愛情と愛欲はイコールではない②
ミキホはすぐ左手にある二年E組の教室に飛び込んだ。そして、メタルディック・カズタカの股間に装着されたガトリング砲による射撃を避ける。しかし、弾丸の一発が右の太ももをかすめ、外側広筋の一部が抉れた。傷は深く、痛みで右足がほとんど動かせなくなる。走って逃げることは困難。
ミキホは右足を引きずりながら、教室の後方へ移動し、カズタカと距離を取ろうとする。武器の類いは全てH組の教室に置いてあり、丸腰の状態。ガトリング砲を股間にぶら下げた危険人物と戦うことなど到底できない。
校舎内に人はほとんどおらず、誰かが助けを呼んでくれる可能性は低い。今は逃げに徹し、隙を見てH組に戻って武器を取ってくるしか、ミキホに選択肢はなかった。
手負いで思うように動けないミキホの背後から、銃弾の嵐が迫る。カズタカもE組の教室に入り、黒板の前からミキホを狙撃したのだ。
ミキホは足を滑らせ転倒。その頭上を弾丸が通過し、教室の後ろ側の壁に風穴を空ける。倒れ込むことで運良くかわすことができたが、ミキホの足から流れ出た血が床に広がり、手足を滑らせる。上手く立ち上がることができない。
それでもなんとか逃げようと、ミキホは床を這いつくばる。その後ろからゆっくりと、一歩ずつ、ミキホに近寄るカズタカ。
「その足じゃ、オレっちの股間ガトリングから逃げるのは無理だろうね。諦めることをおすすめするよ」
右足を引きずりながら、何とか教室の扉の近くまで這うミキホ。カズタカは「んっふぅ〜ん」と鼻息を吐き、続ける。
「痛いよねぇ。苦しいよねぇ。でも、キミみたいに恵まれた境遇にある子は、ちょっとくらい苦しめて殺したいなって思っちゃうのよ。おじさん、性格が捻じ曲がってるからさぁ。それもこれも、オレっちが生まれ育った境遇が悪いんだ」
右側の口角を上げ、余裕そうに語るカズタカを、ミキホがにらむ。
「何でもかんでも境遇のせいか……だったらよぉ、今からテメェに起きることも全部、境遇が悪かったからかぁ!?」
ミキホは右手の人差し指と中指を太ももの傷口に当て、腕ごと大きく横に振る。指についた血が飛び散り、カズタカの両目に付着した。
血の目潰しをくらったカズタカはよろめき、後ろに数歩下がる。腕で血を拭うと、ミキホが教室の中から姿をくらませていた。
「……イタチの最後っ屁ってやつね。さっさと諦めて死ねば楽になれるのに。まぁ、苦しむ時間が長くなるのは、オレっち的には嬉しいことなんだけど」
カズタカはそう言うと、先ほどまでミキホが倒れていた床の血溜まりに近づく。血溜まりから教室の外へと、血痕が点々と続いていた。
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ミキホは壁に寄りかかりながら、H組の教室を目指して廊下を進む。太ももから流れ出る血は止まらない。
このままH組に辿り着き、武器を持ったとしても、深傷を負った状態でガトリング砲を携えた暗殺者と戦って勝てる見込みは薄い。しかし、簡単に死を選ぶわけにもいかない。浜栗組の組長として、大勢の組員の人生を預かっている。ここでミキホが死ねば、組員たちは露頭に迷うだろう。何より、ミキホの新しい生きがいとなったシゲミ。死んだら彼女と二度と会えなくなってしまう。生き残れる可能性があるならば、その道に賭けるしかない。
カズタカが追ってきていないか、ミキホは肩越しにチラリと後方を確認する。およそ二十メートル後方、廊下の奥に黒鉄の股間を露出させたカズタカが立っていた。ガトリング砲は真っ直ぐ前を向き、銃身が回転。今にも弾丸を射出しようとしている。
H組の教室の扉までたどり着いたミキホ。体当たりして、扉を壊しながら教室に転がり込む。その直後、廊下を無数の弾丸が駆け抜けていった。
