第六章 六人目 武闘家の拳が炸裂する虎の爪
血の色の空、荒れ地にそびえ立つ魔王の城。
そこに、一人の武闘家がやって来た。
先に魔王の城に挑み消えた勇者たちと同じく、一人っきりだった。
武闘家とは、格闘を得意とし、一部の特殊な魔法も使える前衛。
拳などにいくらかの装備品を身につけるが、基本的には素手で戦う。
素手での戦いというと不利に思われるが、
状況の変化に対応しやすいという利点がある。
剣など鋭い武器は切れ味が劣れば不利になるし、
斧などの大型の武器は狭い場所では取り回しが難しい。
その点、素手ならば対応は容易い。
鋼のような丈夫なものも均一ではなく弱点を突けば破壊可能、
狭い場所では素手の方が取り回しがしやすい。
時と場所に応じて素手の利点を見極めて戦うのが武闘家。
更には拳に魔素を込めて魔法のように操ることもできるし、
集中することで身体機能や治癒能力を一時的に高めることもできる。
全身が武器であり防具である。それが武闘家というものだった。
その武闘家が魔王の城の門へ向かうと、荒れ地のあちこちから気配を感じた。
よく見ると、荒れ地の岩に思われたものは、岩の魔物たちだった。
ゴロゴロと荒れ地を転がりながら、岩の魔物たちが集まってくる。
その武闘家は拳を握って構えた。
「やはり魔王の城、ただでは入れて貰えんか!」
小刻みに飛び跳ねていた体を一気に飛ばし、拳を岩の魔物に叩き込む。
頑丈な岩の魔物は、しかし窪みなどの脆い部分を突かれて砕けていった。
すると、砕けた岩がまたそれぞれに岩の魔物となって動き出すのだった。
「ほぅ、砕けると数が増えるのか。それは厄介だな。
しかし、そんな小物を集めても私は倒せんぞ!」
武闘家は怯まず、小さくなった岩の魔物たちを叩いていく。
砕いても砕いても増えて動き出す岩の魔物だったが、
さすがに砂ほどの小石になれば動き出すことはできないようだった。
動く岩の魔物をひたすらに叩き、
武闘家の足が地面の砂を踏みしめるようになった頃、
辺りに動く岩の魔物の姿はなく、元の荒れ地へと戻っていた。
「ふぅ、ようやく終わったか。
それでは、魔王の城へ入らせてもらおう。」
そうしてその武闘家は、やっと魔王の城へと足を踏み入れたのだった。
魔王の城の内部は、捻くれた骨のようだった。
床も壁も柱も全てが捻れている。
そしてその光景に合わせたかのように、骸骨の魔物で溢れかえっていた。
通路を埋め尽くすかのような骸骨の魔物たちが、
剣に斧に魔法の杖にとそれぞれに武器を携え侵入者を待ち構えていた。
侵入者であるその武闘家は、拳についていた荒れ地の砂を払って身構えた。
「やはり魔王の城の内部も魔物でいっぱいか。
元より、素通りさせてくれるとは思っていないが。
さあ、いくぞ!ヤーッ!」
掛け声を一つ、武闘家は骸骨の魔物たちの群れに飛び込んでいった。
気がつくのに遅れた哀れな骸骨の魔物の頭が蹴り飛ばされる。
飛んでいった骸骨の頭が、他の骸骨の魔物の頭を砕いた。
続けて武闘家は目の前の魔物のがら空きの胴に蹴りを放った。
骸骨の魔物は胴をへし折られ、さらにその後ろにいた魔物の胴も砕けた。
そんな調子で武闘家は、一撃で二体三体の魔物たちを倒していった。
慌てたのは、群れた骸骨の魔物たち。
何せ各々にバラバラの武器を携えていたところに、
懐に侵入者の接近を許したものだから、どうにも身動きが取れない。
剣を振ろうとすれば隣の魔物の斧に引っかかるし、
斧を振ろうとすれば隣の魔物を巻き込んでしまう。
魔法を使おうにも対象もよく見えない有り様、
誤って同族を魔法で燃やしてしまうのが落ちだった。
一方、武闘家の方は武器として拳に僅かな拳鍔を携えるのみ。
