第三章 三人目 火炎の魔法使いと大火炎の杖
真っ赤な空、荒れ地にそびえ立つ、魔王の城。
その魔王の城に挑まんとする、一人の女がいた。
その女は魔法使い。
戦士などの前衛と集団を組むこともなく、
たった一人だけで、この魔王の城までやってきた。
この世界には魔王がいる。
魔王は手下の魔物たちを使い人間に害を及ぼす。
強大な魔物たちに、か弱い人間は為す術もない。
しかし、そんな虐げられし人々を救おうと、数多の人々が立ち上がった。
その魔法使いの女も、そんな勇気ある人々の一人。
かつてはその筆頭に勇者がいたが、今は行方知れず。
その魔法使いがただ一人、魔王の城に挑もうとしていた。
その魔法使いは高位の魔法使いで、特に火炎の魔法を得意としている。
発生させた火炎の魔法があまりにも強力すぎて、
過去には迷宮の構造物ごと崩壊させてしまったことすらある。
尖った帽子にひと繋がりの法衣、捻れた木の杖を手にした出で立ちは、
誰がどこからどう見ても魔法使いとわかるが、
その長い髪の毛の先が僅かに縮れているのは、その時の名残り。
そのことを知っているのか、魔王の城の周囲にいる魔物たちは、
その魔法使いの姿を見つけても、手出しをしてこない。
魔法使いは抵抗を受けること無く、魔王の城の大きな門を潜った。
魔王の城の内部は、やはり魔物がいて、魔法使いの前に立ちはだかった。
通常、魔法使いは集団での戦闘では後衛に分類される。
戦士などの前衛が魔物と直接対峙している間に、
後衛の魔法使いが魔法を詠唱する。
しかし、今、その魔法使いは一人っきり。
魔法を詠唱する時間を稼いでくれる前衛の助けはない。
だが、その魔法使いは高位の魔法使い。
魔法を詠唱するのに極短時間だけ集中できればいい。
動きの鈍い魔物ならば、近付かれる前に魔法の詠唱を終えてしまえる。
小柄で動きの速い魔物も、初撃は杖で往なして、
自ら魔法を詠唱する時間を稼ぐことができる。
回避だけに限ってみれば、その魔法使いは前衛に引けを取らないだろう。
初撃を外した魔物に二度目の機会はない。
その魔法使いが素早く詠唱した火炎の魔法により、
魔物たちは火達磨になって果てていった。
魔法使いが魔王の城の内部を進むことしばらく。
目の前に三叉に分かれた通路が見えてきた。
正面と左右にそれぞれ通路が伸びている。
どの通路の先にも、魔物たちが集団で待ち構えているのが見える。
比べてみると、正面の通路の防御が最も手厚いだろうか。
いずれにしても、この先に重要な何かがあるのを感じさせる。
先程までの魔物たちの散発的な攻撃とは違い、
今度の魔物たちは集団を意識して編成しているのは明らか。
そうなると、一人っきりの魔法使いは不利になる。
腕力に劣る魔法使いが、魔物の集団相手に自分から切り込むの無理がある。
前衛の魔物だけを魔法の標的にしても、
その間に後衛の魔物からの攻撃を受けてしまうだろう。
前衛も後衛も一部しか倒せなければ、
次の魔法の詠唱までに距離を詰められる事は必至。
しかしその魔法使いは慌てない。
三叉のどの通路にも踏み込まず、その手前で立ち止まる。
短時間、目を瞑って完全な集中を得る。
そうして魔法使いが複雑に入り組んだ魔法を詠唱すると、
やがて三叉の通路の先に陽炎が立ち上ったかと思うと、
真っ赤な炎の火柱がいくつも燃え上がって魔物たちの行く手を塞いだ。
魔法使いの火炎の魔法が遮ったのは、魔物たちの行く手だけではない。
通路の前と後ろから挟み込む形で、
前衛も後衛もまとめて集団ごと火炎で包み込んだのだった。
それも一つではない。
三叉の通路の三つに陣取る魔物の集団が三つとも、
火炎の魔法に周囲を遮られる形となった。
魔法使いが同時に複数の火炎の魔法を詠唱した結果だった。
その魔法使いほどの高位の魔法使いになると、
同時に複数の魔法を混ぜて詠唱するのも可能なのだった。
燃え盛る火炎の檻の中で、魔物たちは火に包まれていった。
魔物が苦し紛れに放った矢を避けつつ、魔法使いが笑う。
「あはは!火炎の魔法の檻に閉じ込められた気分はどう?
