第13話 謁見
一人の兵士に導かれ、私は見上げるほど大きな扉の前に居た。
白を基調とするその扉の頂点には向かい合う二羽の鳥が金で描かれ、長い尾が扉の縁を彩っている。
両開き式の扉の取っ手には、同じく金で描かれた蔦の様な植物。
その取っ手に複雑に絡む蔦の一本一本を目で辿りながらゆっくりと呼吸し、暴れそうになる心臓を鎮める。
「入れ。」
扉の両脇に控えていた二人の兵士が取っ手をそれぞれ手にかけ、示し合わせたように同時に手前に引いた。
「…っ」
一瞬目に入った光景に、慌てて目を伏せる。
奥の玉座に至るまでの身廊を挟むようにしてずらりと居並ぶ人、人、人。
その想像以上の多さに息を呑んだ。
一歩を踏み出すと、自分を目にした者達の音にならない驚愕の声、次いで向けられる好奇の視線。
ぴりりと張りつめた空気の中にあって、それらが手に取るように分かった。
――気を抜けば呑まれる
歩を進めるごとに増すそれらに、ぎゅっと唇を噛んで耐えた。
仕立て屋に頼んで仕立ててもらった真っ白なマーメイドラインのドレスを引きずりながら、滑るように歩く。
昔、ドレス職人の親戚が「硝子はきっとマーメイドドレスが似合う」と言ってくれたのを思い出したのだ。
こちらはAラインドレスが主流らしく型を伝えるのに苦労したのだが、出来上がりを見たアンとエリーは興奮しながら褒めちぎってくれた。
『このようなドレス、初めて見ましたわ!』
『えぇ、細身で背が高いショーコ様のお身体にピッタリ!』
『この淡いピンクと水色のグラデーションがかかった広い裾なんか、虹色の尾ひれを持つギュレオの様でとても美しいですわ!』
『ねぇアン、このドレスを生かす為には派手な装飾はよした方がいいわよね?』
『そうねエリー、肩口に一つコサージュを誂えるだけにしましょう。』
『いいえ、いっそドレスへの装飾は無しにしましょう。代わりに髪に花を添えてはどうかしら。』
『あぁ、それは良いわね!ドレスが白、御髪が黒と来たら…』
『『花は赤!!』』
鼻息荒く叫ぶ二人に圧倒されたのは言うまでもない。
その時の様子を思い出しながら、手錠につながれた手で軽くドレスに触れた。
――大丈夫。落ち着いて。
心の中でそう自分に言い聞かせながら、すっと背筋を伸ばし、視線は伏せたまま歩いた。
段差が見えた所で立ち止まると、半歩右足を後ろに下げ、腰を落とす。
この上に、王が居る。
息を吸うことさえ許されないような静寂が支配する中、オネルヴァに習った通り、先に名乗りを上げようと口を開きかけた。
が、そこで予期せぬ事態が起きる。
「面を上げよ。」
…え?
私だけではなく、その場に居る全員が硬直した。
普通王からの招きがあったとはいえ、目下の者が名乗り、それから視線を合わせる事を王が許すというのが正しい順番だ。なのに、先に許しが出てしまった。
戸惑いながらも、王の命に背くのが一番まずいと判断し、仕方なく顔を上げた。
――若い
それが第一印象だった。
ジェイと同じ銀髪は短く、優雅というよりは勇敢。がっしりとした体格は、鍛え抜かれた戦士のもの。溢れる覇気は、ただそこに座っているだけなのに、自然と頭を下げたくなるような錯覚を抱かせる。
それなのに、瞬きすらせずこちらを見下ろすグレーの瞳には興味の色が濃い。
(…やっぱり親子だな。)
初めて会った時のジェイと同じ目をしている。早く目の前の玩具で遊びたくて仕方がないとでも言いたげだ。
こちらから見て玉座の左に腰かけるジェイと見比べてみたい気もしたが、顔を上げる事を許された今、視線を逸らすことは逆に不敬となるので止めておいた。
(さて、次はどうしよう。)
顔は上げてしまったけれどやはり先に名乗るべきか?と逡巡していると、またもや先に王が口を開いた。
「エンゲルブレクト・イレ・ジェナー・ディ・ディオスクロイだ。そなた、名はなんと申す。」
「…ショーコ・セリザワと申します。此度のお招き、恐悦至極に存じます。」
なんとか初めに言うはずだった台詞を口にしながらも、頭の中は混乱状態だ。
もしかして、何かを間違えた?
もっと早くに名乗るべきだった?
あらゆる可能性を考えてはみたが、思い至るものがない。
だからと言って、間違いはなかったと言いきる自信もない。
正直、どうしようもなかった。
(…またこのパターン?)
全く、この国の王族は碌な生き物じゃない。
見た目人間の私をペットにするとか言いだすわ、わざわざ会いに来るためだけに食糧庫に馬を突っ込ませるわ、こんなに大勢の人が居るというのに平気で儀礼を無視するわ。自分達の言動一つでどれほどの人間が振り回されるのか分かっているのだろうか。
…主に振り回されているのは私なのだが。
(被害請求してやりたい。)
物凄く自分が不憫に思えてきた。
本来なら、今頃大学で授業を受けていたはずだというのに。
そういえば、レポート提出が終わったら久しぶりに友人達と飲みに行く約束もしていた。
――向こうは今どうなっているんだろう
王と視線を合わせたまま、玉座の後ろの窓へと意識を向ける。
ゴシック建築の交差ヴォールトのような高い天井を支える、細い柱に嵌められた窓から差し込む温かな光をなんとはなしに見ながら、もう飲み会終わってしまったかな、などと現実逃避していると、様子を観察していた王がおもむろに口を開いた。
「真、見事な黒だ。偽の色ならば日の下に於いて霞むかと思うたのだが。」
つまり信じていなかったと。疑われることには慣れたからどうでもいいけど。
答える事がないので続きを待つと、王はにやりと笑った。
「しかもこの場に動じておらぬ。『魔』故に今の状況を理解しておらぬのか、ただ度胸があるだけなのか。」
(あんたのせいだよ!)
