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第三話 名前を呼んでよ

  森田は靴を左右逆に履いて、玄関を出た。なんだか歩きづらいなぁと思いながら、赤いジャイアントのクロスバイクで学校に行った。ポツポツと雨が降り始めた頃に学校に着いて「ラッキー」と思って校門を入ってすぐに、


「靴、左右逆だぞ」


 と声をかけられた。


 険しい表情でこちらを見ている青谷を見て、森田は息が止まった。恋人になって初めての朝というのに、そんな顔してくれるなよ、と思うが、森田は自分の足元を見て理解した。


「あ、ほんとだ。ぼーっとしてたわ」


 森田は「へへへ」とそっぽを向いて笑う。


 早足で下足室に入り、上履きに履き替える。なんて格好悪いんだ。幻滅されていないだろうか。青谷も上履きに履き替え、隣にきた。


 森田は青谷の顔を見る。こいつほんと顔ちっさい、でも頬は少し柔らかそうなふっくら感がある。目がくりくりして、先の尖った鼻と小さい唇。小動物みたいな可愛い顔をしてるのに、性格はクールなんてそのギャップが好きすぎて、だから気が動転して靴を履き間違えたんだ。おまえのせいだよ。


「いや、さすがに気づくだろう、スニーカー左右逆に履いたら。それで玄関出て歩いても気づかないってすごい、朝から面白いやつ」


 そう言って青谷が笑った。


「………バカすぎて、幻滅しない?」


 森田はしょんぼりした声で言う。


「この程度で幻滅するような奴とは交際しない。それより、挨拶まだだったな。おはよう、宗一」


 青谷は当たり前のように、森田を下の名前で呼んだ。


「え、きゅ、急に名前呼びドキッとすんだけど」


「俺たち付き合ってるんだろう。恋人同士なら名前で呼び合い。俺の名前、悟だから」


 悟が廊下を歩いていた足を止めて、じっと宗一を見上げる。唇をぎゅっと結んで、目に力を入れてこっちを見ている。


 あ、名前呼ばれ待ち、か。


「お、おはよう、悟。きょ、きょーも一日、がんばろうなっ。じゃ、またなっ」


 宗一はおどけた声で言い、スキップで教室に入って、すぐに席について机にガン、と顔面を叩きつけた。


「うわっ、森田が死んだ!」


 隣の席の大谷が叫んだ。


「何ぃ、あの森田がそんな簡単に死ぬわけ…………いや、オーマイガー、なんてぐったりしているんだ。机に頭打って死んでしまうとは!」


 友達で森田と同じくお調子者の駒田が叫ぶ。


「君たち、見ただけで死んでいるとはわからないわよ。どれどれ、脈を測るのだ」


 バスケ部でマブダチの矢倉が、だらんと下げた宗一の手首に触れる。


「大丈夫だ、生きてるぞ! 生存確認ー、よし!」


 矢倉は叫んだ。


「よかったぁ、生きてたぁ。死んじゃったかもしれないってぴえんになっちゃったよ」

「馬鹿野郎、心配かけやがって、こいつ…………へっ、別に心から安心したなんて思ってないからね」

「しかし、どうしたんだ。机に顔ダイブさせて。低気圧ダメなタイプでもなかろうに」

「スキップですげぇ笑顔で入って来たと思った、な」

「おまえ朝から飛ばしすぎだろ」


 大谷、駒田、矢倉が言い合う。


「俺は死なない! 俺は死にませーーん。でも恋の気圧上昇値が異常で圏外突破してる!!」


 宗一は顔をあげて大きな声で言った。駒田、大谷、矢倉は三人で顔を見合わせて頷く。


「ヘイヘイ、森田くん。恋、恋しちゃったの、君?」


 矢倉がふふふふ、いやらしく笑っていう。


「はい、してます。やばいです。高校一年生、十六歳の森田宗一は初めてのお付き合いというものを始めてしまいました。ウブな俺たちなので今はマジそっとしといて。お願いします」