ミキホの席の位置は、今いる扉と対極。教室後方の窓際。そこまで、机の間を必死に這う。だが、ミキホの努力は虚しく無に帰す。カズタカがH組の教室に入ってきた。ミキホの席まで、まだ五メートル以上ある。ミキホが這って席までたどり着くより、カズタカがミキホをバラバラにするほうが早い。
死
ミキホの脳内がその言葉でいっぱいになる。両目から大粒の涙がこぼれ、真夏日だというのに歯がガチガチと震え、音を立てた。
「ターゲットを確実に仕留めるなら、至近距離から発砲すること。これが鉄則。使ってるのが数千メートル先まで届く高出力の銃だろうが、可能な限り近づいて撃つべきだ」
カズタカの声も、死の恐怖と絶望に包まれているミキホの耳にはボヤけて聞こえる。まるで死神が、冥界に誘うための呪文をつぶやいているかのよう。ミキホの恐怖心は高まり続ける。
一歩、また一歩と、机の間を縫ってミキホに近づくカズタカ。そのとき、カズタカの左足に細いワイヤーが絡まる。同時にカズタカの右横にあった机が爆発。その衝撃でカズタカは吹き飛ばされ、黒板に背中を強く打ちつけた。
一瞬の出来事に状況が飲み込めず、ミキホは目を丸くする。さっきまで聞こえていた死神の呪文は、キーンという耳鳴りによってかき消された。
獲物を追い詰める、圧倒的有利な立場だったカズタカだが、不意の攻撃を受け黒板のすぐ下で項垂れる。その腕や足、腹部には、爆発した机の破片が深く刺さっていた。まだ息があり、「ううぅ」と低い声を出しながら立ち上がろうとするものの、爆発の衝撃と傷の痛みで体が言うことが聞かない。力なく尻餅をつく。
ミキホの耳鳴りが消えた直後、ミキホが壊した教室の扉を抜けて、体操服姿のシゲミが入ってきた。その左手に手榴弾を一つ握っている。シゲミはスタスタとカズタカに近寄ると、手榴弾のピンを引き抜いた。
「私のクラスメイトに手を出すな」
手榴弾をカズタカの傍に落とすシゲミ。そしてミキホに駆け寄ると、頭を抑えて床に低く伏せさせた。
手榴弾が起爆し、爆煙がカズタカを包み込む。爆発により頭と右腕、右足、自慢のガトリング砲が胴体から千切れた。
カズタカがバラバラになったのを確認したシゲミは、ミキホの右太ももに視線を向ける。
「早く止血しましょう」
シゲミはおもむろに体操服の裾を引きちぎり、包帯の代わりとしてミキホの太ももに強く巻きつけた。
「これは応急処置。とりあえず保健室まで耐えて」
手際よく処置を進めるシゲミを見るミキホ。唇を震わせながら「シ、シゲミ……」と口にする。そのとき、シゲミはミキホの頭を撫でた。
「大丈夫。大丈夫よ」
シゲミの言葉も、その手も、すべてが優しかった。すでに危険が去ったにもかかわらず、ミキホの瞳からまた涙が溢れ始める。しかしこれは、恐怖心による涙ではない。シゲミが助けに来てくれたことの安心感。そして、今まで自身がシゲミに向けていた感情に対する後悔の涙。
ミキホの心の中で、シゲミへの愛はいつしか暴走していた。シゲミに「好き」と伝えられないもどかしい状況を、性的な接触をすることで満たそうとしていた。とても利己的な行動だ。
そんなミキホを、シゲミは無償で助け出した。そして怯え切った心を優しく癒そうとまでしてくれている。シゲミの慈愛に触れ、ミキホは自分がいかに小さく、愚かな人間なのかを実感した。それゆえの涙だ。
ミキホの左腕を自身の首の後ろに回したシゲミ。そして立ち上がりながら「ちょっとごめんね」と言い、左ポケットからスマートフォンを取り出す。そして通話を始めた。
「もしもし? いま学校にいるんだけど、死体を一つ始末してほしい。うん……三階の二年H組。……生徒たちが校舎内に戻ってくる前に、あと一時間後までにはお願い。うん。よろしく」
シゲミは通話を終えてスマートフォンをポケットに仕舞う。そして「行きましょう」と言い、ミキホを連れて歩き出した。




