破滅の先に待つもの
親愛なる読者の皆様、
この物語の新しい章をお届けできることを嬉しく思います。ここでは、野心、権力、そして多くの人々の目に見えない力が交錯します。物語は、単なる影響力を巡る戦いだけでなく、登場人物たちが抱える深い内面的な葛藤にも焦点を当てています。各キャラクターの中には、疑念や欲望、そしてもちろん、彼らを動かす様々な欲望が隠れています。
これらの章が皆様の想像力を刺激し、私が一行一行に込めた思いを感じていただけることを願っています。読者の皆様からのサポートとコメントは、私にとって非常に貴重であり、次の章へと進む原動力となっています。
どうぞ、楽しい読書をお楽しみください。この物語が私が書いている時と同じように、皆様にも興奮と驚きをもたらすことを願っています。
敬具、
マルクロ・ラファエッロ
食事は温かく、そして一見すると心からの団欒のように思えた。
笑い声が静かに、まるでこの洗練された静寂を壊すことを恐れるかのように部屋を包み込む。
まるで磁器の杯に注がれる細い酒の流れのように、柔らかく広がっていった。
藤原家にとって、これは久しぶりの安らぎのひとときだった。
普段は常に警戒心を解かない高津でさえ、その険しい表情をわずかに和らげ、重い思考を手放しつつあった。
そんな食卓の中心にいたのは、他でもない茂郎だった。
彼は巧みに会話を繋ぎ、軽妙な冗談を交えながら、若き日の愉快な逸話を語っていた。
ただし、決して自らの"本当の姿"には触れようとしない。現在も、過去も——それらはまるで存在しないかのように。
その声は驚くほど穏やかで、心を惹きつける響きを持っていた。
それはまるで雷鳴すらも言葉だけで鎮めてしまいそうな、魔性の心地よさだった。
だが、その和やかさの裏には、別のものが見え隠れしていた。
茂郎の言葉は、一つひとつが計算され尽くしていた。
何気ない仕草でさえ、まるで周到に仕組まれた演出のようだ。
まるで彼自身が纏う"冷酷な殺し屋"や"狡猾な策士"のイメージを意図的に覆い隠しているかのように——それが、ここに集う者たちの頭の中にこびりついている印象であることを、彼自身が誰よりも理解しているのだろう。
その時、突然、扉を叩く音が響いた。
その音は、ためらいのない、確かなものだった。
部屋の空気が一瞬で張り詰める。
僅かに遅れて、静かな音が響く。——綾奈が箸を皿の上に置いた音だ。
茂郎は、静かに杯を置き、微笑を湛えたまま言った。
「……入れ。」
扉が静かに開かれ、そこに現れたのは、一人の青年だった。
彼の姿は、まるで精巧に彫り上げられた岩の彫像のようだった。
広い肩幅、堂々たる立ち姿——まるで数々の戦場をくぐり抜けてきた戦士のように、背筋には一分の隙もない。
鋭利な刃物のように研ぎ澄まされた顔立ちには、一片の柔和さもなかった。
重く、静かに全てを見定めるような眼差し——まるで秤のように、目の前の者の価値を測っているかのようだった。
彼の手には、漆黒の封蝋が施された簡素な封筒が握られていた。
「——当主様。お届け物です。」
低く響く声とともに、青年は封筒を差し出し、深々と一礼する。
そして、一切の躊躇もなく、そのまま背を向け、部屋を後にした。
「……当主?」
その一言が、高津の脳裏で弾け、思考の波紋を広げる。
まるで精神の奥底に落とされた小石が、次々と波を生み出していくように。
彼は反射的に視線を上げた。
茂郎は、何事もないかのように封筒を開き、静かに中の手紙を取り出していた。
——当主、だと? どこの?
混乱が頭の中を駆け巡る。
「……だからあいつはあれほどの財を持っているのか?」
では、その権力の源は何だ?
その異能以外にも、何か持っているというのか?
だが、奴は若すぎる……
綾奈と同年代、いや、それよりも若く見える。
弘人よりも、年下のはずだ。
——そんなことが、あり得るのか?
高津は、必死にこの謎を解こうとしていた。
だが、事実が積み重なるたびに、答えはますます霧の奥へと沈んでいく。
——本当に、こんな男が目の前に座っていたというのか?
年若き身でありながら、これほど巨大で、そして危険な何かを統べる存在が——?
「……失礼しました。」
思考の渦を断ち切るように、茂郎が静かに言葉を挟んだ。
手紙を丁寧に畳みながら、わずかに肩をすくめる。
「残念ながら、義務というものは、時と場所を選ばぬものでして。」
ゆるりと顔を上げた彼の目が、静かに光を帯びる。
その一瞬——高津は、再び呑まれるような感覚を覚えた。
柔らかな笑み、洗練された物腰。
だが、その奥底には、まるで底なしの深淵が潜んでいるかのようだった。
「気にしないでください。」
「今日は、皆さんは私の大切な客人です。どうか、くつろいでください。」
優雅に言葉を紡ぐその姿は、まさに理想的なホストそのものだった。
だが、高津の心は、逆にざわめきを増していく。
この男の言葉の一つ一つ、仕草の一つ一つ——
それらすべての裏側に、目に見えぬ何かが隠れている気がしてならなかった。
——違う。こいつは、ただの資産家や当主なんかじゃない。
——この男は、世界の理そのものを覆す力を持っている。
彼は、銃弾を止めた。
荒唐無稽な幻想のような話だ。だが、それをこの目で見た。
あれは何だったのか?トリックか?未知の技術か?
