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恋が許されない②

 目を覚ましたミキホは、保健室のベッドの上にいた、隣のベッドでは、マメオが仰向けになり、じっと天井を眺めている。その口が、小さく動いた。



「組長、すみません。オレとしたことが……組長を守れなかった……」



 マメオの声には悔しさがにじんでいる。「ふぅ」と息を吐き、答えるミキホ。



「言っただろ? 武里村(ぶりむら)は柔道の達人だ。あんなヤツに奇襲されりゃ、誰だってこうなる。だが私もお前も無事だったんだ。悔やむことはない」



 ミキホの言葉を聞き、マメオは嗚咽しながら涙を流し始めた。


 二人が目を覚ましたことに気づいた保険医・桐山(きりやま) マユ。机で書類を書く手を止め、二人のほうへ近寄ると、ベッドとベッドの間に置かれた黒い丸椅子に腰掛ける。


 軽くウェーブがかかった長い茶髪に色白の肌、切れ長な目、スッと通った鼻筋にまたがる黒縁メガネ。クールビューティを絵に描いたような桐山は、男子生徒に大人気だ。白衣から覗く細長い手足と豊満な胸に憧れる女子生徒も少なくない。一部の生徒からは陰で「ドスケベ痴女保険医」と呼ばれているが、桐山は35年の人生の中で、異性とも同性とも肉体関係を持ったことがないという。



「起きたみたいね。痛みはない?」



 ハスキーな声で優しい言葉をかける桐山。マメオはあっという間に泣き止み、「はぁい、大丈夫っす〜」と、鼻の下を伸ばしながら答える。ここ最近、怪我をして保健室を利用することが多かったマメオは、すっかり桐山の魅力に取り憑かれていた。


 マメオの態度を見て眉をひそめるミキホだが、彼の気持ちが理解できないわけではない。同性であるミキホの目にも、桐山は魅力的に映った。シゲミには及ばないが。



「マメオくんはすっかり常連さんだけど、まさかミキホちゃんまで保健室送りになるとはね。事情は聞いたよ。武里村校長、相変わらずやることが極端だわ」



 桐山の「相変わらず」という言葉を、ミキホは聞き逃さなかった。武里村と桐山は、以前から面識があったようである。



「桐山先生、武里村と知り合いなんですか? アイツ、市目鯖(しめさば)に赴任してきたばかりですよね?」


「うん。私が市目鯖に来る二つ前の学校で一緒だったの。当時は教頭だったけど、やっぱり生徒には厳しくてね。勉強しろだとか、部活で成績を出せだとか……でも生徒のためを想ってというよりは、自分が校長に出世するために言ってる感じだったかなぁ」


「あの野郎……」



 ミキホの心に怒りが湧いてきた。上半身を起こし、左手のひらに右の拳を強くぶつける。ミキホの感情の変化を感じ取ったマメオも、上体を起こし「けっ」とつぶやく。



「組長、桐山先生の話が本当なら、武里村はウチの生徒を出世の踏み台に使うつもりなんでしょうよ。組長の恋愛が前に進まないこと以上に、オレらを利用しようとしていることに、(はらわた)が煮えくりかえりそうです」


「あら、ミキホちゃん、恋してるの?」



 マメオの言葉に、桐山が反応した。ミキホは慌てふためきながら「いや違います!  黙れマメオ!」と誤魔化し、話題を元に戻す。



「私らのクラスメイトも武里村に投げられて保健室送りになりました」


「市川くんと野口さんね」


「何も悪いことはしていない。なのに暴力を振るう武里村には、腹が立ちます。柔道を制裁の手段に使っていることも……私、黙っていられませんよ」


「そうよねぇ。わかる、よ〜くわかるよ。校長、自分の家庭が上手くいかなかったからって生徒にまで恋愛禁止を強いるなんて、やり過ぎよねぇ」


「……ん? どういうことですか?」



 桐山に尋ねるミキホ。桐山は武里村が恋愛禁止という校則を設けた事情を知っていそうな口ぶりである。



「武里村校長って、高校時代の同級生と結婚したのよ。でも、三十歳以上若い女の子と不倫しちゃって、熟年離婚。アホだよねぇ。自分が高校の同級生だった奥さんに愛想尽かされたから、生徒にも恋愛させないなんて言い出したんじゃないかなぁ?」



 ミキホのこめかみに青筋が浮かんだ。桐山の言うとおりだとしたら、武里村の家庭事情に千人近い生徒が巻き込まれているということになる。学校を、生徒を私物のように扱う武里村に、怒りの感情が強まった。ミキホ自身の恋も、他の生徒の恋も、武里村の私情によって阻まれるのだとしたら堪らない。


 布団を握り、ぷるぷると震えるミキホの両手。その心境は、怒りを通り越して憤怒に達していた。


 ベッドから飛び降りるミキホ。



「マメオぉ、事務所に戻って、私の()()()()を持って来い」



 マメオは両目を大きく開き、ミキホのほうに体を向ける。



「組長、まさか()()を武里村に使う気ですか!? ヤツに腹が立つ気持ちはわかりますが……カタギですよ!?」


「安心しろ。殺しはしない。ちょっと脅かして、考え方を改めさせるだけだ」



−−−−−−−−−−



 月明かりと街灯のみが照らす夜道を抜け、自宅の玄関前にたどり着いた武里村。二階建ての一軒家で、鉄柵が閉じたガレージには白と黒のセダンが一台ずつ停められている。大金持ちの家とは言えないが、不況で賃金低下が進む昨今の社会情勢を踏まえると、充分に「勝ち組」と言える大きさの邸宅だ。


