第6話 新たな住まい
『入るぞ。』
次の日の朝、軽いノックとともに爽やかな笑みを浮かべるジェイが現れた。…相変わらず目は笑っていないが。
『出発できるか?』
一日寝ただけだが、随分頭はすっきりしているし、体も軽い。
頷くと、さも当然のように抱き上げようとするので、慌てて首を振る。
麻酔も一夜で抜けたので、もはや歩くのに問題は無いのだ。
けれどそれを無視すると、ジェイは私を抱き上げ、驚く宿の主人の横を通り過ぎるとそのまま外へ出てひょいと馬に乗せた。
『そこで良い子に待っていろ。』
私の頭を撫でると、宿の主人に挨拶をするため一度馬を離れる。
「ちょっとウィル、ウィル!」
何故かぽかんと口を開けたままのウィルを小声で呼ぶと、我に返ったようにびくりと肩を揺らしてこちらを向いた。
「ねぇ、これジェイの馬でしょ?私降りた方がいいよね?」
あの森に入る前日から一行はこの宿に泊まっていたらしく、ジェイの護衛の騎士たちの馬は宿に預けてあった。森にあまり馬を多く引き連れると、その匂いに誘われ魔が寄るからだ。しかし、彼らの目的は魔狩り――文字通り魔を狩る――ので、全く魔が寄りつかないのも困る。故におびき寄せる意味でも馬は昨夜のように一頭が妥当だったのだそうだ。
森から宿まで私を運んだのはジェイだが、それはあの森でその一頭に乗っていたのが彼だったからに過ぎない。しかしそれすら、彼の身分を考えれば本来ならありえない。その状態が既に異常だったと言える。
けれどそれ以上に異常なのが今の状況だ。
今は、騎士達全員が馬に乗っているのだ。
にも関わらず、ジェイは自分で私を運ぼうとしている。
『ちょっと待ってくれ、俺も今混乱してる。あいつまさか自分の立場を忘れたのか?昨日は百歩譲って仕方なかったとしてもなんで今日まで?』
「そんな事考えてる場合じゃ…あーあ、帰ってきちゃった。」
項垂れると、ジェイはわざとらしく首を傾げた。
『どうした、何か問題でも生じたか。』
すると、弾かれたようにウィルが顔を上げる。
『そら問題大有りだ!なんでお前の馬にこいつが乗ってる!』
『俺が乗せたからだ。』
『それは見ればわかる!なんでお前が運ぶ気満満なんだ!』
『俺の物だからだ。自分の者は自分で運ぶ程度の常識は身についている。』
『だからそういうことじゃなくてだな!』
「あー、ちょいストップ。」
馬の上からひょいと飛び降りると、宿の主人から会話が聞こえない位置である事を確認してから進言してみた。
「ジェイは平気な顔してるけど、私と一緒にいるの、本当は不味いんでしょう?騎士さん達も心配してるし、私はウィルの馬に乗るよ。」
何故魔でもないのに自分は危険だと主張しなくてはならないのだと馬鹿馬鹿しく思いもしたが、それで騎士達の気が休まるならいいと思った。私がジェイと一緒にいると、皆始終緊張しっぱなしなのだ。
なんで俺がと言いかけたウィルも、反論はしない。
それなのに。
「お前は俺のものだ。俺のものは俺の好きにする。」
「その誤解を招くような言い方はやめてくれる?それに聞きわけの無い子供じゃないんだから、ここは言う事聞きなさいよ。」
「王族で23は十分ガキだ。」
得意げに言われた。自慢するような事ではないと思うのだが。
「そういえば、お前はいくつなんだ。」
「21。」
思い出したように問われたのでもったいぶらず問われたまま答えれば、ジェイ以外から驚きの声が漏れた。ウィル、日本語のわからない騎士達にわざわざ翻訳したらしい。というか、なんで驚いてるんだ君達。やはり日本人は幼く見られるのだろうか。どうでもいいけど。
「21、か。扱いやすい年だな。」
やけにジェイが嬉しそうにしていたが、聞いてはいけないような気がしたのでスルーした。
結局最後まで我を通したジェイにお付きの騎士達は折れ、私はジェイの馬に乗る事になった。
「…手首でも縛る?」
やっぱり護衛としては心配だろう。気の毒に思い両手を差し出してみたが、ウィルは力なく首を振った。
『ジェイランに殺されるからいい。』
我儘でもそこまで暴君ではないだろうと慰めたのだが、あまり効果はなかった。
私を横座りで馬に乗せ、その後ろにジェイランディスが跨る。ジーパンであれば昨夜のように跨ったのだが、宿の奥さんが、あの服装では目立つからと、昨夜とは違うワンピースをくれた。ワンピースで馬は跨げない。
不安定な体勢でいると、おもむろにジェイが私の頭を自分の胸に引き寄せた。
「寄りかかっていろ。そのほうが安定する。」
「あ、本当だ。ありがとう。」
礼を言うと、ジェイは無言で私の髪に頬を寄せてきた。
…なんだか異様に密着しているような気がする。
(まぁ馬の上だから狭いし仕方がないか。)
深く考えず、そのまま城につくまでジェイの胸に頭を預けた。
◆◆◆
『その色は目立つ。これをかぶれ。』
約半日かけて王宮につくと、城門をくぐる前にフードつきのコートをウィルに手渡された。
素直にそれを頭からすっぽりかぶると、こちらに気付いた門番が近づいてくる。
『お帰りなさいませ殿下。…そちらは?』
こちらに不審な目を向ける門番に、ジェイはしれっとした様子で言う。
『森で魔に襲われていた。怪我を見られたくないというから、このまま部屋まで運ぶ。』
魔に襲われたのは本当だが、針で刺された足の傷は怪我というほどのものでもない。
しかし確かめるすべのない門番は、『そうですか』と頷く。
『では医務室に話を通しておきますか?』
『いや、手当は途中の宿で済ませてあるからいい。だが騒ぎを大きくするな。彼女の傷に触る。』
『はっ。』
しっかり釘をさしながら、人目を避けるように城内へと入った。
(あの宿の主人の反応を見たら当然か。てことは牢屋にでも入れられるのか?)
