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怪物公爵と森の鬼姫  作者: 長野智
■本章■

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第九話







 ヴィンセントがアッシュフォード公爵邸にやってきて二日目。ヴィンセントは宣言通り、アドウィン地方の視察へと出向いた。

 二階の書斎から遠ざかるその馬車を眺めて上質な絨毯を踏みしめると、アドウィン地方統括王都第二区公爵領領主、ヴァレンタイン=アッシュフォードはやっと安堵の息を吐く。


「本当、あれでまだ二十というのだから、恐ろしいものだ」


 珍しくいつもの仏のような笑顔ではなく苦笑を浮かべているヴァレンタインは、昨日のやりとりを思い出して言葉を述べる。

 ヴィンセントから、何かを明言されたわけではない。何かを突きつけられたわけでも、それこそ、責められたわけでもない。しかしだからこそ、ヴァレンタインには苦々しい気持ちが胸中に渦巻く。


「何が恐ろしいって、ちゃんと調べ上げてることだよなあ。オルグの鉱山事情とか……そもそもアグエイアス子爵に四人目の子どもができたなんて、夜会にも行かないあいつが知るわけねえのに」


 金にも茶にも思えるその髪を逆立ててそう言う大柄な男は、ニッと口の端を釣り上げた。


「アレックス。言っておくけど、一番危険なのはキミなんだからな。ヴィンスの元によく出向いているようだし」

「わーかってるよ。……で、ヴァル。ベニーとウィルから連絡は来たか?」

「ああ。ベニーはあと一日もすればこちらに着くだろう。ウィルはハリントスからだから少し遅くなるかもしれんな……」


 そう言いつつ、ヴァレンタインが差し出した一通の手紙を、アレキサンダーは乱暴とも思える仕草で受け取った。それは彼の性質であるのだが、初対面だったなら「何で奪うんだ!」と憤慨する者も居るだろう。


「ベニーからの調査書だ。やはりマグナ地方の森にも一時、入った者が帰らないという時期があったらしい」

「……なるほどね……」

「……ヴィンスならすぐ嗅ぎつけるだろう。それを待ってはダメなのか?」

「ダメだ。あいつは国王陛下の懐刀だぞ。先祖代々国に、陛下に仕えているんだ」


 わかりきっていた答えではあったが、ヴァレンタインは分かりやすく呆れたため息を吐いた。それと同時、ノックされた後に、女中の声が扉の外から届く。


「旦那様、ウィリアム=オブライト・オーブリー様がいらっしゃいました」


 その言葉に誰よりも早く反応したのはアレキサンダーだった。

 そうして、やはり乱暴とも言える仕草で、勢いよくその扉を開ける。するとそこには、ハリントス地方統括総責任者である、王都第四区公爵領領主、ウィリアム=オブライト・オーブリーが面倒くさそうに立っていた。

 濃い茶の髪はやや長めで、落ち着いた深緑の瞳は今、突然扉を開けたアレキサンダーをやや呆れたように見上げている。


「久しぶりだな、ウィル!」

「おう、相変わらずだなあ? アレックス」

「早かったじゃないか」

「当然だろ」


 言いながら部屋に入ると、ウィリアムはヴァレンタインにも笑顔で挨拶をする。ハリントス地方は王都より南にあり、北にあるアドウィン地方にはよほどのことがない限りあまり訪れないのだ。


「……その顔は、成果があがったということかな?」

「もちろん。そうだ、ベニーだけどな、もう直接王都に行くそうだ。ほら、あいつの不運気質を知ってるだろ。馬が一頭逃げ出したらしくて手間取りそう、だとさ」

「あいつも相変わらずだな……」

「おまえにゃ言われたくないだろうよ、アレックス」


 王都より東、マグナ地方統括総責任者である王都第三区公爵領領主、ベンジャミン・アダム=ベイントンは、ややぼんやりした性格の、自他共に認める不運体質である。そのため、今回の馬逃走事件にもアレキサンダーとヴァレンタインが特別驚くことはなく、ただやっぱりかと納得するばかりだった。


「ところでウィル、リックは?」

「……リックは馬車で待機中。すぐにでも出発するつもりらしい」

「まあそりゃそうだよな。息子まで巻き込まれてんだ。……ウィル、もちろん彼も連れてきたよな?」

「当然。ついでにこれも持ってきてやった」


 ウィリアムが見せたそれは、ウィリアムとベンジャミンの名前が記された、とある公的な書類である。しっかりとバーネット侯爵の印が押されていることを確認すると、ヴァレンタインとアレキサンダーは顔を見合わせ、自分たちの名前もその下に書き記す。


「しかし相手はもう動くだろうか。私にはタイミングが未だにつかめない」

「それなら大丈夫だ、ヴァル。相手は今動く。間違いない。そのためにヴィンスを王都から離したんだ……」



 アレキサンダーの声はだんだんと小さくなり、最後の言葉は二人には届かなかった。













「オルグのアグエイアス子爵邸まで頼むよ」


 アッシュフォード公爵邸を離れてすぐ、ヴィンセントは小窓から少し高い位置に座る御者にそう声をかけると、御者が頷いたのを確認して窓を閉めた。



 ――ヴィンセントは不審に思っていた。


 何の兆候もなく示された不正の事実である。以前から「怪しい」と思わせることもなく、けれどおおよそ一年のみで行われていたであろうそれはまるで分かりやすいものであり、こちらが踊らされているとも思えてしまう。


 あえてこのタイミングで不正を明るみに出し、その隙に何か別のことが起きているのではないか、と。


 それならば、誰が何の目的で。

 とはいえ裏を考えず普通に物事を見れば、アグエイアス子爵の独断行動がただ暴かれただけである。


 しかし、それこそ考えづらいことだと、ヴィンセントは首を振る。

 アグエイアス子爵は身長が高く、ひょろっとしていていつも顔色が悪いイメージだ。申し訳なさそうに笑うその顔からは悪の欠片も感じられず、常に八の字に垂れた眉は釣り上がることもないと思わせる。それでももちろん仕事は真っ直ぐに真面目にこなし、迫力はないが部下をきちんと叱り飛ばすこともできる。


(……アグエイアス子爵が不正、ねえ……)


 考えて、アレキサンダーの報告書を思い出す。


(一年前からあの鉱山事業所で不正が行われていたとあったな……一年前といえば私も爵位継承でバタバタしていたし、気づけなかった……不当解雇なんてことになればアレックスだって……)


 ふと、気づく。

 不正は突然何の兆候もなく、一年前から行われていたはずのそれは今の今まで報告されることもなく、突然報告書に載せられた。


 逆を言えば、アレキサンダーが一年経って報告書に記したからである。


 気づかなかったのだろうか。そうは思うが、少し前にヴィンセント自身「こんなにもわかりやすい不正」と思ったばかりである。

 ――ならば。


「すまない、急いでくれ! 早急に子爵邸に出向きたい!」


 窓を開けて声を荒げると、御者は驚いた表情を見せたが、すぐに握りしめていた手綱を振り上げた。






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