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怪物公爵と森の鬼姫  作者: 長野智
■本章■

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13/23

第七話








 鬼から受けた最後の拒絶以来初めて踏み入れるその森に、ヴィンセントはひどく緊張していた。


 翌日から視察へと出向くため、しばらくは来れないから一目だけでも鬼の姿を見ていこうと、ヴィンセントが動いたのは早かった。けれどやはり心は重く緊張するばかりで、森に山賊の気配はなく安心するが、気持ちは晴れないままだである。



 ――今朝になり、やっと書斎から出てきたヴィンセントに、ベアトリスが頭を下げた。それにヴィンセントは驚いたものの、危険なことに巻き込んで申し訳ない、と言ったベアトリスに、言葉を返すこともできなかった。


 ヴィンセントからすれば、鬼を襲ったことに謝罪がほしかった。


 彼は怪物を敵視していない。むしろ幼い頃よりともに居た怪物たちには親愛こそあれ、殺してしまおうと思ったことなど一度もないのだ。



 それに――かの鬼はきっと、人を襲わない。



 見たわけではないが、ヴィンセントは確信していた。人間が嫌いだと言いながら、山賊相手でも襲われなければ自ら襲いかかることもなく、無差別に殺しているわけでもない。


 人間が嫌いなのに、人間を信じないのに、人間をむやみに殺めず、一人の人間をひたすら探して、けれど決して家からは出ようとしない、ただ待つ生活を送る不器用な鬼。


 最初に感じたその『不器用さ』が気になり森に通って知ったのは、ヴィンセントを拒絶しながらも魔獣を追い払ってくれる心優しさであり、山賊を魔獣に食わせようとした鬼に対するヴィンセントの怒りとも泣き言ともとれる言葉を最後まで聞いてくれた情の深さであった。

 けれど口では「人間が嫌い」だと言い、信じないという拒絶の姿勢を崩さない。


 その不器用さと矛盾さがどうにも弱さに思えてしまい、ヴィンセントは時間が空けばふらりと森に来てしまう。

 けれど――――先日の一件でもう完全に心を閉ざして、ヴィンセントとは会ってくれないかもしれない。


 そんな不安が心の中にぐるぐると巡り、ヴィンセントの足取りを重くしていた。




 しばらく歩いたところで、見慣れた家が見えてきた。もしかしたらもう出て行ったかもしれない、と不安に駆られながら、それでも静かに歩み寄る。

 しかし。

 直後に、ヴィンセントの足がピタリと止まった。


 鬼の居る家の前。そこには見慣れない――いや。ある意味では衝撃的に焼きついていた、腫れ上がってただれた腕が落ちていることに気がついた。



 確かに見覚えがある。この症状は、最後に見た時に、鬼が右腕に受けていたものだ。



「お、鬼姫……」


 焦ったように言葉をなすと、ヴィンセントはその扉に語りかける。


「鬼姫、腕が! これはどういうことです! いえ、今はどうか治療をさせてください! 少しでいい! あなたの腕を見せてくれませんか!」


 いつものように言葉はない。いつもなら穏やかで居られるその静寂も、今では不安要素でしかない。震える唇に手を添えて、ヴィンセントははやる気持ちを押さえ込んだ。 


「どうか……」


 扉に触れると、すがるように額も押し当てる。


「……私は、あなたの敵じゃない。あなたが疑うならこの言葉を信じてくれとは言わない。だけどどうか、治療だけでもさせてもらえないだろうか」


 懇願するようなヴィンセントのその声は弱々しく、けれどやはり返事が来ることはなかった。

 もうここには居ないのかもしれない。もう二度と顔を見せてくれないかもしれない。

 覚悟はしていたけれどとうとう現実味が増したその可能性に、ヴィンセントは無意識に胸を抑えていた。











 鬼はただ静かに目を閉じていた。

 右腕の傷は塞がっている。もちろん痛みはもうない。少々の違和感とバランスの取りづらさはあるものの、それだけである。


「鬼姫……私は明日よりルーズバーグの王都の北、アドウィンへと向かいます。しばらくあなたに会いに来れないのです」


 真っ暗な部屋に聞こえるその声は、泣きそうに震えている。


「その前にどうか……あなたの元気な姿を見せてもらえないでしょうか」


 ――――どうしてこの人間は、ここまで自分に構うのか。

 鬼はうっすらと目を開けて、物言わず考える。

 殺すためだとは分かっている。しかしそれにしては、どこか必死になり過ぎているような気もする。

 あまりにも愚かだと、そう言うのが正しいのかもしれない。


 だって鬼は、もう彼の目的が何なのかを理解している。

 鬼を油断させ、騙し、引きずり出したところで消してしまう魂胆なのだと分かっているのだ。


 鬼がその目的を知っていることを、以前直接言ったのだから、当然彼も知っているはずである。だというのに、そんなことも構わず、彼はこうして以前と変わらないまま鬼に関わろうとする。

 

 まるで、あの女の言っていた「目的」が、嘘であるかと思わせるように。

 まるで、彼は最初から真実しか語ってなかったとでも信じさせるように。


(……違う。人間は嘘つきだ。こいつだってそうだ。……私を、騙している)


 楽しそうに語らう声も。あの泣きそうな表情も。どれもこれも、鬼を油断させるためだけの、それだけのために用意された「偽物」の顔のはずなのだ。


 今更、少しでも「もしかしたら」と思う自分がなんだか不思議だった。

 だって鬼は、人間が大嫌いである。

 人間は信じるに値しない。そんなこと、誰よりも鬼自身がよく分かっている。



 ――――だけど。どうだろう。

 彼の目は、最初から鬼を敵視していただろうか。



 あの時。

 鬼の腕を見て、手当てをしたいと。信じてほしいと。そう言った彼は、どんな顔をしていたのか。



 正直、鬼はあまり覚えていない。

 おまえもやはりそっち(・・・)側なのかと、頭に血が上っていたのは確かである。

 そのためいつもより冷たい対応をしてしまった。だって仕方がない。鬼はこれまで、彼のことをずっと馬鹿でお人好しな人間だと思っていた。

 そんな人間が鬼を騙していた、ともなれば、カッとなるのも当然だろう。


 信じていた、わけではない。

 だけど、居心地は良いと思っていたのかもしれない。


 今までになかった、誰かと共有する時間。一方的に語られる言葉に耳を傾け始めたのは、いったいいつからだったのか。





「鬼姫……」


 ヴィンセントの声が、静寂に溶ける。

 けれどやはりそれにも返事をすることもなく、鬼はただ目を閉じてその気配が消えるのを静かに待っていた。


 

 

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