第20話 願いと望み
「何故ここにいる。」
私を隠すように前に立つジェイがそう問うと、ふっと笑う気配がした。
「愚問だな。俺の城に俺がいて何が悪い?」
「何しに来た。」
「彼女と話をしに。」
「去れ。」
わざとジェイを煽るような物言いをしていた王は、笑みをおさめると言った。
「用があるのはお前ではない。」
「硝子は俺のものだ。こいつに用があるならまず俺を通せ。」
「例えお前に許しを乞うたところで彼女の元へ通しはしまい?」
「通してほしくば実行犯の首でも差し出すんだな。」
王は溜息をつくと、ジェイに隠れて見えない私に対して問いかけた。
「なぁ、少しだけ話をしたいんだ。こいつになんとか言ってくれないか。」
「聞くな硝子。」
「君も気になるんじゃないのか?俺があの場で君に血を流させた理由。」
「貴様…!」
「ジェイ。」
私は、こちらに背を向けて立つジェイに向かって言った。
「理由、知りたい。」
「しかし」
「そう言ってくれて嬉しいよ。だがジェイランディス、お前は席を外せ。」
「何?」
ジェイは目を眇めると正面から王を射ぬいた。
だがそれをそよ風のように受け流すと王は続けた。
「代わりに護衛を何人置いてもいい。だがお前は駄目だ。」
「ふざけるな。それは認められない。」
「…ジェイランディス、お前は聞きわけの悪い子供か?」
「はっ、どっちが。あれだけの事をしておいて貴様の言い分が通ると思えるその神経を疑う。」
親子の会話のはずなのにどうしてこうも空気が寒いのだろうか。
私は溜息をつくと、再び「ジェイ」と声をかけた。
「ごめん、外して。」
「硝子!」
「代わりにリガロとウィルをここに置いてくれる?ジェイの護衛をとって悪いんだけど。」
「ならば俺もここにいる。」
「それは駄目だと言っているでしょう?」
「……」
「ねぇ、お願いだから。」
ジェイは一度唇を噛みしめると、王に背を向けて私の目の前に立った。
そして頬に手を滑らせると、耳元に唇を寄せる。
「…お前は、こういう時ばかりそんな目をする。」
「!ジェ…」
耳たぶを甘噛みされ、喉がひくりと変な音を立てた。
「リガロ!ウィル!」
ジェイが王の立っている後ろの扉に向かって呼びかけると、間もなく紺の髪とオレンジの髪の二人が現れた。
「命令だ。王が硝子に危害を加えそうになったら迷わず殺せ。」
「王座はどうするんだ?」
ジェイを止めるでもなくウィルがそう問うと、問われた張本人は不敵に笑った。
「俺がもらうさ。」
ジェイはにやりと笑むと、ぽんとウィルの背を叩いて扉に手をかけた。
一度振り返って私を一瞥すると、今度こそ部屋を出て行った。
「いつからあんな簡単に王殺しを命じるようになったのだ、あいつは。そもそも本人が居る前でするか?あんな話。」
ジェイがいなくなったことで見えるようになった王の表情は、それでもどこか楽しそうだった。
「そしてお前たちはその命に応えるのだろうな。」
ウィルとリガロに視線を向けると、緊張した面持ちで立つ二人に王は笑って見せた。
「安心しろ、逆賊として捕えることなどせんよ。主従関係とは得てしてそういうものだ。むしろ俺はあいつが感情を表に出せるようになった事が素直に喜ばしい。その結果殺されるならば本望だ。…とはいえ、俺が死んだら周りがうるさいだろうな。そうならないよう遺書でも書いといてやろうか?王印つきで。」
「空寒い冗談はやめて下さい。」
リガロの溜息に、王はからからと笑って見せた。
随分、謁見の間で見えた王と印象が違う。
あの時は、武骨でいかにも頭が固そうに見えたのだが、今は口調も砕けているせいか、ただの人の良い中年おやじにしか思えない。
「さて…そんなに観察しても俺の顔は変わらんよ。」
「!」
唐突に向けられた視線に硝子が一瞬うろたえると、王はにやりと笑んだ。
「それとも、魔ともなれば顔の造作を変えるなど容易いか?」
「…さぁ、どうでしょう。」
曖昧に答えると、王はわざとらしく片眉をあげる。
「魔であることを否定せんのか?」
「否定して、また痛い思いはしたくありませんので。」
そう言うと、王は表情を改め、部屋の中央に設置してあるソファーへと目を向けた。
「座っても良いかな?」
「私に許可を求めるまでもないかと。ここは貴方の城なんですから。」
「存外記憶力が良い。」
「代わりに私はこのままここに居させていただいても宜しいでしょうか。そちらに移動するほどの体力がありませんので。」
「構わんよ。」
嫌味をきれいに受け流しながら王がソファーに腰を下ろすと、私はベットの上から向き合う形になった。
そしてベットを両側から挟むように、ウィルとリガロが立つ。
視線が合うと、不意に王が苦笑した。
「やはりと言うべきか、当然と言うべきか。やけに攻撃的だな。」
「そうでしょうか。」
「実に人間的だ。」
王は短い顎ひげを軽く撫でると言った。
「ではまず、既に気付いているとは思うが、改めて言っておこう。君に毒矢を射るようじたのは俺だ。」
