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小さな命

 町へ降りて行く途中、眼下に広がるのは平らな町だった。

 建物という建物は焼け、潰され、人々の声すらもどこにも聞こえない。

 みんな死んだのか、それとも隠れているだけか。

「関係ない」

 ふと、八弥の口からそんな言葉が漏れ出た。

 そうだ。関係ない、納得して足取りは少し軽くなった。どれだけ他人が死んでも、どれだけ迷惑がかかっても、どうせ自分には何も降りかかってこない。

 平らになった町に、一つだけ目立つ物があった。いまだに成長期の、白い時計塔だ。

 あんな空襲にあってどうして無事でいられるのかは甚だ不思議だったが、八弥は特に気にせずに、ひとまず塔の足元を目指すことにした。

 時計塔は駅と繋がるように作られているはずだ。そして、この町を外とつなぐのは汽車しかない。

 そもそも、楠木は汽車に乗る旨を話していたはずだ。つまり駅に行けば、まだ会えるチャンスがある。

 八弥は歩き出した。塔まではそれなりに遠いが、薙刀で鍛えられた身体ならこの程度の距離は何と言うことも無い。そう、見切りをつけて。


 焼け野原になった町を歩く。

 町までやってくるのは久しぶりで、もう何年も来ていない。山から見下ろすことはできたし、毎日のように眺めていたが、どんな姿だったのかは細かく覚えていなかった。

 なんだか懐かしい、そんな気持ちで八弥は歩を進めた。

「だけど……本当に、何もない……」

 視界は良好。それゆえに不自然なほど、町は平らだった。

 聞こえるのは風の吹く音と、崩れるガレキの音だけ。まるで自分ひとり、荒れた場所に放り出された感覚。遠くにあるはずの時計塔が目の前に見える、距離感までおかしくなりそうなほど何もなかった。

