迂闊に近づけない
登校し、校門前で合流したミキホとマメオ。校舎裏に行き、防災備蓄倉庫にもたれかかった。マメオの顔には、頭頂部から顎を囲うように、そして鼻から後頭部を囲うように包帯が巻かれている。十字に走る包帯は、さながら地球儀の緯線と経線だ。
マメオの怪我は、先日シゲミにボコボコにされて負ったものである。
「怪我はもう良いのか?」
「ええ。歩けるくらいには回復しました。けど、万全な状態からはほど遠いっすね。鼻の骨に奥歯が三本、肋骨が四本折れたままなんで」
ミキホの問いかけにマメオは笑顔で答える。そしてスーツの胸ポケットから紙タバコを一本取り出し、咥えて、百円ライターで火をつけた。「養生しろよ」とミキホは言い、続ける。
「蟹沢の調査が確かなら、シゲミはプロの殺し屋だ。しかも凄腕。お前が一方的にボコられたことを考えると、信憑性は高い」
「正直、俺がケンカで負けるとは思いませんでしたよ……しかし、あれほど腕が立つってのに、普段のシゲミはなぜポンコツなんすかね? 炭酸が顔にかかったり、ウサギに蹴られて気絶したり」
マメオの疑念に対し、ミキホは右手で顎を押さえながら、自分の仮説を口にする。
「もしかしたらシゲミは、遠くから観察していることに気づいて、わざと隙を作ったんじゃないか? 隙を作って監視者を誘き出し、危険人物なら排除する……そのための罠に、私たちはまんまと引っかかった」
「……考え過ぎじゃないっすかね? 単にシゲミは俺と同類ってだけかもしれませんよ。俺、ケンカなら自信ありますけど、他のことはてんでダメっすからね。シゲミも殺しが絡むことなら抜群の才能を発揮しますが、他はダメダメのポンコツなのかも」
「いや、違うと思うね。シゲミはかなり成績が良いと聞いたことがある。進学校の市目鯖で好成績をマークできるくらいには頭が切れるってことだ。なら、ポンコツっぷりはすべて計算だと考えるべきじゃねぇか?」
「そうっすかねぇ……? まぁ真相を確かめるなら、本人に聞くのが一番手っ取り早いっすけど」
顔を上に向け、タバコの煙を吐くマメオ。ミキホは顔を赤らめながら語気を強める。
「無理だ! 私はシゲミと話そうとすると上手く言葉が出なくて」
「わかってますよ。好きな人に向き合うと緊張しますよね。だから組長じゃなくて、俺がシゲミにそれとなく聞けば良いんす」
「……私としては助かるが、お前は平気なのか? シゲミはお前をボコったんだぞ? 恐怖心はないのか?」
「ありません。一回ボコられたくらいでビビってちゃ、極道なんて勤まりませんから」
「マメオ……お前本当に馬鹿なんだな」
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ミキホとマメオは校舎に入り、階段で三階まで上がる。廊下を歩き、二年H組の教室に到着。後ろ側の扉から頭を出し、中を覗いた。教卓の目の前の席、いつものようにシゲミが一人で座り、本を読んでいる。
マメオが「んじゃ、聞きに行きます」と言い。教室に足を踏み入れた。「気をつけろよ」と念を押すミキホ。
ズボンのポケットに両手を入れ、がに股で肩を揺らしながら歩くマメオ。その姿は、チンピラそのもの。周りにいる生徒たちは、関わらないようマメオから視線を背ける。
一歩一歩、マメオがシゲミに近寄る。シゲミの席まであと二歩というところで、ガシャンという金属音が教室に響いた。立て続けにマメオが「がぁぁぁぁっ!」と叫び、転倒する。異変に気づいたミキホはマメオを注視。その右足首に、トラバサミが深々と刺さっていた。
床でのたうち回るマメオを見下ろし、薄く笑みを浮かべるシゲミ。そして椅子から立ち上がり、ジャンプしてマメオを飛び越えると、前側の扉から教室の外へ出て行った。
「マメオぉぉぉぉぉぉぉっ!」
ミキホがマメオに駆け寄り、トラバサミを外そうとする。しかし、トラバサミの挟む力は想像していた以上に強い。ミキホは力負けして、外れかけていたトラバサミが再びガシャンと閉じた。その勢いでマメオの足首が完全に切断される。
「組長ぉぉぉっ! 足がぁっ! 俺の足がぁぁぁっ!」
絶叫するマメオの口にハンカチを突っ込んで黙らせるミキホ。マメオの右腕を自身の首の後ろに回し、立ち上がらせる。
