〜2カップ目〜 原作厨な私と
空がほんの少しオレンジ色に変わり始めた放課後のこと。
教室で友人と他愛のない会話をし終えた私は、ゆっくりと一階の図書室へと向かう。
この時間帯、彼は必ず図書室にいるということは調べがついている。
私がハマりにハマっているライトノベル『四季天使たちの日常』を愛読するもう一人の同級生男子生徒。
名前は糸川結。
初め名前を聞いた時は女の子だと勝手に思っていたのだけれどどうやら男の子らしい。
中肉中背、ハッキリと言ってパッとしない男子生徒。
勉強も運動も平均点を維持し続ける普通の男の子。
ここ数日『四季天使たちの日常』について話したいと思ったのだけど、どうやら彼に友人らしい友人はいないみたいだ。
いつも決まった時間に決まった時間だけ図書室で読者を一人謳歌する。
最早ルーティーンとも言えるその行動力は、果たして普通と評していいのか分からないけれど場所の目星が付いたことは私にとって大きな進歩だ。
通学用カバンを左肩にかけ、左手には『四季天使たちの日常』最新巻である四巻を固く握る。
図書室前まで着いた私はゆっくりとその扉を開けた。
「────おや、久しぶりだね西園寺さん。図書室に来るなんて珍しいじゃないか」
図書室へ踏み入れた私を最初に歓迎してくれたのは図書委員である神園由奈だった。
色白な肌に一本に編み込んだ三つ編み。
赤ぶちのメガネをかけた彼女は誰がどう見ても清楚で真面目な図書委員である。
「うん。ちょっとゆっくり読みたい本があって」
私はタイトルが神園に見えるように、左手に持った本を軽く挙げる。
あわよくばこの素晴らしき文庫本を布教したい。
横目でハッキリと分からなかったが、本のタイトルを見た神園は少し驚いたような顔をしていた気がした。
もう『四季天使たちの日常』を知っている側の人間だったのか。
「なるほどね。お好きな席へどうぞ〜」
「ありがとう。そうさせてもらうわ」
軽く挨拶を交わした私は、糸川と会話の出来るベストなポジションに移動する。
糸川が表紙を見れる位置、斜め向かいにゆっくりと椅子を引いて座った。
良し、チラッとこっちを見たわね。
興味を持ったのなら勝利は目前。
今日こそ『四季天使たちの日常』を語らせて貰うわよ。
私は糸川が表紙に視線を向けやすいようにわざと本を傾けて読み始める。
チラッと糸川に視線を寄越すと分かりやすくこちらを凝視していた。
これは、いける! 確実にいける流れだわ!
だけど油断はしちゃダメ。ゆっくりよ、相手は警戒心の強い糸川。
ここで興奮気味に話しかけてしまえば作戦は失敗に終わってしまう。
冬ちゃんの様に冷静に落ち着いて、ファーストタッチが大事なんだから。
「────ところで、糸川君」
一瞬驚いた様に糸川の体がピクリと反応した。
しまった、話しかけるには早すぎた?
