第4話 前線が、前へ動く
戦場の空気が、明らかに変わり始めていた。
魔王軍の第一波はまだ尽きていない。平原の向こうからは牙を剥いた小型魔獣や、鋭い爪を持つ獣型、棍棒や粗末な剣を手にした小鬼兵たちが次々と押し寄せている。数だけを見れば、人間側が押し潰されてもおかしくないほどの大群だった。
それなのに、最前線が下がらない。
本来なら、最初に配置されたC級冒険者たちは敵の勢いを受け止めながら少しずつ後退し、戦線が崩れたところで後方のB級部隊へ引き継ぐ予定だった。その後、B級が態勢を立て直し、最後にA級やS級が決定打を放つ。それがギルドの想定した戦い方だった。
ところが現実では、その最初の段階から計算が狂っていた。
「……おい、C級がまだ持ってるぞ」
後方で待機していたB級冒険者の一人が、前線を見ながら声を漏らす。
隣にいた槍使いは首を振った。
「持ってるだけじゃない。よく見ろ」
二人の視線の先では、魔物の群れが明らかに滞留していた。
先頭の魔物はデブリの《多重防壁》に阻まれて前へ進めず、その後ろから押し寄せる個体が次々とぶつかっている。さらに俺レオン・クロウの《乱打》が足や関節を狙って体勢を崩すため、一体が転べば後続がそこへ乗り上げ、群れ全体の流れが止まる。
そこへモモの《二連ファイヤー》が、動けなくなった場所だけを正確に焼く。敵の列が崩れれば、周囲のC級剣士や槍使いがその隙へ攻撃を叩き込む。
いつの間にか、戦場の一角だけ完全に流れが逆転していた。
魔王軍が人間を押しているのではない。
こちらが、魔王軍の動きを制御し始めている。
「……穴が開いた」
B級の盾使いが呟いた。
俺の《乱打》で陣形を崩し、モモの炎で分断した敵の側面に、わずか数メートルだけ密度の薄い場所ができている。
平時なら何でもない距離だ。
だが、戦場では数メートルの隙間が突破口になる。
B級の男が剣を抜いた。
「今なら入れる」
「待機命令はどうする?」
「前線が崩れたら援護に出ろ、って命令だったろ」
「まだ崩れてないぞ」
「だからこそだ」
男は笑った。
「崩れるまで待つ必要はない。C級が作った隙を、俺たちが広げる」
そう言って走り出すと、周囲のB級冒険者たちも次々と武器を構えた。
「B級前衛! C級の作った穴へ入れ! 一気に敵の側面を削るぞ!」
大盾を持つ男、長槍を構えた兵士、双剣使い、身体強化魔法をまとった戦士たちが一斉に動き出す。
彼らはC級を押し退けるのではない。
俺たちが作った陣形の間を抜け、その先へ飛び込んでいった。
「右側、開いてるぞ!」
「分かってる!」
B級槍使いの一撃が、俺の《乱打》で動きを止めた魔物を深く貫く。その隣では盾持ちが身体ごと突進し、体勢を崩した敵をまとめて押し倒していた。
今までなら、B級はまず崩れた戦線を修復するために力を使わなければならなかった。防御し、味方を下がらせ、陣形を組み直し、それからようやく反撃に移る。
だが今は違う。
デブリが前を止める。
俺が敵の陣形を崩す。
モモが魔法で進路を分断する。
周囲のC級が細かな穴を埋める。
最初から前線が安定しているから、B級は守りに力を残す必要がなく、そのまま攻撃へ集中できる。
「……いける」
一人のB級冒険者が、倒れた魔物を見下ろして笑った。
「この戦場、いけるぞ!」
その声が、少しずつ周囲へ広がっていった。
◇
さらに後方にいたA級冒険者たちも、その異常へ気づき始めていた。
「前線の後退幅は?」
「ゼロです」
報告を受けた魔法剣士が眉を寄せる。
「ゼロ? 本当に?」
「はい。それどころか、現在は開始地点より二十七メートル前進しています」
「C級部隊が?」
「C級を中心にB級も前線へ参加し、敵側面を削っています」
戦況盤を見ると、人間側を示す青い線が確かに動いていた。
後ろではない。
前だ。
ほんのわずかとはいえ、魔王軍側へ押し込んでいる。
弓使いが矢筒を背負い直した。
「前が安定してるなら、俺たちが待ってる意味も薄いな」
大魔導士も杖を持ち上げる。