肘掛に肘を置いて銀の顎髭を撫でる王に物申したくなった。
動じましたとも!そりゃもう盛大に!ただ開き直っただけだ!
「娘、お前の出身は何処か。」
「わかりません。」
やっと来たまともな質問には、ジェイと前もって打ち合わせておいたように答えた。
「魔の泉にてジェイランディス殿下に拾っていただけるまでの記憶が御座いません。」
「なれど神語は話せるのであろう?…神官長。」
玉座に最も近い身廊に控えていた真っ白な装束に身を包む中年の男が、分厚い書物を王に恭しく差しだした。
――私の専門書!
「この書物、お前の物で間違いないか。」
「はい、確かに私の持っていた物で御座います。」
「わしには読めぬが、この字体が神語であることは神殿で確認済みだ。なればザウラ出身ではないのか。」
ザウラ…?
初めて聞く単語に首を傾げるが、王は私の反応を見ただけでそれ以上を追及しては来なかった。
「まぁいい。問題はそこではない。」
王は頬杖をついたまま、興味の色しか湛えていなかった灰の瞳をすっと細めた。
「魔か否か。わしが知りたいのはその一点のみ。それにはどう答える。」
「人です。」
この点に関しては正直に告げるべきだと、ジェイには言っておいた。
いくらジェイの保護下にあっても、魔か人かを曖昧にしておくと、ジェイの身を守る為という名目でそのうち動物実験なんかをされかねない。
魔だと答えた場合、人の形をしていようと扱いは家畜同然となることだろう。最悪、王族を穢す危険分子として殺される。
人だと答えた場合、周りが信じるかどうかはともかく、少なくとも人として接せねばならなくなる。仮に本当に人だった時(仮ではなく真実なのだが)、王子自らが目をかける者をぞんざいに扱ったとなれば取り返しがつかなくなるからだ。
つまり、「人」だと答えるのが一番安全なのだ。
きっぱりと答えると、ざわめきが起こった。
――あんな色持ちが人なわけがない
――魔の泉から湧いたのだ、騙されるものか
――何故王子はあんなものを側に置くのだ、気でも狂ったか
聞こえる言葉の端々に胸が痛む。
端から信じてもらえるとは思っていなかったが、まさかここまでとは。
(そりゃ神殿も警戒するわけだ。)
手錠なんてまだ軽い方だった。
一人落胆していると、ざわめきを制するように王が片手を上げた。
辺りが再び静寂に満たされる。それを確認すると、王が言った。
「真実人なのか、人だと思い込んでいる魔なのかわからぬが…王家、ひいては人間に対し叛意はあるか。」
「ありません。」
たとえこちらに飛ばされた影響で本当に魔になってしまっていたとしても、今ここに居る芹沢硝子の意識は完全に人である。これだけはどうしても信じて欲しかった。
灰の瞳をじっと見返すと、王がふっと笑ったような気がした。
――認めて、くれた…?
ほっと息をつきかけたその瞬間、ひゅんと風を切るような音の後、右の二の腕に鋭い痛みが走った。
ぶわりと全身が総毛立つ。
「ならばその意思、見せてもらおう。」
王の声も耳に入らない。
不敬など忘れ、王から視線を逸らすと自分の二の腕を見下ろした。
なんだ、この細長い棒は。
棒の先には矢羽の様なものまで付いているではないか。
――ではその先端は?
そこまで確認する前に、私の視界はぶれた。
全身が燃えるように熱い。
汗が噴き出す。
足に力が入らなくなり、ぐらりとよろけた。
その間にも、玉座に座ったまま成り行きを見守る王。
やられた。こいつ、人か魔か、はじめから試すつもりだったのか…!
(この糞狸が!)
悔しさにぎりっと奥歯を噛みしめその場に踏みとどまろうとするが、もはや体は言う事を聞かなかった。
急激にこみ上げる吐き気に立っていられなくなりバランスを崩すと、そのままゆっくりと、まるでスローモーション映像の様に体が傾いだ。
視界の端に、呆然と佇むジェイが映る。
どさりと体を床に打ちつけると、青の瞳が驚愕に見開かれた。
まるで、今にも泣き出しそうな顔。
その様子に、私は腕の痛みなどそっちのけで怒鳴りつけたくなった。
(まさかこんな大衆の面前で泣くつもりじゃないでしょうね。あんたは国の顔としてここにいるんでしょ?そんなことも忘れるなんて王族失格よ。)
そう言いたかったのに、開いた口はえずく事しか出来ない。
徐々に増す腕の痛み。
がんがんと頭を殴られるような感覚。
明滅する光。
それらに耐えながら、もう一度ジェイの方を見た。
視界が霞んで、もうはっきりとは見えない。
けれどきっと、まだあの間抜けな顔を晒しているに違いない。
――だからあんたは子供だっていうのよ。
ふっ、と微笑むとぷつりと意識が途切れた。
遠くで誰かに、「ショーコ」と呼ばれたような気がした。