これに関しては誰も驚かなかった。射られた直後の王の言葉から想像するに容易い。だが次の王の言葉に耳を疑う。
「してその理由というのは、君が人か魔か見定める為だ。」
「…は?」
私は素で呟いた。
魔か、と問われ、否と答えて射られたその理由が、人か魔か見定めるため?矛盾している。そんな馬鹿な話があるだろうか。
最高権力者に対して失礼だとかそういった感情が一切合切抜け落ちた私は、わき上がる怒りにまかせて、衝動のまま叫んだ。
「…私はあの場で正直に答えました。けれどあなたは、私の答えなど関係なく、始めからああするつもりだったんでしょう?だったら何故あんな質問をしたんですか!?あんな回りくどい事をせずにさっさと射ればよかったでしょう!」
灰の瞳を睨みつけながら言うと、王はくすりと笑った。
「君の、今のその反応が見たかった。」
王は短い髭を撫でながら、語りはじめた。
「まず、君が魔であったと仮定した場合。人としての知能を持つほどの魔が、息子に…というより王族に、表面上でも従っている。なればその理由として考えられるのは、王族からの恩恵を得るため、もしくは王族の何かしらを狙って命を奪おうとするため、だいたい考えられるのはその二つ。そんな魔に、『人か魔か』と問いかけた場合、王族に取り入ろうとするならば、人であると装う必要はない。むしろ魔であると答えた方が、己の力を恐れ余計な人間は近寄らない。まあ脅しになるってわけだ。だが、あえて人と答え、油断させたところで命を奪うという手もあり得る。そこで次の『弓』だ。魔とは総じて頑丈なもの。あれくらいの弓でどうなるということはない。だが己の獲物に自身が傷つけられたとなれば、いくら人の知能を有する魔とて、いや、人の知能を有するがこそ、プライドは傷つけられるだろう。弓を射かけられたことに逆上し、本性を現し、あの場で俺を殺しに来る事を予想した。だが、それすらも耐えられる理を備えた魔だとしたら?そこで判断の材料となるのが、今のこの場だ。傷をつけられても尚、王族から何かを得ようとする魔ならば、俺に対してそれほどの敵意は向けて来ないだろう。俺が射かけるよう命じた事を知らぬふりをし、下手に出て、俺に取り入ろうとしたに違いない。――だが君はそうしなかった。」
灰の瞳がふわりと笑む。
「人とは実に単純だ。理不尽に己を傷つけられ、その怒りを抑えられるほどの理性を備えてはいない。なれば、俺の行動に逆上する君は、間違いなく人間であると、俺は断定する。」
――つまり。
『人』だと答えたとしても、『こんな傷、大した事ありません』だなんて言っていたら、アウトだったってことだ。
(…んのタヌキおやじ)
怒りに身を任せ、王に暴言を吐いた事を反省しかけた自分が馬鹿みたいだ。
無言で睨みつけると、ジェイと同じように、にやりと口角をあげた。
人だと分かってくれたのは嬉しいが、素直に喜べない。
なんだか全てが馬鹿馬鹿しくなって、私は大きなため息をついた。
「まぁそうしょげるな。」
「しょげたくもなります。今思えば、かなり危ない橋を渡っていたんだと思い知らされましたから。」
「それは俺とて同じだぞ?あの謁見の間で殺される可能性もあったんだ。」
「代理人でも立てればよかったでしょう。どうしてそこまでするんです。たかが一人の為に。」
すると、王は小さく苦笑した。
「こんなことを言っては、君にまた怒られるかもしれないが…君というより、ジェイランディスの為だな。」
「ジェイの?」
「あぁ。あいつがここまで何かに執着するのを俺は見た事が無い。それこそ、俺を殺そうとするほどに。だがその執着相手が魔であるならば、俺は例え息子に殺されようと、この国のため、魔は滅さねばならない。」
しかし、と王は続けた。
「君は人であった。たとえ俺の見極めが足りず、仮に魔であったとしても、俺は人として君を歓迎する。衣食住は勿論、君の望むものは全て与えよう。…その代わり」
王は、すっと、ごく自然な動作で頭を下げると、言った。
「ジェイランディスの傍にいてやってくれ。」
「王、何を…!」
それまで黙って話を聞いていたウィルが驚きに声を上げる。
リガロも、言葉を発しはしないものの、息を呑む音が私の耳に届いた。
「君も多分聞いたのだろう、ジェイランディスの力の事。あいつはあの力の為に、幼いころから、心ない大人達の言動に傷つき、己を閉ざしてきた。そんなあいつが初めて欲したものならば、俺は与えてやりたいと思う。」
「そんな『物』みたいに扱われては不愉快です。」
「分かっているさ。だが、俺が君を留まらせる方法はこれしかない。いざとなれば、我が権力を使って君を留まらせるのも吝かではない。」
「望むものは全て、だなんて言って、私が国の財政を圧迫させるかもしれませんよ。」
「その点に関してはあまり心配しておらんよ。君は謁見のドレスを着たくないと渋ったそうではないか?若い娘なら飛びつくものを。君は実に慎ましやかだ。望みといっても、それほど大そうなものは抱くまい?」
