第7話 救国の賢女様
「大丈夫か、アンリエット君。大丈夫だ、何も燃えてはいない。安心しなさい、幻だ」
頭を抱えて屈んでいたら、男の人の声がした。ロフォール卿だった。
「アンリエット、すまない。君のことだから平気かと思って、ちょっと派手にやり過ぎたよ。謝る」
アフマズル先生も優しく声を掛けてきた。
私はというと、ガタガタと震える指先を、必死に握りこんでいた。
それからしばらくミルマキアが傍についてくれて、ようやく落ち着いてきた。
「馬車を呼んであります。今日は帰ってゆっくりしてください。それから、明日、来るかどうかはアンリエットさんの自由です。魔術を学ぶ決心がついたらおいでなさい」
話ができるようになって、トラエクさんがそう言った。
魔術を学ぶには、怖いことも人を傷付けることもあるんだって。
馬車が来たので帰ろうとすると――
「ところで、先ほど君はエスラと叫んでいたね。それは誰のことかね?」
ロフォール卿がそう聞いてきた。
「エスラ……? わかりません」
覚えていなかった。そんなことを叫んだということ自体、記憶に無かった。
◇◇◇◇◇
「お母さま…………私は魔術学院には通えないかもしれません。アフマズル先生が火の魔法を使ったとき、怖くて動けなくなったのです」
夜、ベッドでお母さまに試験のことをそっと話した。
「懐かしいわね。私を教えてくれたあの子も、同じことをさせたのよ。代理の先生に」
「火の魔法?」
「そう」
「怖かった?」
お母さまは頭を振った。
「あの頃の私はもう大きかったし、貴族になる覚悟もできていた。……できていたつもりだった。でも、ゼナは怖くてやめてしまったらしいわ」
「ゼナさんが?」
「ええ。だけどゼナは次の年、戻ってきたの。魔術を学ぶためにね。だから、今からじゃなくてもいいのよ」
「…………どうしたら私もそんな風に頑張れますか?」
私が聞くと、お母さんはやわらかく微笑みかけてくれる。
「あの子は言ったわ。貴族は血筋じゃない。自らを犠牲にしてでも民を護りたい――そういう覚悟がある者こそが貴族だって。でもね……それができない――例えば、家族を護るのに精一杯で、家を大事にしたいって人は、貴族から平民になってもいいんだって。だから、アンリエットに無理は言わないわ」
「……お母さまは貴族で居ることを選んだのですか?」
「ええ。でも、思うようにはいかなかった。あの子も助けられなかった」
「あの子……というのは、救国の賢女様なのですよね? 私が名前をいただいた」
「そう。あなたによく似た黒髪の女の子。最初に出会ったのも、今のあなたと同じ7歳だった」
「お母さま。その子のこと、教えてくださいませんか」
それから夜が更けるまで、お母さまは救国の賢女様のことを語ってくれた。
魔族との戦いで失われてしまった魔術を、王国に復活させるため、魔術学院を一から作ろうと頑張ったこと。病気を減らすために上水道と下水道を良くしようとしたこと。どの家にもお風呂を作ろうとしたこと。散湯口というものを作ろうとしたこと。平民の家にまでトイレを作ろうとしたこと。そして、そのついでに世界を救ったこと。
翌日、私はお城の屋外教室に居た。
「アンリエット。君は魔術を私利私欲のためだけでなく、人のため、王国のために使うことを誓えますか?」
「はい、アフマズル先生」
こうして、私は試験に合格した。
◇◇◇◇◇
「魔術学院に入れると? それはよぉござやんした。――アンリエット様、おめでとうござんやす」
久しぶりに宿へ帰ってくると、宿の入り口で日向ぼっこしていたエドが出迎え、祝ってくれた。
「ありがとう、エド」
「私も神殿で教師をしてみようと思うのです。入学は新年からだというので、もうしばらくは頑張らないと」
「それですが奥様、あたしぁ馬車でリガノへ帰ろうかと思っておりやす」
「そんな体で!? ダメですよ、帰すわけには参りません。エドひとりくらい、なんとか養ってみせます」
「そう言う訳にもまいりやせん」
「エド、帰っちゃうの? お母さまと結婚すればいいのに」
ブッ――と吹きだすエド。
「アンリエット様、そりゃあいくらなんでも奥様に失礼でやす。あたしぁそんな身分でも、良い男でもありやせん」
「なんで? エドはカッコイイでしょ。強いし」
「ダメでやすよ。奥様はまだまだ若い。こんないつ、おっ死んじまうか分からん男は似合いやせん。もっと若くていい男が…………例えばほれ、ああいう――」
――と、エドが指差した先。宿の入り口から見える通りを、貴族の服を着た男の人が通りかかっていた。この辺りでは珍しいので、とても浮いて見えた。
「ベンネヴュッテ!? ベンネヴュッテ、探していたのだ!」
男の人がお母さまを見て、そう声を掛けてきた。




