抗争は避けられない⑥
死軍鶏組の組長だと名乗る目の前の男を、始末すべき対象だとみなすミキホ。背負ったM60機関銃を体の右脇に回し、両手で構える。銃口はその男、鮟西 ミナトに向いた。
「お前の目的はわかっている。実父である頬白会長への復讐。浜栗組の抹殺は、その手始めだろ?」
ミキホに本懐をズバリと当てられた鮟西だが、表情は変わることなく、薄ら笑いを浮かべ続ける。
「うん。そうだよ。すごくシンプルでしょ?」
「シンプルというか、世間知らずなガキの妄想って感じだな。仮に浜栗組を滅ぼせたとしても、鮮魚会には数千の構成員がいる。頬白会長に辿り着くことは不可能だ」
「その不可能を可能にするため、策を弄しているんだ。ガキの妄想とは全く違う」
ミキホの挑発的な言葉を受けても、鮟西は眉一つ動かさず言い返す。これ以上問答を続ける必要はないが、あまりにも余裕綽々な鮟西の様子は、ミキホの心を逆撫でする。彼女を、「どうしても言い負かしたい気分」にさせた。
「パパに構ってもらえないのが寂しくて皆殺しか。すでに親離れしてる私からすると、この上なく稚拙な行動だ」
「そうなんだよ。僕は極度のファザコンでね。どうしてもパパの気を引きたいんだ。そういうキミはパパもママもいないから、甘えられないんだよね? 僕を見てどう思う? 羨ましいかな?」
恥ずかしげもなく口にする鮟西。さらに、ミキホを煽り返す。こめかみに青筋を浮かべ、引き金に指をかけるミキホだが、銃口から弾丸が放たれる前に、隣のマメオが吠えた。
「テメェ! 黙って聞いてりゃ組長をコケにしやがって! 組長の手を煩わせるまでもねぇ! 俺が殺してやる!」
鮟西に向かって駆け出すマメオ。一気に距離を詰め、鮟西の左側頭部目掛けて上段蹴りを放つ。
「俺の蹴りはぁ! チタン合金の義足によって超絶強化されているぅ! 人間の頭なぞ簡単に粉砕にする斧だぁぁぁっ!」
マメオの口上どおり、その蹴りは空手の達人でさえ実現できないであろう速度で鮟西に襲いかかる。頭に直撃すれば確実に即死だ。しかし、鮟西は蹴りの軌道を見切り、軽く屈んでかわす。マメオの蹴りが空を切ったと同時に、鮟西は右手に握ったコンバットナイフを二回振った。機械化されたマメオの左右の足が、太ももの真ん中あたりで一瞬にして切断される。
「何ぃぃぃっ!?」
マメオは驚嘆の声を上げながら、その場に崩れ落ちる。義足のため痛みはないが、切れた両足では立つことができない。
「尊敬する組長が死ぬ様をそこで見ているがいい」
そう言い放つと、鮟西は悠然とマメオの横を通り抜ける。高速の蹴りをかわした身のこなしに、金属製の義足を切り裂くパワー。鮟西が常人ではないと察したミキホは、今すぐ始末するべく機関銃の引き金を思い切り引いた。銃口から弾丸が放たれ、薬莢が飛び散る。そして体に巻きついた弾帯から次の弾丸が装填される。ものの数秒で百発近い弾丸が鮟西に向かって飛んだ。しかし、すべて当たらない。否、鮟西はすべて避けた。体に掠りもしない。
引き金から指を離し、銃撃を止めるミキホ。
「なぜ当たらない……?」
ミキホの動揺は、戦闘における致命的な隙となった。が、鮟西はその隙を突いて反撃することなく、ただ語る。
「キミには、M60ほど大型の銃を扱えるような筋力が備わっていない。反動で狙いがズレている。身の丈に合わない豆鉄砲なんて、何発撃っても僕には当たらないよ。それに僕は、十二歳から十八歳までの六年間、中東の紛争地域で暮らしながら反政府組織の少年兵として戦いの経験を積んできた。銃弾をかわす技術も、その中で身につけた……まぁ、そんなことできるのは僕だけだったけどね」
「……お前の素性をいくら調べてもわからないわけだ。海外でテロリストに抱き込まれている子供の、個々の情報が世間に出回るとは思えない」
「日本にいれば、頬白に命を狙われる可能性があった。だから母は、僕を連れて海外に潜伏することを選んだ。もっと安全な国に行く選択肢もあったけど、紛争地域に行くことを望んだのは僕だ。将来、頬白とその部下どもを抹殺できるだけの力をつけるために」