そんな当てずっぽうの攻撃じゃ、わたしには届かないよ。
集団が密集し過ぎなのよ!
そんなに密集してたら、わたしにとっては薪みたいなものね。」
魔法使いの高笑いを最後まで聞いた魔物はいただろうか。
炎の檻を形作っていた火炎の魔法が収まると、
そこには動く魔物は一匹も残ってはいない。
元より捻じくれていた魔王の城の柱と壁と床に、
先程までは魔物だった炭が残っているだけだった。
「・・・?」
その残骸に、魔法使いは微かに違和感を覚えた。
柱が捻じくれているのが気になるのだろうか?
それも違う気がする。
違和感の原因はわからないが、ここは魔王の城の内部、
立ち止まっている間はない。
その魔法使いは、床の炭を踏み潰しながら、正面の通路を進んでいった。
三叉の正面の通路を進むことしばらく。
その魔法使いの前に、一際大きくて豪華な扉が見えてきた。
部屋の中には重要なものがあることを感じさせる。
あれが魔王の部屋なのだろうか。
いずれにせよ、その魔法使いには前に進むしかない。
部屋の前には警備の魔物たちが控えている。
先程の魔物たちとは違い、集団があまり密集していない。
これでは、いくら高位の魔法使いでも、
炎の檻で全ての魔物を捉えるのは無理そうだ。
その魔法使いは近付く前に、また目を瞑って短時間の集中を得る。
呪文の詠唱に従って、豪華な扉の前の広範囲に陽炎が立ち上っていく。
ポッと最初の口火を切ると、次には通路全体に火炎の魔法の炎が燃え上がった。
またしても魔物たちはその魔法使いに先んじられた。
しかし、今回の魔物たちは密集していなかったために、
火炎の魔法の炎は広範囲だが火力は幾らか劣るようだ。
それでも、小型の魔物や火炎に弱い魔物は次々に倒れていった。
比較的大型の魔物も、体を炎に覆われて戦うどころではない。
体を叩いたり転げ回って炎を消そうと必死になっている。
そんな中で、火炎の魔法の影響が少ない魔物たちが数体いた。
それは魔物たちの中でも魔法に長けた魔物たち。
ボロの法衣に身を包み、魔法の杖を手にした魔法使いの魔物たちは、
魔法の障壁の球を発生させることで、火炎の魔法から身を守っていた。
魔法の炎の中でも、魔法の障壁の球の内部は平穏だった。
「へえ、やるじゃない。じゃあこれはどうかしら?」
魔法使いは、広範囲に炎を発生させる火炎の魔法を詠唱しながら、
同時にまた他の魔法の詠唱も始めた。
すると、中空に大きな火炎の魔法の球が現れた。
燃え盛る球は飛び回り、魔物たちの魔法の障壁の球に激しくぶつかった。
すると、魔物を守っていた魔法の障壁の球は、
ガラスの球のように粉々に砕け散ってしまった。
一つだけではない。
火炎の魔法の球が、玉突きのように魔法の障壁の球を次々に突いて割っていく。
魔法の障壁を失えば、中の魔物はもう無防備。
ボロの法衣に火が点いて、次は全身が火達磨になった。
そうして魔法使いは獲物が焼け上がるのを待っているだけで、
行く手に立ち塞がる魔物たちはもういなくなっていた。
残っているのは、僅かな燃えカスと、無傷の柱や通路。
床に残る僅かな燃えカス。
それはまた、その魔法使いに違和感を抱かせた。
何かが気になる。しかしやはり何なのかはわからない。
「・・・やっぱり、何か気になるわね。
どこかに魔物でも潜んでるのかしら。」
しかし周囲を見れど、魔物の気配は感じられない。
違和感は気になるが、いつまでも立ち止まってもいられない。
その魔法使いは、意を決して、大きくて豪華な扉を、
重さに負けないよう体ごとしがみついて開いていった。
大きくて豪華な扉の中は、魔王の玉座ではなかった。
