第二話
男は深刻な表情を浮かべ、読み終えたその手紙を机に戻すと、何かを考えるように視線を落として口元に手を添えた。
その様子をじっくりと見ていた机の前に立つ手紙を持ってきたもう一人の男は、念の為にと答えの分かりきった質問を口にする。
「……どうされましょう?」
「どうするもこうするも……王命には逆えんだろう」
置かれた手紙には確かに、王家の紋章が記されていた。
ルーズバーグ王国、王都第一区公爵領を治めるのは、まだ二十の青年、ヴィンセント・アドルフ・デ・アルフォード・ブラッドリーである。
彼の父であるリチャードは現在、息子に領地を渡し、母のシンシアが自然療養が必要と診断されたために、母を連れて南のハリントス地方の伯爵領を治めている。そのためヴィンセントは若くして爵位を継ぐはめになったのだが、それに関してはリチャードも、ヴィンセント本人も特に不安はなかった。
ヴィンセントは幼い頃より有名な男だった。
良く言えば何でもできた天才児だったのだが、なまじ何でも出来てしまう為に器用貧乏な面も見られた。
剣術も馬術も一通り覚えたがそれまでであり、極めようとはしない。しかし不思議なことに数ヶ月を置いても腕が鈍るわけではなく、久方ぶりという時に剣を持っても馬に乗っても、まるで今まで訓練を続けていたかのような動きを見せるのだ。さらにそれが「少しかじった程度の腕前」ではなく、数年訓練したかのような「ある程度の腕前」だから余計にタチが悪い。そしてその何でも出来る才能は頭脳にもあり、ヴィンセントはこの公爵領を治めるに値する政治能力、ひいては統治能力も持ち得ていた。
そしてその才能を、このルーズバーグ王国の現国王陛下であるセオドア・ウォーレン=セシル・メイスフィールドも知っている上大いに信頼しており、幼い頃よりヴィンセントは国王陛下と懇意にしていた。
そんな国王からの、一通の手紙である。
「……ヴィンス様、言っておきますが、拒否権がないのは最初に拒否を示さなかったヴィンス様が悪いわけでして……」
ヴィンセントを幼い頃から知っている部下、ハロルド=テイラー・モルダー=ブラウンは呆れ気味にそう言うと、親しげな雰囲気で困ったように苦笑をもらす。
「分かっているさ。だけどそもそも、最初にこういう仕事をし始めたのは私ではないし……」
「ですがその存在を恐れるどころかむしろ受け入れたのはヴィンス様でございます。拒否していれば別の者がこの任についておりましたのに」
「……だって生まれた頃から一緒にいたし……」
「だっても何もありません。……ですから婚姻の話も来ないのです」
「それは言わない約束じゃないか」
――――王都第一区公爵領を治めるヴィンセントと言えば、その才能もさることながら、一目見れば老若男女問わず魅了すると言われるほどの秀麗な容姿でも有名である。
ストレートの細く流れる金糸のような髪は短く清潔に整えられ、その前髪から覗く大きな目におさめられたガラス玉とも思える輝く瞳は青とも緑とも思える色をしていて、見る者全てに神秘的な印象を与える。百八十五を優に超える身長は頭一つ出て目立ち、さらにはそのスタイルにも恵まれてしまったために、天から二物も三物も与えられた男なのだ。
しかしハロルドの言ったように、ヴィンセントには婚姻の話は一切来ない。若くして公爵領を治め、国王陛下にも懇意にされている上、容姿にも才能にも恵まれた男なのに、である。
社交の場で一夜限りの関係は求められても、生涯を添い遂げようと望む者が居ないのだ。
それにはもちろん理由がある。決してヴィンセント自身に問題があるわけではなく、「その存在」を恐れる者が多いからだ。
端的に言うと、人ならざるモノ、となる。
この王都第一区公爵領を治める者は、怪物とされるその存在を治める者として、ヴィンセントの父、リチャードよりも前の代より、王からの勅命にてそのような役割を担っていた。
わざわざ王都第一区の、ましてやどうして公爵領でそのようなことを、と思っている民も多いが、王からすれば「あえて」である。その存在を手懐け、王の懐とも言える場所に保護するというのは、王の監視下に置くことと同義。それを狙って、古くより王都第一区公爵領を治める者はその任を担うのだ。
もちろん、人と怪物では力の差が激しいため「封じの楔」という枷をヴィンセントには渡されている。が、あとは何もない。お前のその頭脳と腕でどうにか怪物を保護しろ、ということである。
そうやって事実のみを聞けば「丸投げしすぎじゃない?」とも思えるが、実際のところ、ヴィンセントはあまり気にしていなかった。
確かに危険であることには変わりないのだが、その分特別手当もふんだんに渡されているし、ある程度であれば騎士の機動も辞さないとまで言われている。そして大前提として、ヴィンセントは嫌々この立場についているわけではない。そのため、ヴィンセントにしてみれば「特別手当て」まであり「騎士の機動も辞さない」という許可さえ得られているなど、充分過ぎるフォローをもらっているという感覚である。
とにもかくにも。
これらの理由により、ヴィンセントには一夜限りの付き合いの希望者は多いが、婚姻の申し込みはこない。どれほどかと言うと、ゼロだ、と断言できるほどだ。
皆このアルフォード公爵邸に住む化物を恐れており、怪物公爵であるヴィンセントに近づけずにいるのである。
「しかし、セオドア陛下が帰らずの森の調査に踏み込むとはな」
「……先日も騎士五名が戻らなかったそうですし……見かねたのでしょう。魔獣が森に来たものを食らっている、という噂の真偽も確かめなければなりませんし」
「あの森の魔獣は己の領地を荒らさなければ比較的おとなしいモノばかりだったはずだ。だからこれまであの森は『帰らずの森』などと呼ばれることもなかったし、こちらも共存の意を示してあの森の魔獣を仕留めなかった。それがなぜ突然……」
「……今回のお仕事は、存命が危ぶまれるものでございますね、ヴィンス様」
ハロルドの言葉に苦笑を返し、王からの手紙を封に戻す。
帰らずの森の調査と原因の排除、と書かれたそれは王らしく簡素なものであるが、珍しく「無事を祈る」とも添えられていることから、どうやら王もヴィンセントとはいえ不安なのだろう。
いつもなら「お前なら出来る」と王から言われているヴィンセントなだけに、最後の一言が違うだけでいつもの倍以上も緊張感をともなっていた。