屠食忌生
少々残酷なシーンと多少の気持ち悪くなる様な描写がありますのでお気を付け下さい。
「痛っ!?」
乱暴に下ろす事の出来ない荷物を持った俺の手に居たのは、黒くてそこそこ大きい ――5㎝ないくらいのサイズの蟻の様な顔をした虫だった。
今すぐ荷物を放り出して払うか叩き潰すかしてやりたいが、今持つ段ボールに入っているのは先輩に頼んでカスタムして貰ったゲーミングPCなのだ。 こいつは50万以上も掛かったそれなりの逸品。 放り出すなんて出来る筈もない。
それをそっと下ろして手を見るが、もうそこに虫の姿はなかった。
「何だよ、今の……」
スズメバチ並みにデカい黒い……蜂?
クロスズメバチかとも思うが、もっとずっと細かった気がする。
俺は刺されたそこを摘まみ、ギュッと絞ってから消毒すると、PCの設置作業に入った。
今夜の俺は忙しいのだ。
††††††
「おう、牛義。 PCの調子はどうだ? 変なところはないか?」
廊下で鉢合わせたのは、パソコンのカスタムをしてくれた糸田先輩である。 部署が違う為、会おうと思わないと中々会えないのだが気のいい人で、会えない期間が続くと何かと理由を付けて連絡をくれたりもする。
今回のパソコンについてもそうだ。
パーツショップで、多分難しい顔をしていた俺に声を掛けて、それ以外にも色々と相談を乗ってくれたりもした善き先輩なのだ。
「いやいや、快適すぎですよ、アレは。
何か前に聞いた時よりスペックが高い気がするんですけど、先輩、割り喰ってませんよね?」
「よくよく見たらオレんとこのパーツが使えたから、そっから少し回したくらいだな。 それで浮いた分でボードをひとつ上のに変えて……」
「いや、それならそのパーツも買いますよ」
「いらんいらん。 ウチにあってもどうせホコリを被ってるだけ、ってちゃんと掃除はしたぞ?」
「そんな事は疑ってませんよ」
そんな先輩の様子にこちらはもう苦笑するしかない。
いい先輩である。
ホント、ウチの部署の上司と変わって欲しい。
「ん? その手、どうしたんだ?」
「ああ、これですか?」
先輩の視線の先、俺の右腕にデカデカと張ってあるのは5㎝四方のガーゼ。
袖を捲ってるから、目立ってしまうな。
「PC運んだ日にデッカい虫にやられたんですよ。 その時は何ともなかったんですけど、朝になったら腫れてきたんですよね」
「虫?」
「蜂みたいな、蟻みたいな顔した、見た事のない虫でしたね」
俺の答えに納得がいかないのか、先輩は首を傾げる。
不思議そうな顔をしている先輩に当時の状況を伝えてみた。
「刺したって事はメスか……。
牛義って、南の方の出身だとか言ってたよな?」
「そうですよ。 まあ南って言うか島ですね。
なーんもない、自然だけが名物の島ですよ」
「その牛義の見た事がないデカい虫か……」
ああ、そういう事か。
自然豊かな田舎の出身の俺が見た事のない虫。 そんなのがこんな街中に出るって珍しいよな。
「今度見つけたら捕まえてみたらどうだ? 新種かも知れないぞ?」
「いやあ、俺、メスって捕まえらんないんですよね。 昔からナンパが下手で下手で」
††††††
それから、GWという長期休暇をより長期にすべく、仕事に打ち込み5月2日から脅威の9連休を獲得した俺は……4月27日に体調を崩した。
上司にはめちゃくちゃ怪しまれながらも休日をずらし、10連休を獲得したが、こんな状態で連休を貰っても全然嬉しくはないっ!
まあ、色々と無理を押したせいか、ここ数日は体調の悪くなった自覚はあったんだが、まさかここまで酷くなるとはなあ……。
折角手に入れたゲーミングPC、遊び倒そうと思ったのに……!
