チェーンソーでグッナイ①
太陽が昇り始め、気温が上がりつつある早朝。横に長い大きめのスクールバッグを両手で持った女子生徒が、市目鯖高校の正門を通り抜ける。周囲を歩いている学生たち、特に男子生徒の視線が彼女に釘付けになった。
山間を流れる川のように真っ直ぐな茶色いロングヘア。大きな瞳に対して鼻と口は小さい。小柄ではあるが、スラッと伸びた手足がスタイルの良さを感じさせる。誰が見ても「絶世の美少女」と評するであろう、完璧に近い容姿。
女子生徒は、呆然と立ち尽くす生徒たちの間をすり抜け、鼻歌を唄いながら昇降口へ向かう。下駄箱にローファーを入れて上履きに履き替え、校舎内の奥へ進もうとしたところで、二人の男子生徒が立ち塞がった。身長は百八十センチを超えている、大柄の二人。女子生徒とは、頭一個分以上の身長差がある。
「ねぇ、彼女。初めて見る顔だねぇ。めっちゃ可愛い」
「俺ら、市目鯖で一番の陽キャコンビ。この学校って、ガリ勉の陰キャばかりじゃん? キミみたいな美人と釣り合う男って、俺らくらいしかいないと思うんだよね」
「つーことで、俺たちと遊ばねぇ? 校舎の裏でさぁ」
ゲスい笑みを浮かべる二匹の「性獣」。一方、女子生徒の表情は「無」そのもの。
「邪魔だぜ」
女子生徒は、短く言い放つ。目の前の二匹を獣どころか虫とも思っていない。
「そんな酷いこと言わないでよぉ。俺たち、傷ついたあまり無理にでもキミのこと」
性獣の一匹がそこまで言いかけたところで、言葉を止める。直後、両目の真下が斜めに切れ、頭の上半分と下半分がズレた。切れたのは頭だけではない。体もバラバラになって崩れ落ちる。もう一匹の性獣も、細切れになった。
女子生徒の手には、ブブブブブと唸る血まみれのチェーンソー。スクールバッグの中に入ったチェーンソーを一瞬で取り出し、邪魔者を切り刻んだのだった。
「Good nightだぜ」
女子生徒はそう言うと、性獣どもの肉片の一つを右足で踏み潰した。
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校長室でふかふかの椅子に座り、ホットコーヒーを啜る武里村 トシヒサ。始業の三十分以上前に出勤し、自分の城とも言える校長室で平穏なコーヒーブレイクを楽しむことが、彼にとって一番の幸せなのである。
そんな私服のときをぶち壊すように、バーコード頭の中年オヤジが勢いよく扉を開け、「武里村校長ぉぉぉっ!」と叫びながら飛び込んできた。ゼェゼェと息を切らし、ワイシャツの襟がびしょ濡れになるほど大量の汗をかくその様は、テロリストに家族を人質に取られて脅されているかのよう。
武里村はコーヒーカップを机に置くと、鬱陶しそうに「どうしたんです、教頭先生?」と尋ねる。教頭は、喉に餅でも詰まっているかのように、苦しげに言葉を絞り出した。
「リオ……リオ the チェーンソーが……アメリカから帰ってきました!」
聞き慣れない言葉に、首を傾げる武里村。生徒の名前であろうことは予想できたが、武里村は市目鯖高校に赴任して日が浅い。生徒たちの顔と名前を覚え、一致させている途中である。それでも「リオ the チェーンソー」という珍妙な名前には聞き覚えが全くなかった。
教頭は武里村のコーヒーカップを奪い取り、残ったコーヒーを一気飲みした。そして「ふぅ」と息を整え、続ける。
「半年ほど前、アメリカにチェーンソー留学をさせたリオという生徒……我が校ナンバーワンの美少女でありながら、放課後に街へ繰り出しては、愛用のチェーンソーでチンピラやヤクザを惨殺していた大々々問題児です。あまりにも危険だったので、学校から追放するような形で無理やり海外留学をさせました。『チェーンソーの本場アメリカでなら、その殺しの腕にもっと磨きをかけられる』と説得して……」
「そんな生徒が……市目鯖に居たんですか?」
教頭が語るリオという生徒の存在を、武里村は信じきれない。まるでアニメや漫画の登場人物だ。仮にそのような人物が存在していたとしても、真面目な生徒が通う名門の市目鯖高校に在籍していたとは思えない。しかし、世界最後の日を迎えたかのような教頭の深刻な表情は、嘘をついている人間のものではない。
「アメリカは銃社会。さすがのリオも下手なことはできず、丸くなるだろうと思っていました……しかし、考えが甘かったのです! リオはアメリカ国内で逃亡中の凶悪なシリアルキラーを三十八人殺害。彼らに懸けられていた懸賞金で学費と生活費を賄っていた……さらに南米へ進出し、プロの傭兵を雇っている麻薬カルテルを六つ、趣味感覚で壊滅させています。日本にいた頃より何倍も凶暴になってしまいました……あと英語もペラペラになっているそうです」
教頭の話を聞き終え、ゴクリと生唾を飲む武里村。話が真実だとしたら、リオという生徒が来ることで市目鯖高校の治安が著しく悪化することは明白。武里村自身、柔道六段でオリンピックの強化選手だったこともあり、腕は立つ。齢五十を超えた今でも、不良生徒を叩きのめすことなど容易い。だがリオに関しては、その所業を聞いただけで力量差を感じ、萎縮せずにはいられない。
教頭は唇を振るわせながら「リオはすでに登校しています」と口にした。凶暴な魔獣が、今にも生徒たちの安寧を脅かそうとしている。武里村も動揺を隠せず「ど、どどどど、どうしましょう」と狼狽える。
