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八弥と男

 乾いた風が木立を揺らす、皐月の早朝。ぶんぶん、と何かが空を裂く音が、高い空にこだまする。

 風がさぁ、と吹き抜け、鳥は空高く飛びながら鳴いている。もう桜はすっかり花を散らせ、緑の葉を茂らせていた。この上ない、のどかな朝。

 そんな朝に、場違いともとれる音が響いていた。

「はっ。はっ」

 音とともに、人が息を切らす声がする。

 人影の歳の頃は、13か14か。黒いセーラー服に身を包み、混じりけの無い真っ黒な髪を頭の後ろで束ねている。その両手には、こげ茶色の木で作られた薙刀が握られていた。

 両手に握った薙刀を振り降ろし、突きをかけて、斜め下から切り上げ、切っ先を引く。ひとつひとつの動きがまるで殺意を持った武士のように鋭利で、しかしどこか気品をまとった流麗さがあった。

「はっ!」

 掛け声とともに大きく身体を揺らし、束ねた髪が揺れる。額からこぼれる汗が、朝の太陽に煌めいた。

 それが地面に落ちるのを合図にしたように、彼女は息を上げながら、演武を終えた。

「今日は、このくらい……はぁっ、はぁっ……」

 手の甲で汗をぬぐい、薙刀の刃を下ろす。

 汗に濡れる瞳は赤茶色に染まり、攻撃的に吊りあがっている。しかし、口から漏れる言葉はそれに反して、か細く、気弱そうな声だった。

「ちょっと、休憩……」

 薙刀をからん、と乱暴に投げ捨てて、少女は目をすがめた。


 古くから貿易と、その宿場として栄えてきた、海に面した小さな町。かつて、この国が鎖国から解放された時に多くの西洋文化が流れ込んできた影響もあって、古い和風の建物と、新しい西洋の風景が広がる異国情緒に富んだ町となっている。

 海に面しているだけでなく、自然豊かな山の景色も広がり、青と緑のコントラストに惹かれる観光客が後を絶たない時期もあったものだ。

 現在でも、町の中心にある駅に巨大な時計塔を建設しており、それなりに活気にあふれた場所ではある。


 そんな静かな町の、麓に神社を頂く山。

 山頂へ続く、ろくに舗装もされていない登山道を少し上った所には、ちょっとした空き地のような場所がある。誰が何のために作ったのかもしれず、ひっそりとそこにある、本当にちょっとしたスペース。

 そんな辺鄙な場所に、その少女はいた。そんな場所でひとり、薙刀を振るっていた。

 黒いセーラー服で古びたベンチに座り込み、手の甲で汗をぬぐう。涼しい風が吹き抜ける木々の間で、暑苦しいことに少女は袖の長い服を着ていた。

 ただ、幸いなのはこのベンチがあるのは、ちょうど大きな木の陰であるということだ。運動をし、汗をかいた身体を休めるのには最適な場所だ。

 彼女がここを『選んだ』のも、そうした側面が強い。それなりに快適で、身を落ち着けやすい場所。

「はぁ」

 少女はベンチに横になって、空を見上げる。

 揺れる木の葉の隙間から見えるのは、一点のよどみも無い青空。白雲。遠く、遠く、吸い込まれそうなほど、大きくて薄い、透明な世界。

 手を伸ばす。

 当然届かない。しかし少女は目を細め、さらに伸ばす。

 汗のにじんだ掌を、上へ。上へ。

 ふと、どこからともなく小さな鳥が、小さな翼をはためかせてその掌の上へと、降り立った。

「…………」

 少女は少し不機嫌そうに、眉をしかめる。しかし、掌はそのままに。わずかな動きさえせず、微動だにさせないという徹底ぶりだ。腕をぴんと伸ばしたままで、少女はしっかりと静止していた。

 ただ無心に、手を伸ばす。

 伸ばし続ける。

 掌の鳥は、何をするでもなく立ったまま、きょろきょろと周囲を見回している。

 憮然、と少女はそのままの表情で、鳥をじっと眺め続けた。

 額に汗が浮かぶ。手でぬぐいたい、そう考えた瞬間に、小さな鳥は飛び去ってしまった。

「あっ」

 と、少女は思わず声を上げて、身体をバネの様に起こした。

 行っちゃった。名残惜しそうに、手を伸ばす。が、すぐに引っ込めて、右手をきゅ、と小さく握った。


 ウー……と、突然、遠くからサイレンの音が響いてきた。


 少女の反応は素早かった。

 ばっ、と跳び上がって投げ捨てた薙刀を拾い、スカートが翻るのも気に留めず、走り出した。構わない、どうせ辺りには誰もいない。

 皐月の風が、邪魔をするように肌を撫でる。

 少女は負けじと、私も風だと言わんばかりに走り続けた。

 空からは、重苦しい、エンジンの音が大量に響いて来ていた。


  ○


 この町には、時折、こうして空襲がやってくる。

 戦争をしているのは、遠い遠い場所のはずなのに、こうして懲りもせずやってくる。

 だから、今の少女のように、小さな防空壕に篭って雨をしのぐのは、別段珍しいことではなかった。といっても、この防空壕には少女以外の人影はない。

 当たり前だ。普通の人は、家の地下に防空壕がしつらえてある。こんな山奥までわざわざ逃げるくらいなら、家でやりすごせるほうが良いに決まっている。

 はぁ、と少女は溜息をついた。

 こうしている間にも、遠くからどぉん、どぉんという音が響いてくる。少し遅れて、かすかな地鳴り。振動、悲鳴、爆音。

 小さな洞窟のようなこの防空壕は、少女がいた空き地から更に少し山を登った所にある。かつては鉱山のようなものだったのかそれなりに深く、人がひとりくらいなら寝泊まり出来そうな場所でもある。もちろん岩肌がそのまま剥き出しになっているので、寝心地は悪いことこの上ないが。

「ん……」

 それでも、人が寄り付かず、空襲も防げるこの場所は、少女にとってはたいそう、居心地の良い場所でもあった。

 欠伸をちいさくかみ殺して、岩肌に寄りかかり、眠る。

 今、空は何色をしているだろうか。青いのか、赤いのか、灰色なのか。あれこれと想像をめぐらしている間に、少女はひっそりと、眠りについた。


 次に目を覚ました時、既に空襲はやんでいたのか、外は大層静かなものだった。

 痛む節々を動かして、少女は防空壕を抜けだす。片手には薙刀をもって、服は黒いセーラー服のまま。

 山の中腹から見えるのは、所々に立ち上った煙と、一部だけ平らになった町並み。遠くから響いてくるのは、人々の泣き、嘆く声。

 冷たい目でそれを見下ろしながら、少女はいつもの空き地へと向かった。いつでも、どんな時でも、彼女の行動は変わらない。

 だが、今日だけは少し違った。

 空き地に着いた時、そこには先客がいたのだ。滅多に人の来ない場所に。

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