私の不安を他所に、糸川は冷静に返事をする。
「どうしたんだい、西園寺さん」
極めて冷静に対処した気なのかもしれないけど、糸川の声は若干上擦っていた。
それが突然の事でビックリしたからなのか、緊張からなのかは分からない。
私はそれに触れる事なく話題を振る。
「あなたも『四季天使たちの日常』を読んでいるなんて知らなかったわ。いつから読んでいたの?」
糸川が『四季天使たちの日常』を読んでいることは調査済み。
ここは知らなかったという初見のフリを演出する。
共通の話し合いが出来る環境を作り出す。
糸川は再び冷静に答える。
「僕は作者がネット小説時代からのファンだからね。完全新作である『しきてん』は一巻の発売日に並んで買ったよ」
どうしよう。急にマウントじみた態度を取られてしまった。
お互い顔を上げず、本に視線を落としたまま会話を続ける。
四巻は既に三周目だから読まなくてもある程度の内容は暗記している。
私は神経を糸川に向けながら読むフリをしていた。
糸川が勇気を出して会話を繋げてくれたのだから、私もやる気を出して会話を楽しむぞ。
「そう、所謂古参勢というやつね。正直な話、私も作者である『湯神透』先生を敬愛しているわ。言葉を選ばず言うのであれば私は同担拒否であり好きな作品は私だけが知っていればいいと思ってるような厄介者よ」
間違えた。私の悪い癖が出てしまった。
言葉を選ばないどころか言葉が足りなさ過ぎた。
何が同担拒否で何が厄介者よ、だ。
実際同担拒否というのは言葉のあやで、作品を知らず何となくだけで好きという半端者が苦手なだけ。
私は好きな作品はどんどん布教したい派閥の人間。知らない人が同じ作品を好きというだけで興味をそそられるぐらいにはチョロいという自覚がある。
厄介者は言葉の通りだけれど。
少し困ったように糸川は言葉を返す。
「さっきから何を言っているのか僕の脳みそが理解を拒んでいるのだけれど、自分で自分の事を厄介者だと揶揄する人間を生まれてこの方会ったことがなかったよ」
この人さてはめちゃくちゃいい人なのでは?
無視されてもしょうがない私の発言に、真っ向から言い返してくれる。
「西園寺さんは、一連の流れで何となく僕と同じオタク側の人間だと思ったんだけど。『しきてん』で好きな話とかあるの?」
無視することもせず話題提供までしてくれるの?
どれだけ聖人君子なんだこの人は。
勝手に私の中の糸川好感度がどんどんと膨れていく。
「そうね、私は決してオタクと呼ばれる人種ではないのだけれど」
だからやめろそれ。私はオタクです。
どうしようもないぐらい漫画やアニメ、ゲームといった類が三度の飯より好きなどオタクです。
「『四季天使たちの日常』はゆるい日常感とコミカルなテンポのギャグの調和が素晴らしいと思っているわ。時々描かれる恋愛描写なんかも、甘酸っぱくて読んでいて自然と顔が綻ぶ要素が多くて尊死必然だと感じるわね」
マズったー…………。
この空間の会話が心地よすぎて信じられない速度の早口で返してしまった。
軌道修正をしなければ。
糸川は私に『好きな話』と聞いたんだよね。ならこの短い放課後という時間で可能な限りの話をしたい。
「『好きな話』を語るのであれば、私は全話全ページ全文字全てが好きだと豪語出来るけど。ちょっと待ってて貰っていいかしら。今から家に帰って全巻持ってくるから」
クッソ時間が惜しい!
語りたい話が多すぎて絞り切れない!
何でこんな時に限って私は家に文庫本を置いてきてしまったんだ。
待ってろ糸川。光よりも速く持ってきやるからな。
立ち上がろうとする私を糸川は本気で止める。
「僕が悪かった。確かに『しきてん』は全ページ余すことなく尊い成分で出来ていることは百も承知だ。僕の質問が悪かったから立ち上がらないでくれ」
何処まで良いやつなんだよお前は。
私の奇行に嫌がらずに正面から向き合ってくれるのか。
それに、やはり糸川は同じ人種だ。
『四季天使たちの日常』の尊さを理解し合える仲間に出会えて私は嬉しいよ。
落ち着きを取り戻した私は、糸川に促されるまま椅子に座り直す。
「ごほん。それじゃあ話は変わるけど、好きなキャラはいる? 僕は秋の不器用な愛情表現とか結構好きなんだけどさ」
好きなキャラだと?
