第3話 神殿
「エド、やはりここを出ましょう。もっと安い下宿を探してもらえますか?」
おじいさまが居なくなったと聞かされて、10日くらい経ったある日の夜。ベッドで眠っていると、お母さまの声が聞こえた。蝋燭の灯りの元、エドと話をしていた。
「しかし、あまり安い宿は、奥様が暮らすような場所では……」
「いえ、贅沢は言ってられません。持ち出せた不要な服は、旅の間にほとんど売ってしまいましたし、身に着けていた装飾品も今は……」
「すいやせん、あたしがもっと若ければ……」
「いいえ、エドにはよくして頂いております。悪いのは見込み違いをしていた私です」
「奥様……」
「王都の住人が皆、祝福を授かったとは聞いておりました。ですが、まさか職を得るために祝福を要求されるとは思ってもみなかったのです。今では下女まで祝福のない者は居ないそうです。他所から来た祝福のない者は、王都で職を見つけるのは難しいとまで……」
お母さまは、壁に掛けられていた青い外套に顔を向けた。
「――できることならアンリエットには祝福を授けてあげて、魔術学院に入れてあげたかったのに……」
お母さまに聞いたことがある。王都の魔術学院の外套。
お母さまは、この外套だけは売らず、大事にしていた。
◇◇◇◇◇
王都の西側には今の西門と、昔の西門との間に新しい街があった。その外れ。まだ石造りの家がそれほど立っていない場所。そこに古い木の建物がいくつもあった。エドはそこに寝泊まりしていて、お母さまと私も同じところに移ってきた。
家賃も安いので、しばらくは余裕がある…………あるはずだったんだけど、ある日、エドが働き先で怪我をしてしまった。お母さまは、エドに無理をさせていたからだと悔やんでいた。
次の日、お母さまと私は王都の東の街まで来ていた。ふたりとも、生地は多くないけれど、清潔な服を着て外套を羽織った。西の端から、東の街まではすごく遠かった。馬車ならあっという間なのに、私は歩くのが遅いからとっても遠かった。
「お母さま…………?」
お母さまは、広場で立ち止まっていた。最初は疲れたのかと思ってたけど、違う。広場から見える大きな建物の方を見ていた。そこには、胸が大きく開いた服や、浅い靴を履いた女の人が何人か居て、男の人と喋っていた。長靴下のくるぶしが見えていて、見ていてちょっと恥ずかしい。
「…………ううん、何でもない。行きましょう」
その広場からは階段の続く丘が見えた。お母さまは、私の手を引いてその丘の階段を上っていった。
◇◇◇◇◇
「帰れ帰れ! 働ける者はまず働け! 今日明日の食う物が無いなら貴族を頼れ! 神殿は施しの場ではないわ!」
男の人たちが、太ったおじさんに追い返されてる。おじさんは白い長衣を着てた。
「――まったく、近頃の若いもんは汗水垂らして働くことを知らん。神殿とて、楽な仕事ばかりあるものか!――ん?」
そのおじさんが、こっちに気が付く。そして、目を細くし、腕組みする。
「――女よ、ここは子を売るところではないぞ」
「子を??…………違います! 私のかわいいアンリエットを売るなどと!」
「違うのか。何用だ。まさか、売るのはおぬし自身ではあるまいな?」
「それは…………」
何も言わなくなったお母さまが心配で見上げたら、目が合った。
けど、どうしてかお母さまは目を逸らす。
「……まあよい、中へ入れ。腹が空いておるのだろう?」
「ですが、先ほど施しはしないと……」
「おぬしのような器量よしにこの辺りをうろつかれると、女衒どもにいい餌を与えてしまいかねんわ。来い」
◇◇◇◇◇
おじさんは、お母さまと私を大きな神殿の中へ連れて入った。
中は広い部屋と廊下、それから小さな部屋がいくつかあって、どこにも扉が無いのが不思議だった。小さな部屋の古そうなテーブルに着くように言われて椅子に座る。
「安心せい。戸は無くてどこも筒抜けだ。なにも怯えることはない」
おじさんはそう言って、隣の部屋から平たいパンと、コップに入った山羊のミルクを持ってきてくれた。それから――
「アンリエットと言ったか。よい名を戴いたな。砂糖漬けは好きか?」
そう言っておじさんは、ベリーの砂糖漬けの入った小さなゴブレットを私の前へ差し出した。
私はお母さまの顔を見る。すると、お母さまは頷いた。
「日々の糧を授けてくださる主神様に感謝を。地母神様の豊穣なる恵みに感謝を。食事を分けてくださった、優しいおじさんに祝福を」
私がそう祈ると、おじさんに天上から光が差した。
「これは………………小祝福か!?」
おじさんが口に手をやって目を丸くした。私は、砂糖漬けを摘まんでいた手を離した。
「――いや、いいんじゃよ。食べなさい」
「娘は主神様に愛されているようで、祈りがときどき祝福を招くのです」
「そうか……。齢は幾つだ? 6つか、7つくらいか?」
「はい、その通り、7歳です」
砂糖漬けを口に含んでいた私の代わりに、お母さまが答えた。
「……であろうな。似た名の子が多い年頃だ。――いや、しかしこれは……おぬしも、物腰からして貴族の生まれか?」
「はい。ですがもう、帰る家はありません」
「そうか、深くは詮索すまいが、力になれるようなことがあれば言いなさい」
「実は――」
お母さまはおじさんと話し始めた。私は砂糖漬けを3つ食べたあと、廊下の奥の声が気になって、椅子から立ち上がった。遠くに行かないようにとだけ告げられ、廊下の先をのぞく。
奥には広い部屋。そこには私と同じか、小さいくらいの子供たちが、綺麗に並んだ机に着いて書き物をしていた。




