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銀のMaZe  作者: fatum
ディオスクロイ編
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第3話 黒と銀

はぁはぁと荒い息をつきながら、自分の思考を否定するようにひた走る。

先程一瞬まみえた、見た事も無い髪色をもつ男達に、私は思ってしまったのだ。


ここは、私の知る場所では無いのかもしれない、と。


「あっ…!」

意識を逸らしたのがまずかった。

小さな小石に足を取られると、どさりとその場に転んだ。

急いで立ち上がるも、耳に届くリアルな足音と息遣いに、体が震える。

(まさか、こんな所で死ぬの?)

恐る恐る振り返ると、月明かりに照らされた複数の獣。

(――嫌だ。)

こんな死に方は嫌だ。

悔しさに唇を噛みしめたその時。


目の前を、一本の針が横切った。


あまりの早さにすぐに反応はできなかったが、飛んでいった針の先を見ると、私を追いかけていたはずの狼が倒れ伏していた。

しかも一頭ではない。

死の断末魔を上げることさえ許さず、恐らくこの場に集まっていた全部の狼の息の根を止めた首に刺さる長い針が、夜だというのにやけにはっきりと見えた。

(助かっ…た?)

ほっと息をつきかけたその時、再び銀の針が夜の闇を縫って飛ぶ。

(え?)

見下ろすと、いつの間にか狼を仕留めたのと同じ針が、私の右太ももにも刺さっていた。


感覚はなかった。


いきなり足の骨が抜かれたようにぐにゃりと体が傾ぎ、突然の事に受け身もとれない私を、暗闇から躍り出た人影が現実へと引き戻した。

倒れかけた私の両腕をぐいととると一気に頭の上で纏め上げ、流れるような動作ですぐそばの木へと押し付ける。

ガン、という何かが刺さる音の後、ようやく自分の状況を把握した。

手首を動かすと、無機質な冷たい塊に当たる。半円状の金属で、どうやら腕を縫い止められたらしい。

パンプスの中で右足の指を動かしてみるが、やはり感覚はなかった。痛みがない所をみると、麻酔の類でも塗ってあるようだ。

(ていうか、なんでこんな冷静に分析してんのよ私。)

非現実的な事が起こりすぎて、逆に頭が冴えてきたようだ。

顔を上げると、一連の動作を音もたてず行った影が、ただ静かに佇んでいた。

紺の髪を風に揺らし、髪と同色の紺の目を持つ男。

微動だにせずこちらを観察する男に動揺は見られない。十中八九、針を放ったのはこの男だろう。

そして、この足の針が、狼たちを狙ったうちの一発が外れて刺さった、なんてことは無いだろう。

暗闇でこの命中率なら、きっと間違いなんてありえない。

そう、この男はわざと足を狙った。意図的に動きを封じたのだ。万が一この腕の拘束が解けても逃げられないように。


ということは、これから行われるのは尋問だ。


私は、走り疲れと急展開のせいで一気に脱力した。

「…あぁ、面倒臭い。いっそ私も殺してくれればよかったのよ。」

そうすれば、このわけのわからない夢からもさめたかもしれない。

ついさっきまで狼に殺されるのは嫌だと走りまわっていたというのに、この男を前にするとそんな抵抗も無意味だったのだと思えてきた。

なんかもう、どうでもいい。

考えるのさえ億劫になり目を閉じた。

「トゥーラ?」

ふいに聞こえた声に顔を上げると、紺の男のさらに奥の森、銀の髪を揺らし、静かに歩いてくる男がいた。

驚愕に目を見開く。


(この男、さっきの…!)


狼から逃げる途中に会った一団の中、唇を笑みに歪め、馬上からこちらを見下ろしていた男。

咄嗟に、彫刻のように整いすぎたその容貌に縋りたくなったのは確かだ。

けれどその青い瞳だけは、気持ち悪いほどに笑っていなかった。

この男は危険だ。

そう思ったから、彼らに助けを求めることをせず逃げたのに。

「ネラ、」

男が口を開く。

「ネラ ハイネ トゥ、イルース?」

まるで睦言を紡ぐように唇には笑みを乗せ、けれど青い瞳は冷めきっている。

言葉の抑揚とは非対象な逃げを許さないその瞳に、何故だか急激に怒りが湧き上がってきた。

どうしてそんな目で見られなければならないのよ?

一体私が何をしたっていうの!