まあいい。
1日、悪くても3日寝ていれば治るだろう。
そう思い、多少ふらつきながらも買い出しを済ませた俺はさっさとメシを食い、そのまま床に就いた。
床に、就いてしまったのだ。
††††††
俺の体調不良は悪化の一途を辿っていた。
風邪にしろインフルエンザにしろ、こういう状態の直後は一時悪化してもおかしくはないと、高をくくってから今日で3日目。
俺の体調はまともに動く事すら出来ないくらい悪化していたのだ。
――動けない。
――指先ですら殆ど動かせない。
食事も、水分もまともに摂取出来ず、ただ横になっているだけの俺。
――ヤバい。
――危険だ。
そう思っても動かないものは動かない。
動けないものは動けない。
――発熱は多分ない。
額に手を当てる事すら出来ないけど、火照った感じはしない。
――痛みもない。
ただカサカサと、ナニカが蠢く音がする。
俺の中からナニカが蠢く音がする。
――痛みはない。
――いや、感覚がない。
全身麻酔でも打たれたかの様に、触れているものの感覚がない。
――カサカサと音がする。
――カサカサカサカサ虫が這いずる様な音がする。
くるんと、目玉がひっくり返った。
――何も、見えない。
――ああ、頭の中で音がする。
――カサカサカサカサと音がする……。
††††††
牛義 王里は連休が終わっても会社に来なかった。
連絡を入れたものの出なかった為、上司は無断欠勤として処理したのが5月7日の木曜日。
8日も彼との連絡は取れず、土日を挟み、11日も不通。
流石に不審に思った上司は、彼と仲の良かった糸田と共に大家、警察へ連絡しその立ち会いの下、彼のアパートへ来訪したのが現在、5月11日月曜日の19:00である。
直接ドアを叩いても反応の無い部屋。
何か機械音の様なブーンという音こそ聞こえるが、それ以外の物音は皆無。
「牛義、開けるぞ!」
警察の同意を得て糸田がドアを開けると、そこに殺到してきたのは部屋の中に居た大量の黒い虫。
「――うわあああああぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
「何だああああぁぁっ!?」
「ひいいぃぃぃぃぃぃぃぃっ!?」
「閉めろおぉぉぉぉっ!」
皆が混乱する中、警官だけが的確に動こうとするが、彼がいたのは比較的後方であった。 ドアの前に糸田と上司が居た為、すぐにドアを閉じる事が出来なかったのだ。
その為ドアを開けた糸田はその影になって無事であったが、牛義の上司は黒い虫に集られてしまい、その後に警官はノブを掴んだままの糸田の手を掴み、ドアを閉めた。 何匹かの虫が、潰れる。
「痛え、痛え!? 何だっ!? 何なんだ! こりゃ!?」
上司の男に集るのは、小さくて3㎝程、大きいものは10㎝もあるのではないかと思える黒い虫。 透明な翅で飛び、針のようにも見える産卵管を彼に突き刺しているそんな虫が二十匹程もいる。
「痛え!? おい! 見てないで取ってくれ!?」
そう言いながら虫を払っている彼を見て、警官は直感的に叫んでいた。
「払うな! いや、払ってもいいが逃がすなっ! 潰せっ! 踏み潰すんだ!」
††††††
未明、牛義王里の死亡が確認された。
死因は無数の幼虫に全身のあちこちを食い荒らされた事による臓器不全だった。 とは言え、死体そのものは内臓だけではなく、脳も筋肉も皮膚も食い散らかされ、半ば白骨化している部分も多かったのだが。
その様子から、この幼虫は寄生バチやヤドリバエの様に「餌」に植え付けられた卵が孵ったものと推測された。
所謂『捕食寄生』である。
幸いと言っていいのか、彼は全身麻酔の様な状況にあり、痛みは感じなかっただろう、との見解であった。
彼の上司は入院し、植え付けられた卵の摘出手術を何度か受ける事になった。
そして…………
管理人室の中にある一室で、管理人の口言 某はいくつもある大きな虫かごを見てにやにやと不気味な笑みを浮かべていた。
――ブーン……ブーン……
――ブーン……ブーン……ブーン……ブーン……
タイトルはジガバチなどが行う捕食寄生から、と思ったらジガバチだと微妙に違うんだな、捕食寄生。
・牛義 王里・・・「犠」牲の「理」
・糸田 土也・・・「細」い土「地」
・口言 某・・・「唁」→とむらう。「謀」→はかりごと
みんな目のおかしくなりそうな名前にしてしまった。




