第2話 初めての差
森の奥から、甲高い叫び声が響いた。
「ギャッ! ギャギャッ!」
茂みが大きく揺れる。
次の瞬間。
三体のゴブリンが飛び出してきた。
小柄な身体。
緑色の皮膚。
手には、木を削っただけの粗末な棍棒。
だがスライムとは違う。
こちらを見ている。
考えている。
そして。
明確な敵意を向けてくる。
「来るぞ!」
アレスが剣を抜いた。
俺レオン・クロウも拳を握る。
リナが杖を構え。
カインが一歩後ろへ下がった。
これまでにも、何度か簡単な魔物とは戦ってきた。
だが。
複数のゴブリンを相手にするのは、これが初めてだった。
「俺が正面を受ける!」
アレスが叫ぶ。
「レオン、左から回れ!」
「分かった!」
俺は即座に走った。
俺のスキルは、相変わらずC級《殴る》。
拳で殴る。
ただそれだけだ。
遠距離攻撃もできない。
防御もできない。
派手な必殺技もない。
だからこそ。
敵の注意がアレスへ向いている間に近づく。
死角へ入り。
一発叩き込む。
それが、今の俺にできる戦い方だった。
「カイン!」
「はい!」
カインが両手を掲げる。
「《守る》!」
淡い光の膜が広がり。
リナの前へ小さな防壁が展開された。
「よし!」
リナが杖を突き出す。
「ファイヤー準備!」
炎が杖の先へ集まっていく。
アレスが正面。
俺が側面。
カインが防御。
リナが後方火力。
何度も練習した陣形。
少しずつ。
俺たちは冒険者らしい戦い方を身につけ始めていた。
「行ける!」
俺はそう思った。
の瞬間だった。
「ギャアアッ!」
一体のゴブリンが。
突然、地面を蹴った。
速い。
予想していたより、ずっと。
「なっ――!」
アレスが剣を構える。
ガァンッ!
棍棒が剣へ叩きつけられた。
アレスの腕が跳ねる。
「くっ!」
体勢が崩れた。
「アレス!」
俺が叫ぶ。
もう一体が横から迫る。
このままでは。
間に合わない。
そう思った。
だが、その時だった。
アレスの動きが変わった。
◇
後からアレスは言った。
あの瞬間。
世界が、急に静かになったと。
ゴブリンの叫び声も。
俺たちの声も
風で揺れる木々の音も。
遠くなった。
代わりに。
目の前の敵だけが。
はっきりと見えた。
棍棒が振り下ろされる角度。
ゴブリンの重心。
足の位置。
踏み込みの癖。
次に。
どこへ身体を動かすのか。
全部が。
分かった。
考えたわけではない。
身体が。
先に動いた。
弾かれた剣を。
そのまま返す。
一撃。
そして剣が跳ね上がる。
もう一撃。
銀色の軌跡が。
空中へ大きな弧を描いた。
《つばめ返し》
B級スキル。
ザンッ!
二つの斬撃が。
ほとんど同時に走った。
「グギャッ――!」
ゴブリンが地面へ倒れる。
静寂。
一瞬。
俺たちは誰も動けなかった。
「……今の」
リナが呟く。
「二回……斬った?」
カインも目を見開いている。
俺も。
言葉が出なかった。
アレス自身が。
一番驚いていた。
剣を見る。
自分の手を見る。
そして。
震える声で言った。
「今の……」
「俺がやったのか?」
その瞬間。
アレスの視界に。
淡い文字が浮かんだ。
【スキル進化】
C級《返し斬り》
↓
B級《つばめ返し》
アレスが息を呑む。
「B級……」
「え?」
リナが聞き返す。
アレスが振り向いた。
「《返し斬り》が……」
「B級になった」
「ええええっ!?」
リナの声が森へ響いた。
だが。
まだ戦いは終わっていない。
「ギャアッ!」
残った二体が動く。
「レオン!」
アレスが叫んだ。
俺は我に返る。
「ああ!」
考えるのは後だ。
今は――戦う。
一体のゴブリンがアレスへ向かう。
もう一体。
俺へ棍棒を振り上げた。
避ける。
身体を沈め。
懐へ入る。
「《殴る》!」
ドンッ!
拳がゴブリンの顔へ直撃する。
「ギィッ!」
相手がよろめく。
俺の拳が痛む。
それでも。
もう一歩踏み込む。
「リナ!」
「分かってる!」
俺は横へ飛ぶ。
ゴブリンの身体が露出する。
「《ファイヤー》!」
ボウッ!