「わからない。」

乱れた髪の隙間から睨みつけると、男の眉がぴくりと動いた。

「何を言っているのかわからないって言ったのよ。私の理解できる言葉で喋んなさいよ。あんた、この男の上司でしょ?助けてくれたことには感謝するけど、どうしてこんな扱いされなきゃならないわけ?ったく、女一人にここまでするなんて恥ずかしくないの?男の風上にも置けない!」

そこで自分を落ち着かせるように一息つくと、私は男の出方を見た。

銀髪の男の後ろには、彼を守る様に騎士の格好をした屈強な男たちが控えている。

これだけの罵倒に彼らの誰一人反論しないところを見ると、言葉は理解できていないと考えるのが普通だが――

「…『逃げないのか?』と。」

ぞくりと背中を駆け巡るようなテノールが、耳を嬲った。

「『何故、我々から逃げた?』と聞いた。」

流麗な日本語。

一気に血の気が引いた。

これは言葉が通じたことに喜ぶべきなのか、それとも罵倒が聞かれていたことに嘆くべきなのか。

どちらにせよ、また寿命が縮んだことは間違いなさそうだ。

――よりにもよって一番関わりたくない男によって。

青の瞳が興味深げに瞬く。

「今の言葉は通じたか?」

諦めの境地で素直にこくりと頷く。

「魔の色を宿すのに神語を操るか。」

「神語って何ですか。」

投げやりに問えば、思いのほか親切に教えてくれた。

「今俺とお前が使っているこの言葉だ。お前、さっきの言葉はわからなかったのだろう?」

頷くと、男は考えるように視線を落とし、傍に転がっている鞄を見遣った。中から専門書がいくつか飛び出ている。それに気付いた騎士がそれを拾い、男に渡した。

「これは?」

「私の本です。」

「…読めんな。」

本をめくりながらそう呟く男に、首を傾げる。

「日本語は話せるのに、読めないんですか?」

「ニホンゴ?」

日本語が知られていない。もうこのあたりで、異世界トリップは私の中で確定した。

気落ちしながらも仕方なく説明する。

「はい。あなたが神語といったこの言葉です。私達日本人は、国の名を取って日本語と言います。」

下を向いたまま棒読みで答えると、くっ、と笑う気配が伝わってきた。

「随分と投げやりだな。先程の威勢はどうした?」

あ、やっぱり覚えていたか。根に持つタイプだったらどうしよう。…今更か。

「疲れたんです。どうぞ構わず。」

「そうか。」

男は本を閉じ騎士に渡すと、こちらに真っすぐ歩み寄ってきた。

騎士が何かを言うが、それを無視して男は進む。

手が自由であれば容易に届くであろう距離まで近づいて来た男に、体が強張った。

長い指で顎をつかみ、くいと持ち上げられ、強制的に視線が合わせられる。

「お前は『魔』か?」

瞬きさえも許さぬ強さで見つめてくる青を、なんとなく負けじと見返す。

「『魔』の定義がわかりません。私の認識では、『魔』とは人の心の弱みに付け込み、望みを叶え、その望みの対価として魂を喰らう存在ですが、全て架空の生き物です。」

「それは我々の言う『魔』とは違う。我々の言う魔とは、黒い体毛で覆われた獣の事だ。その目には闇を宿し、血肉を求める獰猛なる種。時には人の肉を喰らう。」

これのように、と傍らに転がる狼の死骸に視線をやると、顎を掴んでいた手を離し、私の顔にかかっていた髪を取る。濡れたまま駆けずり回ったせいでそれはすっかり冷たくなっていた。

「お前は黒い髪と黒い目。これだけ見れば魔に属するものかと思うが、魔が人に変じた例は無い。だが人が黒を宿したという話も聞かぬ。その色は生まれつきか?それともあの月にでも本来の色を奪われたか。」

「生まれつき、と言えば信じてくださるのですか。」

どうせ信じる気などないくせに、という意味を込めたのに、何故か男は嬉しそうに笑った。

「俺にそんな口のきき方をする女は初めてだ。」

「お誉めにあずかり光栄です。」

「くく、ますます面白い。」

こっちは全然面白くない。

「では改めて問おう。お前は『魔』か?」

「いいえ。」

「我々に害をなすものか。」

「いいえ。」

今まさに私が害されそうだけどな。

私の内心を知ってか知らずか、男はその答えに満足したように言った。

「ならば恭順の意を示せ。さすれば俺はお前を保護しよう。」

「………保護?」

思わぬ方向に進みだした話に眉を顰めるが、男は見事にそれを無視した。

「表向きはこうだ。『魔の泉にて、魔と思われる女を捕獲。されど女は我々人を敵と認識してはいない。故に、魔を調伏することを目的とし、王家の保護下に置く』。」

私はぽかんと口を開けた。すぐには言われていることが理解できなかった。

つまり、私を服従させることを目的として王家で保護するということらしい。


いや、ちょっと待て。その前に今、『王家』って言った?


