逆恨みじゃない?
シゲミは、自身がクマムシ暗殺の依頼をあっさりと引き受けた理由について「鮮魚会の会長が知っている」と語った。その言葉を聞いたミキホは、すぐに会長・頬白に電話を入れ、対面で話す機会を作ってもらった。
鮮魚会本部の会長室。30畳ほどの広い和室で、縁側の向こうには、錦鯉が優雅に泳ぐ小さな池が見える。中央に置かれた背の低い木製のテーブルを挟んで座るミキホと頬白。
頬白は白髪頭をオールバックにした、齢七十を超える痩せた老爺。今はすっかり老いぼれてしまったが、目鼻立ちは整っており、若い頃は「男前」と呼ばれていたであろうことが察せられる。青い和服を着て胡座をかくその姿は、昭和の名俳優さながら。
彼が放つ雰囲気と、右目の機能を失わせるほど深く刻まれた傷が、目の前の者を圧倒する。老いてなお、数千のヤクザを従える親分としての威光は健在だ。さすがのミキホも、頬白の前では固くなる。高校の制服ではなくパンツスーツの正装で、正座をしたまま微動だにしない。
張り詰めた空気を壊すように、頬白が「シゲミに聞いたんだな?」と低い声を発した。背中を伝う冷や汗を感じながら、ミキホが応える。
「はい。かつて浜栗組に所属していたクマムシという男の暗殺を、爆弾魔 シゲミに依頼しました。すると彼女は、即了承してくれたんです。報酬の話すらせず。違和感を覚えたのでシゲミに理由を尋ねたところ、頬白会長が知っていると」
頬白は右手で首元を二回掻き、口を開いた。
「シゲミには、キミと浜栗組を守るようワシから依頼し、その分の報酬も支払っている。だから彼女は無条件でキミの依頼を引き受けた」
頬白の言うことを理解できないミキホ。疑問の言葉を口にするより早く、頬白が続ける。
「シゲミは、裏社会でも知る人ぞ知る超一流の殺し屋だ。鮮魚会の中で発生した殺しの仕事は基本的にキミたち浜栗組に任せているが、いざというときは、ワシから直接シゲミに連絡して彼女の力を借りている。そのいざというときが迫っているので、シゲミに動いてもらっているのだ」
「どういうことです?」
「死軍鶏組というヤクザが、関西から関東へ進出してきていることは知っているかね?」
シゲミと初めて会話した日、ミキホの命を狙った男。その男が死軍鶏組という新興組織に所属しており、最近関東に進出していることは蟹沢から報告を受けていた。頭を小さく縦に振るミキホ。
「その死軍鶏組は、日本各地からなるず者をかき集め、鮮魚会の壊滅を狙っている。そこで、ワシが信頼を置いている殺し屋数名に、鮮魚会配下の組を守るよう依頼しておいた。構成員を狙う者がいれば、誰であってもその場で抹殺するようにと。シゲミも、その殺し屋の一人。彼女はキミの同級生だと聞いたので、浜栗組を任せた」
ここまで聞いても、やはり状況が飲み込めないミキホ。
「なぜ死軍鶏組は鮮魚会を!? それに、どうしてシゲミのことを私に話してくれなかったんです!?」
矢継ぎ早に質問する。頬白は「一つずつ説明しよう」と返した。
「まず死軍鶏組についてだが、彼奴らの頭とワシには浅からぬ因縁がある。その因縁こそ、鮮魚会が狙われる理由……死軍鶏組組長、鮟西 ミナトと名乗る男は、ワシの婚外子だ」
「婚外子って……結婚していない相手との間にできた子供のことですよね?」
「左様。ワシに正式な配偶者はいないが、何人か愛人がいてな……その内の一人との間に出来た子がミナトだ。鮟西は母親の姓。子供を作らないよう、夜の営みは慎重にやっとったんだが……つい性欲が暴走したミッドナイトがあった」
頬白は、恥ずかしげな表情を浮かべながら、右手で後頭部を搔く。その様子を、ミキホは冷ややかな目で見つめた。鮮魚会という関東で最大級の勢力を誇るヤクザ。そのトップである頬白は、ミキホが目標とするヤクザそのものであり、ずっと尊敬し続けてきた人物だ。しかし、先の言葉で尊敬の念が九十五パーセントほど消滅。ヤクザの大親分も一人の人間であり、性欲に支配されれば後先を考えないバカな獣になるのだと悟る。非情な現実に引きずり戻された気分になった。
