〜1カップ目〜 カプ厨な僕と
生徒達が構内から少なくなり始めた放課後のこと。
部活に行く人。
友達と帰る人。
恋人同士でイチャつく人。
先生と談笑する人。
勉学という枷から解放された少年少女が各々自由に楽しむことの出来る至高の時間。
僕はいつものように図書委員しかいない図書室でライトノベルを一人で読み耽る。
タイトルは『四季天使たちの日常』。
春夏秋冬それぞれを司る天使たちが地上でわちゃわちゃと日常を送るだけのほのぼの日常系ライトノベル。
正直僕としては恋愛系の漫画や小説が好きだ。
けれどこのラノベは読む価値がある。
理由は単純。
四季天使同士のやり取りがあまりにも尊いからだ。
サバサバクール系の秋は文句を言いつつも天然ゆるふわ系の春を優しく見守っているし。
無表情ドライ系の冬は顔にこそ出していないがやんちゃ元気系の夏に好意を寄せていることが隠せていない。
SNSのコメントでは『早くくっつけ』『もどかしい距離感がまたいい』『キュンキュンしてまうやろ』『読み終わったら口角が天井突破ってたわ』などなど限界化している同士が多数いる。
巻が進む事に四人の関係がどんどん発展していく様子は胸を押えながら何度も読み返した。
この際はっきり言わせてもらおう。
僕はカプ厨である。
カップリング厨。通称カプ厨。
オタク用語のひとつであり、漫画やアニメなどに出てくるキャラクター同士の恋愛関係を妄想する人の事を指す言葉。
中には二次元に限らず現実を対象としたカプ厨も存在する。
上級者になれば生物だけでなく無機物のカップルまで成立させる猛者までいるらしい。
そう考えれば僕は普通だと言っていいだろう。
漫画やアニメ、ゲームが好きだという趣味嗜好を持った普通の高校生。
ただ、公式にないカップリングもしてしまう普通のオタク。
原作至上主義の方々には申し訳ないが仕方がないだろう。
好きな作品に出てくる好きなキャラ同士の会話、仕草、接し方、どれをとってもキュンキュンしてしまう恋愛脳なのだから少しは大目に見て欲しい。
出来るだけ表情には出さないように、僕は表情筋を必死に押さえ込みながら読み進める。
現在僕が読んでいるのは四巻。
物語は終盤に差しかかる。
四季天使たちの共通の友人が好きな子に告白する場面。
これまで苦楽を共にしてきた友人・桐谷が、四季天使たちの協力を借りながら告白をするという一巻越しの大勝負。
頑張れ桐谷君、僕は君の誠実さを応援しているぞ。
「おや、久しぶりだね西園寺さん。図書室に来るなんて珍しいじゃないか」
クライマックスの所で現実世界に意識を戻される。
誰だ、僕の至高の時間を遮る人間は。
本から顔を少しだけ上げ、僕は声の主を探す。
図書室のカウンターで座る図書委員が、いつの間にかやってきた女生徒に挨拶していたらしい。
「うん。ちょっとゆっくり読みたい本があって」
やってきた女生徒は西園寺栞。
隣のクラスの人気者、西園寺だった。
容姿端麗・文武両道・才色兼備。
何をするにも平均点以上を当たり前のように叩き出す天才の中の天才。
クラスメイトの名前すら覚えているか怪しい僕ですら流石に知っている有名人。
通学用カバンを肩にかけ、彼女の左手には一冊の本が握られていた。
「なるほどね。お好きな席へどうぞ〜」
「ありがとう。そうさせてもらうわ」
ただの会話ですらカリスマ性溢れる挙動。
人間としての格を勝手に比べて勝手に落ち込んでしまう。
まぁいい、僕には『四季天使たちの日常』があるのだから。
読み直そうと顔を下げた瞬間、近くで椅子を引く音が聞こえた。
向かいの少し離れた左側に西園寺は座り始めた。
西園寺のやつ、空いてる席が多いのに僕の近くに座ったぞ。
ここには僕と図書委員しかいないのだけれど、本を読む、それだけの動作で周りの視線を掌握してしまうような雰囲気。
やはり凡人な僕とは比べ物にならないぐらい人間としての出来が違う。
いややめよう。他人と比べるなんて最低なことだ。
それに僕の精神衛生上これ以上は大変宜しくない。
そう思い、僕は視線を再び本の世界に入り込もうとした。
その瞬間だった。僕は見てしまった。
完璧超人である西園寺が読んでいる本の表紙を。
あれは…………! 『しきてん』四巻!?
何故だ、何故知る人ぞ知る『四季天使たちの日常』を西園寺が読んでいるんだ!?
しかも最新巻。同士とお見受けするぞ、西園寺。
半ば興奮気味な僕だったが、急にテンションMAXで話しかけてはただの変なヤツだ。
危ない危ない。『しきてん』の続きでも読むか。
ほう、桐谷君の告白は晴れて成功。公式で初カップルの誕生である。
待て、普段であれば胸を押さえキュンキュンしながら感動する場面だ。
どうやら僕は初めての同士との邂逅に、想像以上に胸を躍らせているらしい。
「────ところで、糸川君」
話しかけられた!?