しかし重要には違いない、様々な金銀財宝が積み上げられていた。
どうやらその部屋は宝物庫のようだった。
「まぁ、素敵な宝石たち・・・!」
魔物と戦ってはいても、その魔法使いも女には違いない。
美しい宝石や装飾品を前に、その魔法使いはうっとりと見惚れていた。
戦いなどなければおしゃれもしたいところ。
今もその魔法使いは指輪等の装飾品をいくつも身に着けてはいるが、
それは魔法の支援効果のためで、おしゃれのためのものではない。
宝物庫には、美しさのためだけに作られた宝石や装飾品が山とあった。
あの宝石は指輪にすればさぞ素敵だろう。あのドレスもいい。
そんな風にその魔法使いは、しばしおしゃれをする自分に思いを馳せていた。
だから、危うく見逃してしまうところだった。
壁に飾られていたそれは、一見すると炎を湛えた松明のように見える。
しかしそれは、ただの松明ではない。
本当は魔法の杖であり、大火炎の杖と呼ばれるものだ。
大火炎の杖は強力な炎の魔法の支援効果を秘めているという有名な魔法の杖。
もちろん、火炎の魔法を得意とするその魔法使いにとっても有益なものだった。
「これは、噂に聞いたことがある、大火炎の杖ね。
さすがは魔王の城の宝物庫。
こんなお宝が収められているだなんて。
でも今は、この部屋のものはわたしのもの。
ありがたく使わせてもらうわね。」
魔法使いは大火炎の杖を手に取った。
すると、大火炎の杖に灯っていた炎が、さらに強まったようだった。
大火炎の杖の威力はきっと魔王討伐の役に立ってくれることだろう。
「とはいえ、手に入れたばかりの杖で魔王と戦うのは無茶ね。
幾らか試し打ちをしておいた方がいいでしょう。」
その魔法使いは慎重にも、
手に入れたばかりの大火炎の杖の威力を確かめるため、
宝物庫に入ってきた扉の方へと戻っていった。
宝物庫の前の通路には、先程の戦いの残骸が残っていた。
燃え残った魔物たちの装備品や煤など。
それらが魔王の城の捻じくれた骨のような柱や床を汚している。
魔法使いはすぅっと息を吸うと、大火炎の杖を突き出し目を瞑った。
短時間の集中に、大火炎の杖の炎が一層激しく燃え上がる。
その炎が溢れたかと思うと、通路一面が炎に染まった。
燃え上がる炎は、僅かに残った残骸すらも燃やし尽くしてしまった。
それ程の炎でも、扱う本人の魔法使いには影響を与えないよう制御されている。
完全に計算された魔法の大火炎。
通路を燃やしつくさんとする炎が収まるのを待って、
その魔法使いは満足げな笑顔ではなく、不満そうに眉を顰めていた。
大火炎の杖の効果に不満はない。
元より強力な自分の火炎の魔法を、
大火炎の杖が魔法の支援効果で高めてくれている。
それなのに、またもや魔法使いには違和感があった。
「何かしら。何か妙な気がする。」
拭っても拭っても拭いきれない煤のような違和感。
魔王の城の壁に床に残る煤を指先で拭って、
その魔法使いは違和感の正体に気がついた。
大火炎の杖を使ってあれだけの炎で焼き尽くしたのに、
柱や壁や床に、一つの傷もついていないのだ。
捻じくれているのは、熱のせいではなく元からのもの。
その魔法使いは、もう一度目を瞑って集中し、
大火炎の杖を使って火炎の魔法を詠唱した。
今度は手加減なし。目の前の通路に、集中的に火炎を発生させる。
しかしそれでも結果は同じ。
魔物の燃えカスは焼き払えても、魔王の城の構造物には損傷がなかった。
これは本来おかしい。そんなわけがない。
その魔法使いは、かつて迷宮そのものを火炎の魔法で崩壊させたことがある。
魔物に強度があるように、
洞窟や城などの迷宮の構造物そのものにも強度はある。
