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8/11

後日談① 初恋

久しぶりに後日談追記しました!

相変わらずエドモンドの苦難は続きますが、ハッピーエンドなので!



「うふ。うふふ。うふふふふ‥‥‥‥」


 とろんとした眼差しで空のワイングラスをアリソルがくるくる回す。

 まさかワイン二杯で出来上がってしまうなんて。

 こんなに弱いとは思わなかった。


「赤ワインの赤は~、情熱のあか~!」

 ちっとも面白くないジョークを呟いて一人でうふうふ笑ってる。

 いつものキレのいいトークは完全に鳴りを潜めているのに、やたらめったら可愛い。


 今後、外で飲ませることは絶対にやめさせよう。

 幸せそうな彼女を横目に俺は固く心に誓った。

 潤んだ瞳とほんのり染まった頬が無防備に色気を曝け出して危険この上ない。


「もうアルコールはやめた方がいい。お水を持って来させるから」

 そっとグラスを取り上げれば、

「お水より、果実水が欲しいです」

 少し幼い口調で、ふわっと返された。


 めずらしい彼女からの可愛らしいおねだりに頬を緩ませながら、素早くドアの外に顔を出して声をかける。最近はようやく使用人も増え、こんな夜更けでも十分手が回るようになってきた。


「‥‥真夏に氷なんて、贅沢ねぇ」

「これぐらい、お安い御用ですよ、奥様」

 カラコロと氷を揺らしながらグラスを眺めるアリソルに、つい得意気になる。

 おどけた俺の仕草に、彼女はにっこりと笑った。


 保冷箱の普及とともに夏でも冷たい飲み物は手に入りやすくなったけれども、真夏の氷はまだまだ高級品にあたる。

 だけど、日ごろ何も欲しがらない彼女が、氷入りの飲み物を見るたびにふわりと口元を緩めるのに気づいてから、この家では季節を問わず出来るだけ氷を欠かさないようにしていた。


「ドレスも宝石もねだってくれない奥様が喜んでくれる、数少ないものですからね」

 耳元で囁くと、彼女は目を細めてまた微笑んだ。

 酔いが回った彼女は珍しく素直で、甘えた仕草がおぼつかなくて放っておけない。

「ビスケットも食べる?」

 口元に持っていくと、彼女は困ったように眉を下げた。


「食べたいけど…。最近は、夜食は少し控えた方がいいかなって」

「え?どうして!?」

 寝る前のちょっとしたデザートが至福だってあんなに言ってたのに。


「…ここのところ、ちょっとお肉が…」

 ふっと腹部辺りに視線が落ちる。


 ええ!?

 太るのを気にしてるの?

 こんなに細いのに!?


 俺はぷにっと彼女の脇腹をつまんだ。

「俺としてはもっと肉がついてもいいと思うけど?」


「ちょっと!それ!レディーに一番やっちゃいけないヤツ!」

 彼女は俺の胸をバンバン叩いた。ちっとも痛くない。


「え?肉をつまむのが?」

 もう一度、ぷにっとつまんでみる。この柔らかさが心地いい。

「ないから!つまめる肉なんてないから!」


「え?じゃあ、これは?」

「‥‥‥まぼろし」


 ぶはっと思わず噴き出してしまった。

 真っ赤になってうつむいている彼女をお肉ごと食べてしまいたくなる。


「はいはい、そう言うことにしておきますよ。しっかし、痩せすぎだと悩んだり太りたくないと言ってみたり。女性は大変だねぇ」

「そうですぅ。女性はいろいろと大変なんですう」

「俺はアリソルが多少細くても太くても、全部大好きだけどね」

ぼっと頬を染めた彼女は赤くなった顔を隠す様に果実水を一口含んだ。


 ほう、と一息入れ、テーブルに視線を移す。そして、幸せそうに金で縁取られたカードをまた、手に取って眺めた。


「そんなに嬉しいの?」

 