西園寺が僕に話しかけたのか。
何の脈絡もなく、ただの友人同士の会話のように話しかけてくれたのか。
僕は平常心を保つようにして何とか返事をする。
「どうしたんだい、西園寺さん」
返しは良好。自然に返事する事が出来た。
「あなたも『四季天使たちの日常』を読んでいるなんて知らなかったわ。いつから読んでいたの?」
「僕は作者がネット小説時代からのファンだからね。完全新作である『しきてん』は一巻の発売日に並んで買ったよ」
お互い顔を上げず、視線を文庫本に向けながらただただ会話のキャッチボールをする。
僕の返しが合っているのかどうかは置いて、西園寺は文章を黙読しながら話を進める。
「そう、所謂古参勢というやつね。正直な話、私も作者である『湯神透』先生を敬愛しているわ。言葉を選ばず言うのであれば私は同担拒否であり好きな作品は私だけが知っていればいいと思ってるような厄介者よ」
「さっきから何を言っているのか僕の脳みそが理解を拒んでいるのだけれど、自分で自分の事を厄介者だと揶揄する人間を生まれてこの方会ったことがなかったよ」
ほんの少しだけ会話をして分かったことがある。
西園寺栞という完璧超人だと勝手に思っていた女生徒は、ただの『しきてん』好きのオタクな可能性が出てきた。
なんなら同担拒否やら厄介者などのワードから察するにかなりのオタクであることを自覚しているタイプの人間である。
「西園寺さんは、一連の流れで何となく僕と同じオタク側の人間だと思ったんだけど。『しきてん』で好きな話とかあるの?」
「そうね、私は決してオタクと呼ばれる人種ではないのだけれど」
前言撤回だ。彼女はオタクであることを自覚しておらず、ましては否定してきた。
「『四季天使たちの日常』はゆるい日常感とコミカルなテンポのギャグの調和が素晴らしいと思っているわ。時々描かれる恋愛描写なんかも、甘酸っぱくて読んでいて自然と顔が綻ぶ要素が多くて尊死必然だと感じるわね」
どうした突然早口になって。
これで私はオタクではありません、なんて全読者に失礼だと思わないのか。
「『好きな話』を語るのであれば、私は全話全ページ全文字全てが好きだと豪語出来るけど。ちょっと待ってて貰っていいかしら。今から家に帰って全巻持ってくるから」
「僕が悪かった。確かに『しきてん』は全ページ余すことなく尊い成分で出来ていることは百も承知だ。僕の質問が悪かったから立ち上がらないでくれ」
椅子を引いて本気で帰宅しようとする西園寺を引き止める。
確かに彼女は僕にとって同士なのかもしれない。
かなり強火の『しきてん』ファンだということが本気で伝わってくる。
大人しく椅子に座ってくれたことを確認して、僕は再び西園寺に質問した。
今度は全巻読み返さなくてもいい質問にしなければ。
「ごほん。それじゃあ話は変わるけど、好きなキャラはいる? 僕は秋の不器用な愛情表現とか結構好きなんだけどさ」
「…………うーん」
まぁ何となく分かっていたが西園寺なら長考するよね。
こんなことでは動じなくなってきた自分を褒めてやりたい。
しばらく悩んだ西園寺はゆっくりと口を開き始める。
「そうね、私は冬ちゃんが好きかしら。感情を表に出してはいないけど、それでも友達と一緒にいて本当に楽しいって気持ちが伝わってくるし、誰よりも四季天使の事を思いやってる健気な子で好きよ」
やっとまともに会話が出来た。
謎の達成感に満足する僕だったが、これだけは聞かねばならない。
『しきてん』愛読者たちの中でも唯一意見の割れる話題。
意を決して、僕は西園寺に聞くことにした。
「そうか、確かに冬は心理描写が少ないけど他人思いで素敵な子だよね。────ところで、西園寺さん」
「どうかしたの、糸川君」
「これだけはどうしても聞かないとって思っていたんだけど、西園寺さんの推しカプは誰と誰?」
そう。ファンの間でもこればっかりは意見がズレる話題。
定番を抑えるのであれば春と秋による『春秋ペア』と夏と冬による『夏冬ペア』があまりにも有名だ。
とあるファンたちの間では天真爛漫な『春夏ペア』と泰然自若な『秋冬ペア』が至高だと唱える層もいる。
中には『夏秋ペア』や『春冬ペア』が素晴らしいと訴える層もいる。
正直僕にそっちの趣味は無いが、同性だからこそ普段とは違ったやり取りを見せてくれる様子に思わず歯茎をしまい忘れることは少なくない。
さぁ西園寺、どう答える。
「推しカプ、つまりは推しのカップリングということよね。それなら私は、桐谷と小山さんペアを推すわね」
桐谷と小山ペア。通称きりやまペア。
