恋が許されない①
登校後、体育館に集められた市目鯖高校の全生徒。前方にあるステージ近くから1年生、2年生、3年生の順でクラスごとに整列している。
2年生であるミキホは体育館の中程に並ぶ。各クラスの生徒は名簿順に並んでおり、姓が「浜栗」であるミキホの前は「爆弾魔」シゲミ。クラスに「は行」から始まる名前はミキホとシゲミのみのため、2人は前後に並ぶことになる。
背後からシゲミに抱きつき、振り向いたところにキッス。唇に舌をねじ込みたいという欲望に駆られるミキホ。しかし現在は全校集会の真っ最中で、衆人環視の状態である。そんな破廉恥なことなどできない。性的欲求を抑え、シゲミの体から微かに漂う火薬の匂いを嗅ぐことに留める。
警察犬のように鼻を鳴らすミキホの意識は完全にシゲミへ向いており、集会など意に介していない。しかし、とある言葉がミキホの意識を一瞬にして奪う。
「本日より、校内での恋愛は一切禁止とさせていただきます」
ステージ上の男性が言い放った。今日赴任してきたばかりの校長で、名前は武里村 トシヒサ。年齢は五十五歳とのことだが、きっちりと七対三に分けられた髪には白髪が見られず、シュッとしたスタイルにスーツがよく似合う。見た目からは実年齢を感じさせない。徹底的に若作りしていることがうかがえる。
しかし、ミキホにとって武里村の見た目などどうでも良いことだった。重要なのは「恋愛禁止」という発言。
「進学校として歴史のある市目鯖高校ですが、昨今は進学実績が芳しくありません。その背景には、生徒の皆さんが恋愛にうつつを抜かしていることがあると考えています。高校で恋愛をした相手との関係が一生続くとは限りません。ですが、学歴は生涯付きまといます。そのため皆さんには、恋愛なんかよりも学業を優先してほしいのです」
武里村は自信満々に付け加えた。
市目鯖高校は生徒の自主性を重んじた、自由な校風が特徴の一つ。服装も私服が認められ、恋愛についても制限はなかった。そんな自由を、武里村は破壊しようとしているのである。
これまでのミキホなら、恋愛を禁止されたところでどうってことなかった。しかし今は違う。シゲミとの恋愛を成就させる。そのために毎日投稿していると言っても過言ではないくらい、ミキホの中で恋愛の比重が大きくなっていた。「恋愛禁止」というルールは邪魔でしかない。
シゲミとのラブは、武里村の目を盗んで進める必要がある。そう感じる一方で、ミキホの心には余裕もあった。新校長・武里村は、市目鯖高校が浜栗組とズブズブの関係であることを知らないはず。もしミキホとシゲミの恋愛がバレて、破局だの反省文を書くだのという事態になったとしても、ミキホが恫喝すれば《《全てなかったこと》》にできる。
ほくそ笑むミキホ。だが、その余裕も、武里村の次の言葉によって打ち砕かれることになる。
「ちなみに私は元々体育の教員で、学生時代から現在までずっと柔道を続けてきました。段位は七段で、オリンピックの強化選手に選ばれたこともあります。校内での恋愛が発覚した場合、当事者は私が背負い投げし、三角締めで失神させますので、ご注意ください。冗談ではありませんよ。千人でも一万人でも、意識を飛ばしますからね」
ミキホの背筋に冷たいものが走った。武里村は柔道家、しかも達人と言って差し支えないレベルの使い手。ミキホ自身が、あるいは組員が武里村を恫喝しても、腕が立つのであれば屈しない可能性が高い。むしろ反撃される危険性がある。オリンピックの強化選手に選ばれたほどの柔道家に太刀打ちできる組員はいないだろう。ケンカ自慢のマメオでさえ、武里村には遠く及ばないはず。
厄介な障害が現れたと感じたミキホ。壇上の武里村をにらみつけ、下唇を強く噛んだ。
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武里村が集会で言ったことは、すべて真実だった。赴任初日から、一組のカップルが投げ飛ばされる事態に。