「ひとまずの対策として、浜栗組組長のミキホさんが在籍する二年H組にリオを編入させます。リオを抑え込むには浜栗組の力が不可欠……ミキホさんの目が届くところに、リオを置くのです」
教頭の提案を聞いた武里村は、「そうしましょう」と言いながら頷いた。
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リオ the チェーンソーが留学から戻ってきたというウワサは、すでに学校中に広まっていた。二年H組の教室後方、隣同士の席に座るミキホとマメオの話題も、リオについて。
「私でさえリオは手に余る……アイツは、気に食わない人間がいれば害虫のように始末する殺人鬼だ。いつ死軍鶏組が攻めてくるかわからないって状況で、リオが戻ってきちまうなんて……タイミングが悪すぎる」
ミキホの言葉に賛同するように、マメオは大きく首を縦に振る。
「リオ the チェーンソーの恐ろしさは、俺もよく知っています。去年、新入生にめちゃくちゃケンカが強いヤツがいると聞いて、俺、殴り込みに行ったんですよ。どんなものか試してやろうと思って。それがリオでして……チェーンソーで首を切り落とされました」
「……はぁ? 何言ってんのお前?」
鼻で笑うミキホ。首を切り落とされた人間が生きているわけがない。現にマメオは生きている。リオの強さや危険性を誇張したジョークだろうと、一笑に付す。しかし、マメオの表情は真剣そのもの。
「本当です。俺の体が死んだことに気づかないほどの早技でした。けど、それが幸いしましてね。落ちた頭を拾ってすぐ家庭科の先生のところに行って縫合してもらったんです。間一髪でした」
「……つまりお前は、頭と胴体が離れた状態で動いたってことか?」
「はい。これを見てください」
マメオは右手でワイシャツの首元を広げ、中をミキホに見せつける。首を一周するように、うっすらと細い傷がついていた。マメオの発言がジョークではないと悟るミキホ。
「リオが与える『死』に苦痛は伴いません。死神か、天使か……ヤツが何なのか、俺には判断がつきませんよ」
「いや、それ以前にお前が何なんだよ。なんで首を切り落とされて動けるんだよ。不死身のクマムシってお前のことじゃないよな?」
「何を言ってるんですか! 俺は紛れもなく組長の舎弟、マメオですよ! 大崎広小路 マメオ」
「フルネーム長っ。お前そんな苗字だったんだ。お前のフルネームを覚えるとしたら、脳みそのリソースを十二文字分も使わなきゃならないんだ」
「長くて面倒なので、俺は基本的に『マメオ』としか名乗りません」
「リオにカットしてもらうべきだったのは、首ではなく名前だな」
ミキホの言葉の直後、チャイムが鳴り、教室の前側の扉が開く。担任の皮崎 リエ、その後ろに続いてリオが入室した。
生徒たちはリオを見て、戦慄する。一見すると芸能事務所にスカウトされてもおかしくないほどの美少女だが、その正体は魔獣。二年H組の生徒はリオと同学年であり、留学する前の彼女のことを全員が知っている。見た目の可憐さには、誰も騙されない。
「皆さんは顔馴染みだと思いますが、アメリカに留学していたリオ the チェーンソーさんが市目鯖高校に戻ってきました。今日からH組の一員として、皆さんと切磋琢磨していきます。どうか、仲良くしてあげてくださいね」
リオのことを丁寧に紹介する皮崎。彼女が市目鯖高校に赴任してきたのは、リオが留学に行った後のこと。そのため、リオが血に飢えた殺人モンスターであることを知らないのだ。皮崎の表情は、新しい生徒を歓迎する意志を表しているかのように優しげな笑顔である。
一方、半年前のリオを知る生徒たちは、ガチガチと歯を振るわせる。今日から三年に進学してクラス替えになるまでの間、ほぼ毎日同じ教室で殺人鬼と過ごせと言われているのだ。動揺するのも無理はない。
生徒の中で動揺を顕にしていないのは、教卓の目の前の席に座るシゲミと、窓際の最後尾の席に座るミキホだけ。表情が一切変わらない二人をその目で捉えたリオは、ニヤリと怪しげに笑った。
リオがH組に在籍すると知ったことで、ミキホは学校側の思惑を大方察する。リオが暴走した際は浜栗組で制御しろということだと。だが、死軍鶏組に狙われている今の状況で、リオを抑え込めるほどの余裕は浜栗組にない。さらに、浜栗組がリオと関わることでリオとの対立も生まれ、彼女が第三勢力になることさえ考えられる。
どうするべきかと、ミキホは左手のひらで額を抑えた。そのとき、閃く。死軍鶏組とリオ、両方を同時に対処する方法を。
死軍鶏組は、浜栗組ひいては鮮魚会を壊滅させるため、ならず者を集めている。腕の立つ殺し屋も大勢いるだろう。一方リオは、強い相手を求めて殺しを続ける戦闘狂。そんな彼女にとって死軍鶏組は絶好のターゲットになるに違いない。
そこでミキホが思いついた策。リオと死軍鶏組をぶつけ合う。強者と戦う機会を欲しているリオなら、戦力を強化している死軍鶏組と戦いたがることは明らか。リオに死軍鶏組の情報を渡して殺し合わせる。その結果、リオが勝とうが死軍鶏組が勝とうが、生き残った方は消耗する。疲れ切った敵が相手なら、浜栗組だけでも対処しやすいだろう。
リオの怪しい笑みに応えるように、ミキホも不敵に微笑んだ。