「すぐ保健室へ連れて行く! 我慢しろ!」
ミキホは床に落ちたマメオの足を拾おうとするが、ひとりでにビクビクと動いている様子に強い嫌悪感を覚えた。そこで拾い上げるのはやめにして、サッカーボールのように蹴りながら、マメオとともに保健室まで運ぶことにした。
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昼休みになり、ミキホは校舎裏の防災備蓄倉庫に向かう。一足先にマメオが来ており、ヤンキー座りをしながらタバコを吸っていた。
「足は大丈夫なのか?」
問いかけるミキホに、ズボンの裾をめくって右足首を見せるマメオ。足首をぐるっと一周するように透明なガーゼが貼られ、ぼんやりと傷口が見えた。
「保険の先生じゃどうしようもなかったので、家庭科の先生に縫合してもらいました。さすが、長年裁縫を教えてるだけありますね。皮膚、筋肉、骨、神経をほぼ百パーセントつなぎ合わせてくれましたよ」
「家庭科の先生にしておくには惜しい逸材だな。今すぐ外科医に転職したほうがいい」
マメオの左隣でしゃがむミキホ。購買部で買った焼きそばパンのラップを開け、頬張る。
「やっぱりシゲミは罠を仕掛けている。殺し屋という職業柄、いつ誰から報復されるかわからない。だから身を守るための罠をあらゆる場所に仕掛けているんだ」
「俺もさっきので確信しました。アイツの正体は殺し屋です。悶える俺を見て、『思い通りに獲物が罠にかかった』と言わんばかりに、ほくそ笑んでやがりました。カタギの反応じゃねぇ。人を何人も殺してなきゃできないリアクションです」
「しかも、ここ数日で私やマメオが接近したことで、警戒を強めている可能性が高い……私が教室で話しかけようとしたときは、トラバサミなんてなかったからな」
「近づくだけで命がけってわけっすか。でも、怪我したのが組長じゃなかったのは不幸中の幸いっすね」
タバコを根元まで吸い、吸い殻を携帯灰皿に入れるマメオ。ミキホも焼きそばパンを食べ終える。
「どうします、組長? シゲミと接触するのはリスクがデカい」
「たわけが。私が引き下がるとでも? むしろシゲミに、今まで以上に惹かれている。あの警戒心、敵をドンピシャで罠にかける戦闘センス……恋人としてだけでなく、組員としても私の側に置いておきたい」
「さすがは組長だ。なら、もういっちょシゲミに近づいてみますか。もちろんやるのは俺ですよ」
「……大丈夫か? 次は命がないかもしれないぞ?」
「組長に死なれるくらいなら、俺が喜んで死にますよ」
「ふんっ、生意気言いやがって。一蓮托生だ。お前が死ぬようなことがあれば、私も一緒に死んでやる」
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この日の授業がすべて終わり、荷物をまとめて席を立つシゲミ。教室を出て、階段を四階へと上がる。その後ろを、十メートルほど離れて追いかけるミキホとマメオ。
四階にたどり着いたシゲミは、廊下の突き当たりにある化学実験室に入り、扉を閉めた。数秒遅れて、ミキホとマメオが化学実験室の入口の前に立つ。扉を少しだけ開けて中を覗き見ようと考えたミキホ。扉の取っ手に手を伸ばすが、マメオが制止した。自分が代わりに開けるという合図だ。
マメオが右手で取っ手を握る。その直後、大きな体がピンと真っ直ぐ伸び、痙攣し始めた。白目を剥き、体中の肉が焦げて黒い煙が上がる。
「マメオぉぉぉぉぉぉぉっ!」
ミキホは直感する。扉に高圧電流が流れる罠が仕掛けられており、触れたマメオは感電したのだと。マメオの左脇腹に回し蹴りを見舞う。その勢いで、マメオは扉から手を離し、廊下をゴロゴロと転がった。
ミキホがマメオに駆け寄って肩を揺さぶるが、意識がない。胸に左耳を当てた。心臓が不規則に拍動している。マメオを仰向けにして、心臓マッサージと人工呼吸を始めるミキホ。
二人の唇が触れ合う。マメオの息は、タバコのフレーバーがした。
化学実験室の扉がゆっくりと開き、隙間からシゲミが顔を覗かせる。気絶するマメオと、救命措置を行うミキホを見て小さく笑うと、扉をピシャリと閉めた。