「味方の位置が散らばっていない。これなら範囲魔法も使いやすい」
「誤射は?」
「中央にいる巨大な盾を基準にすればいい」
その盾とは、デブリのものだった。
巨大な鎧と大盾は、戦場の中でも遠くからはっきり分かる。その周囲には自然と味方が集まり、敵との境界線も見えやすくなっていた。
もはやデブリは単なる盾役ではない。
前線の目印。
いや、戦場そのものの基準点になりつつあった。
A級剣士がその光景を見て、少し笑う。
「まさかC級に道を作ってもらうとはな」
その声に嘲りはなかった。
純粋な驚きと、戦える場所を見つけた者の高揚感が混じっている。
「行くぞ。前を押す」
A級部隊が動き出した。
◇
最初の一撃で、戦場が大きく揺れた。
「《閃光斬》!」
光の軌跡が地面を走り、横一列に並んでいた魔物がまとめて吹き飛ぶ。
その直後、別の魔導士が巨大な魔法陣を展開した。
「《爆炎陣》!」
炎が膨れ上がり、一帯を飲み込む。
轟音とともに何十体もの魔物が一気に散らされ、これまで詰まっていた敵の列に大きな空間が生まれた。
俺は思わず、その威力に目を奪われた。
「……すごいな」
隣でモモも目を丸くしている。
「あれがA級の本気なんですね」
デブリは盾越しに前を見ながら、低く呟いた。
「派手だな」
モモが思わず振り返る。
「デブリさん、感想そこですか?」
「俺にはできない」
「俺にも無理だ」
そう答えながら、俺は少しだけ不思議な気持ちになっていた。
以前なら、あの力を見た瞬間に胸の奥が冷たくなっていたかもしれない。
昔、アレスが初めて《つばめ返し》を使った時もそうだった。
自分にはない力。
自分だけが置いていかれる感覚。
それが怖かった。
けれど、今は違う。
A級の一撃がどれだけ強くても、それで俺たちの価値がなくなるわけじゃない。
むしろ今だからこそ、はっきり分かることがある。
「モモ」
「はい?」
「さっきのA級魔法、かなり当てやすそうだったな」
「そうですね。敵がほとんど動いてませんでしたから……あ」
モモも気づいたらしい。
そうだ。
A級が最大火力を安全に使えるのは、敵の動きが整理されているからだ。
B級が横へ展開できるのも、中央が崩れていないから。
そして、その中央を今支えているのは俺たちC級だった。
俺は前を見た。
「デブリ」
「ああ」
「もう一歩いけるか?」
「問題ない」
デブリが大盾を前へ押し出す。
一歩。
俺もついていく。
モモが続き、周囲のC級たちも前へ出る。
その動きに合わせてB級が進み、さらにA級も距離を詰める。
本当に、前線そのものが一つの生き物みたいに前へ動いた。
◇
「押せええええッ!」
誰かが叫んだ。
今度はC級だけの声ではない。
B級も、A級も、一緒になって声を上げている。
デブリが魔物の突進を《多重防壁》で止め、俺はその横から拳を振る。
【《殴る》+《空振り》+《殴る》】
《乱打》。
狙うのは頭ではない。
膝。
足首。
肩。
敵を倒す必要はない。
ほんの一瞬でも動きを止めればいい。
俺が崩したところへB級の槍が入り、その後ろからA級の剣が走り、さらにモモの炎が重なる。
その瞬間、俺はふと思った。
俺の《+》は、スキルだけを足す力なのだろうか。
目の前で起きていることも、よく考えれば同じだ。
C級の防御。
そこへB級の突破力。
さらにA級の火力。
どれか一つだけでは、この形にはならない。
でも、重なれば違う。
役割が足される。
戦力が繋がる。
その結果として、戦線全体が前へ進んでいる。
「……なんだよ、これ」
隣で戦っていたC級剣士が笑った。
「俺たち、C級だろ?」
「そうだな」
俺も拳を振りながら答える。
「なのに、なんでA級と同じ場所で戦ってるんだ?」
「知らない」
「知らないって何だよ!」
思わず俺も笑う。
「前に進めてるなら、それでいいだろ!」
男は一瞬きょとんとして、それから大きく笑った。
「確かにな!」
さっきまで死ぬ覚悟をしていた人間の顔ではなかった。