 問いかければ、カードを持ったまま満面の笑みが返ってきた。


「嬉しいに決まってます!だって、ウェル兄さまが。あのウェル兄さまが!!とうとう結婚!するんですよ!」

「ずーっとケイティ嬢一筋でしたから。ようやく、ようやく思いが叶ったんですもの。喜ばない筈がないでしょう?初恋なんですよ?ウェル兄さまの」


「初恋!?」

 俺は驚いて聞き返した。


「ええ。貴族学園で出会った時からずーっと。もう10年近くになるんじゃないかしら」

「初恋‥‥」

 あの、クロムフェルト殿にそんな一筋な一面があったとは。いや、アリソルを支えてくれていた時も、ただ真っ直ぐに彼女の事だけを心配してくれていたけれど。


「ほーんと。伯爵と男爵なんてそれほどの身分差でもないのに。たったそれだけの障壁を越えるのにこんなに時間がかかるとは」

 彼女はしみじみ呟いた。

「クロムフェルト殿の両親が許さなかったのか?」

「いえ、おじさまとおばさまはいい人ですし、大丈夫なんですよ。反対していたのは親戚です。つまり。私の父!」

 吐き捨てるように言い放つ彼女の眉間にはくっきり皺が寄っていた。

「あの男は爵位と金が全てですから」


「そんな御義父上が、よく君を俺なんて言う格下の伯爵家に嫁がせたな」

 今更ながらその幸運に感謝する。


「まあ仲たがいを収めるという意味もあったんでしょうけど、きっと本当は、この家の貿易業とつながりたかったんだと思います」

 彼女は小さくため息をこぼした。

「ああ。爺様の代までは結構手広くやっていたからな。まあ、爺様の趣味と審美眼で成り立ってただけだから、その後は尻すぼみだったけれど」


 彼女も大きく頷く。

「ええ。たいして実入りがないとわかって、私への興味も薄れたのでしょう」

 自嘲気味に笑う彼女に、過去のこの家での彼女の境遇を思い返し、またずきりと心が痛む。


 しかし。

 初恋、か‥‥。


 俺はちらりと彼女を見る。

 いい感じに酔いが回った今なら、彼女の本音を引き出せるのかもしれない。


「初恋、ね…」

 俺のこれ見よがしの呟きに、あっさりと彼女は引っかかってくれた。

「そう言えば、エドモンド様の初恋っていつなんですか?お相手は?」

 よし、きた!俺は心の中で小さく拳を握った。


「俺?俺の初恋ねぇ…」

 敢えて悩むふりをして、時間をおいてから吐き出す。

「‥‥ハンナ、かな」

「ハンナ?」

 聞き覚えのない固有名詞に彼女が首を傾げた。

「乳母だよ、俺の」


 肩をすくめて答えた瞬間、彼女の笑顔がさく裂する。

「乳母?乳母?初恋が!?」

 うそっ!!

そのままお腹を抱えて、涙を流して笑い転げて始めた。


「乳母って!乳母って!!!」

どうやら彼女のツボにはまってしまったらしい。


「そんな笑うことでもないだろう?よくある話だぞ」

「だって、だって!普通は幼馴染の彼女とか、学園のクラスメートとか!」

 ひぃひぃ笑いながらも、彼女がようやく絞り出す。


「そんな幼馴染はいないし、騎士養成校には男しかいなかったし」

「あら?女性騎士はいなかったのですか?」

「たまにいるらしいが、俺らの代にはいなかったと思う」


「でも!ひっ」

 ソファに倒れそうなぐらいにお腹を抱えている。

「だからって!乳母って!それは母親に向けるような愛情でしょう?」

 彼女は笑いすぎて滲んだ目尻を拭いながら続けた。


「‥‥そうかも、な。まあ、御存じのように、俺も実の母親からろくな愛情は注がれていなかったから、その分の愛情を求めたのかもしれない。おっとりとして優しくて、母とは真逆のタイプだったから」


 俺の独白に、急に彼女の笑顔が消え、少しだけ真面目な表情に戻った。

「‥‥すみません。エドモンド様のご家族関係を知らないわけではないのに」

「いや。もうすっかり過去の話だし。アリソルが気にすることじゃないから」


 ふっと笑うと、彼女もつられて笑みが戻ってきた。

「その乳母のハンナさんとやらは今どちらに?」

「ああ、孫が4人いて、その世話が大変だと零していたよ。楽しそうにね」


「え、孫。孫って‥‥」

 アリソルの肩がまた震える。どうやら笑いを堪えてるつもりらしい。

 いい感じで解せたな。


「で?」


 え?と彼女が顔をあげた。

 で?とは?

 表情が語っている。


「アリソルの初恋は?やっぱりクロムフェルト殿?」

 アリソルはもう一度笑い出した。

「まさか!ウェル兄さまは兄さまですもの!」


 違うけどな!!


 突っ込みたい気持ちを必死で抑える。彼じゃなきゃ他にいるのか?貴族学園は男女同じ教室で講義を受けるし、そこで恋に落ちても不思議じゃない。


「じゃあ‥‥?」


 もしかして、初恋は俺、なんて話にならないだろうかと淡い期待を抱きながら尋ねると。


「とーたまです!」

 何故かふんぞり返るほど胸を張られた。


 えええ!?

「と、とーたま??‥‥って‥‥まさか、ちち…おや?」

 あんなに嫌ってるのに!?

 混乱する俺を遮るように続けた。

「そんなわけないじゃないですか!!あの男、親としてどころか、人としても欠陥品ですよ!」


 相変わらず彼女の家族への評価が手厳しいのは置いといて、父親じゃないとなると、一体‥‥。

「トールヴァルド様です」


 は?

 俺の方も聞きなれない固有名詞に混乱する。

 彼女はうっとりと目を細めた。

「昔、よく遊んでもらったんです。でも私は小さくてトールヴァルドって言えなくて、とーたまって呼び方になってしまって」

 今度は俺が吹き出す番だった。

「呼べないって!?アリソル、その時いくつ!?」


 うーん。彼女は首をかしげて考える。

「二歳‥‥とかかな?」


「二歳!俺の乳母よりひどくない!?」

 ほぼ赤ちゃんだろ!

