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怪物公爵と森の鬼姫  作者: 長野智
■本章■

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12/23

第六話








 

 その森はいつもと変わらず、静かな空気に包まれていた。


 ひっそりと佇む木製の小さな家。小屋にも思えるその家の中で、鬼はいつものようにただ椅子に座り、目を閉じている。


 数日前、鬼の家を襲撃した女と争った際に受けた傷である赤く腫れ上がった患部が、今では肘の上ほどにまで侵食していた。しかしそれには特に興味もない、という涼しげな表情で、鬼は昔を思いを馳せる。



 ――ああ、憎い――あの男が憎い。

 ――人間なぞ信じては駄目。

 ――嘘で塗り固められた狡猾な生き物。

 ――ああ、ああ、なんと憎いのか。あの男さえ居なければ。



 鬼の母は生前、その心中に憎しみを持て余していた。

 娘から見ても母は大層美しく、妖艶な雰囲気をまとい、男女問わず魅了することで「鬼」の種の中でも大切にされていたのだが――心を病んだのか日に日に憎しみに顔を歪め、鬼が「鬼」という種族の成人を迎えた頃にはもう、鬼の母はかつての美しさを残していなかった。


 毎日毎日その男への憎しみを語り、鬼の顔は見たくないと暴れ狂う。それに鬼は、いつからか悲しいと思うことすらなくなっていた。


 ある日、鬼の母は暴れ狂った拍子に、鬼の角を片方傷つけた。「鬼」の象徴とする角は、立派であればあるほどその鬼自身の気位の高さや威厳を表し「鬼」の中でも重宝される。

 しかし鬼の角は母に傷つけられ、欠けてしまった。

 けれどそれさえも悲しいと思うこともなく、鬼はただ現状を受け入れるように生きてきた。




 ――人間を絶対に信じないことよ。バカを見るのは我々なの。所詮、私たちは妖怪であり、人間とは相容れないのだから。








「――もしかしてあなた、東洋の北の山にいた白鬼?」



 まるで昨日のことを話すように自然と声をかけられたが、鬼は驚くこともなく、視線のみをその扉に移す。少し前、強い妖気がそこに現れたことに、鬼は当然気づいていた。


「……相変わらず無口ね。まあいいわ。……北の白鬼には有名な話があるのよ。それはそれは美しい女性の鬼の、悲しい恋物語」


 鬼は珍しく激情を抱くと、その全てをぶつけるように扉を睨めつけた。


「ちょ、ちょっと! そんなに殺意向けないでよ怖いわね! 私はまだあんたよりうんと年下のうら若い天狗なのよ!? あーゾワゾワする!」

「天狗」

「ぎゃあ!」


 身体を扉に向けていたシオは、突如として降りかかった背後からの声にすぐさま振り返ると、その右腕を見て驚愕の表情を浮かべた。


 二の腕の中ほどまで真っ赤に腫れ上がり、痛々しくただれている。そこには、少し血が滲んでいるようにも見えた。

 シオの視線に気づいたのか鬼もそこに目をやると、先ほどよりも侵食している患部に煩わしそうに息を吐き、自らの右肩を左手でわし掴む。


「ちょ、ちょっと何する気、私グロテスクなのは苦手……ていうかそれ、もしかしてビーが言ってた『教会の守護』ってやつに……」


 ――ガクン、と。鬼の右肩が下がった、ように見えた。けれどシオはすぐにそれが勘違いであると、ボトリと草に落ちた右腕を見て理解する。


「ヒッ! あ、あんた、何っ、」


 その右肩からはドクドクと血が溢れるが、鬼が左手をそこに押し当てると、少しずつその量が減っていく。


「……天狗、あの女と知り合いなのか」

「……あの女?」

「私の右腕をこうした女だ。……あれは、純粋な人間か?」

「……ビーはエクソシストみたいよ。西洋の悪魔祓い師」

「……そうか」


 血の臭いに集まってきた魔獣たちは、それが鬼からの臭いであると分かると、すぐにシオを威嚇するように鋭い牙をむき出しにする。けれど鬼はそれを鎮めるように魔獣に視線を送り「それは食うな」と自らの落ちた右腕を指して言葉にした。


