第四話
「お待たせいたしました、アルフォード公爵」
扉が開き、部屋に入ると同時に、その男は恭しく頭を下げた。
天井からは人が乗れそうなほどに大きなシャンデリアがいくつもぶら下がり、それらから放たれる光が床に反射して、ギラギラとした大理石を一層輝かせている。装飾も華美で、置物も一級品。使用されている布の一つでさえも上質なものを取り揃えて、この一室の高級感を派手に演出しているようである。
そんな風に豪奢な部屋だというのに、歴代の国王やルーズバーグ王国で活躍した英雄の絵姿が壁から掛けられているのみであり、ほかには特に何があるわけでもない。
いや、歴代国王や英雄が置かれているからこそ、というべきなのか。
ヴィンセントがルーズバーグ王国の王宮に、国王陛下への謁見としてやってきたのはつい先ほどだった。そうしていつものように、王の準備が整うまでの間、この「歴史の間」でかつての王や英雄を見ていたのだ。
宰相であるギルバート=ホワイトもそれをよく分かっているため、女中にヴィンセントの居場所を聞かずとも、迷わずこの歴史の間にやってきた。
「ホワイト閣下、お久しぶりにございます。お元気そうで安心いたしました」
「貴殿も顔色がよろしいようです、アルフォード公爵。さあ、陛下の元へご案内いたします」
――ヴィンセントがこの王都へ戻ってきたのは、つい昨日のことである。
それというのももちろん、女性の扱いについて、などと、珍しくも異性に興味を持ったヴィンセントを、アレキサンダーが王都の西、第五区にあるカルヴァート公爵邸へとやや強引に連れ帰ったことに始まる。
とはいえ、アレキサンダーからすれば「女性に興味を持つとは! いい機会だ色々教えよう!」と連れ帰ったようだが、ヴィンセントとしてはオルグ地方の不正を確認しに行く視察のつもりだった。
の、だが。
視察も終わりさて帰ろう、となったヴィンセントをアレキサンダーが離そうとせず、いったいいつになったら帰れるのだろうかと、ヴィンセントが不安に思い始めた三日目。
まるで面白がるように女性について切々と語るアレキサンダーにうんざりとした視線を隠しもせずぶつけていたヴィンセント宛に、鳥が一羽飛んできた。それはハロルドからで、陛下から謁見の日取りの返事が来た、という旨の内容だったために、ヴィンセントも戻らねばとやっと逃げ出すように王都に戻って来れたのだ。
正直に言うと、疲れた、というのが本音である。そして二度と女性のことについてはアレキサンダーに言わないようにしようと誓った。
当然、カルヴァート公爵邸に居た為に、この数日、森へは行けていない。かの鬼姫が今どうしているのかもヴィンセントは分からないし、できれば帰ってからすぐにでも出向きたかったのだが、陛下との約束を反故にするなど言語道断である。
かくして、森離れしておおよそ一週間。ヴィンセントは国王への謁見のため、王宮へと参じたのである。
――ギルバートに連れられてこられたのは、日当たりの良い設計をされている一室であり、現在のように晴れた天候では人工光など必要としないほどに明るい一室だった。
先程の歴史の間ほどの広さはないにしろ、置かれたソファやテーブルは一級品、アンティークや布なども一つ一つがこだわられているような、王の親しい者のみが通されている「光の間」である。
「よく来てくれた、アディ」
「お久しぶりでございます、国王陛下」
「ギル、あとは大丈夫だ。案内ご苦労であった。下がって良い」
ギルバートが一礼し、背を見せないまま部屋を出ていく。それを見届けて、御年五十七になるセオドア・ウォーレン=セシル・メイスフィールド陛下はにこやかに椅子に座ると、ヴィンセントにも座るように促した。
「リックは元気か? シンディの身体の具合はどうだ?」
「はい。お陰様で、父も母も元気にしております。特に母は病状も良く、今では外に出られるようになったようです」
「おお、そうか。安心したよ。リックをハリントスの地方領主にしたのは間違いではなかった。しかし、アディ、二人で居るときはかしこまらないでくれといつも言っているだろう」