狭い中でも思いのままに振るえる上に、周囲の骸骨の魔物は返って盾になる。
武闘家は圧倒的な数の劣勢を感じさせない戦いを披露した。
拳が周囲を薙ぎ払うように一周した後、骸骨の魔物たちは全滅していた。
「よし、今ので最後だな。
全く数だけは立派なものだったが。
この程度で私を止めることはできんぞ。」
多勢に無勢とは何のことだったか。
その武闘家は拳についた骨粉を払いながら、魔王の城の内部を進んでいった。
魔王の城の内部を進むことしばらく。
武闘家の進む先に、三叉の通路が姿を表した。
正面と左右の三つの通路、そのどの先にも、
魔物たちの集団が待ち構えているのが見て取れる。
どちらに進むべきか、その武闘家には考えるまでもなかった。
「ここまで来て回り道する必要もない。
私が進むべき道は、正面にしかない。」
その武闘家は迷うこと無く、正面の通路を選ぶことにした。
確信はない。
ただ回り道に意味を感じなかっただけ。
そうして選んだ道は正解なのか、それを考える間もなく、
次の魔物たちがその武闘家の前に立ちはだかった。
鎧の魔物たちだった。
全身を金属の鎧に身を包んだ、あるいは鎧そのものが正体の魔物たちが、
集団を編成して武闘家の行き先を塞いでいた。
今度は先程までとは違う、偶発的な戦闘の開始ではない。
魔物たちは意図して集団を編成していた。
お互いが適度に距離を取り、お互いの武器が干渉しないようにしている。
体も岩や骸骨の魔物よりも頑丈な鎧。
無闇に飛び込んでも、今度こそ多勢に無勢というものだろう。
だから、その武闘家は、計画して懐に飛び込んでいった。
集団の隙になりえる、大柄な斧を持つ鎧の魔物の懐に入り込む。
すると周囲の魔物たちは、斧の間合いには踏み入ることができない。
そうして作った一対一の状況で、武闘家は至近距離から鎧の魔物を観察した。
金属の鎧は固く素手での攻撃は無力のように思われるが、一枚岩ではない。
鎧には継ぎ目や隙間がある。
そこを目掛けて、武闘家の鋭い拳が突き出された。
目の前の鎧の魔物は、腕と胴の継ぎ目を拳で貫かれ、体が崩れてしまった。
すると振りかぶっていた斧は制御を失い、周囲の魔物を巻き込んだ。
一撃で二体三体の相手を倒す。一対多数の戦い方は変わらない。
その武闘家はまたしても数の不利を有利に使い、戦いを有利に運んだ。
倒れた魔物により開いた空間は捨てて、武闘家は次の魔物の懐に入り込む。
鎧の魔物たちはお互いの武器の間合いを意識して集団を編成している。
ということは、お互いの懐には攻撃が届かないということを、
こちらに教えてくれているようなもの。
武器の見た目に加えて魔物の集団は射程を具に表していた。
魔物の集団の中で一対一の状況を作り出していく。
その武闘家は鎧の魔物を一体また一体と倒し、
額には汗、そして顔には微笑すら浮かべていた。
「集団は難しいな。
お互いの存在が弱点にもなってしまうのだから。
それが嫌で私は一人なんだよ!」
鎧の魔物たちに魔法を使うものがいなかったのも、
その武闘家には有利に働いた。
そうして武闘家の拳が打撃で赤く染まってきた頃、
動いている鎧の魔物の姿はいなくなっていた。
「よし、ここも片付いたか。
流石に連戦は堪える。
そろそろ魔王の元にたどり着きたいものだ。」
その武闘家は拳を収めると、通路の先へと進み始めた。
自分が既に魔王の術中にあるとは、思いもしないで。
三叉の通路の真ん中を進むことしばらく。
今度は行く手に、大きくて豪華な扉が見えてきた。
「あれは、魔王の部屋か?」
その武闘家の疑問に答えるものはいない。
大きくて豪華な扉の前には、誰の姿もなかった。
骸骨の魔物も、鎧の魔物も、動くものは何もいない。