 玄関の鍵を開け、スーツのジャケットを脱ぎながら廊下とリビングを通り、自室に入る。そして入口のすぐ脇にある蛍光灯のスイッチを押す。十畳ほどの部屋を囲むよう四方に背の高い棚が立ち並び、その全てにアダルトDVDがぎゅうぎゅうに詰められていた。


 武里村は左手で赤いネクタイを外しながら、右手で棚からDVDを一つ引き抜く。パッケージには、高校生のコスプレをした女性が映っている。パッケージを眺め、「ふっふっふっ」と微笑んだ。



「恋愛も、結婚も、性行為もする必要などない。このスケベDVDさえあれば、全て擬似的に体験できる。それで充分なのだ、愚かな学生どもよ。貴様らもやがて知るだろう。恋愛の先に幸せがあるとは限らない。しかし勉強した結果だけは裏切らないと。現に私は国立大学に入学し、教員になり、校長にまで出世した。エリート中のエリートだ……『エリートのくせに、DVDを現物で買っている時代遅れ』とバカにするヤツもいるが、真のスケベDVDコレクターはデータではなく現物を購入するものなのだ」



 そうつぶやいた武里村は、DVDを持ったまま自室を出ようとした。そのとき、「ピンポーン」と、インターホンが鳴る。仕事終わりにお気に入りのDVDを見る至福の時間を邪魔され、不服そうに表情を歪めた。居留守を使おうとも考えたが、窓から室内の灯りが漏れ、外からでも在宅していることは明らか。


 武里村はDVDを棚に戻し、玄関へ向かう。そして扉を開けた。


 玄関前に立っていたのは、ミキホ。ブレザーに不釣り合いな黒いハチマキを頭に巻き、鈍く黒光りする無骨な機関銃(M60)を右脇に抱えている。機関銃からは7.62ミリ弾の弾帯が伸び、ミキホの上半身に絡みついている。



「こんばんは。お邪魔しますよ」



 ミキホは武里村をにらみながら挨拶し、土足のまま上がった。そしてドシドシと廊下を進む。「ちょっと! キミ!」と後ろから声をかける武里村だったが、すぐさま機関銃の銃声がかき消した。



「おおおおおぉぉぉぉぉあああああぁぁぁぁぁっ!」



 ミキホは機関銃を乱射。銃口から炎とともに発射された弾丸が、壁や天井を抉る。爆音におののいた武里村は、廊下で腰を抜かした。引き金を引いたままリビングへと進むミキホ。弾丸は電気スタンドや六十四インチの大型テレビ、ソファ、絵画などを次々に破壊する。跳弾が飛び交い、両耳を押さえてうずくまる武里村の目の前にも着弾した。


 ミキホは扉が開いていた武里村の自室へと侵入。そして再び、機関銃の引き金を引いた。武里村が長年かけた集めたコレクションが、無慈悲な弾丸によりただの残骸へと変わる。


 弾丸は室内の壁を貫通し、他の部屋にも及んでいた。武里村が必死こいて金を稼いで建てた「(マイホーム)」が、文字通り「蜂の巣」と化す。


 体に巻きついていた7.62ミリ弾を全て撃ち尽くしたミキホ。熱々になった機関銃を右肩に担ぎ、床に散らばる無数の薬莢(やっきょう)を踏みながら、廊下にいる武里村の元へと早足で戻る。



「恋愛禁止って厳しすぎるだろ」



 怯え震える武里村にそう言い放ち、ミキホは武里村の家を後にした。



−−−−−−−−−−



 ミキホが武里村宅を襲撃した翌日の放課後。二年H組の教室では、進路相談が行われていた。教室の真ん中あたりで、机を向かい合わせにして座る担任の皮崎(かわさき)と、男子生徒・市川。



「先生、まだ俺、進路決まってないんすよ。三年になってから考えるんで、今日の面談はもう終わりにしませんか?」



 笑顔で言う市川に、皮崎は「はぁ」とため息をつく。



「受験まで時間はありますが、ウチの高校は東大を目指す子もたくさんいます。彼らはすでに、進路についてしっかり考えているんですよ。市川くんも彼らを見習って、もう少し将来のことを考えたらどうでしょう?」


「考えてますって! 俺は今の彼女と結婚します!」


「そういう将来ではなくて、大学に進むとか、就職するとか、キャリアのことを言ってるんです」


「う〜ん……やっぱ思い浮かばないっす! だからこれ以上話しても無駄っすよ。もう行って良いっすか? 彼女が待ってるんで」


「まったくもう……わかりました。次の面談ではしっかりお話ができるよう、進路について考えておいてくださいね」


「はいは〜い」


「それと、お節介かもしれませんが、彼女さんとのお付き合いもほどほどにね。ほら、校長先生に見つかったらまた投げ飛ばされてしまいますから」


「心配する必要はない」



 皮崎と市川の会話に、男性の声が割って入った。声は皮崎の背後からした。振り向くと、そこに立っていたのは武里村。



「校長先生……」


「高校は恋愛をするための場所だ。勉強も部活も進学もどうだっていい。人生の伴侶を見つけるために通う。そうあるべきだ」



 武里村は、皮崎と市川の顔を水のように透き通った瞳で見つめながら、胸を張って言い切った。

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