威厳のある雰囲気を緩めヴィンセントに微笑みかける王は、ヴィンセントを幼い頃から知っているからか息子のように思っている節がある。
誰かが居れば体裁上許されずとも、二人の時は気を緩めよと、ヴィンセントはいつだってそう言われているのだ。
「すみません、つい」
「まあ良い。……それで、今日は各地方の視察報告だったか。揃ったのか?」
「はい。先日、最後の一人であったオルグ地方統括領主である王都第五区公爵領領主、カルヴァート公爵から報告を受けました。報告書を見たところ、アドウィン地方、マグナ地方、ハリントス地方は概ね問題もないのですが、このオルグ地方が少々……」
「ほう?」
「オルグの東区域の北東子爵領領主であるアグエイアス子爵なのですが、どうも不当解雇や偽造帳簿などの不正をしているようです」
帳簿のコピーを報告書の隣に置くと、セオドアはふむ、と小さくつぶやく。
「……実際に確認したのだな?」
「はい。帰ったのは昨日です。……念のため、後日、アドウィンなどの他の地方にも視察に出向こうかと思います」
実際に確認したのか、という言葉に頷いたものの――――実はヴィンセントは、オルグ地方の北、西、南区域の視察にしか出向けていない。つまり、当の本人であるアグエイアス子爵と話をしていないのだ。
もちろんヴィンセントはすぐにでも子爵邸に行こうとした。しかしそれは、アレキサンダーからの一言で止められた。
『アグエイアス子爵は最近の横暴さもあってか、アポイントを一週間前からあらかじめとっておかないと怒り出して相手が誰であろうと突っぱねる。俺はそれで一度、彼から領地を奪おうかと本気で考えるほどの喧嘩をした』
なんてことを言われては、アポイントをしっかり取らない限りは実際に話をしても真実が見えてこないであろうことは目に見えている。では一週間後に出向こうと、鳥を飛ばすと返事が来たためにアポイントはとれたが、真実を確認できていないことに変わりはない。
さらにはオルグ地方以外の地方の視察はしたのか、と聞かれてもそれは否であり、暗に「全地方全てをちゃんと調べた結果か?」とセオドアに問われたと判断したヴィンセントは咄嗟に他の地方の視察に出向くように言ってしまったが、それにはさすがに仕事が増えたと苦労が滲む表情を隠せなかった。
そんなヴィンセントに苦笑を漏らし、セオドアは「頼んだ」と息を吐く。
「報告ご苦労――して、アディ。帰らずの森の調査はどのようになっている?」
セオドアの心まで見透かすかのような灰色の瞳が、真っ直ぐにヴィンセントを見つめる。それになんとなく一瞬固まってしまったヴィンセントであるが、すぐに「はい」と口を開いた。
「数ヶ月前より、セオドア陛下の勅命通り調査を始めました。……どうやら、東洋の怪物が住んでいるようです」
「ふむ」
「おそらくは『鬼』と呼ばれる種かと」
「……鬼……」
セオドアは一瞬考えるように視線を泳がせたが、すぐにヴィンセントに固定された。本当に一瞬のことだったがヴィンセントは目ざとくその素振りに気づき、セオドアがそういった仕草を滅多に見せないと知っているために違和感を覚える。
本人曰く、表情に出せば足元をすくわれることもある、だそうだ。
「……セオドア陛下……何かご存知なのですか?」
「……いや?」
貼り付けたような笑顔は確実に何かを知っていそうなのだが、本人が「知らない」と言うのならばそれ以上は立ち入り禁止だ。
「それで、その鬼が森に入った者を食っていたのか?」
「……いえ、おそらく食っていたのは魔獣かと。殺して捨てているのは鬼のようなのですが」
「そうか……」
やはり考えるような仕草を見せる王に対し、やはりヴィンセントには何かしらの違和感しか感じなかった。そんな視線に気づいたのか、セオドアはフッと微笑むと、綺麗に整えられたヒゲをいじりながら「気にするな」とつぶやく。
「……そうだ、アディは確か、この王宮でも歴史の間が好きなのだったか」
「はい。かつての英雄を目にするたび、このルーズバーグに生まれたことを誇りに思います」
「そうか。……今でこそ栄えてはいるが、このルーズバーグにももちろん、貧困の時代があった」