なんとなく、一人だけ刺繍の入ったベルトだとか宝石入りの剣だとかを身につけているから、それなりに高位の人だろうとは思っていたが…。

私は思わずまじまじと銀髪男を上から下まで眺めた。

「何か言いたそうだな?」

「いえ、なんでもありません。それより、それは『表向き』の口実なんですよね。ではその真意は?」

話を逸らしてそう問うと、男は壮絶な笑みを浮かべた。

ぶわりと肌が泡立つ。

「俺はな、退屈なんだ。」

目を細め、囁くように形の良い唇から息が漏れる。

妖艶すぎる男の声に、ひくりと無様に喉が鳴った。

しかし、紡がれた次の言葉に唖然とする。

「お前、俺の愛玩動物にならぬか?」

「…は?」

愛玩動物って、ペットのこと?

…聞き間違いだろうか。聞き間違いだと思いたい。

「え、っと…愛玩動物って言いました?今。」

「正しく、愛玩動物だ。」

男は頷いた。間違っていなかったらしい。

ふと男の後ろを見ると、騎士の中でも割と細身なオレンジの髪をした男が口元に手をあて、冗談だろ、って顔をしていた。

うん、そうだよね。それが正しい反応だと思う。

「衣食住は保障する。」

目の前に立つ銀は、視線を逸らしたことを咎めるように、私の顔にかかる髪を掬うとそっと耳にかけた。ざわりと肌が泡立つ。どうしてだろう。こんな、恋人にされるようなことをされて心がときめかないのは。

これなら耳元で「殺す」って言われた方がまだマシかもしれない。

心の中で泣いていると、オレンジ頭が一歩進み出た。

『ジェイラン、魔を飼うなんてお前本気か?』

私のわからない言語で話すオレンジ頭。

けれど反論しているだろうことは雰囲気でわかる。

銀髪の男は振り返ると、オレンジに向かって言った。

『持って帰ると言ったろう。もうボケ始めたか?ウィル。』

『確かに言ったが、お前今ペットって言ったろ?見た目は女でも魔だぞ。そんなものを側に置くつもりか?』

銀の男の視線から外れた私は安堵の息をついた。

あの美形に氷のまなざしで見られては心臓が持たない。

それにしても、こいつまともな趣味していないのではないだろうか。うん、絶対そうだ。

女の子に猫耳つけさせてニャアニャア言わせることに快感を覚えてしまっているとか。

…危なすぎる。貞操の危機である。

だって女を飼うっていうと一つしか連想出来るものが無い。

これは今後の為にも聞いておくべきだろう。生憎そんなもので恥じるような年でもないし。

「あの、」

「なんだ。」

男が若干の不機嫌さを滲ませながらこちらを向いた。

一瞬怖じ気付きそうになりながらも、この男に舐められるのは癪なので平静を保ちながら言った。

「私は娼婦ではありません。夜のお相手なら遠慮したいのですが。」

私の言葉に、オレンジ頭はびっくりしたように眼を丸くした。

「変わっているな、お前。」

銀髪の男が何故だか嬉しそうに笑む。

「俺が王族だと分かった上で、関係を結ぶのを拒否するとは。今までに無い反応だ。」

自分が女にもてることを自慢しているようにしか聞こえないのだが。

なんとも答えようがないので黙っていると、男は続けた。

「案ずるな。お前より抱き心地のいい女など腐るほどいる。」

「でしょうね。それを聞いて安心しました。」

あからさまにほっとした私に、二人は意外なものでも見るような視線を寄越した。反論するとでも思ったのだろうか。

自分の身に危険が及ばないなら何も言うことはない。

しかも衣食住は保障してくれるというのだ。この知らない土地でそれはかなりありがたい。

しかし、しかしだ。おいしい話には必ず裏がある。

ほいほいついていってしまっていいのだろうか。

…と逡巡していると、なんともその場にそぐわない音が辺りに響いた。


ぐぅ~~


「「「……」」」


あぁ畜生!!なんでこのタイミングでなるんだよ!

自分の腹を思い切り殴りつけたい衝動に駆られた。

というか、穴があったら入りたい。

どうしてくれようこの醜態。

「し、死にたい…」

情けなさ過ぎてぽつりと零れた言葉を拾った銀は、口元に手を当てクスクスと優雅に笑った。

「魔でも腹は減るのだな。」

「だから魔ではないと言っているでしょう。」

「実際、魔であってもそうでなくても俺は構わんのだがな。で、どうする?」

私は恨めしげに魔王様を見上げた。答えは分かっているのにあえて聞くところが厭らしい。

「…衣食住の面倒を見てもらう代わりに、私は何をすれば良いのでしょう。」

ほぼ了承したも同義な言葉に、魔王様はそれまでの笑みを消し、一瞬切なげな表情を浮かべた。


「我が望むとき傍にあれ。それ以上は望まん。」


その懇願するような響きが演技だとは、どうしても思えなかった。

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