素直におしゃべりできない
昼休み。市目鯖高校の屋上でミキホは、風に金髪をなびかせながら一人、電話をかける。スマートフォンの向こうで「はい」と応えたのは、浜栗組若頭の蟹沢。
「爆弾魔 シゲミについて調べるようお前に言ってから3日経ったが、進捗はどうだ?」
「今のところ、わかったのは出身中学くらいですね。学校に聞けばわかるような情報です」
「お前の闇のネットワークを使っても得体が知れないってわけか……何者なんだ、爆弾魔 シゲミ」
ミキホは屋上を囲う金網の外に視線を向ける。校舎はコの字型で、ミキホがいる場所の対岸に二年H組の教室があり、自席で読書をしているシゲミが見えた。背筋がピンと伸び、本を読むため顎を引いているのに二重顎ができていない。完璧と言って差し支えない読書姿勢だ。やはり目が奪われてしまう。
ミキホはシゲミに背を向けるように、金網にもたれかかった。そして蟹沢との通話を続ける。
「引き続きシゲミを洗え。どんな些細な情報でも、わかったら共有しろ。……最近、ヤツのことが気になって、夜も眠れなくなってきている。このままだと昼夜逆転して、授業に支障が出ちまうからな」
「承知しました。ですが、なぜそこまで彼女にこだわるんです? ……まさか、シゲミを拉致ってポルノ映像を撮影しようとしてるんじゃ? ダメですよ。ドンゾウ組長の時から、ウチはグレーな実店舗運営と殺しの代行以外で稼がないってルールがあるんですから」
「たわけが! そんなことするわけねぇだろ! ただ単に、同級生がどんなヤツなのか知りたいだけだ」
「なら、組長が自分で本人に聞いたらどうです? クラスメイトなんでしょ? いちいち俺が調べなくても、直接シゲミに聞けば済む話じゃないですか」
口を半開きにして沈黙するミキホ。蟹沢に指摘され、初めて自覚した。彼の言うとおり、ミキホとシゲミは同級生。一日の大半を同じ教室で過ごしており、いつでも話しかけられる。蟹沢よりミキホのほうが、彼女のことを知るチャンスははるかに多い。
これまでミキホとシゲミは教室で会話をしたことはないが、だからといって「今後一切話しかけてはいけない」なんて決まりもない。シゲミに近寄り、「よぉ」とか「やぁ」とか挨拶をして、話しかければ良いだけ。話題だって何でも良い。天気のこと、授業のこと、家でどんなことをしているのか、好きな食べ物は何か、ムカデとゲジゲジならどちらとキスするか……何一つ難しいことはない。
ミキホは蟹沢に「さすがお前だ」と言い、通話を終えた。昼休みが終わるまで、残り十五分。それまでに教室へ戻り、シゲミに話しかける。「まずは好きな食べ物のことを聞こう」と決意したミキホは、校舎内へ戻った。
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教室の前側の扉を開け、H組に入るミキホ。自分の教室だというのに、扉を開ける寸前、妙に緊張した。まるで友達の家のインターホンを押したら、ドアホンから「入っていいよ」とだけ言われたときのような感覚。友達の許可を得たが、人の家の扉を勝手に開けて中に入るのは、泥棒になったようで罪悪感がある。そんな感覚だった。
一瞬弱気になったミキホだが、思い直る。仮にも自分はヤクザの組長。同級生に話しかけることくらいで臆してどうする、と。他所の組にカチコミをかけに行くときのほうがよほど緊張する、と。
ミキホは肺の中に入っていた空気を、不安と一緒にすべて吐き出す。再び大きく息を吸い、シゲミに近寄った。シゲミは相変わらず静かに、それでいて美しく読書をしている。
張り裂けそうなほど高まる、ミキホの心臓の音。あのときと同じだった。シゲミに助けられたあのときと。