ただ大きな石像が二つ、扉の両脇から見下ろしているだけだった。
その石像の大きさは人間三人分ほどもあろうか。
筋肉質の男の石像で、無表情な顔がこちらを向いている。
「・・・?はて、気のせいか。」
その武闘家は小首を傾げ、大きくて豪華な扉に手をかけた。
するとその時、魔王の城の内部を照らす、青い松明の火が揺らいだ。
石像の影が揺らぐ、それを武闘家は見逃さなかった。
目の前の扉を蹴って、後ろに可能な限り大きく飛び避ける。
一瞬の後、先程までその武闘家が立っていた場所には、
石像の太い腕が左右から二本、床を砕かんばかりに打ち下ろされていた。
「はっ!すっかり騙されていたよ。」
見上げると、二体の石像が動いていた。ぎこちなく、しかし力強く。
あれは石像ではなく、魔物。生ける石像という魔物だった。
生ける石像は、魔法により命を吹き込まれた石像の魔物。
見た目は全くの石像なので、その武闘家も油断していた。
並の者であれば、初撃すらかわすことが不可能だっただろう。
松明の揺らぎの中で影の動きを見切ったおかげだった。
二体の生ける石像の一撃はあまりに強力で、お互いの拳が欠けたほどだった。
すると、欠けた拳から出来た岩片が、岩の魔物として動き出した。
ただでさえ強大な生ける石像は、岩の魔物の塊でもあった。
最初、その武闘家は、生ける石像の足を砕くつもりだった。
巨体の足を砕いて動きを止める。
だがそれでは、巨大な足の形の岩の魔物を生み出してしまう。
強大な魔物の数を増やしてしまうことは避けたい。
増やすなら無視できるほどに小さな岩の魔物を。
そのために、その武闘家は、
二体の巨大な生ける石像の間を飛び回ることを選んだ。
片方の生ける石像に蹴りを放ち、上へと飛ぶ。
そうして隣に立つもう片方の生ける石像の胴に拳を放つ。
拳は生ける石像の胴を幾らか砕き、小さな岩の魔物を生み出す。
しかし武闘家は二体の生ける石像の間を飛び回っているので、
床を這いずるだけの岩の魔物は届かない。
そうして反動を利用し、さらにもう片方の生ける石像も攻撃する。
生ける石像はその武闘家に比べて巨大過ぎた。
小さく飛び回る武闘家に、生ける石像の攻撃は空を斬った。
空振りの攻撃の連続に業を煮やした生ける石像が、両手を組んで振りかぶる。
一撃で周囲ごと潰さんとするその攻撃を、武闘家は待っていた。
生ける石像のもう片方に影が被さる方向に飛び、さらに肩を蹴って飛び越す。
大きく振りかぶった生ける石像は攻撃を止められない。
力いっぱいの攻撃を、お互いの体に頭から叩き込む結果となった。
岩が砕ける音が大音響で魔王の城の内部に響き渡った。
お互いの体の間を飛び回る武闘家に気を取られ、
二体の巨大な生ける石像がお互いの体を砕いた音だった。
お互いの体は強力な一撃で無惨に崩れ去り、元の石像の形は留めていなかった。
つまり残っているのは、細かくなった岩の魔物だけ。
「よし!狙い通りにいったな。後は岩の魔物の掃討だけだ。」
それはその武闘家が魔王の城に入る前にしたのと同じこと。
細かくなった岩の魔物に拳を叩き込んでいく作業だった。
そうして多数の岩の魔物たちも叩き潰し、
ようやくその武闘家は大きくて豪華な扉を開いたのだった。
大きくて豪華な扉の中には、しかし魔王はいなかった。
その部屋は宝物庫のようで、金銀財宝が高く積み上げられていた。
人間の欲望に訴えかけるような財宝たち。
しかし、精神を鍛えた武闘家には無力だった。
武闘家には己の鍛錬と魔王の討伐以外に興味はない。
宝石や装飾品の数々を、岩片でも見るかのように通り過ぎていく。
進む先に、今度こそ魔王がいるはず。
武闘家は拳を携えて進んでいく。
しかしそこに、武闘家の興味を惹くものがあった。
