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死なない②

 冷房が効いた浜栗組(はまぐりぐみ)事務所の組長室で、革製の椅子にふんぞり返るミキホ。背もたれに沿って背筋を伸ばし、授業中に凝り固まった背中の筋肉をほぐす。 「ふぅーっ」と長い息を吐き終えると同時に組長室の扉が開き、若頭の蟹沢(かにざわ)が入ってきた。



「失礼します。組長の耳に入れておきたいことがありまして」



 蟹沢の表情は険しい。ミキホは悪い報告であることを察した。



「なんだ?」


「浜栗組を破門されて服役中だったクマムシという男が、今朝出所しました。警察関係者からの、確かな情報です」


「……お前、警察にもコネがあるのか?」


「はい。俺の息がかかった汚職刑事が何人かいるんですよ。表向きは真面目に働く警官ですけどね。警察関係者しか知り得ない情報を流してくれる」


「へぇ、すごいな。じゃあ、警察が押収した銃火器を横流ししてもらうことってできる? 新しいハジキが欲しいんだが、高くてね」


「それは難しいかと……ってそれどころじゃないんです。出所したクマムシという男ですが、その後の行方が掴めていません。組長、今まで以上に警戒してください」



 語気を強める蟹沢に対し、ミキホの頭の上にはクエスチョンマークが浮かぶ。



「何でだ? そもそも、そのクマムシって誰なんだよ。お笑い芸人か?」


「組長が生まれる一年ほど前、先代のドンゾウ組長が二十歳そこらの若造をどっかから拾って来ました。名前がないって言うんで、あだ名をつけたんです。それがクマムシ」



 ミキホは「センスないな」と吹き出す。一方、蟹沢の険しい表情は変わらない。



「由来は、まるで本物のクマムシみたいに、何をしても死なない男だったこと……原理は不明ですが、間違いなくただの人間じゃなかった。俺たち組員の間じゃ、不気味がられていたんです」


「死なない男か。本当なら確かに気味悪いが、殺し屋にはピッタリな逸材だな」


「ドンゾウ組長も、最初はクマムシを気に入ってました。普通の殺し屋じゃ我が身可愛さにビビってできない仕事でもノーリスクでこなせますし、他所の組にカチコミをかけるときには先陣を切る不死身の肉壁になる……ヤクザに所属する殺し屋として、クマムシほどの適役はいません」


「そんなヤツを、親父は破門したのか?」



 視線を落とし、数秒沈黙する蟹沢。そして続ける。



「クマムシは殺しに達成感を覚えるようになりました。いや、達成感なんて甘っちょろいものじゃない。快感と言ったほうが正しい。まるでシャブ中がクスリをキメまくるみたいに、見境なく殺しをするようになりました。その矛先は、浜栗組の組員にも向いたんです」


「……つまり、仲間を殺すようになったってことか?」


「ええ。ヤツにとって、殺しに精通した人間を殺すことこそ、より強い快感を得られる方法だったようです。その点、殺人の代行をしてきた浜栗組の連中は格好の獲物だったんでしょう。死傷者が何人も出たことで、ドンゾウ組長はクマムシを破門することにしました。それがおよそ十五年前」



 蟹沢が神妙な面持ちで語るクマムシという男の危険性を、ミキホも感じ始める。



「それでもクマムシの殺人欲求は止まらなかったようです。信用金庫に立て籠もり、突入した警察の特殊部隊員を九人も殺して捕まりました」


「何だその世紀末なヤツは。ヤバすぎるだろ。そんな凶悪犯なら、死刑になってるんじゃねぇのか?」


「そのはずでした。しかし、ヤツは不死身の男……絞首刑でも死なず、出所になったそうです」


「マジかよ。一生閉じ込めとけや」


「殺しに飢えた人間が、檻の中で十五年も禁欲生活を強いられてきた。その生活から解き放たれた今、再び欲求を満たそうとする可能性が高い。これまでのクマムシの行動を考えると、俺たち浜栗組も狙われるでしょう」


「なるほど。だから警戒しろってことか」


「はい。特に学校にいる間、組長を守れるのはマメオしかいません。アイツにも厳重に警戒するよう言っておきますが」



 蟹沢の言葉を遮るように、ミキホは右手のひらで机を強く叩いた。



「たわけが! 最初から後手に回る想定でどうする! 先手を打て! こっちからクマムシを探し出して仕留めるんだよ!」



 ミキホの言い分は正しい。いつどこから襲ってくるかわからない殺人中毒者に怯えながら暮らすくらいなら、先に見つけ出して始末したほうが利口だ。そのための人員も手段も、浜栗組には充分揃っていることは、蟹沢も理解している。しかし、「自分たちの手でクマムシを殺す」という判断に踏み切れない理由があった。



「俺は浜栗組に長く身を置いて、いろんな殺し屋を見てきました。しかし、クマムシとまともに戦えるヤツは誰一人としていません。死の概念がなく、一方的に敵を殺せる獣、それがクマムシという男。接触しないのがベストです」



 蟹沢の額に汗の粒が浮かぶ。叩き上げで、自らも殺しを何度も経験した冷静沈着な若頭が、明らかに動揺している。ミキホは物心ついたときから蟹沢のことを知っているが、ここまで鬼気迫る表情を見たのは初めてだった。



