第4話 異世界への誘い
「これから宿に向かうが、お前は喋るなよ。」
馬の上、ジェイと名乗る銀髪の男にそう声をかけられたが、私は曖昧な返事しか返せなかった。
ずぶ濡れで駆けずり回ったせいで頭がぐらぐらするのもあるが、それ以上に、この男から説明された状況に頭がついていかなかったのだ。
まず、私が居る場所。
やはりというかなんというか、ここは日本ではなかった。
どころか、地球ですらない。
ユマレーンの北に位置する、水の都、ディオスクロイ。ここは、ディオスクロイの西に広がる、『魔の泉』と呼ばれる森らしい。
森の名はともかく、当然ユマレーンなんて大陸名は聞いた事が無いし、その大陸の四分の一を占める大国の名なら、いくら地理に疎い私でも流石に知らないはずがない。
次に、私の持つ色素。
日本人であれば普通の容姿である黒髪黒目だが、こちらでは『黒』という色は『魔』であることを意味する。
髪はおろか瞳まで黒い人間は存在せず、それは動物も同様らしい。
例外はただ一つ、『魔』と呼ばれる生き物だけである。
私が襲われた、体毛も瞳も黒い狼。あれがまさしく『魔』。
獰猛な肉食獣であり、時には民家を襲い、人の肉を喰らうという。
そんなものと間違えられるなどたまったものではないが、実際彼の後ろに控える騎士たちは、私を殺る気マンマンだったらしい。今でもひしひしと視線を感じる。
けれど彼らはそれを躊躇った。
理由は、私の話す言語だ。
「魔である私が神語を話すと混乱が生じるから、でしたっけ、えっと…ジェイ…様?」
「ジェイでいい。話し方も普通で構わん。」
「ですが」
「では命令だ。呼び捨てにしろ。敬語もやめろ。」
横暴だ。けれど悪い気はしない。逆だったら、多少反論したかもしれないけれど。
「…わかりまし…わかった。でもなんで日本語が神語なんて言われてるのよ?」
「詳しい事はわからん。だが昔、アスピディスケ神殿最高官と懇意にしていた人物が、神語、お前の言うところの日本語を話していたらしいと、教師には教わったがな。」
ここからは推測も交じるが、話を聞くと、かなり昔、私のようにこちらへ渡ってきた日本人がいたようだ。その人がどうやら神職――つまりお寺のお坊さんで、仏教をこちらの人に説いたらしい。元々アスピディスケ神を信仰していたディオスクロイに仏教が広まる事はなかったが、教えを聞いたディオスクロイの神職に就く重役が大変感銘を受け、その仏教を説いた人に敬意を表し、日本語を神語として広めた、というのが、ジェイの話を聞いての私の解釈だ。
これが伝承としか伝えられていない話で、しかも渡ってきたのがお坊さんなら頭は剃髪。こっちの人間が、黒髪の私をそのお坊さんと同じ出身だと判別できなくても頷ける。しかも日本語を扱えるのが神職についている人たちと王族だけなら、そう判断できる人がかなり限られてくるだろう。
「でも騎士さんたち、私が日本語を話しているって分かってるみたいだけど?」
「言葉の抑揚で神語だと分かっても、話の内容までは分からんさ。」
日本人が、英語を聞き取れても何を言っているのか理解できないのと一緒か。
そこでふと思い出す。
「そういえば、さっき私にやったアレ、何?」
「あれ、とは?」
「私の額に」
「口づけたことか?」
「そう、それ。」
頷くと、にやりと笑ってジェイは言った。
「鏡が無いから見えないだろうが、今お前の額には、俺の紋が入っている。」
「紋?」
「そうだ。その紋で、お前はこちらの言葉を理解出来るようになっている。だが話せない。」
「なんで?」
「俺は神語を扱えるが、お前はこちらの言葉を知らない。故に、聞き取りにおいて神語とこちらの言葉の置換は可能だが、話すことに関してはお前が徐々に覚えていくしかない。」
