恋敵がまともじゃない
ミキホは教室の自席に座り、毎朝の日課となりつつある、シゲミの観察に耽る。シゲミは、一見すると地味で根暗な高校生。しかし、その本性は凄腕の殺し屋。ミキホが感じた違和感の正体に合点がいったと同時に、二面性を持つという共通の境遇を知ったことで、今まで以上に彼女に惹かれていた。
シゲミもミキホと同じような苦労を感じながら生きてきたことだろう。 同じベッドに入りながら「二面性あるある」を夜通し語り合いたいという気持ちが強くなる。
さらに「殺し屋」という職業は、ミキホの本職である「ヤクザ」と親和性が高い。浜栗組にとって厄介な人物の暗殺をミキホが指示し、シゲミが実行する。恋人としても、ビジネスパートナーとしても密に付き合っていく。ミキホの頭の中は、こんな妄想でいっぱいになっていた。
チャイムが鳴ると同時に、H組の担任教師・皮崎が入室。細身で長身、黒い髪をポニーテールにした、おとなしいタイプの女性教師だ。今年赴任してきたばかりで、ミキホと接点はほとんどない。市目鯖高校の教師には全員「挨拶」をしてきたミキホ、近いうちに皮崎にも挨拶しなければと考えていた。
そんな新任教師が、これまた新顔の男子生徒を連れてきた。転入生で、名前は一藻 ツカサ。百七十センチを超えているであろう皮崎よりも拳一つ分は背が高く、足はキリンのように長い。軽くパーマを当てた茶髪、大きな瞳にスッと通った鼻筋、薄い唇。いわゆる「イケメン」の部類だ。教室に入ってきた瞬間から、女子生徒たちがざわめき出している。
「一藻くんは、これから皆さんと一緒に授業を受けることになります。では、何か一言お願いします」
皮崎の言葉に続いて、一藻 ツカサは笑顔でハキハキと喋り出す。
「皆さんどうぞよろしくお願いします……って、同級生なんだからタメ口で良いよね? どうぞよろしく! 卒業までに素敵な彼女を作ることが俺の目標! 女子はどんどん声かけてねー!」
ツカサの言葉を受け、生徒たちの多くが、「明るくて元気」という印象を持った。やや馴れ馴れしくはあったが、これくらい尖った挨拶をしたほうが、初めての空間には馴染みやすい。現に教室の至るところで生徒たちが、「面白そうな転入生が来た」とヒソヒソ話を始め、ツカサを受け入れようとしている。
ミキホがツカサに抱いた印象も悪いものではなかった。というのは、ほんの一瞬だけ。次に彼が発した言葉により、ミキホはツカサを「敵」と認識するようになる。
「特にキミみたいな子が俺のどストライク! 後で連絡先、教えてちょうだいね!」
そう口にし、目の前の席に座るシゲミを指さすツカサ。シゲミは無表情で、イエスともノーとも答えない。代わりに後方で、ミキホが怒りのあまり目を血走らせ、視線だけで「ノー」と伝えようとしていた。
−−−−−−−−−−
休み時間になるたび、ツカサは自分の席を立ってシゲミのところへ行き、話しかける。シゲミと話そうとすると緊張で声すら出なくなってしまうミキホにとって、その行動はうらやましいというより妬ましく思えた。「新参者が気安くシゲミに近寄りやがって」と、ミキホの心の中で、怒りのマグマがグツグツと煮えたぎる。
一方、女子生徒の中には「ツカサくんのイチモツを切り落としてコレクションにしたい」とまで言い放つ者もいる。それほど強い愛を向けられているにも関わらず、無視してシゲミを口説き落とそうとするツカサは、ミキホにとって害悪そのもの。排除しなければならない恋敵としてロックオンした。
「爆弾魔 シゲミちゃん、彼氏いるの?」
ミキホがシゲミに聞きたいことを、ずけずけと質問するツカサ。ミキホは耳をダンボにして、二人の会話を鼓膜で捉えようとする。しかし、シゲミはまるで相手にしていない。「答える義理はないわ」と、すべてはねのけた。
シゲミのヒミツを知るチャンスを逃したように思えたミキホだが、それ以上に安心感が勝った。ツカサというチャラ男は、シゲミの眼中にない。いくらアタックしようとも、シゲミの牙城を崩すまでに至らない、と。
常人ならとっくに心が折れているであろうシゲミの冷たい態度を受けても、ツカサは質問を止めない。
「異性じゃなくて同性が好きとか?」
「キスはしたことある?」
「毒蜘蛛と毒蛇、どっちとキスしたい?」
しょうもない質問も含まれていた。シゲミは一切表情に出さないが、心底迷惑がっているだろう。そう思い、脳の血管がブチ切れそうになるミキホ。いや、シゲミの感情よりも、自分を差し置いて繰り返しシゲミに話しかける新参者に対し、無性に腹が立った。
そしてミキホは知っている。ツカサのようなタイプは頭や心で物事を考えていない。どれだけ傷つけられても、精巣がある限り動き続けるということを。
今日中にツカサを排除しなければ、精神衛生上良くない。ミキホは早速行動を開始することにした。
−−−−−−−−−−
校舎裏にある花壇の前で、三メートルほどの間隔を空けて対峙するミキホとツカサ。チャラチャラとシゲミをナンパするツカサに喝を入れ、二度と彼女に近寄らせないようにするべく、放課後にミキホが呼び出したのだ。
シゲミを校舎裏に呼び出すことは気が引けてできないが、ツカサを呼び出すことは難なくできた。
シマウマを狙うライオンのごとき目つきでツカサを睨むミキホ。殺気を放つ同級生を前に、ツカサは余裕そうに「ふぅ」と息を吐く。