「お前がそこまで怯えるほど、クマムシってのはヤバいのか?」


「情けない話ですが、アイツと戦うくらいなら渋谷のスクランブル交差点を全裸で走るほうがましですよ」



 クマムシが浜栗組に所属していた時期は、ミキホが生まれる前後。当時の蟹沢は役職のないヒラ組員で、クマムシと同じく殺しの仕事をしていた。クマムシの働きを間近で見ていたことだろう。その蟹沢が恐れるほど、クマムシは腕が立つ。安易に殺せる相手ではないと、ミキホは考えを改めた。



「……撤回だ。蟹沢、お前は情報網を使ってクマムシの居場所を早急に特定しろ。ヤツを回避するにも、どこにいるかわからなければできない。それと全組員に、これからは必ず二人以上で行動して身を守るよう通達しろ」



 蟹沢は軽く頭を下げ、「ありがとうございます」と口にした。



−−−−−−−−−−



 路地裏で、死軍鶏組(ししゃもぐみ)組長・鮟西(あんざい) ミナトの()()()を受けるクマムシ。鮟西の握ったナイフが胸に深く刺さり、心臓を貫く。この程度の傷でクマムシが死ぬことはない。しかし、体が痺れて動かない。



「お坊ちゃんも……()()()()()()()()()ようだな……」



 血の泡を吹きながら発せられたクマムシの言葉を聞き、鮟西はニィと無言で笑う。


 クマムシの凶刃は鮟西の頬や腕をかすめ手傷を負わせたが、殺すには到底至らない。長い刑務所暮らしで腕が鈍っていたのを差し引いても、ナイフを使った戦闘スキルは鮟西のほうが数段上回っていた。加えて、体を痺れさせる異形な力。勝敗は決した。


 鮟西はナイフを引き抜くと、ズボンの右ポケットから白いハンカチを取り出し、刃に付着した血を拭き取る。



「クマムシさん、合格です。正直、実戦から離れていたアナタに、僕が傷を負わされるなんて思ってませんでした。そして不死身の力も健在……想定以上です」



 鮟西が差し出した右手を握り返すクマムシ。胸からはおびただしい量の血が流れ、ワイシャツをどす黒く染めているが、クマムシの顔色は健康そのもの。



「舐められたもんだ。が、事実この勝負はお坊ちゃんの勝ち。浜栗組と()り合う前に、ちょいとリハビリしなきゃならんな」


「死軍鶏組に歓迎します。組員たちも、きっと喜ぶでしょう」



−−−−−−−−−−



 一夜明け、今にも雨が降り出しそうな曇天の下、登校するミキホ。朝だというのに暗く、浜栗組の未来を暗示しているかのように思えた。


 市目鯖(しめさば)高校の正門前で待ち構えていたマメオと合流し、話しながら二年H組の教室へ向かう。話題はやはり、クマムシについて。



「クマムシって野郎のことは、浜栗組でも蟹沢のカシラみたいな古参しか知らないでしょう。俺も知りません。ですが、話だけで相当ヤベェヤツだってことはわかります」


「ああ。蟹沢の異常な怯え方を見ても明らかだ……こっちから仕掛けてクマムシを始末しちまいたいところだが、ウチの組員じゃ誰もヤツには敵わねぇとよ」


「待ちの姿勢ってのは性に合いません! 俺が見つけてぶっ殺します!」



 左手のひらに右の拳を強く当て、いきり立つマメオを、「まぁ待て」とミキホがなだめる。



「下手に動いて組員を失う事態は避けたい。もちろんお前もだ、マメオ」


「組長……」


「ここは蟹沢の言う通り、警戒を続ける。場合によっちゃ、クマムシがウチらと関係のない事件を起こして、また警察にパクられるかもしれないからな。動かざること山の如しだ」


「そうですか……でも、危ないってわかってるヤツを放置するなんてのは、ヤキモキしちまいます」


「同感だが、我慢しろ。もし私が学校にいる間にクマムシが襲ってきたら、好きなだけ暴れていい」



 黙り込むマメオ。暴れていいというお墨付きはもらったものの、納得できていない。マメオなりに、ミキホの身を、そして浜栗組全体を案じているのだろう。そして何より、ブレーキが壊れた殺人鬼への恐れが焦りと苛立ちを生んでいる。そのことは、口に出さずともミキホに伝わった。


 階段を上り、H組がある三階の廊下に差し掛かったとき、マメオが「そうだ!」と大声を出す。



「組長、シゲミに依頼しましょう! シゲミにクマムシを暗殺してもらうんです」


「えっ……」



 シゲミという言葉を聞き、ミキホの心臓が跳ねる。



「シゲミは凄腕の殺し屋です! アイツの強さは俺が身をもって体験しています! ウチの連中よりもはるかに強い……シゲミなら、クマムシとかいうサイコ害虫を駆除できますよ!」


「そ、そうかもしれないが……私がシゲミに依頼するのか?」


「もちろん! ついでに組長の恋も進展させちゃいましょう!」



 大きな笑顔を浮かべるマメオ。悪くない提案だった。「ミキホが自分からシゲミに話しかける」という、エベレスト並みに高いハードルを除けば。


 ミキホの返事を待たず、マメオは「よし決定!」と言い放ち、一足先にH組へ向かう。その後頭部を陥没するくらい殴りたくなるミキホだった。

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