第三話
窓からは、温かく柔らかな日が差し込む。気温も良好な、麗かな午後だった。
男はただ唐突に、大好物の飲み物を取りに行こうと思い立ったために、上機嫌に廊下を歩いていただけだった。
こんな日差しの下で飲めば、大好物の味がさらに旨味を増すだろう。どんなふうに飲んでやるか。いつもならばヴィンセントから「歩きながら飲むな」と口うるさく言われるために控えているが、今日はあえてそれをしてやってもいい。いや、こんなにも天気がいいのだ。庭に出てのんびりと横になって飲むのもいいだろう。
男は呑気に、少し先の未来を思い、隠しきれないニヤニヤを浮かべながらのんびりと歩いていた。
と、いうのに――――現在。
男は何故か柔らかなソファに腰掛けて、悪意ない様子で正面に座るヴィンセントと向かい合っていた。
「何か分かることはないかな」
俺のジュースは……なんて頭を抱える男をよそに、ヴィンセントは眉をひそめて様子を伺う。
広い室内にある大きなテーブルを挟んで向かい合う二人には、えも言われぬ雰囲気が漂っていた。
「帰らずの森について、ねえ……っつっても俺、リックに保護されたの結構前だしなあ。俺の知ってるあの森は穏やかだった。あー、三年くらい前だったか?」
「クリード、父がキミを保護したのは四年と三ヶ月前だ。まあそれはいいとして、同類の気配とかはないかな」
「さあなあ。こればっかりは実際行ってみないと……」
「ふむ、やっぱりそうか……」
ヴィンセントが眉を下げて息を吐くと同時、女中がクリードに飲み物を差し出した。それはカップに注がれることなく、ドン! とティーポットごと置かれる。これは嫌がらせなどではなく、もちろんクリードを恐れて女中が業務を怠ったわけでもない。
以前にクリードが「こんなカップでちまちま飲んでられるか!」と言って、自らがこのスタイルを望んだのだ。
「やっときたぜ俺のジュース!」
部屋に連れ込まれてすぐ、クリードが注文したのはずっと楽しみにしていたジュースを出すことだった。
こうなってしまえば、もはや飲めるだけでもいい。本当は外に出て、麗かな中のんびりと過ごしながら……なんて思っていたが、贅沢も言っていられないと男は分かっている。
無理に逃げ出すほどのことでもない。しかし、心がすでに大好物のジュースを欲してしまっているために、飲まないという選択肢もない。
これはクリードにとって、最大限の譲歩である。
「……森に踏み込んでもいいけれど……安易に行って戻ってこれないのは後継がいないから業務上困るしなあ」
クリードは何やらブツブツと言っているヴィンセントをチラリと見つめ、ポットの蓋を開ける。するとぶわりと広がる果実の香りがクリードの鼻腔をくすぐり、その欲求がいっそう増した。ちなみにこれはルーズバーグ王国特産の果実で作られた果実ジュースであり、クリードの要望通り果汁はもちろん百パーセントである。
「……あんたは馬鹿だな、ヴィンセント」
「ヴィンスで構わないよ。いや、アディでもいい。私のどこが馬鹿だというんだ」
「大馬鹿だろ。……俺たちを保護するだけ保護して至れり尽せり、使おうともしていないんだから」
まるで今日の夕飯のメニューを言うかのようにさらりと言われたその言葉の意味を、ヴィンセントは一瞬理解が出来なかった。
そもそも、保護をして至れり尽くせり、なのはヴィンセントの代からではない。ヴィンセントの父、リチャードの代からそうしているのを見ていたために、ヴィンセントも継いだだけである。差し引いても、ヴィンセントは保護した怪物たちのことは気に入っているし、家族とすら思っている節があるために大きな否定は出来ないのだが――――きっとヴィンセントは「父がそうしていたからで、私が馬鹿なわけではない」と言うのだろう。
言葉の意味を理解して、ヴィンセントは改めてじっくりとクリードを見つめる。が、当の本人はジュースに夢中で、ちょうどポットを仰いでいた。
ごくり、ごくりと、太い喉が波打つ。一瞬であるはずのその時間がやけに長く感じたものの、このジュースを飲んでいる時のクリードを邪魔すればどんな災難が降り注ぐことになるかを知っているために、急く心を無理やりなだめて大人しく待っていた。
やがて飲み終えたのか、クリードは勢いよくそれをテーブルに戻し、口元を拭う。
「これを外して俺を森に連れていけ。なに、俺もあんたを気に入ってるんだ、裏切りやしない」
手首に嵌められたその「封じの楔」を指差すと、クリードは不敵に微笑んだ。
――――四年と三ヶ月前。王都で、変死体が見つかる事件が起きた。
カリカリに干からびたような死体だ。それが、一人や二人ではない。一定の期間に複数人、無差別とも思えるほどには身分も性別も年齢も関係なく発見された。
身体中の水分を抜かれたかのようなその変死体と、無差別であるという事実に国民は震え上がり、一時は市街を出歩く者はがくんと減った。もっと言えば、恐ろしさのあまり王都を離れる者も少なくなかったため、地方が活気を取り戻すという現象まで起きていた。
死体を見ても、明らかに人の仕業ではない。いや、もはやほとんど確信を持って、怪物の仕業だと実しやかに囁かれていた。
そんな事件を調査するようにと王命を受けたのは、当時アルフォード公爵家当主であったヴィンセントの父、リチャードである。
――そうして調査を開始して、数日後。
噂されていたとおり、その事件は人の手で起こされていたわけではなく、現在ヴィンセントの目の前に居るクリードの仕業だと分かった。吸血鬼である彼は、腹が減ったからと国民を食い荒らしていたのだ。
リチャードは当時、粗暴なクリードをどう言いくるめたのか。「封じの楔」をしっかりと嵌め、あの気難しいクリードに「リック」と愛称で呼ばれるほどには親しくしているようである。
もちろんそんなクリードをヴィンセントも信頼している。なにより、クリードとリチャードの間にある信頼関係を見たら疑うなどできるわけがない。
――しかし。
「クリード、それはできない。帰ってきてくれないと困るんだ」
「おいおい、俺は本気で逃げたりしねえぞ」
「逃げないのは分かってるさ。……そうじゃなく、あの帰らずの森に入って、帰って来られない者は何人も居たんだよ。きみまで戻らなければ、私は父に合わせる顔がない」
「リックだったらむしろ『あの帰らずの森に入っても帰ってくる』ってとこまで俺を信頼するだろうがな」
クリードは今度こそその右腕を差し出すと、外せと言わんばかりにヴィンセントに視線を送る。
それにはとうとう、ヴィンセントも苦笑をもらした。