「浜栗 ミキホちゃん……だよね? 俺に何の用? もしかして告白? 朝の挨拶で言ったけど、俺はシゲミちゃんがタイプなんだよね。でも女子からのお誘いは断らない主義だから、シゲミちゃんとの二股を了承してくれるなら、キミとも付き合ってあげるよ」
「お前みたいな、すけこましに興味はない。私が言いたいのは、『爆弾魔 シゲミに話しかけるな』ということ。いや、アイツに近寄るな。学校にも来るな。今すぐ自主退学しろ」
「はぁ? んなこと無理に決まってんじゃん。それに、シゲミちゃんに話しかけて何が悪いわけ? クラスメイトなんだから、話すのなんて当然じゃん。 まぁ、シゲミちゃんはまともに相手してくれないけどね」
「シゲミはテメェの尻軽っぷりを見抜いて相手にしねぇんだろうな。いい気味だぜ」
ツカサはややうつむき、上目遣いでミキホの顔を見据える。
「……売り言葉に買い言葉じゃないけどさ、正直、相手にされなくても構わないんだよね。俺は犯せれば満足だから」
口元を緩ませるツカサ。その瞳からは、朝の挨拶で見せたような明朗さが感じられない。暗く沈んだ瞳へと変わっていた。浜栗組の組員にも何人か同じ目をしている者がいる。犯罪に手を染めた者ならではの瞳。
「経験でわかるんだよ。シゲミちゃんみたいな子は、力尽くでヤれる。で、『誰にも言うな』って脅せば、本当に誰にも言わないんだ。健気だよねぇ。そういう子を犯すのが、たまらなく好きなんだ」
ミキホの脳裏に「腐れ外道」という言葉がよぎった。ツカサを睨む両目に、さらに力が入る。
「テメェ……その口ぶり、女を強引に犯したのは一度や二度じゃねぇな。強姦魔か」
「まぁね。前の学校は、同級生を七人レイプしたのがバレて退学になっちゃったんだ。でも俺の親父、官僚だからさ。いろいろなツテを使って、警察沙汰にはならないよう揉み消してくれた。たぶん今回も、なかったことにしてくれると思うんだよね」
「……お前の言う今回のターゲットが、シゲミってわけか?」
「そう。けど、まだ確定じゃない。他にリスクが低そうな子がいれば、そっちに切り替えるかもしれない」
ミキホはブレザーのジャケットの左ポケットからバタフライナイフを取り出して、切っ先をツカサの顔面に向ける。
「私の認識は甘かった……お前を恋のライバルだと思っていたが、そんな高尚なものじゃねぇ。すぐにでも消し去るべきゴミクズだ。シゲミだけでなく、市目鯖の女子生徒全員を守るためにも」
ナイフを見たツカサは両手を高く上げ、降参の意思を示す。しかしその顔は不適に微笑んだまま。
「恋のライバルって……キミもシゲミちゃんを狙ってたの? なら俺みたいにもっとグイグイ行けば良いのに」
「うるせぇ。私には私のやり方があんだよ。少なくとも、テメェなんかを参考にするつもりはない」
ミキホの持つナイフの刃が、夕日を反射する。一方で、ツカサの顔には校舎の影が差した。
「そんな危ない物、学校に持って来ちゃダメじゃないか。キミも俺と同じ犯罪者のようだね……ならば犯罪者同士、お互いのやっていることに目をつむろうよ。それに、キミは俺のターゲットじゃない。たしかに顔は可愛いけど、気が強そうで手に余りそうだ。だから何もしないよ。安心して学校生活を楽しんでくれたまえ」
ツカサはそう口にして、薄ら笑いを浮かべる。ここまでずっと真剣な表情を崩さなかったミキホ。二人の表情の差は、相容れないことを示しているようだった。だが、ツカサの提案を聞いたミキホは、「くくくくく」と笑い始める。
「……1つ、お前は勘違いしていることがある。いや、理解していないこと、と言うべきか」
「ん?」
「お前が目の前にしているのは、ただの高校生じゃない。お前は私に、対等な立場で交渉を仕掛けることなんかできねぇんだよ。できることと言えば、ただ怯えて、命乞いすることくらいだ」
「……どういうこと?」
「私は指定暴力団・浜栗組の組長。ヤクザの活動には治安維持が含まれる。特に、警察や司法が機能しない人物を外法で裁き、社会から排除できるのはヤクザだけだ」
「一体何を言って」
「テメェの悪行が表沙汰にならないってんなら、何かやらかす前に私が裁く。この市目鯖高校では、私がルールだ。まぁ、テメェのようなゴミ野郎を掃除することに関しちゃ、この学校以外の場でも誰も口出ししないだろうがな」
ミキホはナイフを両手で握り、ツカサに向かって突っ込む。「や、やめろ!」と動揺するツカサの下腹部にナイフが深々と突き刺さった。
−−−−−−−−−−
翌日の二年H組の教室では、ツカサを除く全生徒が登校し、一時限目の授業を受けた。転校翌日に無断で欠席したツカサに何かあったのではないかと、女子生徒たちが身を案じる。
「大丈夫かな、ツカサくん? もし交通事故にでも遭って死んじゃってたら、死体からイチモツだけ切り取って保管したい」
「ヤバいよその思考」
ツカサの席の周りに集まって会話する女子生徒数名。そこにミキホが現れ、女性生徒たちをかき分けると、ツカサの机の上に黒いビニール袋を置いた。
「開けてみ」
ミキホが口にする。いぶかしげな表情を浮かべながら、女子生徒の一人が袋の口を開けた。中に入っていたのは、凝固して黒くなった血が付着した、陰茎一本と玉袋が二つ。
「欲しかったんだろ? やるよ」
教室に「きぃやぁぁぁぁっ!」という甲高い絶叫が響いた。