「ヤクザから逃れ、復讐するために戦争の真っ只中に身を置くなんて……利口な選択とは思えないな」
「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ、だよ」
友人と話しているかのように軽い言葉遣いの鮟西だが、ミキホは言葉の節々に重みを感じていた。その原因は、命をかけた戦闘をいくつも潜り抜けてきた鮟西が纏う異様な気配だけではない。鮟西という怪物を生み出した頬白。彼が牛耳る鮮魚会に与してきた自分に対する責任感。それこそがミキホの背に重くのしかかっていた。鮟西を殺し、自分と頬白を守ることは是か非か。決意を固めたはずのミキホの心が揺れる。
ミキホの中に生まれた迷いが、これ以上の銃撃にブレーキをかけた。その様子から鮟西は、ミキホの心境を察する。
「僕に同情しているのかい? 情けをかけてくる敵を殺すと、気が滅入るからやめてくれないか? 少年兵として戦っていたときもそうだった。幼い僕を見ると、攻撃の手を止める敵兵士が大勢いた。そういう敵を殺すと、明日食べるご飯が美味しく感じなくなるんだよ。だから、戦意を保っていてくれないかな?」
鮟西の気持ちは、ミキホと酷似していた。互いに、殺す必要がある者同士ではない。無理にでも殺意を絞り出そうとしている。そうでなければ、こうして言葉を交わすことさえできていないであろう。
「……浜栗組との抗争を今すぐ止めるというのなら、頬白会長と面会する機会を作ってやる」
ミキホなりに探った、殺し合い以外の解決策。しかし、鮟西はミキホの提案を一蹴する。
「気遣いは無用だよ。すでに僕たちは、キミの部下をたくさん殺している。彼らはきっと、無念に感じながら死んでいったことだろう。そんな部下の気持ちを無視して、今更戦いをやめることがキミにできるのかい?」
鮟西の発言はもっともだった。ヤクザが最も重要視するのは自分のメンツ。そして浜栗組には「鮮魚会ナンバーワンの武闘派集団」というメンツがある。鮟西たち死軍鶏組による攻撃を受けておきながら浜栗組が牙を納めたとあらば、武闘派の名折れ。長きに渡って浜栗組のメンツを守り、命懸けで戦ってきた組員たちのプライドまで踏みにじることになる。ミキホには、選びたくても選べない選択肢だった。
ミキホの返答を待たず、鮟西が次の言葉を発する。
「それでも僕と戦いたくないと感じるなら、とっておきのことを教えよう。ミキホ、キミの両親の死について、真相を知りたくないか?」
「……真相だと? 両親は交通事故で死んだ。真相も何もない」
「うん。キミのパパとママは、薬物中毒者が運転する車に衝突されて死んだんだよね。でもそれが、事故ではなく故意の殺人だったとしたら?」
「……何を言っている?」
「薬中のチンピラにキミの両親を轢き殺させたのは、僕なんだよ」
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校舎四階、一年B組の教室の窓ガラスが爆炎とともに破砕する。シゲミが使った手榴弾の衝撃で床が崩落し、シゲミとクマムシは一階層下の二年B組へと落下した。
サバイバルナイフでの接近戦を仕掛けようとするクマムシに対し、シゲミは後退して距離を置きながら、手榴弾で迎撃。不死の体を持つクマムシは、手榴弾の爆発に怯むことなくシゲミに接近する。爆発が直撃すれば、クマムシといえど行動不能になるほどの大怪我を負うだろう。しかし直撃さえしなければ、戦い続けることができる。
手榴弾は爆発と同時に本体の破片が周囲に飛び散る。だが、破片が体に食い込んでもクマムシにとっては蚊に刺されたも同然。意に介さず攻撃を続ける。
数多の猛者と戦ってきたシゲミだが、爆撃を物ともしない敵との戦闘は初めてだった。不死身のクマムシ。彼の真の脅威は朽ちることなき肉体ではなく、あらゆる攻撃にも臆さない精神力だと悟る。