これは最新巻で正式なカップルとして描写されたキャラクターたちだった。
確かに一巻から小山に好意を寄せていた桐谷君の恋心がやっと実ったことで、SNSが大いに盛り上がっていたことは記憶に新しい。
ネットでも『推せるぅー!』『甘酸っぱ過ぎるだろ』『涙で文字が読めん……』『漢魅せたな桐谷ぃ!』と彼らを祝福するコメントが多数あった。
「きりやまペアか。確かに彼らの恋愛描写は作中一と言っても過言では無いぐらいに素晴らしかったね」
「そうでしょ? 一巻から全面に押し出された桐谷の淡い恋心と、徐々に惹かれていく高嶺の花的存在の小山さん。初めて写し出された公式の恋仲。推さずにはいられないわ」
共感の嵐とはまさにこの事。
「僕もきりやまペアはかなり好きなカップルだよ。でも、やっぱり僕が一番好きなのは春秋ペアだね」
僕がそう発言すると、西園寺の肩がピクリと動いた。
どうしたのだろうか。僕は何も変なことなんて言っていないのだけど。
「…………なるほど、やっと分かったわ。糸川君、貴方は原作で付き合っていない二人をカップリングする所謂『カプ厨』というやつかしら?」
ギョロっと西園寺の瞳が怪しく光る。
どうした、僕はお前に睨まれるようなことは何もしていないだろ。
「カプ厨の定義を詳しくする必要があるけれど、確かに僕は好きなキャラ同士がくっ付くことを夢見るカプ厨と言って差し支えないよ」
「初めに言わせて貰うけど、春ちゃんと秋はまだ付き合っていないわ。恋愛描写はあるけれど、明確に付き合っていないキャラをカップルと評してくっ付けようとするのはオタクの悪い所よ」
西園寺は溜息混じりに諭すように僕に優しく訴えかけてきた。
確かに春と秋は付き合っていない。
何度も言うが作中でカップルと明言されたのは桐谷と小山の二人だけだ。
それでも仲睦まじい春と秋、そして夏と冬のカップリングを妄想することは悪いことでは無いはずだ。
何故僕は向かいの席に座る才色兼備(笑)に諭されなければならないんだ。
「確かに、西園寺さんの言う通り春と秋は付き合っていない。付き合っていないのにカップルと評するのはオタクの悪い妄言であり妄想だ。ただ────西園寺さんは行間を読んでいないんじゃないか?」
「行間? 私は隅から隅まで読み返すから問題ないと思うのだけれど?」
「いや、その反応で分かったよ。西園寺さんは行間をしっかり読み解いていない」
「…………どういう意味?」
いつの間にか僕と西園寺の間にバチバチと火花が散り始める。
僕は決して喧嘩がしたい訳では無い。
しかしながら譲れないものがある。
「春を見守る秋の行動。春の前では自然と笑顔の増える秋。バレンタインの時には友チョコを作る中、秋にだけは一際気合いの入った義理という名の本命チョコを手渡した春。言いたい事はまだまだあるが、これらの情報だけでも二人が付き合うことは秒読みと言えるだろう」
「それでも、まだ付き合っていないのだからカップルと持て囃すのは気が早すぎるんじゃないかしら」
「それは公式が勝手に言ってるだけだろ」
「公式が全てに決まってるでしょ」
火花は更に激しくぶつかり合う。
よく分かったことがもうひとつ。
この西園寺栞という女生徒は、ただのオタクではなくましてカプ厨な僕と相見える事の無い存在。
「キャラクターたちには原作に沿った恋愛をして欲しいと思うのが読者の正しい姿でしょ?」
原作厨。つまるところ原作至上主義者。
原作にない要素はとことん許さず、二次創作や派生作品に対して批判的な姿勢をとる人の事を指すオタク用語。
今僕の目の前で猛犬の如く牙を剥き出しにしている西園寺こそ、原作厨の一人である。
「何年後になるかも分からない、そして好きなキャラ同士が付き合うかも分からない状態で大人しくしていられる程僕はお利口なオタクじゃない」
「残念ね。喩え桐谷と小山さんが破局しようとも、私は二人のそれぞれの恋を応援し続ける程度にはお利口な愛読者だと自負しているわ」
意見が尽く食い違う。
あぁ、これだから僕は。
「「────オタクが嫌いだ」」
日も沈み始めた放課後の図書室。
僕と西園寺と図書委員しかいない閉鎖的な空間。
重苦しい空気をそのままに、僕らは別々の帰路に着くのだった。
カプ厨と原作厨に関する定義は人それぞれです。
この作品では二人の食い違いを分かりやすくする為にわざと大袈裟に表現しています。
ちなみに僕はカプ厨です。
好きな作品の好きなキャラ同士がイチャイチャしてるだけでガッツポーズしてしまう程度にはライトなカプ厨です。