ジェイは帰城を知らせるため一旦別れたので、部屋の案内は日本語のわかるウィルがしてくれた。不安に思いながらもウィルの後を着いて行くと、通されたのは、予想に反して信じられないほど豪華な一室だった。
「…これ誰の部屋?」
『客室。今からお前の部屋。で、隣がジェイラン。』
私は驚き、光の速さでウィルの首を締めあげた。
「ちょっと待って、隣がジェイ!?普通もっと離すでしょう!私のような素性もわからないやつをほいほい王族の近くに住まわせていいの!?」
自分で自分を貶めるようなことを言っているとだんだん悲しくなってくるが、言い分は尤もだと思う。すると、それまで黙って話を聞いていたウィルが突然キレた。
『俺だって反対したんだ!初めは次期皇后の部屋に住まわせようとしていたんだぞ!?それを阻止出来ただけでもいいと思え!』
「皇后の部屋?」
『扉一枚隔てて隣にジェイランがいる部屋だ。』
それを聞いて、ウィルの首を絞めていた手を離すと両手を掴んだ。
「ありがとう!」
呆気にとられるウィルを無視して、最大限の感謝をこめながらぶんぶんと手を上下に振った。第二の貞操の危機と命の危険をウィルが防いでくれたらしい。
ジェイは妻帯していない。
なのにどこの馬の骨とも知れない私をその皇后の部屋とやらに入れるなど、彼の妻の座を狙う貴族令嬢達に何をされるかわかったものじゃない。陰湿な苛めや罵倒はあって当然だっただろう。
そんな昼ドラ的展開はご免こうむる。
隣の部屋というだけで苛めは免れないかもしれないが、廊下を介するだけでも命の危険は格段に減る。
(何考えてるんだあいつ!)
あの森で私の命を拾った偽善者面をしておいて、自分の手を汚さず誰かに殺させるつもりだったのか!?
(とにかく一言言ってやらなきゃ気が済まない。)
くるりと踵を返し、文句を言いに部屋を出て行こうとすると…メイドさんたちに捕まった。
ぞろぞろと部屋へ入ってくるなり、『失礼します』と私の服を脱がせにかかる。
(え。な、何!?)
状況を理解する前に、溜息をつきながらウィルが部屋を出て行った。おい助けろよ!パタリと閉じた扉を睨みつけると、メイドさん達の肩が一瞬強張った。仕事柄それを顔には出さないものの、やはり宿の奥さん同様、この色が怖いのだろう。だから仕方なく諦めの溜息をついてじっとした。
しかし風呂の段階になり、流石に私も抵抗した。一人で入れる!と言いたくても言葉がわからず、いやいやをする私に、メイドさん達の火がついたらしい。無理やり下着をはがし、備え付けの風呂に押し込む。皆めいめいに石鹸やらスポンジやらを持ち出し、そこからは一心不乱に私を磨きにかかった。
特に気合が入っていたのは髪を担当したメイドさん。
美容師ばりの手つきで地肌まで指の腹で丁寧に洗うと、タオルのような布で吸い取る様に水気をぬぐい、髪の一本一本に至るまでこってりと香油を馴染ませた。
いつもは面倒な時などリンスインシャンプーで適当にゴシゴシ洗い、タオルでこすって軽く水気を取ったらドライヤーで根元だけ乾かして終わる私はげっそりした。
その後どうやって服を着せられたのか覚えていない。
気付いたら隣室のソファーで寛ぐジェイの膝の上で髪を梳かれていた。
もう好きにしてください。
私は当初の目的を忘れ、半ば不貞腐れたように目を閉じた。