台座に飾られた大きな金属の爪。
それを目にして、その武闘家は足を止めて感嘆の声を上げた。
「おお、あれは、虎の爪ではないか!」
虎の爪。
それは武闘家なら一度は耳にしたことがあるであろう、拳鍔の一種。
その長い爪を拳につけることで、まるで獣のような切れ味を拳に宿らせる。
もちろん、攻撃の間合いも打撃も強力。
武闘家が憧れる逸品だった。
「なんと、音に聞こえし虎の爪が、魔王の城にあったとは。
これがあれば、魔王との戦いも有利になるだろう。
早速、頂いていくとしよう。」
その武闘家は今まで使っていた拳鍔を外し、虎の爪を拳にはめた。
虎の爪は重く頑丈で、つけるだけで拳が強化された気がした。
「よし、では行こうか。」
それからその武闘家は、一歩踏み出した。
その時、付け替えたばかりの虎の爪が、ほんの僅か、
ほんの切っ先だけ、飾ってある鎧に触れてしまった。
カツン。
その小さな音が、その武闘家の悲鳴に変わった。
「ぐあああああああ!拳が!」
武闘家が抑えた腕の、拳が砕けて真っ赤に染まっていた。
それは、その武闘家が気が付かなかった、魔王の策略の結果。
この魔王の城にたどり着いてから、正確には魔王の城に入る前から、
その武闘家はずっと、硬い魔物ばかりを大量に相手をさせられ続けてきた。
岩の魔物たち、骸骨の魔物たち、鎧の魔物たち、二体の生ける石像たち。
その疲労は体の、特に武器として使われる部位に蓄積されていた。
拳や足など、武闘家の武器である生身は、状況の変化には強いが、
しかし剣などと違って替えが利かないという弱点を持つ。
それを魔王に突かれてしまった。
鋭い攻撃は反動も大きい。
強力な強度を持つ虎の爪は、その分反動も強力で、
予期せぬ不意の接触が、その武闘家の拳を砕く留めの一撃になってしまった。
砕けて血だらけとなった拳を抑えて、
その武闘家は忌々しそうに言葉を漏らした。
「ここに来て、あと少しで魔王というところで、
私の拳が限界を迎えるとは・・・!
しかたがない、今回は引き上げだ。
帰還魔法!我を安全な場所に運び給え!」
武闘家が鞄から魔法の巻物を取り出し、広げ唱える。
すると、びゅうびゅうと風が吹き溜まり、
武闘家の体を包みこんで何処かへと運んでいった。
後には、血まみれの虎の爪が残されていた。
そうしてその武闘家は、魔王の城から王都へと戻った。
すぐに治癒師のところに駆け込み、拳の治療を乞うた。
しかし、治癒師は気の毒そうに首を横に振った。
「残念ですが、この傷を治癒するのは難しそうです。
疲労により砕けた拳は、治癒術でも完全には元に戻せないでしょう。」
治癒師の言葉に、その武闘家はがっくりと肩を落とした。
唯一最大の武器である拳を失って、武闘家は悲嘆に暮れるのだった。
そんなことがあってから、しばらくの後。
あの武闘家は今、鍛錬の日々に戻っていた。
疲労により破壊された拳は、今も元には戻っていない。
しかし、武闘家は諦めなかった。
拳がなければ足がある。
今、その武闘家は、新しい武術を研究している真っ最中だった。
新しい武術とは、拳の代わりに足をつかう戦法。
負傷し強度を失った拳を足として、
逆立ちして足を主な武器とする全く新しい武術だった。
「やっ!はっ!」
最初は一人だったその武闘家の下に、
同じく拳が使えなくなった武闘家たちが集まっていく。
そうして、新しい武術は今や、
拳に問題がない武闘家たちにとっても有益なものとされていった。
その武闘家は今日も鍛錬に汗を流している。
魔王がその後倒されたという話は聞かない。
ということは、自分の出番はまだまだ終わっていないということ。
その武闘家の諦めない心は、厳しい鍛錬も苦にならない最高の糧だった。
終わり。