頬白はニヤリと笑う。つい二分前のミキホなら、その笑みを見ただけで威圧されていただろう。だが今は、スケベジジイの無価値な薄ら笑いにしか見えない。
「ミナトが生まれたことは知っていた。だが、ワシはガキが嫌いでな。何を考えているか、何をしでかすかわからん不気味な生物……だから一度も会いに行かなかったし、金銭的な援助もしなかった。母子ともども、どこかで野垂れ死んでくれれば、その方が都合が良かった」
「あえて言葉を選ばずに言いますが、最低のクズですね、会長」
ミキホも組を仕切るトップではあるが、浜栗組は鮮魚会の下部組織。ミキホの立場で、頬白に無礼な口を利くことなど許されない。本来ならこの場で頬白に殺されていてもおかしくないが、ミキホの言ったことが図星なのだろう。頬白は俯き、ただ口だけを動かす。
「ミナトが相当つらい人生を歩んできたのは、極道になったことから想像がつく。そんな境遇に追い込んだ張本人こそ、ワシだと思ってるはずだ。ワシを恨み、何もかも奪った上で殺したいと考えているに違いない」
「それで会長と鮮魚会を……新興組織が鮮魚会にケンカを売るなんて無謀だと思いますが、当然っちゃ当然の行動ですね」
「返す言葉が見つからんわ……特に浜栗組が最も危険だと予想しておる」
「なんでウチの組が?」
「ワシはキミの父親、浜栗 ドンゾウをどの構成員よりも可愛がっていた。まるで本物の息子のように。結婚式の費用は全て出したし、浜栗組の立ち上げに必要なものは全てワシが手配した……だからミナトは、ワシの寵愛を受けたドンゾウと浜栗組のことも強く恨んでいるはずだ。だから、鮮魚会配下の組の中で真っ先に狙われるのは浜栗組だと、ワシは踏んでいる。もちろんミキホ、キミもターゲットだろう」
ミキホは三秒ほど黙り込んだ後、「完全に逆恨みじゃないかぁ!」と大声を上げた。
「その鮟西 ミナトってヤツに私が狙われる道理がないんですけどぉ! オヤジはもう死んでるんだから、私には何もしなくていいじゃないですかぁ!?」
「言っただろう? ミナトはワシから何もかもを奪って殺したいのだろうと。浜栗組が鮮魚会の配下にあるならば、その頭が誰であっても壊滅させる気なのだ」
「……今から鮮魚会を抜けることってできますか?」
「ならん! ワシとキミは盃を交わした親子だ! 酒ではなくドクターペッパーだったが、親子の契りを交わしたことには変わりない! その関係を一方的に断ち切ることなど、極道の世界じゃ御法度! 禁忌! 絶対にやっちゃダメなこと!」
「クソがっ! このクズジジイの撒いた種からは逃れられないってことかよ!」
「死軍鶏組の行動は掴めておらん。いつ、どこから、どんな方法でキミら浜栗組を襲うか見当がつかぬ……そこでシゲミに浜栗組を任せた。キミの最も近くにいて、ワシが最も信頼している殺し屋である彼女に」
頬白の言うとおり、シゲミは死軍鶏組の刺客からミキホとマメオを守った。先日の股間ガトリング男の襲撃も、死軍鶏組が仕掛けたものだったのかもしれない。あのときも、シゲミがミキホを助けるべく駆けつけた。すべて頬白がシゲミに依頼し、彼女の判断で動いたことなのだとしたら、辻褄が合う。
そしてミキホの疑問はもう一つ。
「なぜ浜栗組を守るようシゲミに依頼していたことを、私に教えてくれなかったんです?」
「浜栗組は、鮮魚会の汚れ仕事を一手に引き受ける武闘派集団。そんなキミらが誰かに守られていると知ったら、プライドが傷つくと思ってな。それにミキホ、責任感の強いキミのことだ、自分たちで事態を収めようと死軍鶏組にカチコミをかけたんじゃないか?」