ジェイが翻訳機なわけか。聞きとりだけでも出来るならかなりありがたい。
(ていうかこれ、もしや魔法とかいうやつ?やっぱ便利ねー。ふぁんたじー。)
キャパオーバーしそうな頭で明後日の方向を見ながら他人事のように考えていると、ジェイがこちらの言葉で話しかけてきた。
『ユィ・ラ(分かったか)?』
「うん、わかる。」
「こちらの言葉では『ユィ』と答えればいい。『ラ』が疑問形だ。肯定を表す言葉だから、今後の為に覚えておけ。」
「ユィ。発音これでいい?」
「あぁ。」
『おいジェイラン。』
ジェイに発音を教わっていると、馬を先導していたオレンジ頭の男が会話に割り込んできた。
『あまりこちらの情報を与えるな。その女が人間だと確定したわけじゃない。』
こちらの言葉で敵意剥き出しな男の言葉にむっとする。
「だったらあんたも質問してくればいいでしょ。日本語、わかってるくせに。」
本人が目の前に居るのに失礼な男だ。そう言うと、オレンジ頭はふんと鼻を鳴らした。
『何故俺が魔と口をきかねばならない。』
「それは私と話しているジェイを卑下する言葉よ。従者のくせしてそんな事も分からないの?」
『貴様…』
「さっきから、その女とか貴様とか失礼ね。私には芹沢硝子という名前があるんだけど。」
『セリ…?』
「セリザワがファミリーネーム、ショーコがファーストネームよ。こっち風に言えば、ショーコ・セリザワ、かな。」
それを聞くと、オレンジ頭は眉を寄せた。区切ってゆっくり発音するが、どうも耳慣れないようだ。
『変な名だ。』
「つくづく失礼な男ね。親が一生懸命考えてつけてくれたのに。いいわ、なら今度からあんたの事はその髪色に免じてミカンって呼んであげる。」
『ミカン?』
「私の国で冬に半纏着てコタツで温まりながら食べる国民中に愛されている柑橘系の果物よ。」
『よくわかんねぇけど、お前、俺の事馬鹿にしているだろ。』
「いいえ。言ったでしょ?国民中に愛されてる、って。あんたが正しく私の名前を言えるようになったら止めて上げるわ、ミカンさん。」
『とてつもなく間抜けな響きに聞こえる。』
「何?聞こえないよミカンさん。」
わざと耳に手を当てて言うと、彼は諦めたように嘆息した。
『…ウィリアム。ウィリアム・カスト・ジュードだ、ショーコ。』
渋々といった様子で答えるミカン、もといウィリアムににこりと笑む。
「そう、宜しく、ウィリアム。愛称はウィルでいいのかしら。」
『なんでお前に愛称で呼ばれなきゃ』
「ミカン?」
『…なんでもいい。』
私はにこりと笑むと、ウィルに向かって聞いてみた。
「ウィルも日本語がわかるのよね。ジェイの付き添いでここにいるってことは、神職よりも王族の線が強いわけだけど、ウィルはどの辺の位の人?それから、なんで日本語使ってくれないのよ?」
するとウィルは視線を前に戻し、口を開いた。
『戸籍上の父は現王の兄だが、俺は昔気まぐれで奴に拾われたから、実際に王族の血はひいてねぇんだ。どの辺と言われても、王位継承権は元々無いしな。まぁ分かりやすく言うなら、ジェイランの従兄だ。神語を使わないのは、ただ単に喋りにくいから。』
現王の兄の息子で従兄…?
嫌な予感がして、後ろで自分を支えながら馬の手綱を握る男を振り返る。
「えっと…ジェイ?」
「やっと話が終わったか。待ちくたびれた。で、なんだ?」
「最初に聞くべき質問を忘れてた。名前は聞いて、ジェイが王族だってことも分かったけど。正式な肩書は何?」
するとジェイは、再び壮絶な笑みを浮かべ、言った。
「ディオスクロイ国第二王子、ジェイランディス・ユマ・イスラ・ディオスクロイ。これが俺の正式な肩書と名だ。」
あっさり落とされた爆弾に、私は再び明後日の方向を見るしかなかった。