第八話
王都第二区公爵領を治める者は、王都の北にあるアドウィン地方の領地の総括も任されている。そしてそれは他も同様であり、王都第三区公爵領領主は王都の東にあるマグナ地方を、王都第四区公爵領領主は王都の南にあるハリントス地方を、そして王都第五区公爵領領主であるアレキサンダーは王都より西のオルグ地方を管理している。
ちなみに、ヴィンセントの父であるリチャードは現在、ハリントス地方の北区域の伯爵領領主として、かつて王都第一区を治めていた手腕を発揮している。
そして、その第二区から第五区までの公爵領領主をまとめるのが王都第一区公爵領領主であり、王都を主に統括しているが、ルーズバーグ全土を大きく見ていると言っても過言ではない。
ルーズバーグ王国に存在するこの五人の公爵は特に王に忠誠を誓う者である。そしてこの五人の発言は、唯一王へ影響を与えることもできるのだ。
そして横の繋がりも深く、この五人の公爵は家族ぐるみの付き合いをしている。
「ヴィンス! ああ、よく来てくれたね」
恰幅のいい身体を揺らしてヴィンセントに歩み寄ると、その背の低い人の良さそうな笑顔をした男は自然な仕草でヴィンセントに手を差し出した。
王都第二区公爵領領主、ヴァレンタイン=アッシュフォードは御年三十五歳なのだが、もはや仏のように穏やかな顔をしており、アッシュフォード公爵を怒らせたらよっぽどの悪事だ、と言われているほどには温和な人物である。
ニコニコとした柔和な表情と雰囲気で、どれだけ疲れていても癒しの時間を味わえると皆がこぞって側に居たがるような、ヴィンセントからしても本当に不思議な存在だ。
「久しぶりだね、ヴァル」
差し出された手を取ると、その後ヴィンセントは礼に則った挨拶を交わす。
「今日はどうした。急な視察など珍しい」
「ああ、申し訳ない。アドウィン地方に少々用事があって」
まさか「オルグ地方で不正が見つかったために他の地方も確認をしにきた」とは言えるはずもない。この仏とも呼ばれるヴァレンタインに限って不正はないのだろうが、王に報告する上できちんとヴィンセントが処理しなけれなならないのだ。
「こちらにはいつまででも滞在してくれて構わないよ。アッシュフォード一同歓迎する」
「ありがとう」
「なんてことはない、私とヴィンスの仲じゃないか」
恭しく頭を下げると、ヴァレンタインは女中に、ヴィンセントの部屋への案内を促す。
それまでぼんやりと頬を赤くしてヴィンセントを見つめていた女中は、ハッとしたようにヴィンセントの荷物を受け取ると、慌てたように案内のため先を歩きだした。
――――ヴィンセントが不在の間、アルフォード公爵邸はいつも通りにハロルドに任せ、鬼のことはシオに任せた。邸のことは心配ないのだが、鬼の方は別である。
姿も結局見れないままだった。言葉も交わせず、あの家に居たのかも居なかったのかも分からないまま、結局何一つ収穫もなくこうしてアドウィンへやってきたのだ。
ヴィンセントは用意された部屋へと案内され、荷物を下ろす。アドウィン地方を視察するのは明日以降だな、と考えて女中に脱いだコートを渡したところで、コンコン、と扉がノックされた。
「アルフォード公爵様、旦那様がお時間があるようでしたらお茶でも、と申しております」
別の女中の声にヴィンセントはすぐに部屋を出ると、案内をしてくれるのであろうその女中について歩いた。
「ヴィンス、キミの好きな茶葉がちょうど届いたんだ。飲むだろう?」
入室したヴィンセントを認めて緩やかに立ち上がると、ヴァレンタインは先ほどとなんら変わりない微笑みを向ける。
「もちろん。いただくよ」
その言葉を聞いて、いくつかのポットを用意していた女中が一つのポットを選び、丁寧に紅茶をいれる。
「……ヴィンス、この視察はオルグの不正のことがあってだろう? きみがせっかく気を遣って私に嫌な思いをさせるまいと言わないでいてくれたのに、暴いて申し訳ないが……」
「やっぱりヴァルに隠し事はできないね。父上が敵わないはずだ」
「よく言うよ。リックの本気に比べたら私なんてチリほどのものさ。……ところでヴィンス。その不正のことなのだが……その時の陛下はどのような反応をしたのかな?」