 宗一は記者会見のように深々と頭を下げて言った。


 矢倉たちは三人で教室の角に行き、何かコソコソ相談し合った。


「相手がくそほど気になるが、友達を尊重する俺らだから詮索はしないが、お付き合いの相談はしてくれよな。ふっ、俺たちマブダチだからよぉ、へへっ」


 矢倉が少年漫画の主人公のように人差し指で鼻の下をこする。


「森田、彼女できたんか。きっとそいつ、大型犬好きなタイプだろ。ってか新しいバカストーリーかもな」

「わかる。アホな大型犬が好きなやつじゃないとな」

「ってか、うちのクラスの男子、マジうるさいよな」

「それなー、高一じゃなくて小一レベル」


 女子たちがヒソヒソと言ってる。


 宗一はその日、いつも以上に授業が頭に入ってこなかった。


 恋すると頭の中にブラックホールができる。恋に関係ないことは全部そこに吸い込まれていくのではないか、と感じるほど、悟のこと以外は頭に入ってこない。


 三時間目の休憩時間、「昼飯、そっちの教室で食べていい?」とLINEがきて、宗一は数学の授業なのに、机に落書き帳を出したまま呆けた。


「あの、せめて教科書ぐらいは出そうか。あと頑張ってノートも出そう」


 優しい数学教師が困惑した顔で注意してきて、宗一は「すいません」と謝り、教科書を出した。


 昼休憩になって、宗一は教室の前で悟を待った。


 宗一は一組、悟は三組だ。この距離だけで遠距離に思える。


 両手で弁当箱の包みを持って、悟が歩いてくる。


「お邪魔します」


 悟が言って一組の教室に入る。


 目があった生徒にペコっとお辞儀している。


 これが俺の彼氏です! と大声で叫びたいのを我慢して、宗一は自分の机に悟を招いて、大谷の椅子に悟を座らせた。


「やっぱり、一番後ろの席だよな、宗一は。おまえデカいから後ろの人、黒板見えないもんな」


 悟が言って、弁当箱の包みを開く。


「あー、それな。一番後ろで窓側だと居眠りしやすいけど、俺でかいからすぐ目立つー」


 宗一もでかい弁当を開いた。


 いつも矢倉たちと食堂で昼食を食べるので、教室で弁当を食べるのは新鮮だ。悟の弁当箱は丸いわっぱ弁当で、照り焼きチキンの上に切った茹で卵とミニトマト、大葉と洒落ている。


 宗一の弁当箱は一番下がふりかけご飯。二段目は自分で作り置きした肉炒めやきんぴらごぼう、冷凍食品を雑に詰め合わせている。


「いただきます」


 悟がちゃんと手を合わせて言い、チキンと卵を上手に乗せて口に運ぶ。お手本みたいなきれいな食べ方をする。


「悟と宗一の弁当、すげー違う。わっぱ弁当とかオシャレさんだな。俺のはもうザ・男子高校生が作った、自分の食いたいものを食いたいだけ詰めました弁当だな」


 ガツガツ食べながら宗一は言った。


「わっぱ弁当、母さんが好きなんだ。俺もこれ、味があって好きなんだよ。毎朝丁寧に作ってもらって感謝してる。宗一、料理できるんだな。すげー偉いじゃん」


 悟に褒められて、宗一は咳き込む。


「いや、べ、別に。あの、うち母親がコンビニで早朝パートしてるし、昼は自分が食いたいもの食いたいから作ってるっていうか、ほとんど冷凍食品だし」


「でも今の冷凍食品って美味しいよな。母さんが“今日は冷凍食品でごめんね”ってよく言うけど、用意してくれるだけで嬉しいし」


「だよな、冷凍食品進化してるよな。チンしなくても自然解凍とかあって……あ、よかったら。俺が焼いたこの卵焼き、いる?」


 宗一が言うと、悟がにっこり笑う。


「うん、食べたい」


 悟は素直に頷く。宗一はそっと、断面が一番きれいな卵焼きを悟の弁当の上に載せた。すぐに悟が食べる。


「ん、塩加減いいな。美味しいよ。ありがとう」


「え、俺こそ食べてくれてありがと」


 お互いに「ありがとう」を言い合って、二人は少し照れて下を向き、黙々と弁当を食べた。


「ごちそうさまでした」


 ちゃんと手を合わせて悟が言い、きれいにわっぱ弁当を青いチェックのハンカチで包む。


 告白してよかった。


 付き合って初日から、宗一は幸せを噛みしめた。


 部活では、悟はいつもと変わらない態度で接した。気がついたら宗一は悟を見てしまう。足の軽い捻挫のため、宗一は半分は休憩で、ストレッチやミーティングに参加していたので、悟をじっくり見ることができた。


