間章 求める存在
さしたる抵抗もなく、疲れたように膝の上で寝息を立て始めた女の髪を梳く。
耳の後ろに手を差し入れ、ゆっくり上に持ち上げると、さらさらと音を立てて零れ落ちた。
思った通りの感触に、ジェイランディスの顔は知らず綻ぶ。
宿でスープを口に運ぶたびに揺れる髪を見てから、ずっと触りたくてたまらなかった。
この国の女の髪も嫌いではない。
ゆるくうねる色素の薄い髪は、ふわふわと綿毛の様な手触りだ。
だが対照的に、今目の前にある黒髪は真っ直ぐであるにもかかわらず、しっとりと、不自然なくらいに手に馴染む。
「ジェイラン、女が…」
部屋に入ってくるなり声を上げるウィルに、静かにするよう目で訴える。
ウィルはこの状況をある程度予想していたようで、呆れたように嘆息すると小声で言った。
「お前、またそんな危険な真似を。噛みつかれるぞ。」
「その時はその時だ。」
そう言うと、ウィルは眉を寄せて不機嫌さをあらわにした。
「おい、我儘もいい加減にしろよ。そいつが原因で死んだらどうする?」
「我を通して死ねるのならば後悔は無いさ。」
「…そこまでして欲しかったのか。」
真意を探る様に問うウィルに笑む。
「あぁ、欲しかった。」
言いながら、女の頭を撫でる。
膝から伝わる体温が心地いい。
「それに、この髪は思った以上の手触りだ。一度この感触を知ってしまえば、他に触れても満足はできんだろうな。」
「髪が欲しいなら切り落とせ。」
「駄目だ。」
「なんで。」
「…なんでだろうな。」
そう言いながら、もう一度掌に髪をすくい、落とす。
指の間から砂のように零れる黒を飽くことなく見つめていると、ウィルが何か物言いたげな顔をした。
視線で問うが、「なんでもない」と首を振る。
「それより、今後そいつをどうするんだ。」
「今の部屋に住まわせる。くれぐれも不当な扱いをせぬよう使用人に言っといてくれ。」
「あの方達がその女の存在に気付かないはずはないぞ。」
「隠せるうちは隠す。邪魔されるのは癪だ。」
「…分かった。」
渋々頷くと、ウィルは扉へ歩み寄った。取っ手に手をかけると、振り向く。
「一応言っておくが、そいつに囚われすぎるなよ。」
退室する直前に投げられた言葉にジェイランディスが驚く間もなく、ウィルは部屋を後にした。
残されたジェイランディスは、膝の上に視線を戻す。
森で捕えたつもりになっていたが、確かに、囚われたのは自分の方かもしれない。
もうこの女は手放せない。
出会って一日しか経っていないが、妙な確信がジェイランディスの中にはあった。
「魔性の女、か。」
本人は人間だと言うが、実際のところはわからない。
けれどそんなものはどうでも良かった。
幼い頃から焦がれて止まなかったまっさらな存在が、今、ここに居る。
「ショーコ…」
魔の餌として食われても構わない。
今後自分を殺すかもしれない者の名を、ジェイランディスは愛おしそうに舌の上で転がした。