「…私が、自分の世界に帰りたいと言ったら?」
はっとウィルがこちらを向く気配を感じた。不用意に、自分の世界の事を他人に話すなと口止めされてはいるが、これに関しては譲れない。
「あなたがどこまで知っているかはわかりませんが、私はこの国の、それどころかこの世界の住人ではありません。どうやってここへ来たのか、どうしたら帰れるのか私にはわからない。でもいつかは自分の世界へ帰りたい。それが私の望みです。」
王はまぶたを伏せ、考えるそぶりを見せた。
「セルファルカから話は聞いている。先程からの君の態度を見てみても、それが嘘だとは思わん。だが私の望みは、君にジェイランディスの傍に居てもらうことだ。仮にも王たる俺が頭を下げたのに、それは叶わんと?」
脅すような仕草をみせる王に、頷いた。
「はい。私の望みは、私が元の世界に帰る方法を探し、その手助けをして下さる事。これが叶えられないのなら、私は今すぐここを出て行きます。」
「逃がさないと言っても?」
「はい。」
ふぅ、と小さく息をつくと、王は顔を上げた。
「君を人だと断定した以上、君にも家族がいるのだろうとは思っていた。それがこの国も住民ならば、家族ごと我が城に住まわせてもいいと考えていたのだが、それは叶わぬのだな。…人が人を縛ることはできん、か。ならば分かった。君の世界へ還る方法は探そう。それまででもいい、ジェイランディスの傍にいてくれないか。」
「そのつもりです。」
「では交渉成立だな。気が変わったら、いつまでもこの世界にいてくれていいのだからな?俺は君を娘として歓迎しよう。」
「これほど口答えする娘なんて、居たところで扱いに困るだけですよ。…っ!」
くすくすと笑っていると、体の揺れに反応したのか、腕の傷がずきりと痛んだ。
「おぉそうだ、あまりに君が気丈にしているものだから忘れるところだった。ウィル、ジェイランディスを呼んで来い。それとセルファルカもな。どうせその辺にいるだろう。」
「わかりました。」
ウィルが部屋を出てから数分足らずで、セルファルカと、不機嫌丸出しのジェイが姿を現した。
ジェイは部屋へ入ると、王の方には見向きもせず、真っすぐ私の傍まで歩み寄ってきた。
実の父親とはいえ、王に対してそんな態度でいいのか?
「話は終わったのか。」
「一応。」
「それで、何故まだこいつがここにいる。」
王の方は一切見ないジェイに、王が大げさに溜息をついた。
「おいおい、親をこいつ呼ばわりか?」
「貴様は黙れ。俺は硝子に聞いている。」
「そんな態度をとるなら、彼女の解毒方法も教えんぞ?」
「「「!!」」」
「解毒薬があるのですか?」
皆が一斉に王の方を向いた事で王は一瞬たじろいだが、リガロの言葉に、少し申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「いや、お前が一番よく知っているだろうが、この国に解毒薬は無い。手配すれば勿論手に入るのだが、向こうに注文を出し、解毒薬を手に入れるまでの時間が惜しかった。毒はベルトナート人が所有していたから、解毒薬を手に入れる前に謁見を行ったのだ。念のため、先に注文の文は送ったのだが、やはり間に合わんかった。」
「貴様…よくもそんな状態で毒を使用しようなどと考えたな。」
「仕方がないだろう。注文を出してから薬が届くのにひと月はかかる。その間、魔かどうか不確定な彼女をそのままにはしておけまい?」
「お前には関係ないだろう!」
「はいはい、お前はちょっと黙ってようね。」
再び斬りかかりそうになるジェイの肩を掴んで押しとどめながら、セルファルカが聞いた。
「しかし父上、そうなると解毒の方法というのはもしや…?」
「お前の考えている通りだ。薬の到着を待つより、出向いた方が早い。魔の森を越えるのに必要な人員は既に招集してある。薬の注文の文に、本人が出向くであろうことも記しておいたから、いけば薬は手に入る。幸いその毒は、昼間動くのに支障はないからな。夜は辛いだろうが、移動に問題は無いだろう。」
「幸いもなにも、それを見越して蛇の毒を使用したんでしょうに。」
額を抑えてやれやれと息をつくセルファルカににやりと笑むと、王は立ち上がった。
「いつでも出発は出来る。お前達のタイミングで行くといい。では、いい加減息子の視線に耐えられそうにないから、俺は立ち去るとするよ。」
それだけ言うと、王はあっさりと部屋を辞した。
「えっと…話がよく…?」
本人をおいてけぼりにして何か話が決まってしまったようだ。
説明を求めると、リガロが説明してくれた。
「いくら毒が薄いとはいえ、解毒は早いに越したことは無い。加えて薬を待つより自らあちらに出向いた方が、適切な処置もできます。準備はすべて王が整えてくれたようです。」
「あちら?」
問うと、リガロが頷いた。
「西のベルトナート。別名、火の都。私の故郷です。」