 悟と目が合わない。部活中、悟は忙しなくあちこち見ている。


 ――あいつ、一人一人の部員をちゃんと見ているんだ。


「尊敬する」


 宗一はつぶやいた。


 部活が終わったが、悟は部長たちとの話し合いで遅くなった。宗一は悟を部室で待った。悟は宗一を見て、ほっとしたように笑う。


 外は雨が降っていた。宗一は黒いカッパを着て自転車を押して、駅まで悟と歩くと言ったが、断られた。


「捻挫中はダメだ。それに雨降ってるし。それに……」


 悟が目を細める。


「黄色の雨ガッパ着てる男と並んで歩くの、恥ずかしい。よくそんなでかいサイズの黄色の雨ガッパ見つけたな。めっちゃ目立ってる」


 悟が宗一を見て、存分に笑い、はーとため息をつく。


「じゃあ、また明日」


 悟がひらりと手を振って、ビニール傘をさして歩き出す。ビニール傘には、ポチャッコの傘用ストラップがついていた。


 その夜、風呂から上がってぼーっとしていると、悟からLINEがきた。


【これからの交際プラン

 ①あさっての日曜日にデートはどうだ?

 おまえの行きたい場所、したいことを教えてくれ。

 明後日が都合悪いなら来週。

 ②ハグする。これは二人のタイミングがあったときだけ。

 ③キスは一ヶ月付き合ってから。

 ④交際三ヶ月したら、母さんと姉さんにおまえを紹介したい。

 嫌かな?】


 これを読んで、宗一は枕に顔を埋めた。


 どんだけ真面目なんだよ!

 恋愛までマネジメントするのかよ。


 ちゃんとこれからのことを考えてくれている。こんな責任感のある恋人、大切にしなきゃいけない。


 宗一は慎重にLINEの文を書いた。


【あさって、空いてます。久しぶりに晴れるみたい。学校の近くの緑地公園で君と自転車二人乗りをしたいです。

 僕の夢は恋人と自転車で二人乗りすることなのです。ゆずの『夏色』みたいな。ブレーキいっぱい踏みしめたい。

 ハグは木陰でしよう。やば、俺ってポエマー。

 一ヶ月もキス待ちですか、かしこまりました。

 お母さんとお姉さんに紹介してもらえるなんて光栄です。

 俺も悟を家族に紹介したいです】


 既読はすぐについたのに、返信は10分かかった。


【丁寧な返信ありがとう。じゃ、緑地公園で。時間は何時がいい?

 近くに美味しいパン屋があるから、そこでパン買ってピクニックみたいなことしない? 自転車二人乗りは違反だから却下。危ない。

 俺も宗一の家族に紹介してもらうのを光栄に思います】



 ピクニック、そうきたかー。

 レジャーシート出さないとー。


 いや、しかし。自転車二人乗りはしたい。



【お願い。ちょっとだけ、ちょっとだけでいいから。

 うちのおかんのしっかりしたママチャリの後ろに悟を載せたい。

 座布団とか敷くから。

 公園でちょっとだけ乗って欲しい。

 デートの待ち合わせ時間は悟に任せる】


 ここで、キティちゃんが悩んでるポーズのスタンプが投稿された。


【分かった。俺としてもおまえの夢を叶えたい。

 それなら二人ともヘルメット着用のこと。

 時間は10時に公園で。

 俺がパン買って、レジャーシートも買っていくから、おまえは飲み物買ってきて。アイスティー希望】


 悟、おまえどこまでも真面目なんだな。



【了解。すげー楽しみにしている】


 宗一は「やったー」と喜んでいるちいかわのスタンプを三つ連続で押した。


「おやすみ」とポチャッコのスタンプで悟が返してきた。


「あーーーーー! 楽しみすぎる!」


「兄貴、うるせーよ! せっかくよく寝てたのに」


 隣の部屋の弟、良一に叱られた。


「すまん、にーちゃん今、恋してるんだ。にいちゃん、恋人できたんだよー」


 宗一はニヤニヤ笑って言った。


 無印良品の木綿のパジャマを着ている小学六年生の弟は、冷たい目で宗一を見た。


「いや、信じられない。おやすみ。はよ寝てくれ」


 良一は深いため息をついた。

 

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