迷宮そのものの強度を上回る魔法を放てば、迷宮の構造物に損傷を与える。
その結果、迷宮が崩壊してしまえば、内部を調べるのは困難。
魔物の討伐作戦なら、達成した証明をするのに苦労することになるし、
迷宮に蓄えられていた財宝はもちろんパァになる。
かつて失敗したことがあるその魔法使いだからこそ、
普段は無意識に迷宮自体の構造物を破壊しないよう気をつけてきた。
しかし今、魔法使いはその制限なしに全力で火炎の魔法を放った。
それでも、魔王の城の構造物には損傷を与えることができなかったのだ。
魔法の妨害の類ではない。
では何故か?その理由はただ一つ。
純粋に、魔王の城の構造物の強度が、
魔法使いの火炎の魔法の威力を上回っているのだ。
それこそ、その魔法使いのような高位の魔法使いが、
大火炎の杖のような偉大な魔法の杖をもってしても壊せないほどに。
と、いうことは。
魔法使いはさらに考えを巡らせる。
もしも魔王が、この魔王の城の構造物と、
同じ素材で作られた防具を持っていたら?
そうしたら、その魔法使いには魔王を傷つけるのが困難になるだろう。
今、魔王の城の構造物には敵わないと、証明してしまったのだから。
それだけではない。
もしも今、この魔王の城の構造物と同じ素材で作られた檻が、
天井から落ちてきたら?
前衛と違って腕力に劣る魔法使いは、きっと無力な囚われの身となるだろう。
もちろん、帰還魔法などの移動をするための魔法はあるが、
それらは絶対ではない。結界などで妨害されることもある。
もしかして、今、自分は、とんでもない危機的状況にあるのではないか?
その魔法使いは一筋の脂汗を垂らした。
周囲に魔物の気配は感じないが、
それでもきっとのこの魔王の城の内部でのことは、
魔王がどこからか監視、あるいは観察していることだろう。
その魔王の眼前で、
その魔法使いは、自分が魔王の城の構造物は壊せない、
ということを見せてしまったのだ。
悟られてはいけない!
魔法使いの心臓は今、飛び上がりそうに脈打っている。
それでも、焦りを見せてはいけない。
弱みを見せれば最後、天井から檻が降ってくるかもしれないのだから。
魔物たちに捕らえられてしまうかもしれないのだから。
魔法使いはなるべく平静を装いつつ、震える声で呟いた。
「こ、ここは一旦、王都に戻って休息しようかしら。
魔王と戦う前には、万全を尽くしたいものね。
帰還魔法!我を安全な場所に運び給え!早く!」
そう口にするその魔法使いの言葉は、最後は悲鳴混じりになっていた。
帰還魔法の詠唱によって、風がびゅうびゅうと吹き溜まっていく。
その風が自分を魔王の城から運び出してくれるのを、
魔法使いはまだかまだかと待ち望んでいた。
そうして、その魔法使いは、魔王の城から遥か遠く、
城壁に囲まれた安全な王都へと帰っていった。
平穏な王都に帰り着いて第一歩目に、
魔法使いは腰を抜かして地面に尻もちをついてしまったのだった。
そんなことがあってから、しばらくの後。
その魔法使いはもう魔王の城へ赴くことはなかった。
自分の魔法では、決して魔王を倒すことができないと悟ったから。
魔法が通用しない魔法使いが一人で魔王の城へ赴いても、
魔王の討伐などできはしないとわかるから。
その魔法使いは今、町で工場などの手伝いをしている。
強力な火炎の魔法は、金属を作るのにも料理にも何にしても役に立つとかで、
どこにいっても歓迎してもらえた。
今日もその魔法使いは炉の中の鉱石を火炎の魔法で燃やしている。
もう、何も燃え残したくない。
そんな恐怖心にも似た一心で、
その魔法使いは火炎の魔法を振るうのだった。
終わり。