チェーンソーでグッナイ②
四時限目の授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。二年H組の生徒たちは、一斉に数学Bの教科書を机の中に仕舞い、代わりに弁当箱を取り出す。
教室のど真ん中の席に座るリオは、太くて長い骨に巻き付いた肉を噛みちぎり、口いっぱいに頬張り始めた。火は通っておらず、生のまま。鉄の匂いが、教室に充満する。周りの生徒たちは、リオから距離を置いた。それは、匂いゆえか、豪快な食事の圧迫感ゆえか。
誰もが近寄りがたく感じるリオの食事シーンを見ても、ミキホの心は微塵も揺るがない。自席から立ち上がり、一直線にリオへと向かった。そして背後から「おい、リオ the チェーンソー」と声をかける。リオは肉塊を貪りながら振り向いた。
「浜栗 ミキホ……久しぶりだな。日本に戻って最初の獲物は、テメーかもう一人、血の匂いを放ってるアイツにしようと思ってたところだぜ」
リオは顎で、教室の前方を指し示す。その先には、背を向けて本を読むシゲミの姿があった。何百、何千もの人間を手にかけてきたリオは、しっかりと同類の匂いを嗅ぎ分けている。リオの言葉を受けたミキホは、眉間に深いシワを寄せた。
「爆弾魔 シゲミには手を出させねぇよ」
「……シゲミっていうのか、アイツ……覚えたぜ。相当な上玉だ」
「だから手出しさせねぇって言ってんだろ。だが、お前みたいな暴れ馬が素直に言うことを聞くとも思えねぇ。そこで提案だ。お前にピッタリな獲物の情報を教えてやる。コイツらなら好きに料理して構わん」
「……どんなヤツらだ?」
「死軍鶏組ってヤクザだ。最近できたばかりの組だから、アメリカに行ってたお前は知らねぇだろ。日本各地から腕利きの殺し屋を集めているらしい。獲物として悪くねぇと思うが」
リオは咀嚼していた肉を飲み込み、「たしかに」と口にする。思惑どおり、リオが死軍鶏組に興味を示したことで、ミキホは小さく笑った。
「死軍鶏組の組員とお前を引き合わせてやる。後は好きにしろ」
「……それだけか? これは取引だろ? 何か条件があるんじゃないのか?」
「ない。強いて言うなら、おとなしく真面目に学校に通え。そうすりゃ、死軍鶏組のほうからやってくる」
「ミキホ、テメーのメリットは?」
「死軍鶏組が消えることだ」
了承の返事をする代わりに、ふんっと鼻を鳴らすリオ。取引成立とみなしたミキホは、自分の席へと戻り、椅子に腰掛けた。隣に座るマメオが、ミキホに顔を近づける。
「組長、どうでした?」
「上手くいくだろうよ」
「シゲミと違って、リオ the チェーンソーには気軽に話しかけられるんすね」
「アイツは獣みたいなもんだ。ほら、例えば犬ってよぉ、初対面でも頭撫でるのに抵抗感ねぇだろ? 人間には絶対できねぇが、犬にならできる。リオについては、犬と接する感覚に近い。コミュニケーションのハードルが凄まじく下がる」
「はぁ、そういうもんすか……ところで、どうやって死軍鶏組とリオを引き合わせるんです? 死軍鶏組がどこに潜んでるかわからないのに」
ミキホは深く椅子に座り、両腕を組んだ。
「蟹沢に言われたが、私が学校にいる間、近くにいる組員はマメオ、お前しかいない。つまり守りが手薄になる。死軍鶏組が私を狙うなら、絶好のチャンスだ。必ず攻めてくる……それを利用する。リオには真面目に学校に通うよう伝えた。私も休まず通い続ければ、攻めてきた死軍鶏組とリオがかち合う可能性は高い」
「ということは、組長自身が囮になると?」
「アホのお前にしては飲み込みが早いな」
「リスクが高ぇ……刺客が一人だけとは限らないんですよ?」
「仮に死軍鶏組が総出で来たとしても、リオがいるなら不安はねぇよ。アイツは敵になれば絶望的だが、味方になれば鬼のように頼もしい。相手が何万人でも地獄へ送るさ。それに、学校にはシゲミもいるんだ。浜栗組の事務所より、学校のほうが安全だとさえ思える」
自信満々に語るミキホを見て、マメオは不服そうに口をつぐむ。ミキホの言うことに納得しながらも、自身の力だけで組長を守れないことに不満を感じずにはいられない。
マメオの気持ちを察したのか、ミキホは「もちろんお前も頼りにしている」と付け加え、彼の右肩を軽く叩いた。一瞬にしてマメオの表情が綻ぶ。「ちょろいな」と思うミキホだった。
−−−−−−−−−−
