【第1章 第6話:母の祈り、娘の拒絶】
母リアーネ=クローデルは、穏やかで、優しく、誇り高き女だった。
貴族として、妻として、そして――母として。
完璧な女性だった。
彼女は、澪にすべてを捧げる覚悟を持っていた。
澪が笑えば喜び、黙していれば静かに寄り添い、怒らなくても赦す。
彼女の“神秘”すらも、娘の一部として受け入れた。
「この子は、人々の光になる」
そう信じて疑わなかった。
だから、ある夜のこと。
澪の寝室で祈りを捧げたことに、なんの違和感もなかった。
――祈りの言葉は、こうだった。
「澪、あなたは天使です。
世界を導く光となって、人々に愛を注いでくれる」
――その瞬間、空気が凍った。
リアーネの手を握っていた澪の指先が、ふっと力を抜いた。
次の瞬間、赤子にはありえない冷たい声が、夜の空気を裂いた。
「……違う。私は、天使じゃない」
リアーネは、息を止めた。
「澪……?」
「私は、導かない。
愛を注がない。
ただ、いるだけ。斬らなきゃいけないなら、斬るだけ」
その言葉が、心の底からのものではなかったことを、リアーネは直感していた。
それは――彼女自身の言葉ではなかった。
赫刃の“記憶”が、澪を通して話していた。
リアーネは恐れた。
この子が、自分の知らない何かに“縛られている”ことを。
だが同時に、母として、声をかけずにはいられなかった。
「澪。あなたは私の娘よ。
誰のものでもない、あなた自身なの。
斬るために生まれたなんて、そんなふうに思わないで……」
澪はその声に、少しだけ目を伏せた。
言葉では何も返さなかった。
だが、母の言葉が心に残らなかったわけではない。
ただ、それを“肯定するだけの実感”が、澪にはなかった。
その夜、赫刃が夢の中で囁いた。
――お前は、斬る者。
――選んだのは、お前自身。
澪は寝台の中で、そっと自分の胸に手を当てた。
心臓の鼓動が、微かに赫刃と重なって響くようだった。
そして、彼女はこの時、初めて――
母を「人」として見た。
愛する者ではなく、斬るかもしれない「対象」として。
そしてその感情が、どれほどの悲しみを孕んでいたのかを、
この時、澪はまだ知らなかった。