目を血走らせ、「はぁ、はぁ」と粗く呼吸する変態じみた同級生に気づくシゲミ。読んでいたスティーブン・キングの『MISERY』を閉じ、ミキホに顔を向けると、「何?」と短く尋ねた。
喉の奥を震わせ、ミキホは声を絞り出す。「おっ、おっ……おっ」、ここまで出たが、その先が続かない。拳銃の弾詰まりのように、言葉が詰まる。
「お?」
シゲミがオウム返しをする。初めて言葉を発した赤ん坊に、続きをせがむ親のようだ。好きな食べ物を聞き出す。そんな簡単なことができない。シゲミの、獲物を狙うピューマのように鋭い目で見られると、できない。先日、三年B組で会ったときは難なく会話できたのに、今はできない。
「おっ、おっ、おっ……おっ」
繰り返すミキホ。その先の言葉を口の外に出さなければ、シゲミに話しかけた勇気が無駄になってしまう。改めて自分を鼓舞するため、両手でスカートの上から尻をパンッパンッと二回叩いた。競走馬をイメージしながら。
「おでん食べたことある?」
これが、ミキホの口から出た言葉だった。数秒硬直するシゲミ。そして「ぷっ」と小さく噴き出す。
「もしかして、『おでんの具で何が好き』って聞きたかったんじゃないの?」
シゲミの発言はごもっとも。ダーツで例えるなら、的の中心のブルに三回連続で刺さったくらい適切な言葉。
口ごもるミキホに向かって、シゲミはさらに追い討ちをかける。
「ミキホちゃんって、いつも怖い顔してるけど案外かわいいのね」
ミキホの顔は真っ赤になった。頸動脈を切って噴き出す鮮血よりも赤い。今まで築き上げてきた「ヤクザの組長としてのブランド」を剥がされ、素っ裸にされた気分になった。無言で、足早に、シゲミから離れる。
ミキホの背中を目で追ったシゲミだが、すぐに本を開き、読書の続きを始めた。
教室後方の自席に、大きな音を立てて座るミキホ。そして机に顔を突っ伏す。ミキホが頭の中で練っていたプランは、大失敗に終わった。「好きな食べ物なに?」という質問は、オープンクエスチョン過ぎてシゲミを困惑させてしまうかもしれない。だからもう少し絞って、「おでんの具で何が好き?」と聞こうと考えていた。ミキホなりのシゲミへの気遣い。しかし緊張のあまり「おでん食べたことある?」という意味不明なクローズドクエスチョンになってしまった。日本で十数年生きている人間なら、ほぼ百パーセントおでんを食べたことはあるだろう。わざわざ質問するようなことではない。
挙げ句の果てにシゲミから引き出せたのは冷笑と、「かわいい」という、ミキホが《《絶対に言われたくない恥ずかしい》》一言。「穴があったら入りたい」とはこのことかと痛感する。
「シ、シゲミと話しかけるのは初めてで、緊張しちまったんだ! どんな極道でも、初めての殺しってのは緊張して上手くいかないもんだろ? それと同じだ! 次こそ! 次こそ成功させる!」
真っ暗な空間で、ミキホが命乞いにも似た言い訳をする。その眉間が銃弾で撃ち抜かれた。正面から発砲したのは、灰色のボルサリーノハットとスーツに身を包み、ふかふかの革張りの椅子に座りながら葉巻を吸う、首領・ミキホ。
「ダセェ言い訳しやがって……しくじったヤツは即粛正。それが俺たちのルールだ……お前の代わりなんていくらでもいるんだぜ?」
首領・ミキホは、右手の親指と人差し指で葉巻をつまみ口から離すと、煙を大量に吐いた。直後、上から光が差し、首領・ミキホの背後が照らされる。ブレザーを着た大量のミキホが、うつろな目をしながら並んで立っていた。
「今回の反省を踏まえ、シゲミへの別のアプローチ方法を考えよう」
脳内で、「シゲミにおでんを食べたことがあるか尋ねたついさっきの自分」を消したミキホ。ヤクザ流の脳内会議をして、この日の昼休みは終わった。