「……飼ってるの?」

「まさか。懐かれただけだ。……だが魔獣は従順だ。嘘もない。騙さない」

「人間と違って?」


 シオの言葉に、鬼は何も返さないまま、けれど家に戻ることもなく立ち尽くす。


「……天狗、一つ言っておく。人間とともに私の邪魔をするのなら、たとえ天狗であろうと容赦はしない」

「それを、私に言うの? ヴィンスちゃんやビーにじゃなく?」

「……人間は私たちのような存在に敵意しかない。それは分かっている。互いがいがみ合っていると分かっているのだから、忠告も必要ない」


 鬼の陰った瞳には、希望も絶望も宿らない。それに少し悲しみを覚えながら、シオはギュッと拳を握り締める。


「――違うじゃない。敵意なんかない。だから私は人間と一緒に居るし、幸せだって思えてる」


 シオは、天狗の長の娘として、幼い頃から蝶よ花よと大事にされてきた。

 だけど決められた道を歩むような、そんな刺激のない毎日がつまらないものと思えてくるのに時間はさほどかからず、山から――いや、国から逃げ出したのだって、後悔なんかまったくなかった。


 そうしてやってきたこのルーズバーグ王国で、ヴィンセントに出会ったのだ。


『キミは悪さしたわけじゃないし、する気もないんだろう? ここに縛られなくてもいいよ』


 そう言って、他の怪物がしている枷をシオにつけることもなく、逃げていいよと微笑んだ。


 それだけでよかった。シオが最も欲しかったものを、言ってほしかった言葉を、何も疑うことなくくれたのだ。

 自由にしてもいいと。シオの心はそれだけで、充分に軽くなった。


「ではこの腕は」


 鬼の言葉に、シオが唇を噛み締める。


「……私が仕掛けたわけではない。あの女は襲いかかってきた。山賊もそうだ。奪うために殺す。そして私の姿を見たとたん、売り物にできると目の色を変える」

「それは……」

「あの男もどうせ同じだ。あまり人間に深入りするな。バカを見るのは私たちだ」

「ヴィンスちゃんは違う! ヴィンスちゃんは……あなたの力になろうって、一緒に人を探そうって言ってくれたじゃない!」

「――それで? 私を捕らえ、枷をつけ、売り飛ばさない保証がどこにあると?」

「……保証なんて……信じるしか、ないけど……」

「あの男は家に住まう怪物の話を私によく聞かせる。まるで『怪物は安全に保護している』とアピールするように。――そうやって怪物たちの保護を全面に押し出し、善人ぶって、私を騙そうとする」

「違うの! ヴィンスちゃんは違うの! 本当に違う!」


 必死に人間をかばうシオの姿に、同じ東洋の妖怪として、鬼の心に不快感が滲む。

 腕を切り離した鬼よりも、無条件に襲いかかってきた人間の味方をするのだ。それは鬼には到底理解できないことであり、とうとうその動かなかった顔にも「不快だ」という表情が浮かんだ。


「……女が、男に言っていた。私を殺す命を受けているのだろう、と。それでどうして信じることができる」

「……でも……」

「男は私を殺すよう言われていた。そのためにこの家によく来ていた。けれど私が相手にもしないために女を仕向けた。……浅はかな作戦だ。人間ごときが」


 東洋の妖怪ということでシオにはまだ友好的であった鬼だが、この時にはすでに、まるで敵を見るような目をしていた。隠されない敵意にシオは肩を揺らすと、家に戻る鬼を引き止めるでもなくただ見送るしかできない。



 きっと鬼は、シオが来たのもヴィンセントの仕向けたことだと思うのだろう。そう考えて、今頃ぼんやりとしているであろうヴィンセントに、心中で謝罪の言葉を送った。


 

 

 

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