それとも——
彼は、消えた。
まるで朝靄が陽に溶けるように。
気づけば、視界から消え、気づけば背後に立っている。
認識の外へ、滑るようにすり抜けていく。
彼は、空間そのものを斬り裂いた。
——それが、一番理解不能であり、最も恐ろしい現象だった。
目の前の空間に、亀裂が奔る。
まるで、この世界の法則すら、彼の存在に耐えきれず崩壊していくかのように。
それが何なのかは分からない。
だが、高津の背筋に走る戦慄は、たった一つの事実を告げていた。
——これは、「可能」の範疇を超えている。
だが、何よりも驚異的だったのは、その力ではなく「影響力」だった。
長老たち——絶対的な権力を握り、誰も逆らえぬ存在——でさえも、彼の前では沈黙する。
シゲロがたった一言を口にすれば、それまでの怒りがまるで幻のように消え去る。
——何を知っている?何を握っている?
——なぜ彼らは彼の前で黙るのか?
彼の財力も異常だった。
単なる「富」ではない。
それは「影響力」という名の絶対的な権力。
この豪華な料理、贅を尽くした部屋の装飾、従順な使用人たち。
何より、彼が自然に振る舞うその所作から滲み出るもの——
——この男は、凡人が夢見るような領域を遥かに超越している。
「…一体、何者だ?」
タカツは、無意識のうちに拳を握り締めていた。
何度も何度も、答えの出ない問いを自らに投げかけながら。
——その瞬間。
シゲロがふと彼を見つめ、口元に微かな笑みを浮かべた。
「どうかされましたか?フジワラ様。」
柔らかな声。
だが、タカツは確信していた。
この問いは単なる気遣いではない。
彼の思考を読むための、巧妙な探りなのだと。
——「お前は…何者なんだ?」
——「人間か?悪魔か?それとも、俺の理解の及ばぬ“何か”なのか…?」
恐怖が胸を締めつける。
彼の前に座るこの男は、ただ一言で世界の均衡を崩すことができる。
理屈を超えた力。
権力者すら圧倒する影響力。
——この謎を、タカツは一生解き明かすことができないかもしれない。
「……大丈夫ですよ、景翔殿。ただ、少し考え事をしていただけです。」
鷹津は静かに答えた。
その声には揺らぎはなかったが、心の奥では嵐が渦巻いていた。
「そうか。」
景翔は軽く頷いた。
彼の声音は相変わらず穏やかだった。
しかし、その瞳の奥で、一瞬だけ獣のような光が閃いた。
彼は、見えている。
見えてはならぬものまでも。
「それでは、あなたに知らせがある。」
食卓の空気が一気に張り詰めた。
先ほどまで異国の料理を味わっていた比呂翔でさえ、
箸を止め、屋敷の主から目を逸らさなかった。
「あなた方がここにいる間に——」
景翔はゆったりとした口調で語る。
まるで絹が肌を滑るような声音だった。
だが、その言葉には鋭い刃が隠されていた。
「我が者たちが、あなたの会社を調査した。
そして、あなたに敵対する者を洗い出した。」
「……敵対?」
鷹津の唇が微かに動いた。
その瞬間、背中に冷たい汗が流れた。
「裏切り者だ。」
景翔は淡々と言った。
まるで、なんでもない事実を述べるかのように。
「闇に潜む何者かに仕える者たちだ。
あるいは——」
彼の視線が鷹津を捉えた。
「——武宏と通じていた者たち、という可能性もある。」
直子は黙って会話を聞いていたが、突然、夫に向き直った。
高津は彼女の不安げな目に気づき、安心させようと笑顔を作ろうとしたが、その笑みは自分でも不自然だと感じた。
「彼ら…高広の手先だったのか?」と、彼は再度、言葉を繰り返した。
それはまるで理解しようとしているかのようだった。
「その通りです」と、シゲロは首を少し傾けて答えた。
「ですが、心配いりません。もう、あのネズミたちは二度と陰謀を巡らせることはありません。」
その言い方は、天気が変わったことを報告するようなあっけらかんとしたもので、脅迫のようなものは感じられなかったが、高津の額に冷や汗がにじんだのは確かだった。
シゲロは続けた。
「数日間、こちらでお待ちください。私の客人として。
私の準備が整えば、安心していつもの生活に戻れるようにいたします。」
「いつもの生活…?」高津は驚きの目で彼を見つめた。
「もちろんです」とシゲロは微笑みながら言ったが、その目は冷徹に鋭さを帯びていた。
「私の部下たちが貴方の安全を守ります。
貴方が無事に戻るまで、何があっても守り抜くことでしょう。」
その言葉は一見、安心させるように聞こえたが、その裏には別の意味が隠されていた。
無慈悲なまでに徹底した監視と支配。
それを感じ取った高津は、何かが変わったことに気づかざるを得なかった。
かつて自分が握っていた力、自由、確信。
それらすべてが今や、この若者の手の中にあることを、彼はようやく理解した。
「ありがとうございます、シゲロ様。」
高津はようやく口を開いたが、その言葉の下で拳をぎゅっと握りしめた。
「感謝には及びません。」シゲロは穏やかな笑みを浮かべた。
「私はただ、自分の仕事をしているだけです。」
だが、その笑顔こそが、高津にとって何よりも恐ろしいものだった。
それは、シゲロが「ただの仕事」をしているのではないことを示していた。
彼が今、築き上げているのは、ただの支配ではない。
これは、まるでシステムそのものだ。
そして、高津はその中で、かつての「王」としての地位を失ったことを痛感した。




