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銀髪の軍師、盤上の罠

城の作戦会議室。マーレは母エティエンヌが広げた地図と、次々に報告を入れる隠密たちの姿に言葉を失っていた。 それは、単なる「奪還作戦」の規模を遥かに超えていた。


「驚いたかしら、マーレ。あなたが森で泥遊びをしていた間、私は『蜘蛛の巣』を広げていたのよ。あなたも正式に領主となればーファロス。」


「はっ。」ファロスはエティエンヌに礼をする。


「このファロスの下に小鳥たちを纏めることになるでしょう。最も、領主としては表向きの仕事が多く、これはあなたの隣に立つべき人が負うべきものなのだけど。」エティエンヌはちらりとマーレの横を見て、今は居ない彼女のことを匂わす。それを背負えるだけの女性かと、聞いているのだ。


マーレはファロスが諜報部に所属していることは知っていたが、まさか母が関わっていたとは知らなかった。わずかに、動揺しながら、次の挙動を見守る。


エティエンヌは扇子で地図の一点を指した。そこはベルンハルト領との国境にある、今は使われていない古い砦跡だ。


「ヴォルフの後ろ盾……カイル様の叔父であるヨアヒム卿が、帝国内の過激派と結託して動いているわ。彼はラクスの身柄を拘束し、それを『ヴァルデム領が禁忌の魔術で帝国を脅かそうとした証拠』として捏造するつもりね。カイル様はその責任を問われ、あなたは領主の座を追われる……完璧な筋書きだわ。」


マーレは拳を握りしめた。母の言う通り、これはもはや「誘拐」ではなく「国家間の政変」を狙った軍事行動だった。


「だからこそ、あなたが暴発して国境を越えるのを待っているのよ。正規軍が動けば、それこそヨアヒムの思う壺。……ですが、あいにく私の友人たちは、そういう『お行儀の悪い男たち』が大嫌いでね。」


エティエンヌが合図を送ると、部屋の影から数人の男女が現れた。彼らはヴァルデムの兵士ではない。近隣諸国の有力貴族に仕える私兵や、かつてエティエンヌが恩を売った腕利きの傭兵たち――表の歴史には残らない「影の軍勢」だった。


「彼らには既に、商隊や狩猟隊を装って砦の周囲に潜伏するよう命じてあります。カイル様にも秘密裏に連絡を入れました。……さあ、マーレ。あなたは『公式』の領主として、ベルンハルト領との国境警備の強化を名目に軍を動かしなさい。それが、ヨアヒムへの陽動になります」


マーレは母の深謀遠慮に戦慄した。彼女はラクスの救出だけでなく、この機に乗じて城内の内通者を炙り出し、ベルンハルト領との関係をさらに強固にする「勝ち筋」をすべて描き終えていたのだ。


マーレは手帳に、震える筆致で記した。




『どうして、そこまでして下さるのですか』




エティエンヌは一瞬、冷徹な仮面を解き、遠い目をした。


「……ソルとの約束よ。あの子が泉に消える間際、私に笑って言ったの。『私の弟子が恋をしたら、全力で守ってあげてね』って。……あのお節介な女に、後で文句を言わなきゃならないんですもの。死なせるわけにいかないでしょう?」


エティエンヌは再び厳しい表情に戻り、息子を睨んだ。


「行きなさい。……あなたの喉が、本当の意味で『愛している』と叫べる場所を取り戻すために。」


マーレは深く頭を下げ、部屋を飛び出した。 母が用意した「盤石の布陣」。それは、一人の魔女と、一人の親友、そして二人の若き領主の未来を懸けた、命がけのチェスだった。








国境付近の古い砦、その地下にある石造りの独房。

湿った空気とカビの臭いが立ち込める中、ラクスは冷たい椅子に縛り付けられていた。


右腕の「魔力封じの腕輪」が鈍く光るたび、彼女の神経に焼けるような激痛が走る。

だが、その苦痛よりもラクスの心を凍らせたのは、目の前に座り、優雅に葉巻を燻らす初老の男――ヨアヒム・フォン・ベルンハルトの言葉だった。


「……ふむ。魔力供給を断たれてなお、その瞳の光は失われないか。さすがは『泉の守護者』の愛弟子だ。ソルが聞けば喜ぶだろうな。」


「……っ、どうして……ソ、ル様の名前を……」


掠れた声で問い返すラクス。腕輪のせいで呼吸すらままならない。ヨアヒムは薄笑いを浮かべ、彼女の顎を指先で持ち上げた。


「不思議か? 私と彼女は、古い知人なのだよ。……かつて彼女が『魔法協会』へ通い、領主と魔女の婚姻を合法化しようと奔走していた頃、その手続きに手を貸していたのが私だ。」


ラクスの瞳が見開かれる。

ソルのあの「用事」は、この男と繋がっていたのか。


「彼女は賢明だった。だが、甘すぎた。領主と魔女の結びつきは、国の均衡を崩す劇薬だ。隣国が力を持つということは脅威になる。君たち魔女にはそれだけの力があるのだからね。人間が制御しなくてはならないのだ。美しい外見をしていても、所詮神ではない。……だから私は、二年前のあの日、少しばかり『味付け』をさせてもらったのだよ。精霊を怒らせ、門を暴走させ、ソルが人柱にならざるを得ない状況をね。美しい女の激怒する顔は素晴らしい刺激になったよ。」ヨアヒムは自分に裏切られたあの女の顔を思い出すと昏い笑みを浮かべる。自分の求愛を蹴っておきながら他の男との仲を取り持つだなどという茶番によくも付き合ってやったものだ。自らのモノにならない孤高の魔女を落としてやったのだ、自分が。これで彼女から自分が消えることは無い。滾る欲望を変質させた想いは過去の関係すら壊したが。


「……あなたが、あの日を……!」


逆上のあまり立ち上がろうとしたラクスだったが、腕輪から放たれた衝撃が彼女を再び椅子へ叩きつけた。


「静かにしなさい。……今、君の愛しいマーレ君が、軍を動かしてこの砦に向かっている。彼は『領主』としてではなく、君を救いたいという『男』の情動で動くはずだ。それが国境侵犯という大罪になり、ベルンハルトとヴァルデムの友好は終わる。……カイルも、マーレも、これで失脚だ。」


ヨアヒムはラクスの耳元で、毒を流し込むように囁いた。


「君がマーレを想うなら、ここで舌を噛んで死ぬのが一番の近道だ。……だが、君は死なない。ソルが君に託した『未来』を、君は守らなければならない。そうだろう?」


ヨアヒムは嘲笑を残して独房を後にした。

重い鉄の扉が閉まる音が、ラクスの絶望を深める。


(……マーレ様。来ないで。お願い、来ないで……!)


右腕の銀の輪が、彼女の叫びを虚しく吸収していく。

ヨアヒムは知っていた。ラクスがマーレを想う強さこそが、マーレを破滅させる最高の「罠」になることを。

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