頬白の言葉に、今度はミキホが図星を突かれた。シゲミが殺し屋として優れていることは知っている。しかしそれは、彼女が戦う姿をその目で見たからだ。シゲミのことを知らないときに頬白から「殺し屋に依頼して、浜栗組を危険なヤクザの手から守らせている」などと聞かされたら、居ても立ってもいられなかっただろう。見ず知らずの殺し屋に身を委ねるくらいなら、浜栗組の力で死軍鶏組を排除しようと考えたはずだ。だが、死軍鶏組の戦力は未知数。浜栗組に腕自慢がそろっているといえど、カチコミをかければ返り討ちにされていたかもしれない
性欲たっぷりボンクラジジイに思える頬白だが、何十年も裏社会で生き続ける中で得た経験、嗅覚は一級品。ミキホがヤクザとしてどう行動をするか、その結果どうなるかを的確に予想していた。ミキホの中で頬白に対する尊敬の念が、二パーセントほど回復する。
「案の定、キミもシゲミの腕を認め、彼女に危険人物の抹殺を依頼した。ワシとしては願ったり叶ったりだ。シゲミに任せれば、浜栗組を失う事態を避けられる。キミの判断に間違いはない。組長として、組を守るための正しい判断をした。浜栗組をキミに任せた、ワシの目に狂いはなかったな」
クククとほくそ笑む頬白。全てが予想どおりに進み、満足げである。一方、ミキホの心境は複雑だった。スケベジジイの手のひらで踊らされていたこと。その過程で、シゲミという人物と知り合えたこと。何一つ自分の思いどおりに物事が運んでいないが、だからこそ、これまでにないほど心惹かれるシゲミに出会えたとも考えられる。
頬白を蔑むべきか、感謝するべきか、ミキホは心底迷った。
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暗い水面に大きな月を反射する東京湾。その湾岸のとある埠頭にやってきた鮟西 ミナトとクマムシ。山積みにされた巨大なコンテナの一つに入る。中は人間や動物が入った水槽がいくつも並ぶ、広い研究室になっていた。
その奥でキーボードをカタカタと鳴らし、パソコンに向かう人物が一人。灰色の髪をポニーテールにし、白衣に身を包む小柄な老婆だ。鮟西とクマムシが、老婆の背後から近づく。
「やぁ、Dr.貞子。お客さんだよ」
鮟西に「Dr.貞子」と呼ばれた老婆が、椅子を回転させて振り向いた。そして鮟西の左隣に立つクマムシの顔を見て、ところどころ抜け落ちた歯を剥き出しにして笑う。
「おぉ、帰ってきたか……私の可愛い息子よ」
「息子? どういうことだ?」
訝しげな表情を浮かべるクマムシ。Dr.貞子に代わり、鮟西が答える。
「クマムシさんが幼い頃、まだ記憶がないくらいの年の頃に、Dr.貞子が実験を施したそうです。孤児を対象に行った、不死の人間を生み出す実験を。僕も彼女から聞いただけで、本当のところどうなのかは知りませんが」
鮟西に続き、Dr.貞子は飛び出しそうなほど大きな瞳でクマムシを見つめながら、言葉を発する。
「あの実験では何人もの赤子が死んだ……お前が唯一の成功体……だから息子同然に愛していた。でも、実験が明るみになってね。私は刑務所暮らし……お前と離れ離れになってしまったんだよ」
「マジか……理系の婆さんってだけで珍しいのに、不死の実験をして成功させたヤツがいるなんて……信じられん」
僅かに表情を歪め、動揺するクマムシに、鮟西が囁く。
「Dr.貞子はアナタのルーツであり、アナタの存在こそ彼女が持つ技術力の証明。そして僕たち死軍鶏組の面々を、アナタと同じ超人へと進化させてくれたのも彼女です。どうですか? 本格的に死軍鶏組に協力する気になりました?」
クマムシは自分の出自も、不死身のメカニズムも知らないまま四十年以上の人生を歩んできた。その疑問が今、すべて晴れた。紛れもなく鮟西のおかげである。そして、もしDr.貞子の手で自身と同じような超人が何人も生み出され、死軍鶏組に所属しているとしたら……鮟西が言っていた「鮮魚会の壊滅」は、絵に描いた餅ではない。
揺れていたクマムシの心は、完全に死軍鶏組へと傾いた。




