「人間ではない」と言い、けれど怪物の色とされる紫の瞳をしておらず、人間にも怪物にも見られない赤い瞳をしていた。
それでも大きな二重の目に怪しい光はなくとても綺麗に澄んでいて、顔立ちも、彫りが深いため西洋の者にも思えるが、どこか幼さもありその艶やかな闇色の髪の色もあり、東洋の血が混ざっているようにも思えた。
アルフォード公爵邸の一室。商談や会談をするためのその部屋に、ヴィンセントとクリードはいつかのように向かい合って座っていた。
再び「封じの楔」をつけたクリードは森での報告を一通り終えると、ヴィンセントにいかに女が異様であったかを語る。
「あの雰囲気は怪物でもないぜ。不気味というかなんというか……それにあの女、体にべっとり血の臭いが染み着いてやがった。服のシミは汚れじゃなく血だ。間違いねえ。家を開けた瞬間にその臭いが増したから、あの家で血が吹いたってことだろうよ。……帰らずの森の原因は、あの女かもしれねえ」
「……魔獣がむやみにクリードを襲わなかったのなら、そうなのかもしれないね。……しかし、東洋か……角があったと言ったね」
「ああ、ちょっと長めの……ユニコーンみたいな」
「そう……ありがとうクリード。何にせよ、きみが無事でよかった」
「おう。また何かあったら頼ってくれ」
席を立つと、クリードはあまりにもあっさりと部屋を出ていく。
珍しいこともあるものだ。いつもならば「次はどんなやつを連れてくるんだ」と、興味津々に首を突っ込んでくるというのに。
「よっぽど恐ろしい女性だったのかな。どう思う? ハリー」
ヴィンセントが含んだ笑みを浮かべて側に立っていたハロルドを見上げれば、彼もにやりと笑んでいるのが確認できる。
「女好きのクリード様にはいい薬だったのではないでしょうか? ヴィンス様」
ハロルドの言葉に「違いないね」と返すと、ヴィンセントは報告をまとめた紙を再び見つめる。
気になるのは、東洋系にも思えた、というところと、角があった、というところだ。ヴィンセントは東洋の怪物についても少しながら知識がある。その中から思い当たる怪物はいるのだが、このルーズバーグ王国に存在するとは思えないモノなため、信じがたいというのも本音だ。
「ヴィンス様。シオ様を呼びましょうか」
「……ぅうーん……シオなら分かるかなあ」
「シオ様は我が邸で唯一の東洋の『妖怪』です。帰らずの森に住む女性が『怪物』ではなく『妖怪』であるのなら、シオ様に確認するのが一番かと」
「そうか……よし。シオの元に行こう」
ヴィンセントが言葉と共に立ち上がった時、その部屋にある広いバルコニーに真っ黒な女が舞い降りた。
舞い降りた、という表現の通り、どこからともなく空から降りてきた女は、大きく真っ黒なその羽をひと振りしたかと思うと、まるで幻であったかのように一瞬で消す。
黒の羽が舞う。しかし構いもしないのか、女はパッと顔を上げて、不敵な笑みを浮かべた。
「ヴィンスちゃん、話は聞いたわ!」
スパーン! とガラス張りのバルコニーの戸を開けると、楽しそうな表情をした女は、ぽかんとしているヴィンセントとハロルドを気にもかけないままで、マイペースに歩み寄る。
「……シオ、きみはどうしていつもそう……勢いがあるんだ」
「ヴィンス様、シオ様に女性らしさを求めるだけ無駄にございます」
「ちょっとハリー! 私のど、こ、が、女性らしくないのよ!」
セミロングの真っ黒な髪と真っ黒な瞳を持つシオは、外見だけならば読書が趣味の大人しそうな女性、なのだが、中身は確かにお転婆と言ってもいいほどである。
天狗、と呼ばれる東洋でも有名な妖怪のシオは、最近このルーズバーグ王国にやってきた。
事件を起こしたわけではないのだが、女好きのクリードがふらりと出向いた市街で見つけて、何故か連れて帰ってきたのだ。
当時のクリード曰く、人間じゃない女が野放しになっていたから連れて来た、ということらしいのだが――――ヴィンセントは無差別に怪物を捕らえているわけではないため、悪さをしないならここに縛られなくてもいいよ、と故郷に戻れと言外に示した。
しかしどういうわけなのか。
シオは突然「ここに居る! 絶対居る!」と強く主張した。それでも彼女はやはり悪さをしていないために、ヴィンセントとしても捕らえるというのは心苦しい。けれどシオは帰らないと言うし、強引に返すにしてもどうしてやればいいのかが分からない。
と言うわけで、本人の意思で動いてくれなければどうにもならないのだが、シオが断固として動かなかったために、最大の譲歩として「封じの楔」はつけないままで彼女は今もここで暮らしているのだ。
「シオ、帰らずの森に『鬼』らしき妖怪が居るようなんだけど……何か知らないかな?」
ヴィンセントが率直に聞けば、シオはことりと首を傾げた。
「鬼、っていう存在は知ってるわよ。私が守っていた山に住んでいた妖怪ですもの。……だけどこの国にいるとは思えない。だって私の知ってる鬼って、山から出ることも嫌がるほど出不精なのよ!」
「もしかしたらシオ様は帰らずの森の鬼と何かしらの関わりがあるかもしれませんね。ほら、森の鬼も森から一歩も出てきませんし」
「そんな偶然あるかなあ……」
「連れていけばわかるのでは?」
「ハリー! 私の意見を無視して話進めるのやめなさいよ!」
「よし。今度は私も共に行こう。シオ、いいかな」
「もちろんよヴィンスちゃん! 行きましょう!」
ハロルド相手では決して見せない笑顔を振りまき、シオは嬉しそうにヴィンセントに駆け寄る。確かにヴィンセントは秀麗ではあるが、まさか東洋の妖怪までもを虜にするとは……とハロルドは頭を押さえ、重い息を吐きだした。