母さん
「由乃お姉さまのお母様ってどんな方だったの?」
「そうだな――」
柿崎先輩は、亜美ちゃんの質問に答えようとしたところで、ハッとした表情を浮べ、僕に話してもいいのか確認するように見てきた。
僕は首を一つ縦に振ると頷く。隠すことでもないしね。
柿崎先輩はそれならと話を続ける。
「……織田弥生さんと言えば。容姿端麗で成績優秀。これは娘の上杉さんを見ても判ると思う。良く似ているらしいからな。そうなると、同性からの嫉妬がありそうなものだが、天衣無縫な性格からか逆にその魅力に引き込まれるのだそうだ。当時は、学区外を越えたアイドルだったらしい。その逸話として一番面白いのが、素人なのに、アイドルの生写真よりもプロマイドの売り上げが高かったのだと聞いている。写真と言っても登下校のモノとかだが、カメラ小僧が大量にいて学校でも問題になったみたいだ」
へー、やるな母さん。記憶の中にある、母さんの笑顔を思い出す。
いつも儚く、とても優しかったことだけは今でも心に残っている。
そんな、母さんにも……青春時代があったんだなと実感した。
我が家では、母さんの話をすると父さんが悲しい目をするので、あまり聞くことが出来ない話だった。
「凄かったのねー」亜美ちゃんが素直に感嘆している。
京香さんと宏隆も同様だ。
宏隆は僕の母さんを良く知ってるから、照らし合わせてるのかもしれない。
「ええ、とてもね。私が同じフレイヤなんて、おこがましいぐらいだと思う」
「その通りだよね」
亜美ちゃんが柿崎先輩の自嘲気味な台詞を聞いてあっさり納得した。
そこは、そんなことないよ! とか否定的な台詞を言うのが筋なような……
だが、柿崎先輩は苦笑するだけで、特に気にしていないみたいだ。
本心からの言葉だったらしい。
「でも、裕美姉の説明聞くと、由乃お姉さまって本当お母様にソックリみたい。容姿端麗、成績優秀、そして、天然だもの!」
最後のは誉められてる気がしないのだけど……
それに、天衣無縫と天然はカナリ違うのじゃなかろうか?
「なるほど、ならば次のフレイヤは上杉さんかもしれないな……」神崎先輩が此方を見て顎に手を当てている。
「わたしには無理ですよ。この学校には魅力的な人が大勢いますから」
とりあえず謙虚に否定しておく、これで好感度アップ間違いなし。
「由乃お姉さま以上の人なんていないです! 現フレイヤの裕美姉なんて、由乃お姉さまと比べたら、イチゴとピーマンぐらい差があるもの!」
ゴメン亜美ちゃん意味が判らない。
「どういうこと?」
「つまりだね、亜美はイチゴが一番の大好物な訳だ。そして、ピーマンはこの歳になっても食べれないのさ」
亜美ちゃんの代わりに、柿崎先輩が教えてくれた。
「裕美姉余計なこと言わないでよ! 大体もう用が済んだんだから、さっさと消えなよ」
「いや、まー、そうなんだが、私だって上杉さんに興味があるんだ。独り占めは良くないだろ?」
顔を赤くして睨んでいる亜美ちゃんに、柿崎先輩はあやすようにしてさり気なく自分の意見を混ぜている。
だが、効果はあまりなさそうだ。
「いいの、亜美だけのものなの!」
「亜美は我が侭だな」
「違うもん!」
「それを、我が侭と言わないで何を言うんだ!」
「あー、もう、裕美姉うるさい!」
そして、又姉妹喧嘩? に発展してしまった。
仲が良いのか悪いのか良く判らない姉妹だね。
すると、その間ずっと黙っていた、というより口を挟む余裕がなかった京香さんが満を持したかのように僕に話し掛けてきた。
「さて、由乃さん。詳しく教えて貰おうかしら?」
眼鏡の奥の目が恐いです。はい。
「な、何のこと?」
「まだしらばっくれるのね。由乃さんのお母様のことよ。何で黙ってたのよ!」
「ああ、そのことね。別に隠してたつもりは無いんだよ。言わなかっただけだもん」
「同じことじゃない」
「全然違うよ。隠すというのは騙すこと、言わないは聞かれたら教えるのだからね」
「むぅー、なにか納得いかないわ」
「まぁ、本庄さんその辺にしてやってくれ。由乃が言わなかった理由もオレには判るんだ」
な! ちょっと待て、まさか裏切るのか宏隆!