ミキホと同じ二年H組の市川 タカヒロと、野口 アイのカップル。学年の誰もが知るアツアツな二人で、教室でも廊下でも、お構いなしでイチャついているのを頻繁に目撃されている。
武里村の忠告を無視してイチャついていたのだろう。昇降口で投げ飛ばされ、意識を失って保健室送りになったそうだ。
市川・野口カップルの一件で、校内の緊張感が一気に高まった。現在進行形で恋愛をしている生徒も、将来の恋に思いを馳せている生徒も、考えを改め勉強に打ち込み始める。毎日全クラスに足を運び、生徒を監視する武里村の圧力の中では、恋愛の「れ」の字を口にすることさえ許されなかった。
二年H組にやってきた武里村を、教室最後尾の席に座りながら眺めるミキホ。右隣の席からマメオが、小さな声でミキホに語りかける。
「組長、校長を野放しにしておくんですか? このままじゃ、シゲミとの距離が縮まりませんよ?」
「だがヤツは柔道七段の達人だ。迂闊に手出しできない。三段とか四段の人はたまにいるが、七段はヤバイ。柔道の技術的にはカンストしていて、極みに達しているだろう」
「でも、五十超えたオッサンですよ? 全盛期はとっくに過ぎてるはずです。たぶんオレならボコせますって。組長が許可してくれりゃ、今すぐにでもやりに行きますが」
「やめておけ。お前、足の怪我が治ってないだろ? それに感電死しかけて、体は万全じゃないはずだ」
「まぁそうですが……わかりました。けど、武里村が組長に突っかかってきたら、オレも黙っちゃいませんよ」
「ありがたいが、むやみに舎弟を死にに行かせるわけにはいかねぇ。私にも考えがある」
ミキホは机の中から、A4の紙の束を取り出した。左上をホッチキスで留められ、それぞれの紙は鉛筆でコマ割りされている。紙の束をめくりながら「ははは」と笑うミキホを、マメオが不思議そうに見つめた。
「組長、なんすかそれ?」
「私が自作した、シゲミと私のGL漫画だ。これで武里村に隠れながら、擬似的にシゲミとの恋愛を楽しむ。このページは、初夜を迎えるシーンだ」
紙をのぞき込むマメオ。お世辞にも上手いとは言えない線がガタガタの棒人間と吹き出しが書いてあるだけで、どんなキャラクターがどのような場所で会話しているのか、全く判別できない。
「その……どれが組長でどれがシゲミなんですか?」
「後ろに立ってるのが私。四つん這いになっているのがシゲミ」
「……なるほど。あえて他人には理解できないよう描くことで、武里村にもバレにくくしているわけですか。さすが組長だ」
「そのとおり。GL漫画を読むことは恋愛じゃない。が、お堅そうな武里村のことだ。こういうのも禁止してくるに違いない。だから念には念を入れて、いくらでも言い訳できる画力に落としてあるってわけさ」
「ほう。つまりそのド下手くそな漫画は、キミなりの恋愛というわけか」
ミキホとマメオの背後に、武里村が立っていた。そして後ろから漫画を眺める。ミキホの作戦は全て武里村に悟られてしまった。
「学校は勉強をする場所だ。漫画を読むなら恋愛ものではなく、進研ゼミについてくる漫画を読みなさい。さて、浜栗 ミキホくん。キミが言ったとおりGL漫画を読むのは恋愛行為ではない。が、恋愛を誘発する行為ではある。つまり校則を違反したことに等しい。背負い投げさせてもらうよ」
武里村の言葉の直後、マメオが椅子から立ち上がり、右手で胸ぐらを掴む。
「テメェ、意味不明な理屈並べやがってぇ! 組長に手を上げようってんならこのオレが」
「せいっ!!!」
脅迫の途中で武里村に背負い投げを決められるマメオ。背中から床に思い切り叩きつけられ、意識を失う。
「マメオぉぉぉっ!」
「せぇいっ!!!」
卒倒したマメオに駆け寄ろうとしたミキホだが、その右腕が武里村に取られ、マメオと同じように投げ飛ばされる。一瞬、天井の蛍光灯が見え、視界が真っ暗になった。