 俺も笑いが止まらない。

 彼女はぷくっと頬を膨らました。


「失礼ね。エドモンド様と違って、ちゃんとした初恋です!その方、ウェル兄さまの親友ですし」


 彼女は自慢げに続けた。

「最初はうまく発音できなくてとーたまになっちゃったんです。その後ちゃんと呼べるようになってもとーたまって呼び方以外では返事してくれなくて。結局ずーっとこの呼び方なんです。大きくなってからは結構恥ずかしかったんですよ?」


 それはそうだろうなぁ、と、変なところで納得する。


「八歳頃かな?お母様が病に臥せり始めた頃、私しばらくウェル兄さまの家に預けられてて」

 突然の話に俺も真顔になる。

 そんな事実、初めて知った。クロムフェルト殿を兄と慕うわけだ。


 相変わらず俺は彼女のことを何にも知らないんだなと、改めて実感する。


「とーたまは、小さな頃もウェル兄さまのところにお邪魔するたびによくお会いしてたんですけど。その時は本当によく遊んでくれて。いつも可愛がってもらったんです」


 えっと。それはずいぶん長い初恋じゃね?


「‥‥それからも会ってるの?」

 かすれそうな声でようやく絞り出した。


「うーん。もうずっと会ってないですね‥‥。子爵家の三男なんて自力で生計を立てないと生きていけないからって、笑いながら学園卒業と同時に隣国に行ってしまったので」

 懐かしむように遠い目で微笑む彼女の横顔にちくりと胸が痛んだ。


 思わず右腕を伸ばし、彼女を胸の中に抱え込む。


 彼女は嬉しそうに、にやっと笑ってこちらを見た。

「お、や?もしかして‥‥。妬いてたりします!?」


 なんだか面白くなくて、答えることなく腕に力を籠める。


 くす、と優しい声が漏れた。

「子供の頃の淡い憧れですよ。それに、私にはエドモンド様だけですから」


 俺だけ‥‥、そう。

 実家とほぼ絶縁状態のアリソルにとって、家族と呼べるものはもはや俺だけ。

 でもそれは自分自身にも言えることで。


「ああ。俺もだ。でも俺は、アリソルがいればそれでいい」

 素直に体重を預けてくれる彼女の旋毛に顔を埋め、鼻をくすぐるような甘い匂いを嗅ぐ。


 彼女はくすぐったそうに少しだけ身を捩った。

「‥‥私もです」

 恥ずかしそうに俯く彼女が愛おしくて、額に頬に、食むような口づけを落としていく。

「そう思うと、私もエドモンド様も、初恋と言うよりは親の愛の代わりを求めたようなものですね‥‥」


 確かに。

 彼女の毛先をくるくると弄びながら、しみじみと思う。

 お互い天涯孤独のような身。だけど、その分お互いを求め、心を預けられる。

 その関係が愛しくて温かい。


 ‥‥あれ?

 でもちょっと待てよ?

 隣国のトールヴァルドって‥‥。


「‥‥それって、もしかして。トールヴァルド・バルラガン子爵の事?」

「そうですそうです!もー、ホント、上の名前も下の名前も発音しづらくて」


 あはは、と彼女は笑うけど。


 ‥‥‥‥。


「石炭王じゃねえか!!!!」


 いかんいかん。

 つい口調が悪くなってしまった。

 そんな俺の驚きなどお構いなしに、アリソルは嬉しそうに笑った。


「はい!!最近は商売がうまくいってるらしいとウェル兄さまが教えてくれました!」

「うまくいってるなんてレベルじゃないぞ!!」


 バルラガン子爵だと!?

 もともとは一介の貿易商だったのが、突如周辺の山を二束三文で買い占めたと思ったら、石炭なるものを掘り出し始め、たった三~四年で大陸一の富豪といわれるまで上り詰めた人だ。

 その功績から隣国で子爵を賜ったけれど、今後それ以上に陞爵するだろうと言われている。そもそも爵位なんて不要なほどの富を得ているのだ。


「とーたまも、ウェル兄さまの結婚式にはきっといらっしゃいますよね。久々にお会いできるのが楽しみです」


「え。待って待って。もしかして、以前アリソルが俺に石炭の輸入を勧めたのって」

「ええ。石炭の需要は今後もっともっと増えますから。それに、ウェル兄さま経由でいろいろと便宜も図ってもらえると思ったんです」


 脳筋な俺に芸術品や陶器の輸入は不向きだから、物量だけを力技でこなす石炭の輸入はあっているし助かっているけれど。


 嬉しそうな彼女と裏腹に、俺の未来に暗雲が立ち込めている気がするのは気のせいだろうか。気のせいだと言って欲しい。


 そして残念ながら、俺のこの嫌な予感は的中するのだった。


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