戦場に少しずつ余裕が生まれている。
それだけで、人間は笑えるようになる。
◇
その光景を、さらに後方から見つめている男がいた。
勇者アレス。
右手には剣。
周囲には魔法使いリナ、僧侶カイン、そして新たに前衛として加わったブレイブがいる。
本来なら彼ら勇者パーティーは、敵主力が現れるまで温存される上位戦力だ。
だが、アレスの視線は大型魔獣にも、魔王軍の指揮官にも向いていなかった。
最前線。
巨大な盾のすぐ横で拳を振り続けている黒髪の男。
レオン・クロウ。
かつて、一緒に旅を始めた仲間だった。
最初は全員C級だった。
その中でもレオンの《殴る》は、あまりにも地味だった。
アレスは何度もレオンを守った。
何度も後ろへ下げた。
そして最後には、このまま一緒に高難易度の戦いへ連れていく方が危険だと判断した。
その決断が間違っていたのかと聞かれれば、今でも簡単には答えられない。
当時のレオンは戦闘参加率が低く、攻撃力も不足し、スキルが上位へ成長する兆候も見えなかった。
アレス自身はC級《返し斬り》からB級《つばめ返し》へ、さらにA級《乱れ斬り》へと進化していった。
リナも。
カインも。
上へ進んだ。
レオンだけが、置いていかれた。
だから外した。
あの時は、それが合理的だと思っていた。
それなのに今。
その「戦力にならなかったはずの男」が、最前線にいる。
しかも、ただ生き残っているのではない。
「……レオン」
気づけば、名前が口から漏れていた。
リナも前線を見つめている。
「……あれ、本当にレオンなの?」
カインが静かに頷いた。
「間違いない」
ブレイブが眉を上げる。
「あいつが、お前たちの元仲間か?」
「ああ」
アレスは短く答えたものの、視線を外せなかった。
レオンの一撃は、今でも決して強くない。
一発で大型魔獣を倒しているわけでもなければ、派手な必殺技があるわけでもない。
ただ拳を振る。
敵を止める。
体勢を崩す。
味方が攻撃しやすい場所を作る。
そしてまた前へ進む。
やっていることだけ見れば地味な繰り返しだ。
なのに、戦場がレオンを中心に動いているように見える。
「……どういうことだ」
アレスは小さく呟いた。
自分の知っている「強さ」と、目の前の強さは違う。
強い一撃。
高いスキルランク。
優れた個人能力。
それを伸ばすことが成長だと思っていた。
実際、それで自分は強くなった。
でもレオンは違う。
C級のまま。
弱い力を捨てず、重ねている。
一人では足りなければ仲間を使い、一撃で足りなければ次の一撃へ繋げる。
弱い技を強い技へ進化させたわけじゃない。
弱い力の使い方そのものを変えた。
アレスの中で、それまで疑わなかった何かがわずかに軋んだ。
「……あり得ない」
リナが横を見る。
「アレス?」
アレスは答えなかった。
否定したいわけではない。
ただ、自分の中にある常識と目の前の結果が一致しない。
ギルドの戦況盤も、実際の戦線も同じことを示している。
C級部隊が魔王軍を押し返し、その中心にレオンがいる。
これは、もう偶然ではない。
◇
「勇者部隊!」
指揮官の声が飛んだ。
アレスが振り返る。
「A級線へ移動しろ! 前方が想定以上に押し込んでいる。ここで一気に戦線を上げる!」
「……了解」
アレスは剣を握り直した。
リナ、カイン、ブレイブもすぐに動き出す。
前線へ向かって走りながら、アレスはもう一度だけレオンを見た。
昔は自分が守る側だった。
レオンは守られる側。
そのはずだった。
今は違う。
レオンはデブリに守られている。
でも、それだけではない。
モモが戦いやすいよう敵を止め、周囲のC級が戦える形を作り、B級が突破できる道を開き、A級が全力を出せる状況まで生み出している。
一人で全部をやっているわけではない。
なのに。
あの男がいることで、周囲の人間が強くなっている。
英雄とは、一人で敵を倒す者。
アレスはずっとそう考えてきた。
けれど、もし戦場そのものを動かす者がいるのなら。
それは何と呼べばいい?
