抗争は避けられない②
浜栗組事務所内の組長室。ミキホは椅子に腰掛けながら、タブレット端末に向かってタッチペンを走らせていた。死軍鶏組の襲撃に備えるべく、作戦を練っているのだ。
浜栗組が抱える百人近い組員に、プロの殺し屋であるシゲミ、アメリカ帰りの殺人鬼リオ the チェーンソー……これだけの手札が揃っていれば、死軍鶏組がどんな形で攻めてこようが問題なく迎撃できるように思える。しかし、死軍鶏組がどれほどの戦力を有しているかは未知数。敗北の可能性が一パーセントでもあるのなら、ミキホは決して油断しない。その可能性を潰すべく、策を弄する。
ミキホの集中を遮るように、組長室の扉が外から三回ノックされた。「入っていいぞ」と、外にいる者に声をかける。「失礼します」と言いながら、扉を開けて入ってきたのは若頭の蟹沢。蟹沢は部屋の奥へと進み、木製の机を挟んでミキホの正面に立った。
「組長、報告が三つあります。悪い報告と、良いとも悪いとも言えない報告と、どう評価したら良いのか全くわからない報告の三つです。どれから聞きますか?」
「なんじゃそりゃ。どれからでもいいわ」
「では、まず悪い報告から。ここ一週間でウチの組員が十三人殺害されています。間違いなく、死軍鶏組の連中によるものでしょう」
蟹沢の言葉を聞き、ミキホは下唇を強く噛む。
「早く食い止めねぇとマズいな……」
「ええ。殺戮はどんどん進むと思われます。しかしそれ以上に問題なのが、仲間が殺されたことに腹を立てて独自に報復しに行こうとしている若い衆が大勢いること。『むざむざと死にに行くようなものだからやめろ』と、俺から釘を刺していますが……いつまで言うことを聞かせられるかわかりません。組員たちの煮えたぎる激情は、今にも暴発しそうです」
「そうか。だが、私みたいな若造が偉そうに指示したところで、火に油を注ぐだけだろう」
「……正直に申し上げますが、組長は浜栗組のトップでありながら最年少。ヤクザになってまだ一年と、キャリアも浅い……組長を『経験不足の七光り』と舐めているヤツは少なくありません。ソイツらに組長が何か言ったとしても逆効果だと、俺も思います」
「だな。となると、やはりベテランである蟹沢、お前の力が必要だ。組員どもが余計なことをやらかさないよう、何とか抑え込んでくれ。死軍鶏組を抹殺する手筈は、私のほうで早急に整える」
蟹沢は「わかりました」と軽く頭を下げ、報告を続ける。
「次に、良いとも悪いとも言えない報告です。クマムシについて、二カ月前に刑務所内で撮影された顔写真を入手しました。整形なんかしてなけりゃ、今もほとんど変わらない見た目でしょう」
蟹沢はジャケットの内ポケットから取り出したスマートフォンを操作し、ミキホのスマートフォンにクマムシの画像を送った。ミキホの左ポケットでスマートフォンが画像を受信し、鳴動する。
「助かった。シゲミにクマムシの暗殺を依頼するのに顔写真が必要だった。あとはヤツの居場所さえわかれば……」
「それについても、情報を得ました。どうやらクマムシは死軍鶏組と合流した可能性が高い。死軍鶏組を名乗る輩に襲われて生きていた若ぇのがいるんですが、ソイツの言う、襲撃してきた男の特徴が写真のクマムシの外見と一致しています」
「そうだったのか……だとしたら、今後も私が餌になって死軍鶏組を市目鯖高校に誘き出し続ければ、クマムシのほうからやってくるかもな……シゲミに探させる手間が省ける。蟹沢、ナイスだ」
右手でサムズアップするミキホ。小さく口角を上げて応えた蟹沢は、最後の報告に移る。
「そして、どう評価したら良いのか全くわからない報告です。頬白会長の隠し子という鮟西 ミナトについても調べています。が、平成二十五年に大阪府内の小学校を卒業して以降の足取りが全く掴めていません。まるで幽霊のように存在が消えています」
「……お前の情報網をも潜り抜けるような生活をしてたってことか。只者じゃないな」
「はい。卒業時の写真は見つかりましたが、小学生のときのものです。現在の容姿は別物でしょう。俺が調べても、ここまで情報が見つからない人間は珍しい……シゲミと同じように何らかの力で過去のデータが抹消されているのか、あるいは海外に潜伏していたのか」
