第十一話
アグエイアス子爵の不正はまだ公表されておらず、今は調査段階ということで彼は捕らえられてはいなかった。
しかしそれも「公爵の報告書が不正だと認めているのにどうして捕らえないのか」と、ヴィンセントの不審を煽る種の一つとなっている。
それは自らも公爵家当主であり、このルーズバーグにおいて五人の公爵家当主の言葉がどれほど重いものかを理解しているということもあるのだろう。
そうやって何度も何度も考えては過ぎる可能性に首を振り、祈るように馬車に揺られていたのは一時間前である。
まるで威嚇された子犬のように肩をすくめると、彼は怯えた目でヴィンセントを見つめていた。
アグエイアス子爵は、とても気の小さな男である。身長は高いがひょろっとしており、その常に怯えているような目も合わさればとてもじゃないが強そうには見えない。
――――ヴィンセントを乗せたアルフォード公爵家の馬車がアグエイアス子爵邸についた時、文で受けた来邸の日程よりもうんと早かったために、当然ながらアグエイアス子爵は目を丸くして驚いていたようだった。
しかしすぐにされたもてなしの用意はさすが子爵家の当主であると褒められるもので、待たせることもなくヴィンセントを来客用の部屋に案内する。
そして、現在。
「つまり、そのカーティスという男が、帳簿の管理をしていたのですね?」
「は、はい……私はめっぽう数字に弱いので、王宮から来たというカーティスに全て任せていました」
――王宮から来た、と聞けば確かに信頼するし、アグエイアス子爵のような性格なら頼りきってしまうのだろう。
「カーティスは王宮で経理と人事をしていたと言っていたんです。……その、ですから……お恥ずかしながら、人事もカーティスに任せていまして……」
これです、と、ここ最近のオルグ東区域鉱山事業所の人事情報の載った冊子をヴィンセントに見せる。
「……その男が来てから今までで、古株の労働者が全員辞めているな」
「はい……私も、最近になって気づきました。そして入れ替えで新しく入ってきた者ほとんどが、王都から来たという者ばかりで……カーティスが王都にいたので、知り合いを引っ張ってきてくれたのだと思っていたのですが……」
そして総入れ替えした新人だらけの鉱山事業所からは、この二週間で多くの辞職者が出ている。全部、カーティスが引っ張ってきた王都の者ばかりだ。
「……この者たちは不当解雇だと言っているようだが、それに心当たりは?」
「誓ってございません! ……しかし、辞職した者は皆、私が仕事のことで怒った途端に辞めております。それも怠惰をとがめただけであり、私は何もしていないのに怒ることはしておりません。やめろなぞ一言も言っておりませんし、地位を振りかざして首を切ることもしておりません」
――そういう男だろう、とヴィンセントは納得する。
彼に、公爵相手に嘘をつく図太さはない。そのため、はっきりとヴィンセントの目を見て強く放たれたその言葉は、大いに信用にたるように思えた。
「……では、帳簿も解雇も、カーティスが何かしら関わっていると考えて間違いはないな」
「……考えたくはありませんが……。カーティスは、私が不当解雇と偽造帳簿の疑いをかけられたと同時期に姿を消しました。タイミング的にも怪しいと考えていいでしょう」
――――ならば、と、ヴィンセントは震える唇をゆるく開ける。
アレキサンダーは嘘をつかない。彼は自らの足で統括領を視察し、話を聞き、報告書に書く。
その定義が無意識に頭にあったから、真っ先にアグエイアス子爵を疑ってしまっていた。だってきっと、アグエイアス子爵さえもカーティスという男に騙されてた、なんてことを知っていたならば、報告書を提出する時点で明らかになっていたはずなのだ。
そして同じ公爵家でもアレキサンダーが最も親しいために、彼よりも王都第二区公爵領領主のヴァレンタインを疑ってしまった。
彼は嘘をつくはずがない。だって彼は、ヴィンセントとも父のリチャードとも仲がよかった。そう、揺るぎなく思っていたから。
しかし。
どうして、今もアグエイアス子爵は捕らえられていない。どうして、予定より早く視察に訪れても、アグエイアス子爵は横暴な態度を取らない。
――大きな虎に強要されて。もしかしたら、ヴィンセントだけではなく、アグエイアス子爵さえも踊らされているのかもしれないねと。
そう思ったのは、確かにヴィンセントである。
「カルヴァート公爵とは会ったか? 彼が今回のことで話をしに来たはずだ」
「……いいえ。カルヴァート公爵とは今回一度も……あ、いえ。カーティスを『できる人間だから』と紹介してくださって以来、お会いしておりません」
ルーズバーグ王国、宰相を勤めるギルバート=ホワイトは、現在、自分の身に何が起きているのかもよく分かっていなかった。
アルフォード公爵邸に着いたのは覚えている。そしてその筋では有名なエクソシストであるベアトリスが出迎えてくれたのも、その後ろからもう長らく公爵邸に住んでいるクリードという吸血鬼が顔を出したのも覚えている。
では、どうしてこうなったのか。
どうしてギルバートの目の前では赤黒い炎が燃え上がり、屋敷が崩れかかっているのか。
「ギル、ダメだろ? 優秀な宰相閣下が、種明かししようとするなんてさ」
布を噛まされたギルバートは言葉を発せないまま、後ろ手に縛られている腕と、両足を揃えて縛られた足をばたつかせる。隣には同じく拘束されている様子の、まだ目を覚まさないベアトリスとハロルドが横たわっていた。
「怪物は来ない。知ってたか、やつらは火が嫌いなんだ」
どこか遠い目でその炎を見守る獅子のような男は、嘲笑するようにくっと一つ笑う。
「……ばかみてぇだろ……何やってんだろうなあ、俺……」
悲しげな横顔に、ギルバートはただ首を振ることしかできない。それを見て男は今度は眉を下げて微笑むと、ギルバートの口の布を取り払った。
「最後かもしれねえからな、話そうか」
逃げるでもなくギルバートの横に腰を下ろすと、男――アレキサンダー・スミス=カルヴァート・マーシャル=ホールは、いつものような陽気な声でそう言った。