まだ、答えは出なかった。
「……俺も出る」
アレスが低く言う。
ブレイブが大剣を担ぎながら笑った。
「ようやくか」
「ああ」
剣を抜く。
焦りもある。
競争心もある。
それ以上に、確かめたいという気持ちが強かった。
もうレオンを「戦力外だったC級」として見ることはできない。
しかも危険という言葉の意味さえ変わりつつある。
弱いから危険なのではない。
あの男がこのままC級の常識を壊し続ければ、自分たちが当然だと思ってきた「高いランクほど価値がある」という考え方そのものが揺らぐ。
そういう意味では、レオン・クロウはこの戦場で誰よりも危険な存在になり始めていた。
◇
もちろん俺は、アレスがそんなことを考えているとは知らない。
目の前には、まだ魔物がいる。
考える暇なんてなかった。
「デブリ!」
「任せろ!」
大盾が前へ出る。
「モモ、右!」
「はい!」
炎が走る。
「B級! 次に右が開く!」
「分かった!」
俺が《乱打》を叩き込み、魔物の足が崩れた瞬間にB級が飛び込む。そのさらに向こうではA級の魔法が炸裂し、大きく敵の数が減っていく。
「前へ!」
誰かが叫んだ。
デブリが一歩進む。
俺も進む。
モモも、周囲のC級も、B級も、A級も続く。
最初、この場所でC級は死ぬための前線だった。
今は違う。
C級が土台を作り、その土台を使ってB級が走り、開いた場所へA級が最大火力を叩き込む。
どれか一つのランクだけが勝たせているわけじゃない。
全部が繋がっている。
俺は一瞬だけ左手を見た。
《+》。
そして、ふと思う。
もしかしたら。
足せるのはスキルだけじゃないのかもしれない。
弱い者。
強い者。
守る者。
攻める者。
一撃の重い者。
何度でも小さな攻撃を積み重ねる者。
それぞれが、自分にできることを持ち寄って戦場へ足されていく。
今、俺たちがやっていること自体が。
巨大な《+》なのかもしれない。
「レオンさん!」
モモの声で我に返る。
「また前へ行きますよ!」
俺は拳を構え直して笑った。
「もちろん。止まる理由がない」
デブリが盾を前へ押す。
魔王軍が、また一歩下がる。
それに合わせて人間側の戦線も前へ進む。
たった一歩。
けれど、その一歩の後ろにはC級がいて、B級がいて、A級がいる。
そして、また一歩。
もう一歩。
小さな前進が重なり、やがて大きな流れへ変わっていく。
誰にも期待されていなかったC級冒険者たちが作った最前線は、いつの間にか人間側全体を引っ張る戦線へと変わっていた。
前線が、前へ動いている。
それはただの戦況変化ではなかった。
この世界が当然だと思ってきた「強さの順番」そのものが、ほんの少しだけ動き始めた瞬間だった。




