神子は、不要と判断された
この国の神子は、奇跡を起こさない。
雨を降らせることもない。病を癒やすこともない。
枯れた大地を一夜で緑に変えることもない。
ただ、問題が起きないように調整している。
それだけだった。
旱魃が起きないように、空の巡りを静かに整える。
疫病が広がらないように、人の巡りを穏やかに保つ。
争いが激化しないように、言葉の行き違いを目立たない形でほどく。
誰も気づかない程度に。
誰にも見えない形で。
結果として、何も起きない。
だから、評価もされない。
「神子様は、何をしていらっしゃるのかしら」
そんな声を、神殿の廊下で何度も聞いた。
「仕事しているようには見えないわよね」
「何も起きないし……」
「本当に、あれで務まっているのかしら」
扉一枚隔てた向こうで、神子はそれを聞いていた。
簡素な部屋で、静かに手を止める。
そして、誰に聞かせるでもなく呟く。
「つかれた」
その声は、誰にも届かない。
問う者はいない。
理解する者もいない。
ただ、何も起きていないという結果だけが、そこにあった。
「……奇跡のひとつでもあれば」
誰かが、ため息まじりにそう言った。
小さく頷く気配が、いくつか重なる。
それ以上は続かない。
言葉にするまでもなく、答えは出ているという顔だった。
誰も分かっていなかった。
奇跡とは、問題が発生した後にのみ、価値を持つものだということを。
神子は奇跡を起こすもの。
民を救うもの。
目に見える恩恵を与える存在。
それがこの国の認識だった。
目に見えない働きは、働きとして数えられない。
だから神子は、地味だと言われた。
役に立っているのか分からないとも言われた。
それでも、静かに神子は調整を続けた。
評価は不要だった。
結果が維持されていれば、それでよかった。
この国は、長く安定していた。
災害は起きず、疫病は流行らず、戦も大きくは広がらない。
奇跡のない平穏。
それが、この国の当たり前だった。
転機は別の神子が現れたことだった。
彼女は奇跡を起こした。
望まれるがまま雨を降らせ、軽度の病を癒やし、自然の周期を無視して花を咲かせる。
目に見える結果に、人々は歓喜した。
その雨は、必要な時期ではなかった。
その病は、いずれ癒えるものだった。
周期を外れた花がどうなるのか、考える者はいなかった。
「これこそが神子だ!」
「なんと尊き力……!」
王もまた、その力を歓迎した。
「素晴らしい。これぞ神の御業」
宮廷は華やいだ。
神殿は賑わい、民は新しい神子を称えた。
比較は自然に行われた。
「前の神子様は、何もなさらなかったな」
「やはり、本物ではなかったのでは」
声は次第に大きくなり、やがて決定に変わった。
不要。
その一言で、全てが片付けられた。
「神子は一人でよい」
「役に立たぬ者を置いておく理由はない」
神子は呼び出された。
王の前に立たされ、告げられる。
「お前はもう不要だ」
声は平坦だった。
怒りも、憎しみもない。
ただ、判断だった。
神子は頷いた。
「承知しました」
それ以上の言葉はなかった。
引き止める者もいなかった。
神子は静かに神殿を去ったが、見送る者はいなかった。
この国は安泰だと、誰もが信じていた。
最初に起きたのは、小さなズレだった。
風の向きが僅かに変わった。
誰も気に留めない程度の変化。
維持されていたはずの均衡が、ゆっくりと崩れ始める。
やがて雨は降らなくなり、土地は少しずつ乾いていった。
「神子様が雨を降らせてくれるから心配ない」
人々はそう言って笑った。
次に疫病が流行り始める。
原因は分からない。
ただ、急速に広がっていった。
軽微な病まで癒やし続けた結果、病に対抗する力が育っていなかったことに、誰も気付かなかった。
「奇跡で癒やせばいい!」
新しい神子は癒やした。
だが、癒やしても癒やしても、患者は増え続けた。
雨を降らせる余力など残っていなかった。
争いが起きた。
些細な言葉の行き違いに、誰も気付かなかった。
本来なら解けていたはずの誤解が積み重なる。
止める者はいなかった。
いや、止め方が分かる者がいなかった。
行き違いはほどかれないまま積み重なり、やがて争いという形で現れた。
誰かが言った。
「……前の神子は、何をしていた?」
その問いは遅すぎた。
旱魃は広がり、疫病は止まらず、争いは連鎖する。
もはや一人で対処しきれる規模ではなかった。
それでも責任は、神子に押し付けられた。
問題を消すことはできても、発生を防ぐことはできない。
「……前の神子がいた時は、こんなことは起こらなかった」
誰かが呟く。
誰も否定できなかった。
何も起きていなかった理由が、そこにあった。
何も起きないように、されていたのだ。
気付いた時にはもう遅かった。
一方で、元神子は別の土地にいた。
小さな村。
名も知られていない場所。
彼女は畑の端に座り、空を見上げる。
風の流れは綺麗に整っている。
人の動きも、緩やかで穏やかだった。
それで、十分だった。
村は何事もなく過ぎていく。
「今日はいい天気ですね」
村人が気軽に声をかける。
「ええ、本当に」
「明日もこうだといいですな」
「はい」
それでいい。
何も起きないことが、正しい。
遠くの国のことは、もう考えない。
必要とされなかった場所のことを考える必要はない。
神子は不要と判断された。
あの国は、神子という愛し子を与えるには不適格と判断されたのだ。
――誰に?
答えは、示されない。