「存じております。それを変えたのが、五代目国王陛下であらせられるアルフレッド・バジル=セシル・オレンジ陛下でした」
「そう、私の曽祖父にあたるお方だ。……どうやって、繁栄をもたらしたのか、と今でも語られるほどに、ルーズバーグは急激に栄えた」
全く不思議だよ、とセオドアは意味深につぶやくが、やはりヴィンセントには何も語られることはなかった。
その後も特に情報は得られず、三十分という短い時でヴィンセントは王宮を後にした。
アルフォード公爵邸に戻ると、ハロルドが待ち構えていたように仕事を積み上げて待っていたのだが、ヴィンセントは「あとでやるから」とすぐに邸を出る。行くのはもちろん、ここ一週間程向かえなかった帰らずの森である。
鬼姫は元気だろうか。また山賊に襲われていないだろうか。そんな風にはやる気持ちを押さえ込み、久々に歩むその家への獣道を感慨深く踏みしめる。
すぐに、ヴィンセントは森の異変に気づいた。
魔獣が騒がしいのだ。いつもは鬼を守るように静かに様子を見ているだけの魔獣だが、今日は何故か殺気立って、森のそこかしこで咆哮を上げている。
何か、あったのだろうかと。
そう思うと急に心が不安に曇り、ヴィンセントは自然と早足になっていく。
――そして。
「ビー!」
「ヴィンス!」
鬼の足元に膝をついて苦悶の表情を浮かべている女を呼べば、その女はバッと顔を上げてヴィンセントに駆け寄ってきた。
いったい何が起きている。
ヴィンセントは必死に状況を理解しようとするが、女が左肩を抉られ、鬼の右腕が肘まで赤く腫れ上がり、痛々しくただれていることくらいしか分からない。
鬼の背後には、今にもヴィンセントたちに飛びかからんとするほどに威嚇をしている、複数の魔獣が控えていた。
「ビー、何をしてる」
「鬼がいたの、だから私、帰らずの森の原因であるこの女を教会の名の元に退治しようって……ヴィンス、あなたもこの鬼の退治を陛下に言われてるんでしょう!?」
女の言葉に、鬼のただれた右腕がびくりと揺れる。鬼は変わらず無表情だが、痛みがあるのか右腕は未だ痙攣するようにビクビクと動き、その度に鬼は浅く息を吐く。
「ビー、戻ってて」
「何言ってるのヴィンス! 逃げるの、一緒に!」
「ダメだ! 彼女は怪我をしている! 手当てしないと!」
「あれは教会の紋章の魔力にやられてる! 手当てなんて無意味!」
鬼の赤い目が、ゆっくりとヴィンセントを見据える。いつもより無表情な鬼の心情は読みきれないが、たぶんもう、魔獣が山賊を食うのを止めてくれと言っても出てきてはくれないだろうと思わせるほどに無機質で、そしてどこかヴィンセントを遠ざける冷たい視線だった。
「……鬼、姫……手当てをしたい、させてくれ」
「ヴィンス!」
ヴィンセントがゆっくりと歩み寄る。鬼の視線はずっと、ヴィンセントに注がれていた。
――しかししばらくしてその視線が外されると、鬼は殺気立つ魔獣に歩み寄り、大丈夫だと言わんばかりに彼らの大きな手を撫でる。するとそれに答えるように一斉に魔獣は頭をたれて、森の奥へと姿を消した。
「ヴィンス、行くよ!」
「離して、ビー」
ぼんやりと鬼の背中を眺めていたヴィンセントは、いつものように家に入ろうとする鬼のもとに向かおうと足を踏み出すが、女が引っ張るためにうまく歩めない。
「ヴィンス!」
「鬼姫! 頼む、私はあなたの敵じゃない! どうか信じてほしい!」
扉が閉まる直前、鬼の紅の双眸が再びヴィンセントをとらえた。
言葉を待つ。ヴィンセントには長い長い時に感じた。
やがて、その薄い唇がゆっくりと開かれる。
「……あの男も『信じてくれ』と何度も言った。しかしあの男は結局母を捨て、殺した」
「っ……、」
ヴィンセントは、思わず息を呑む。
誰のことを言っているのかは分からない。ただその目が、憎しみに満ちていたのだ。
「私は人間が嫌いだ。嘘つきで狡猾な生き物だ」
いつもより強めにしまった扉は、もう二度と開かないのではないかと思えるほどに固く閉ざされた。それにはもうヴィンセントも何も言えず、ただ立ち尽くすしかできなかった。