やけに神妙な顔で聞かれ、ヴィンセントはどこか違和感を覚えた。
――――どのような対処をすると言ったのか、ではなく、どのような反応をしたのか、と聞かれたのだ。
反応を伺うということは、何かしらの後ろめたさがあるからなのか。しかしこのヴァレンタインともあろう男がそうあからさまに聞き出そうとするとは思えない。
しかしやはり怪しいとは感じてしまうため、ヴィンセントはつい探るような目をヴァレンタインに向けてしまう。
「……至っていつも通りだったけど……何か気になることでもあるのかな?」
率直な言葉だが、それでも返ってくるのはいつもの柔らかな笑みだった。
「まさか。いつも通りだったならいい……ヴィンスはどう思う? 今回の件」
「……私自身の意見を述べるならば、信じがたいというのが本音かな。アグエイアス子爵は穏やかな人柄であり、不正に手を染めるほどの度量もない。ついでに言えば、悪事を働けるほどの頭脳もないし要領もない。……じゃあ、ヴァル。私も聞いていいかな?」
「なんなりと」
「アグエイアス子爵の領地であるオルグ地方の東区域の鉱山は特に上質な鉱物を供給していて、あの区域はほかと比べて鉱山事業に強く力を入れているのは知ってのことだろうと思う。だからアグエイアス子爵も気合を入れて領主を勤めていたし、もちろん成果もあげていた。――それが突然、不当解雇ときた。優良鉱山の東区域の大切さは誰よりもアグエイアス子爵が分かっているだろうにね。人手不足となった鉱山が、枯渇もなく深度にも問題もなく閉山することになったとしたら……どこが利益を得られるだろう」
ヴィンセントの問いに、ヴァレンタインはやはりその表情を崩さない。どこからどう見ても、癒しを与える完璧な仏の笑顔である。
――――オルグ地方の隣、王都の北にあるアドウィン地方は、いくらルーズバーグ自体が温暖でないといっても、肌で分かるほどには一層冷えた地域だ。しかし豊かな自然に恵まれたアドウィンは、工業地域であるオルグ地方とは違い、農業地域として発展していた。
「……オルグにはこのアドウィンから出稼ぎに出向く者が最も多い。東区域の優良鉱山が閉山したとしたとしたら、出稼ぎに出たものは戻り、環境汚染問題もある程度は解消されて、農業の発展へと繋がる……益を得るのはアドウィンだろう」
「……そう考えると、アグエイアス子爵はもしかしたら、アドウィンの大きな虎に強要されて悪事に手を染めたのかもしれないね」
呟いた後、権力とは実に恐ろしいものだから、とヴィンセントは続けて、笑みを深める。
「しかしアグエイアス子爵には心から同情するよ。鉱山から人手が減り、東区域だけがうまく回らなくなったらのなら、当然領主としての評価は落ちるだろう。――ああ、そうだ。アグエイアス子爵は四人目のお子をもうけたそうだよ。そうなると、評価を落として自身の賃金を下げている場合じゃないね。そんなことになったら、家族はおろか、領民はどうなるんだろう」
ちん、と軽く音を立てて空のカップを置くと、女中が次の一杯をヴィンセントのカップに注ごうと動くが、それを遮るようにヴィンセントは女中に「もう結構」と軽い動きで示した。
「……不当解雇や偽造帳簿など……わかりやすい不正を働くかな?」
「確かに、もっとやり方はあっただろうね。だけど逆に、不正をすぐに明るみに出るものにして、アグエイアス子爵……いや、彼だけでなく、こうして動いている私たちでさえ踊らされているとしたら、仕掛けた本人は引っかかった私たちを見て今頃喜んでいることだろう。何が目的かは測り兼ねるけれどね。……話はまったく変わるのだけど、アドウィン地方で最近、何か困ったことはなかったかな? あるのならばせっかくの機会だし、直接言ってくれて構わないよ」
「ありがたいが、ヴィンス、アドウィンのことは報告書に載せたことが全てだよ。……細かく洗い出せば、何か出てくるかもしれないがね」
ヴァレンタインは最後まで笑顔を緩めず、ヴィンセントもまた、口の端を釣り上げて妖艶とも言える微笑みを貫いていた。そんな中、側に控えていた女中だけがただ、これだから貴族にはなりたくもない、と顔を引きつらせていたのだが、二人がその様子に気づくことはなかった。