 歩く八弥の目はどこか虚ろで、何も見えていないような印象さえ与える。

 ただ、八弥は真っ直ぐに、凛と歩くのだった。


「うー……」


 そんな時、どこかから呻き声のような声が聞こえてきた。

 八弥が辺りを見回すと、その声は道端のがれきの影から聞こえてきていた。

「うう……」

「……? だれ?」

 声を探りながら八弥はガレキの山へ近づいていく。

 そこには五歳くらいの女の子が、うずくまっているのが見えた。色のあせた着物を着て、髪は短く切りそろえられ、身体にはいくつもの切り傷、擦り傷、鞭打ちの跡が見えた。

 八弥は少しその場でうろたえるように立ち止まった後、うずくまって少女に声をかけた。

「……どうしたの?」

「ひっく……う、うぇ……」

「だ、大丈夫だよ……怖くない、怖くないよ……」

 一瞬、おびえた表情をする少女に八弥はうろたえたが、必死に慰めようとそう声をかけた。

 すると、誠意が伝わったか、少女は涙をぬぐいながら、

「あのっ、あのね。おとうさんと、おかあさんがね……」

「うん……」

「どこかにっ、いっちゃって……うぇえ……」

「う、うん、分かった。分かったから、泣かないで……ね?」

 頭を撫でながら八弥は、出来るだけの優しい声で少女に告げた。

「だいじょうぶ、だいじょうぶだよ。ひとりでも、だいじょうぶ」

「うえぇ……え? だいじょうぶ?」

「だいじょうぶ。だいじょうぶ」

 何度も繰り返す「だいじょうぶ」。

「……だいじょうぶ」

「うん、よく言えたね。だいじょうぶ」

「だいじょうぶ!」

 少女はようやく笑顔になって、目尻に涙を浮かべながらも元気よく叫んでくれた。


「わたし、ゆりっていうの」

 気付けば八弥と一緒になって歩いていた少女は、無邪気な声色で言った。

「ゆり、ちゃん?」

「うん! お姉ちゃんは?」

「私? 私は……やや、っていうんだよ」

「ややお姉ちゃん?」

 首をかしげて、ゆりは笑った。

「ややお姉ちゃんも、おとうさんとおかあさん、探してるの?」

「……うん、似たようなものかな」

「???」

 実際には両親の行方は分かっているのだが、八弥は適当にぼかして告げた。

 ――確かに、楠木を探すという点では、似たようなものかもしれない。

「ゆりちゃんも、お父さんとお母さん、探してるの?」

「……うん」

 しゅん、と分かりやすく俯いて、ゆりは答えた。

「あのね、くうしゅうが来てね。あわててはしっててね、はぐれちゃったの」

「え? 防空壕に入らなかったの?」

「ぼうくうごう……?」

「ああ、えーと……」

 とっさに言葉が出てこないのは、山にこもっていた弊害か。出来るだけ分かりやすく、八弥はかみ砕いて伝えた。

「お家の下にあるお部屋のこと。そこには入らなかったの?」

「えーとね……えーっと」

 ゆりは混乱しているのか、ぐずぐずと口に出すのを躊躇い続けていた。

「えと、えとえと……」

「……無理に言わなくてもいいよ」

 八弥は少し苛立ったように、ぴしゃりと言い放った。

「いいたいくない事って、誰にでもあるしね」

「? お姉ちゃん?」

「お父さんとお母さん、見つかるといいね」

 笑顔を作ったつもりでゆりを見つめると、ゆりはぽかん、と口を開けていた。

 八弥は思わず戸惑った。いったい、自分はどんな顔をしているのだろうか? そんな心配をよそに、ゆりが言った。

「お姉ちゃん、なんだかへんだよ」

「変?」

「うん、へんだよ」

 それきり、ゆりは口を閉ざしてしまった。

 変。変。変って、いったい何が変なんだろう。

 その場に鏡でもあれば、八弥はすぐに覗き込んでみたかった。


  ○


 しばらく歩いていると、町の雰囲気が変わってきた。

 それまではただただ町のガレキが広がるだけだったが、だんだんと人の姿が目に入るようになってきたのだ。

 皆、一様に疲れ切った表情を浮かべ、ぐったりと座りこんでいることがほとんど。その殆んどが若くとも老いていても、女性だった。

「あら、あなた」

 ふと、歩いていた八弥は見知らぬ女性に声をかけられた。歳のほどは三十代といったところか。

「その制服……第二中学校のね。どうしてこの町に居るの?」

「えっ」

「二中の子たちはみんな、とっくに疎開したはずよ? どうしてあなたはこの町に残っているの?」

 女性の声は本気で心配するように、ただ真っ直ぐな目を向けてくる。八弥はなんだかいたたまれない気持ちになって、その場から逃げだしたい衝動に駆られた。

「お姉ちゃんは、わたしといっしょに、おとうさんとおかあさんをさがしてくれてるんだよ!」

 すると、ゆりが大きな声で叫ぶように言った。

「あら、そうなの? あなた達、姉妹なのね」

「え。いや、違います」

「違うの? じゃあ、どうして一緒に居るの?」

「えと……」

 人と話す時にとっさに言葉が出てこない。八弥はなんとか言葉を選びながら、

「歩いていたら、この子が泣いてたので、成り行きで……」

「うん!」

 ゆりも元気に頷くので、女性は「ふぅん……」と溜息のように声を出した。

「分かったわ……。でも、気をつけてね? またいつ空襲が来るかもわからないし……最近、いろいろと物騒だから……」

「……はい」

 いろいろと――その言葉の意味は気になったが、とりあえず忠告を受け取って頭を下げた。

「みなさんは……ここで、何を?」

「……見て分からない?」

 言われて、八弥は周囲の人々を、改めて見まわした。

 ガレキに座ってうなだれていたり、ひそひそと話をしたりする女性たち。

「家も家族もなくなって、路頭に迷っているのよ。もうしばらくで連絡船が来るから、別の町に移動することになっているの」

「はぁ」

「悪い事は言わないわ。あなたも船に乗りなさい? この町に居るよりも、何倍も安全だと思うわ。……もっとも、戦争なんてやってる上は、安全な場所なんてどこにもないでしょうけどね」

 シライさーん、と遠くから呼ぶ声に返事をして、それから女性は遠くへ歩いていった。

「連絡船」

 その言葉を呟いて、八弥はゆりに向き直った。

「ひょっとしたら、その連絡船にお父さんとお母さんがいるかもね」

「れんらく……?」

「連絡船。大きな船のことだよ」

 再び並んで歩きながら、八弥は説明した。

「ひょっとして船に乗ったら、お父さんとお母さんに会えるかもしれない」

「ほんとう!?」

「きっとね」

 もし会えなくても、小さい子がこの町に一人でいるよりはずっといいだろう。このご時世だ、親代わりに育ててくれるような人もいるかもしれない。

 のんびりと考えながら、八弥はまた時計台に向かって歩を進めていく。もう、大分近い。

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