「どちらにせよ、鮟西はクマムシ以上に得体の知れない人物ってわけだな……たしかに、何かわかるようで何もわからない、どうとも評価できない報告だ」
蟹沢は背筋を伸ばし「以上です」と告げる。蟹沢が持ってきた情報を頭で整理しながら、ミキホは背もたれに上半身を預けた。
「クマムシと死軍鶏組を始末するとしたら、市目鯖高校が戦場になるだろうな……校長に連絡して、しばらく臨時休校にしてもらおう。一般の生徒を巻き込むわけにはいかねぇ。シゲミとリオは別だが」
「承知しました。その手配も、俺のほうで行なっておきます。シゲミとリオには」
「私から伝える」
蟹沢の言葉を引き継ぐように、ミキホが堂々と口にする。蟹沢は「よろしくお願いします」と続け、話題を切り替えた。
「組長が死軍鶏組を倒すためにどんな策を考えているのか、俺にはわかりません。どんな策を思いついたとしても、否定する気もありません。ですが、先ほど言っていた『組長自身を餌に死軍鶏組を誘き出す』ことについては、やや異論があります」
「……心配してくれるのか?」
「ええ。市目鯖高校には、組長が信頼する凄腕の同級生がいることは重々承知しています。しかし、死軍鶏組がいつどうやって攻撃してくるかわからない以上、同級生やマメオたちだけに組長を任せるのは不安です」
「そう言うと思ってたよ。だから学校を休みにしてもらうんだ。浜栗組の組員全員で、死軍鶏組を迎え打つ。市目鯖高校でな。普通に授業をやっている日に筋者をゾロゾロ引き連れて登校したら、生徒たちが混乱するだろ。そんな状況で死軍鶏組が攻めてこようものなら、戦いにくいったらありゃしない」
「組長……」
組員の顔を立てつつカタギには被害を出さない。ミキホの考えは、理想的なヤクザのトップそのもの。幼い頃から知っている少女が立派な組長になったのだと確信した蟹沢は、両目に涙を浮かべた。
蟹沢の涙にあえて言及せず、ミキホは自身の考えを口にし続ける。
「これまでに三人の殺し屋が私を襲撃して、全て撃退した。最初に私を殺そうとしたチンピラ、股間ガトリング男、リオが始末したヤツ……コイツらが全員、死軍鶏組の刺客だったとしたら、そろそろ『単独で殺し屋を差し向けても無駄だ』と判断する頃合いだろう。死軍鶏組の頭・鮟西 ミナトってヤツが底抜けのバカじゃなければだが」
「つまり、死軍鶏組の刺客が複数名で襲ってくる可能性が高いと?」
「ああ。もしかしたら組総出で襲撃してくるかもな。だが、敵の数が多ければ多いほど好都合。こちらの総力で、死軍鶏組を一気に潰せるチャンスだ。少なくとも、組織として維持できないほど壊滅的なダメージを与えることはできるだろうぜ」
「そうですか……シンプルながら素晴らしい策だ。すぐに学校と組員に連絡を入れます。組長はシゲミとリオに」
そう言い残し、蟹沢は組長室を後にした。部下の手前、シゲミとリオには自分から作戦を伝えると堂々と言ってしまったミキホ。リオには問題なく、心拍数を一切変化させることなく要件を伝えることができるだろう。だが、シゲミは別だ。もう一度彼女と対話する必要があると思うと、高揚感と不安感が混ざった不思議な感覚に支配された。
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蟹沢と会話をしてから六時間後、ミキホは市目鯖高校の屋上にいた。蟹沢の連絡はスムーズに進んだようで、明日から二週間、全学年休校が決定。生徒の大半が喜びの声を上げた。
一方ミキホはというと、リオに休校中も登校するよう伝えることはできた。具体的な作戦までは伝えていない。あの魔獣は好き勝手暴れさせたほうが役に立つと判断してのことである。あとはシゲミに伝えるのみ。
ミキホはある決断をしていた。それは、今回の作戦のことを、ミキホ自身の口でシゲミに伝えること。マメオの力を借りるのは、シゲミを屋上に呼び出してもらうまで。そこから先は、ミキホ一人でシゲミと向き合おうと考えてたのである。
シゲミと知り合って数カ月。かなりの時間が経ったが、彼女との関係性は何も進展していない。膠着した現状を、この機会に少しでも前に進めようと、ミキホは腹を括ったのだ。