火球が飛んだ。
ゴブリンへ直撃。
「ギャアアッ!」
倒れる。
その横では。
アレスが最後の一体と向かい合っていた。
今度は。
さっきまでとは違う。
余裕がある。
ゴブリンが棍棒を振るう。
アレスが受ける。
そして。
「《つばめ返し》!」
銀の光が二度走った。
あっという間だった。
最後の一体も倒れる。
戦闘終了。
◇
「やった……」
リナが杖を下ろした。
俺も息を吐く。
「勝ったな」
カインが周囲を確認する。
「他に魔物はいません」
完全な勝利だった。
だが。
誰も。
倒したゴブリンを見ていなかった。
俺たちの視線は。
一人へ集まっていた。
アレス。
そして。
その剣。
「ねえ!」
リナが駆け寄る。
「もう一回見せて!」
「いや、見せろって言われても……」
「B級よ!?」
リナが興奮している。
「まだ冒険者になって、そんなに経ってないのに!」
「すごいですよ」
カインも珍しく表情を崩した。
「通常、C級からB級へ上がるだけでも、数年かかる者は多いと聞きます」
「数年?」
俺が聞く。
カインがうなずく。
「はい」
「中には一生、C級のままの者もいます」
俺は。
自分の拳を見る。
C級《殴る》。
変化はない。
当然だ。
今日も。
いつも通り殴っただけ。
だけど。
アレスは。
一つ上へ行った。
B級。
俺たちより先に。
「やっぱり勇者候補は違うのね!」
リナが笑う。
アレスは頭をかいた。
「いや……俺もよく分からないよ」
そう言いながらも。
嬉しそうだった。
当然だ。
俺だって。
もし《殴る》がB級へ進化したら。
きっと叫ぶくらい喜ぶ。
だから。
俺は笑った。
「すげえじゃん、アレス」
アレスが俺を見る。
「レオン」
「B級だろ?」
俺は拳を突き出した。
「俺たちの中で一番乗りだ」
アレスも拳を出す。
コツン。
拳がぶつかる。
「次はレオンかもな」
「当然だ」
俺は笑った。
本当に。
そう思っていた。
今日はアレス。
次はリナかもしれない。
カインかもしれない。
そして。
その次は俺。
ただ。
順番が少し違うだけ。
そう思っていた。
◇
戦いの後。
俺たちはゴブリンの討伐証明を集めた。
その最中。
アレスが俺へ近づいてきた。
「レオン」
「ん?」
「さっき助かった」
「何が?」
「最初のゴブリンだよ」
アレスが剣を鞘へ戻す。
「お前が横へ回ってくれてたから、あいつらの意識が分散した」
「そうじゃなかったら、もっと危なかったと思う」
俺は肩をすくめる。
「別に」
「それが俺の役目だろ」
「まあ……そうなんだけど」
アレスが少し困ったように笑う。
そして。
何気なく言った。
「地味だけどさ」
「……」
ほんの一瞬。
胸の奥。
小さな何かが。
引っかかった。
地味。
確かに。
その通りだった。
アレスは。
今、一瞬でゴブリンを二度斬った。
リナは炎を飛ばす。
カインは光の壁で仲間を守る。
俺は――
殴るだけ。
「……いや」
アレスが慌てて言い直す。
「悪い意味じゃないぞ?」
「分かってるよ」
俺は笑った。
「実際、地味だし」
「でも助かってる」
アレスが言う。
「本当に」
そこへ。
リナもやってきた。
「そうよ」
「レオンが横から入ってくれると、魔法がすごく撃ちやすいもの」
少し考え。
付け加える。
「派手じゃないけど」
また。
その言葉。
派手じゃない。
俺は笑った。
「二人して言うなよ」
「だって本当じゃない」
リナも笑う。
カインが静かに言った。
「役割があるということは、尊いことですよ」
「誰もが同じことをする必要はありません」
その言葉には。
まだ。
温度があった。
見下しているわけではない。
哀れんでいるわけでもない。
ただ。
仲間として。
俺の役割を認めてくれている。
だから。
気にする必要なんてない。
そう思った。
◇
森から王都へ戻る道。
夕日が。
四人の影を長く伸ばしていた。
先頭を歩くアレス。
背中の剣が。
夕日を反射している。
B級《つばめ返し》。
ほんの数時間前まで。
アレスも俺と同じC級だった。
同じ場所にいた。
でも今は。
一つ先。
「勇者ってやっぱりすごいのね」
少し前を歩くリナが言った。
「こんなに早くスキルが進化するなんて」
カインが答える。
「才能だけではないでしょう」
「戦いの中で何かを掴んだのだと思います」
「じゃあ、私もそのうちA級とか行けるかな?」
「努力次第でしょうね」
「よーし!」
二人の会話を。
俺は後ろから聞いていた。
自分の拳を開く。
握る。
何も変わらない。
いつもの手。
いつものC級《殴る》。
俺は。
前を歩くアレスを見る。
ほんの少しだけ。
背中が遠く感じた。
たった一つ。
ランクが変わっただけ。
ただ。
それだけなのに。
俺たちの間に。
今までなかったものが生まれた。
差。
だけど。
俺は歩幅を変えなかった。
むしろ。
少し早く歩いた。
アレスの隣へ追いつく。
「なあ、アレス」
「ん?」
「次にB級になるの、俺だからな」
アレスが笑った。
「おう」
「待ってる」
「追い越してやるよ」
「言ったな?」
俺たちは笑った。
その時の俺は。
まだ信じていた。
頑張れば。
追いつける。
努力すれば。
並べる。
そしていつか。
追い越せる。
俺たちは。
同じ道を歩いている。
今はただ。
アレスが。
ほんの一歩。
先へ出ただけ。
そう信じていた。
だが。
この日。
確かに。
初めての「差」が生まれていた。
そして俺はまだ知らなかった。
その一歩が。
やがて十歩になり。
百歩になり。
振り返っても。
声すら届かないほどの距離へ変わっていくことを。