正気か貴様。場合によっては戦争が起こるぞ。
「…………うーん」
流石に悩ましい。どのキャラも魅力的すぎる。
しかし、好きなキャラに秋を選択するのは良いセンスだ。
一見ぶっきらぼうでクールな雰囲気を纏う秋。
内心は同じ四季天使である春に密かな恋心を抱く女性人気の非常に高いキャラ。
私の好きなキャラか…………。
ゆるふわカワイイ系の春ちゃんは場を引っ掻き回してくれるトラブルメーカー的存在。
度々ワンちゃんと表現されるやんちゃ元気系の夏は持ち前のコミュ力で物語を明るくしてくれる。
無表情系ドライロリっ子である冬ちゃんは口数こそ少ないが一生懸命さが伝わってきて応援したくなる。
よし、主人公であるこの中から一人を選ぶのであれば────。
「そうね、私は冬ちゃんが好きかしら。感情を表に出してはいないけど、それでも友達と一緒にいて本当に楽しいって気持ちが伝わってくるし、誰よりも四季天使の事を思いやってる健気な子で好きよ」
言えた! やっと素直に好きな話を自然と言えた!
私は嬉しさを表に出さないよう必死に太ももをつねる。
「そうか、確かに冬は心理描写が少ないけど他人思いで素敵な子だよね」
分かってくれるか同士よ。
この短い間で私の糸川に対する好感度が爆発しそうだぞ。
喜ぶ私を差し置いて、糸川は意を決した様に私の目を見る。
「────ところで、西園寺さん」
「どうかしたの、糸川君」
これは非常に重要な事だと、糸川は目で訴えかける。
固唾を呑みながら、私は糸川の次の言葉を待つ。
「これだけはどうしても聞かないとって思っていたんだけど、西園寺さんの推しカプは誰と誰?」
なるほど。これは最重要事項だ。
推しカプ。つまるところ推しのカップルの事。
普段温厚で他人の好きな事に対して全肯定してくれるファンたちでも、この話題だけは面構えが変わってくる。
発言のひとつで仲の良かったリア友がファイティングポーズをとってきたという逸話はSNS上であまりにも有名だ。
さて、ここで私のカップルとしての定義を唱えたい。
カップルとは恋仲という事。
作中でキャラクター同士が仲睦まじかったり、イチャイチャしているだけではカップルとは言わない。
ネットでは『春秋ペア』や『夏冬ペア』を推す同士たちが多数いる。
確かに彼ら彼女らの友達以上恋人未満の関係は暴れ狂いたくなる程に尊すぎていつ爆散していいのか困る。
が、残念ながらまだカップルとは言えない。
我々はそんな四季天使たちの平和な日常を見守っていくしかない。
喩え意図しない結果になったとしても、血涙を流しながら耐える他ない。
そんな私の出せる答えはひとつしかない。
「推しカプ、つまりは推しのカップリングということよね。それなら私は、桐谷と小山さんペアを推すわね」
『四季天使たちの日常』最新四巻にて爆誕した公式カップル。
第二の主人公と言っても過言では無い四季天使たちの友人・桐谷が、好意を寄せていた小山さんとの恋が実った伝説の回。
濃厚なキュン死エピソードを読む前に、ネット通販でAEDを三つ買おうとした猛者がいた事はあまりにも有名だ。
「きりやまペアか。確かに彼らの恋愛描写は作中一と言っても過言では無いぐらいに素晴らしかったね」
どうやら私たちは同士ではなく兄弟だったようだな。
何処まで全肯定してくれるんだ君は。
「そうでしょ? 一巻から全面に押し出された桐谷の淡い恋心と、徐々に惹かれていく高嶺の花的存在の小山さん。初めて写し出された公式の恋仲。推さずにはいられないわ」
「僕もきりやまペアはかなり好きなカップルだよ。でも、やっぱり僕が一番好きなのは春秋ペアだね」
待ってくれブラザー。
それ以上は踏み込んではいけない領域だ。
全肯定男子である糸川はそんなやつではないと思っていた。