夕日が沈み、教室の窓から見える景色が闇に染まる。二年H組にいるのは、ミキホとマメオのみ。一つの机を挟むように座り、トランプでポーカーに興じる。ミキホたちが遅くまで教室に残っている理由は、学校に滞在する時間を少しでも伸ばし、死軍鶏組の刺客を市目鯖高校に誘き寄せるため。
校舎の外では、ミキホを狙う男が柵を飛び越えてグラウンドに降り立った。肩まである長い髪にグレーのヘアバンド、白いシャツの上から紺色のオーバーオールを着た長身の男。死軍鶏組の殺し屋で、組員からは「キモロン毛」と呼ばれている。ポーカーに夢中の二人は、侵入者に気づいていない。
キモロン毛は校舎を眺めると、照明が点いている二年H組の教室を見つけた。
「夜の学校に忍び込むのって、高揚するよなぁ。肝試しとかやってよぉ。十年前、高校生の頃だったらもっと昂ったに違いない……まぁ、当時は友達が一人もいなかったから、忍び込む理由もメリットもなかったけど」
ブツブツと独り言をつぶやきながらグラウンドを歩くキモロン毛。その足が進む先に、一人の女子高生が立っていた。五メートルほどの間隔を空けて、互いに睨み合う。女子高生の手には、刃に月明かりを反射するチェーンソー。
「なんでチェーンソー持ったJKがいるんだよぉ……世紀末かここは?」
「アタシはリオ the チェーンソー。テメーが死軍鶏組の殺し屋か?」
「……あらま。俺らの情報、筒抜け? 正解だけど、キミに用はないんだよね。浜栗組の組長……名前なんつったかな? ……あっ、ミキホだ。ミキホってヤツを殺したいだけなんだよ」
キモロン毛の言葉を無視し、リオはチェーンソーのストラップを引っ張ると、エンジンを起動させた。
「日本での復帰戦だ。楽しませてくれよな」
リオが放つ殺気を感じ取ったキモロン毛は、斜め上へ大きく跳躍する。その高さは、電柱をも軽々越せそうなほど。そして空中で前転し、かかと落としの要領でリオの真上から降りかかった。
右横に転がり、キモロン毛の蹴りを回避するリオ。着地したキモロン毛の左かかとは、地面に半径二メートルほどのクレーターを作った。人間など、アリのように潰せてしまいそうなほどの威力と衝撃。
リオは立ち上がり、目を細めながらチェーンソーの刃をキモロン毛に向ける。一方、キモロン毛は口角を上げ、鼻からふーんと大きく息を吐いた。自身の蹴りの威力を見せつけたことで、優越感に浸っている。
「驚いたかな? 俺は改造手術を受けていてね。パワーは常人の数倍。そして骨や筋肉、皮膚なんかの硬度を自在に操れる。さっきは、かかとの硬さを鋼と同等にした。普通、こんな威力の蹴りを放とうものなら足のほうがイカれちゃうけど、俺なら耐えられるってわけ」
左のももを上げ、足をぶらぶらさせるキモロン毛。言葉どおり、足は一切の反動を受けておらず、骨にも筋肉にも異常はなさそうだ。自慢げなキモロン毛に対し、リオは「で?」と、短くバカにする。
「お嬢ちゃんのチェーンソーで、俺が切れるかな?」
キモロン毛は挑発するが、リオは意に介していない。その場で体を横回転させ、回る勢いを利用してチェーンソーを斜め下から上に思い切り振り抜いた。
刃の軌道に沿って、地面に裂け目ができる。裂け目はグラウンドを両断するかのように伸びる。その延長線上に立っていたキモロン毛の体が、縦半分に割れた。リオの斬撃は、周辺にあるもの全てを切り裂く。数十メートル先、二年H組がある西校舎が真っ二つになった。
「アタシに切れないものはねぇぜ……Good night」
リオがそう言い放った直後、キモロン毛の体が左右に別れるように崩れ落ちた。すでに息の根は止まっている。自身が死んだことに気づかぬまま、あの世へと旅立った。
教室の床が半分に裂けたことで、ミキホとマメオは、リオが外で戦闘をしていたことに気づく。椅子から立ち上がって、窓の外を眺めた。そして、チェーンソーを担いでグラウンドから立ち去るリオを見つける。
「組長……これがリオ the チェーンソーの力ですか? 俺がケンカを吹っかけたときと比べものにならねぇ……」
「チェーンソー留学で身につけた技術だろう……アイツを利用できれば、死軍鶏組なんか屁でもねぇ。その上、こっちにはシゲミもいる。浜栗組の勝利は確約されたも同然だ」
「組長……お、俺は?」
「ああ、そうだったな。もちろんお前も頼りにしている」
しょぼくれるマメオの尻を、ミキホは右手で軽く叩いた。