校舎の中から屋上へ、シゲミが歩み出てきた。ミキホを見つけると、一直線に近寄る。激しく鼓動するミキホの心臓。全身の血流が加速する感覚が伝わってくるのに、体が硬直していくのがわかる。
シゲミは、ミキホから二メートルほど離れたところで立ち止まった。そして口を開く。
「マメオくんがまた絡んできたから、天井に仕掛けておいたマムシ七十匹を頭から振りかけてやったわ。毒で本当に死にそうだったから保健室に運んであげたら、『屋上で組長が待ってる』と言っていたけど……ミキホちゃん、クマムシって人の情報、手に入ったの? それとも、何か別の用?」
相変わらず抑揚のない声色で喋るシゲミ。全身から汗が吹き出し、今にも干上がりそうなミキホとは対極的だ。すぐにでもこの場から逃げ出したくなるミキホだが、マメオが命を張ってシゲミと対面する機会を作ってくれたのだ。無碍にするわけにはいかない。
つま先、膝、腰、指先、肘、肩、首……体を下のほうから少しずつ動かす。まるでプールに入る前に準備運動をするかのように。「口を動かす」という本番の運動をするために。
脳に浮かんだ言葉を喉に伝え、声帯を震わせ、歯と唇を開き、振動を空気へと伝達させる。
「ば、ばばばばば爆弾魔 シゲシゲシゲミぃぃぃ! お、お前に依頼……依頼していたクマムシの件だが……あ、あ、あ、あれは……アイツは探さなくて……探さなくて大丈夫ぅぅぅ! アイツは私を狙ってる死軍鶏組ってヤクザの……一味で……この学校にやってくるからぁぁぁぁぁぁ!」
「そう。なら良かったわ。楽できそう」
「でもぉぉぉクマムシがいつやってくるかは……わからないんだぁ! だからシゲ……シゲミにはぁぁぁ休校中も……登校してほしいぃぃぃぃぃぃ! 私が……お、お、囮になるからぁぁぁぁぁぁ!」
「わかった。囮作戦ね。自分が餌になるなんて勇気あるわね、ミキホちゃん」
シゲミに褒められたことで、喜びのあまり失禁しそうになるミキホだが、腹に力を入れてなんとか抑え込む。
「要件はそれだけ?」
シゲミは今にも会話を終わらせようとしている。クマムシを倒すために、シゲミにやってもらいたいことは伝えた。現時点でミキホがやるべことは全て果たした。だが、シゲミに本当に伝えたいことは、こんな作戦などではない。
「い、いや、もう一つあって……あの……えっと……えっと、あの、その、えっと、えっと、その、えっと、あの、そのあのえっと」
たった一言。「好き」という言葉が出てこない。クマムシ打倒の作戦を伝えることのほうがよっぽど難しいはずなのに、出てこない。これ以上、シゲミに深く入り込んでも良いものか。もし告白して断られたら、シゲミとの関係はそれで終わってしまうかもしれない。今のままなら、クマムシと死軍鶏組を始末した後も、薄いながらも関係を続けられるかもしれない。だが、次にシゲミと話す機会があるとは限らない。
進むか、立ち止まるか、揺れるミキホの心。ぐちゃぐちゃになる脳内。そんな不安定な感情が、ある一つの言葉を捻り出させる。
「シゲミ! 浜栗組に入ってくれ!」
ミキホにとっての妥協点。シゲミに深入りし過ぎず、それでいて離れない。そのために、浜栗組に入るよう提案することを選んだ。ミキホの父と母は元々、ヤクザの組長と殺し屋という関係だった。その二人が結ばれたのだから、ミキホとシゲミも、同じ組に身を置けば、結ばれる可能性がある。そう考えての選択だった。
ミキホの顔を見つめ、黙り込むシゲミ。四秒後、彼女の無表情が緩み、口角が小さく上がった。
「私、ヤクザになるつもりはないの。あと協調性がないから、組織の中で動くのは無理」
シゲミはキッパリと「却下」を突きつける。高い崖から渦巻く海に落とされた気分になったミキホは、肩を落として俯いた。「ダメだったか。攻め込みすぎた」と諦め、深く後悔する。しかし、シゲミの言葉はここで終わりではなかった。
「ヤクザになるつもりはない。けど、ミキホちゃんと一緒に仕事をするのは面白そうね」
後悔の渦に飲み込まれる寸前だったミキホの手を、シゲミが握り締め、上へ上へと引っ張り上げた。