左肩のスクールバッグから、次の手榴弾を取り出そうとするシゲミ。しかし、すベて使い切り、中は空になっていた。その気づきが、反応をわずかに遅らせる。クマムシの振ったナイフが、シゲミの右腕を掠めた。ブレザーの肩口が切れ、鮮血が吹き出す。
シゲミはバック転を四回し、教室の扉を抜けて廊下へと避難した。攻撃手段を失った状態では、クマムシに対し逃げることしかできない。クマムシも百戦錬磨。戦況が自分に有利に傾いたことを即座に感じ取る。
「幻の女子高生殺し屋……鮟西が警戒するほどだから、相当な使い手だと思っていたが、この程度か」
ナイフの刃に付着した血を、長い舌で舐めるクマムシ。シゲミという獲物はすでに自身の舌の上にいて、いつでも丸呑みにできるということを仄めかす。
シゲミは「ちっ」と小さく舌打ちをした。手榴弾は手元になく、腕からは出血。このまま戦い続ければ、殺されることは明白だ。
「追い詰められるのは久しぶりだわ。元浜栗組最強の殺し屋・クマムシ。その肩書きは伊達じゃないみたいね」
「古臭い肩書きだ。『死軍鶏組最強の殺し屋』に書き換えといてくれ。まぁ、お前はここで死ぬから無意味なことだが」
ナイフを逆手に握り変えたクマムシは、シゲミとの距離を一気に狭めようとする。一方シゲミは、クマムシに背を向けて廊下を駆け出した。逃げるシゲミ。追うクマムシ。まるでネズミとネコの追いかけっこだ。
年齢による体力差もあって、走るスピードはシゲミのほうが上。クマムシとの距離が広がる。廊下を右に曲がり、クマムシを完全に撒こうとするシゲミ。互いに姿が見えなくなるが、追跡者の足音は確実にシゲミが走った後をたどり続けた。
「あまり動くと、出血がひどくなるぜぇ」
クマムシの声が廊下にこだまする。その言葉のとおり、シゲミの右腕の出血は止まらず、腕から指先を伝って廊下に滴った。それが道標となって、シゲミの行方をクマムシに示す。
血の道標は、二年H組の教室内へ点々と続いていた。クマムシは速度を緩め、足音を立てずに教室へ入る。シゲミは教室内に隠れて、奇襲しようとしている可能性が高い。奇襲を受けず、むしろ反撃の機会にしようとクマムシは企んだ。照明が消えた薄暗い教室を、ナイフを片手に徘徊する。だが、シゲミの姿は見当たらない。
「着いてきてくれて、どうもありがとう。その教室にアナタを招待したかったの」
クマムシの背後、教室の前側の入口からシゲミの声が響いた。振り向くクマムシ。その目でシゲミを捉える。
シゲミは右の袖を千切り、傷口に巻き付けて止血していた。血の道標をH組の教室内で止め、教室に身を潜めたと思い込ませるために。そして薄暗がりの中を移動。クマムシの後ろに回り込んでいた。
シゲミへと一直線に駆け寄るクマムシだったが、時すでに遅し。シゲミは左手に握った円筒形の小型デバイスのスイッチを押す。すべての机の裏側に張り付いていたC4プラスチック爆弾が一斉に起爆した。
爆風と煙が、教室内に吹き荒れる。さすがのクマムシも、教室を包むほどの爆発を避けることはできない。四肢と頭部が胴体から切り離され、肉体はバラバラになった。
爆煙が霧散したのを確認したシゲミが、廊下から教室に入る。そして、五つの部品に別れたクマムシの傍に立った。血溜まりの中で、クマムシはまだ息をしている。
「本当はマメオくんを仕留めるためのトラップだったけど、アナタに使ってあげたわ。すごくお金をかけた最高級の罠よ。誇っていいわ」
シゲミなりに賛辞を送るが、クマムシはそれをありがたく受け取れる状態ではない。死にはしないものの、体を動かすことはできず、呼吸するのが精一杯である。
「さすがは不死身の男。まだ生きられるのね……けど、死体処理の専門家を呼ばせてもらうわ。どこまで裁断すればアナタが死ぬのか、楽しみながら処理するでしょうね」
クマムシはこれまで、死に至ることのない肉体の利点を生かして様々な攻撃を受けてきた。その度に、多くの傷が体に刻まれた。しかし、不死身ゆえに敗北することはなかった。死も負けも知らない殺し屋。そんな自分に、今、「敗北」が刻まれた。体ではなく心に。
失望感からか、満足感からか、クマムシはゆっくりと瞼を閉じた。