いや、勝手にそう思っていただけで実際はどうか分からないけれど。
それでも、それでも今の発言で何となく分かってしまった悲しき事実。
「…………なるほど、やっと分かったわ」
私の急変する態度に、明らかに動揺する糸川。
悲しいけれどこれは仕方の無い事。
「糸川君、貴方は原作で付き合っていない二人をカップリングする所謂『カプ厨』というやつかしら?」
私の質問に糸川は持論を展開する。
「カプ厨の定義を詳しくする必要があるけれど、確かに僕は好きなキャラ同士がくっ付くことを夢見るカプ厨と言って差し支えないよ」
確定してしまった。
信じたくなかった事が事実となってしまった。
別にカプ厨が悪いという訳では無いし、作品の楽しみ方は人それぞれ。
しかし、原作で付き合ってもいないキャラ同士をカップルと評するのは如何なものか。
「初めに言わせて貰うけど、春ちゃんと秋はまだ付き合っていないわ。恋愛描写はあるけれど、明確に付き合っていないキャラをカップルと評してくっ付けようとするのはオタクの悪い所よ」
自分を棚に上げて私はオタクの悪い部分を前面に押し出してしまう。
私の発言に気を悪くしたのか、明らかに糸川の表情が曇り始める。
「確かに、西園寺さんの言う通り春と秋は付き合っていない。付き合っていないのにカップルと評するのはオタクの悪い妄言であり妄想だ。ただ────西園寺さんは行間を読んでいないんじゃないか?」
思わぬカウンターが飛んできた。
何を言っているのだこのオタクは。
「行間? 私は隅から隅まで読み返すから問題ないと思うのだけれど?」
「いや、その反応で分かったよ。西園寺さんは行間をしっかり読み解いていない」
「…………どういう意味?」
本当にどういう意味なのだろうか。
訳も分からず困惑する私に、糸川は繰り返し発言する。
「春を見守る秋の行動。春の前では自然と笑顔の増える秋。バレンタインの時には友チョコを作る中、秋にだけは一際気合いの入った義理という名の本命チョコを手渡した春。言いたい事はまだまだあるが、これらの情報だけでも二人が付き合うことは秒読みと言えるだろう」
糸川の提示する内容は全てが正しい。
私は『四季天使たちの日常』の登場人物全員が好きだと声を大にして言える。
ファンの間でベストとすら語られる『春秋ペア』の関係性は、私の中の母性やらオタク心やらが暴れ散らかすぐらいには尊いことは皆まで言うな。
だがしかし、だがしかし────。
「それでも、まだ付き合っていないのだからカップルと持て囃すのは気が早すぎるんじゃないかしら」
「それは公式が勝手に言ってるだけだろ」
厄介オタクにも程があるだろう。
えぇ〜、糸川そっち?
SNSに出没するヤバいやつの発言なんですけど?
「公式が全てに決まってるでしょ」
これだけは譲れない。
かつてブラザーと勝手に呼んだ糸川だけれど、私にも譲れないものが存在する。
「キャラクターたちには原作に沿った恋愛をして欲しいと思うのが読者の正しい姿でしょ?」
私は所謂原作厨。
原作の物語・時系列に沿ったキャラ同士の掛け合いが大好きな原作至上主義者。
カプ厨である糸川と原作厨である私。
手を取り合えるはずのオタクは、たったひとつの原因で敵となる。
「何年後になるかも分からない、そして好きなキャラ同士が付き合うかも分からない状態で大人しくしていられる程僕はお利口なオタクじゃない」
「残念ね。喩え桐谷と小山さんが破局しようとも、私は二人のそれぞれの恋を応援し続ける程度にはお利口な愛読者だと自負しているわ」
意見が何もかも食い違う。
あぁ、これだから私は。
「「────オタクが嫌いだ」」
薄暗くなり始めた放課後の図書室。
私と糸川と図書委員しかいない閉鎖的な空間。
重苦しい空気をそのままに、私たちは別々の帰路に着くのだった。