僕が宏隆を睨むと、宏隆は安心するようにと頷いた。
僕達2人の仕草を見ていた京香さんが、今度は宏隆に怪訝な目を向けた。
「それで、どういうことなのよ?」
「その理由はな……弥生おばさんが亡くなっているからなんだ――話したら皆気にするだろ?」
「え?」京香さんは一変して戸惑った表情を浮べた。
予想外の話だったのだろうね。
「あまり気にしないでいいよ」
「ごめん……」
僕が微笑むと、京香さんがすぐ頭を下げてきた。
確かに当時はショックだったが、今はそれ程でも無い――とまではいかないまでも、気持ちに整理がついた。
そんなに気にされるとこっちが悪い気がしてくるよ。
「本当に、大丈夫だからね。だけど、出来れば他の人には内緒にして欲しいかな……」
「うん、判ったわ……約束する」
結果オーライだ。
やはり母さんを利用したくないし、実力でフレイヤを狙っているのだからね。
それでこそ胸を張って誇れるってものだ。
宏隆のお陰で助かった。当時、僕より先に泣いたのは内緒にしといてやろう。
母さんは良く家に遊びに来る宏隆を可愛がっていたのだ。
僕はというと、あまりのショックで、お祖母さんが来るまで放心してしまったのである。
今では懐かしい思い出の一つだけどね――
その後、亜美ちゃん、柿崎先輩とは学校で別れて帰宅することになった。
駅で京香さんとも別行動になる。そして、宏隆と一緒に電車に乗り、最寄駅で下車した。
宏隆は家から徒歩10分ぐらいの場所に住んでいるので、同じ方向に歩いていると、閑静な住宅街に入って人の気配が消えたところで、
「……大丈夫か?」心配そうに声を掛けてきた。
「うん? 夜ご飯の心配でもしてるのか?」
「いや、そうじゃなくてさ――弥生おばさんの話されるの嫌だったろ?」
「ああ、そういうことか……由乃の夢が正に母さんと同じフレイヤになるだったから、遅かれ早かれバレるのは時間の問題だったと思うぞ?」
「それは判るんだがな、お前の気持ちを考えると遂な……」
宏隆は、僕が母さんのことを紛らわすように、空手に夢中になっていたのを知ってるからそう思うのかもしれない。
その僕に付き合って宏隆も空手を始めたのだからお人好しだよな。
こっちの世界に来るまでは僕と互角の腕だった。
でも、今は由乃だから、もう勝てないだろう。
「宏隆は優しいよな。本当そう思うぞ。なんでそれでモテないのか最大の謎だわ」
「いってろ、そんなこと言ったら、って由乃って意外とモテてたな……」
宏隆が悔しそうに舌打ちした。
「あれだな。この心から溢れる清らかなモノに皆魅かれてしまうのだろう」
「それはあるかもしれない……」
素直に認められたことに、思わず宏隆の顔を見てしまった。
「だって、天然だものな!」
だが、その次に出された言葉に今度は僕が顔を顰める番だった。宏隆の目が笑っている。
今日だけで何回言われた言葉だろうか……
「ふん、そんな天然の僕が好きなんだろ? 宏隆君はさ」
「う、ええと、そうなんだけどさ……」
おお、良い感じに慌てている。
僕をからかうならせめて、ミス○のドーナッツぐらい持ってこいって感じだね。
「そうなんだけどどうしたのかな?」ニヤニヤ笑ってやる。後ろで手を握って上目遣いのおまけつきだ。
「ああ、もう! その格好ずりーって。大体普通にしてても可愛いんだからな。狙ってやったら詐欺だろうが!」
どういう理屈だかイマイチ判らないね。
「宏隆君の初恋が叶うといいよね」
僕は宏隆の前に少し進んで振り返り、ウインクをしながら舌を出した。
そして、全力で逃げていく。
「ちょ、待てどういう意味だそれ!」宏隆が僕を追うようにすぐ駆け出した。
「こら、追っかけてくるな! ストーカー!」
「誰がストーカーだ!」
そのまま、ふざけ合うように僕達は街路を走りぬけた。
宏隆が責任なんて感じることは何も無いし、きっとうまくはぐらかせただろう。
だが、それと同時に今は相談出来る相手がいるのが嬉しかった。
一人じゃない、それがどんなに安らぎを与えてくれたことか。
だから、「ありがとう」と心の中で伝えておくよ。
照れるから言うことは無いだろうけど……
一杯迷惑掛けるのは判っている、
でも、宏隆なら助けてくれると思うのは甘えだろうか?
4月の夕暮れ時はまだ寒い、だけど僕の心は少し暖かい気持ちになっていた。
第一章FIN
これにて一章完了です。
最後ぐらいは、こういう話もありでしょう。
と言い訳してみます。