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7/11

本当のハッピーエンド



「退団おめでとうございます。長い間お疲れさまでした」

「ありがとう。ダリウスこそ、副団長昇任おめでとう」


 ダリウスがソーダの入ったカップで小さく乾杯をしてくれる。


「いやぁ、しかし、結局辞めちゃうんですね」

「当たり前だろう!もともと二日で辞めるはずだったのに、三か月も引っ張る方がおかしいだろう」


「いや、俺もなんだかんだハーディン君は辞めないんじゃないかって踏んでたよ」

 キスケール団長も横から入ってきた。


「君は近衛騎士団が大好きだったからな~」


「爵位を継いだんですから。年貢の納め時ですよ」

「いやいや、爵位継いでから三年放置だったよね!?」


 賑やかな会話を楽しみながら、確かに半年前なら退団することを寂しく、心残りに感じただろうなと思う。

 だが今は、新たにやるべきことで心が占められている。


「あんなに経営上手で事業も得意な奥様がいるのに」

「確かにアリソルは経営の才能はありますね。俺なんかよりよっぽど」

「ホントですよ。羨ましい」

「でもアリソルは貿易の事業には手を出したがらなくて」


 男世界である貿易業に彼女が躊躇するのもわかる。ただそれ以上に俺自身が、野郎ばかりの世界に彼女を放り込みたくないという気持ちが大きかった。


「団長には本当にお世話になりました」

 改めて深々と頭を下げる。

「いやいや、いいんだよ。でも、ま、あれだな。少しでも恩に感じてくれているのなら。その、なんだ。君の奥さんが新たに始めたあの下着、手に入るように融通してもらえたり、しないかね‥‥」

「団長!それは抜け駆けでしょう!俺だって妻に散々頼まれてるんですよ。副団長の伝手を使ってなんとか手に入らないかって」


 またもやわいわいと騒ぎ始める彼らを、笑いながら見ていた。


 この冬の間、アリソルが何やらレンジャー夫人とゴソゴソ作っているな~とは思っていた。ドレスのリメイク業も軌道に乗り始めたばかりだというのに、何を作っているんだろうと思っていたら。

 いつまでたっても完成する様子がなくて。


 ある日突然、じゃじゃーん、と見せられて開いた口がふさがらなかった。


 それは見たこともないような。

 女性用の下着?

 身体を覆う面積がやたらと小さくて、透けるほど薄い生地にふんだんにあしらったレース。見たこともないほど美しく、とてつもなく上品で。

 高貴なデザインなのにどこかセクシーで。


 胸当てとショーツとキャミソールがセットになったそれは、夜会用ドレス一着分よりもレースの使用量が多いのではないかと言う程だった。


「えっと‥‥?」

 このような煽情的なものを妻から見せられているという状況に赤面して固まっていると、

「すごくないですか?なんか、こんな感じのを作りたいな~って、レンジャー夫人と話しているうちに、どんどんイメージが膨らんできて。全部希望を盛り込んだらこんな素敵なものが出来てしまいました」


 これは‥‥。彼女が着るという意味だろうか。いや、まさか。


「ちなみにそれは‥‥」


 俺の問いかけに、彼女は重々しく頷く。

「新しく売りに出してみようかと思ったのですが、なんとこれ、ドレス一着と同程度のお値段になりまして」

「だよね!?そうなるよね!?」

 久しぶりに俺の突っ込みが炸裂する。


 そんなの、買う人いるの?

「そうなんですよねぇ」

 彼女は楽しそうにため息をついて、笑った。


 けれどもそんな心配はすぐに消え去った。

 リメイク店の店舗の一角に飾られたそれは、見る人の心を一瞬で惹きつけてしまったらしい。


 注文希望が後を絶たないのだが、なんせ1セット作るのに一月を要するそれを、まさかの王妃様が目に留め、王宮から注文が入ってしまったのだ。


 当然そちらを優先させるため、当分の間予約を受け付けることが出来ない。幻のキャミソールセットとなってしまった。

 そもそも、彼女の小さなお店に飾ったそれが王妃様の目に留まるという状況が理解できない。あのリメイク店は中間層の貴族向けだったのではないのか?


 アリソルのリメイクが気になったのなら王宮に呼び出せばいいのに。

 わざわざお忍びで足を運ぶなんて。

 更には他の注文を受けられなくなるほど発注するなんて。


 もはや彼女のお店は、王都一注目されるお店となっていた。


 そんな幻のキャミソールセット、夫である俺に頼めば、1セットぐらいどうにか‥‥という魂胆なんだろうが。どうだろう。こればっかりは俺だってアリソルに聞かないとわからない。


「予約状況は妻に聞かないとわかりませんが、団長には恩義を感じていますので、なんとかできるかもしれません」

 一応確認してみることにした。


 アリソルが手掛けた事業が成功することは嬉しい。

 彼女が嬉しそうにデザインを考えたり楽しそうに仕事のことを話すのを聞くのは幸せだ。

 一方で、忙しくなりすぎてまた体を壊さないかと心配になってくる。


 でもこれからは俺がすぐ近くで彼女を支えられる。

 そう思うと、自然と頬が緩んでくるのが分かった。


「‥‥幸せそうですね。副団長」

 そう言われてぴっと口を引き締める。


「上手くいっているようでよかったです。心配していたんですよ、これでも」

 ダリウスがしみじみと呟いた。

「‥‥迷惑を、かけたな」


「いえいえ。僕らは何も。でも、あんなにも僕らによくしてくれる副団長が、奥様にそんな仕打ちをしてたなんてどうしても信じられなくて。許してもらえてよかったですね」


 にこりと微笑まれると、ずんっと胸が痛む。

「‥‥許してもらえたわけでは、ない」


「え?それじゃあ‥‥」


 俺は表情が硬くなっているのがわかる。

 夕食の時間、食後のお茶の時間、ベッドで。彼女は笑うことが多くなった。

 人生を諦めたような微笑みでもなく、取り繕ったような笑顔でもなく、心から楽しいというような、そんな笑顔。

 頬を紅潮させてくすくすと笑うその仕草をずっと守りたいと、いつまででも見ていたいと思う。


 けれどふとした瞬間、無意識に発せられる彼女からの拒絶の仕草。怯えたような表情。


 まだまだだ、と思う。

 まだまだ、彼女からの信頼を勝ち得ていない。彼女の傷を癒せていない。


 これから一生かけてでも償わなければ。

 そう考えた時、何故か幸せな気分になってしまう。

 彼女に償う時間は彼にとって幸せな時間で。一生をかけて償うと考えた時、一生この幸せな時間が続くんだと、思わず頬が緩んでしまう。

 願わくば、少しずつ少しずつ、彼女の心を解きほぐしていければ。


「あれだけのことをしたのだから、簡単に許されるべきじゃないと思うし。今でも罰は受け続けているよ」


 ばつ?どんな?

 彼らの怪訝そうな声に、俺は小さくため息をついた。


「夫婦なのに。毎晩同じベッドで寝ているのに。あの愛らしい妻に、いまだに手を出すことが出来ない」


 うわあ!それはつらい!

 男どもの悲鳴にも似た声が響き渡った。


「まじっすか!副団長!それ、耐えられるんですか?」


 聞かないでくれ。耐えられるか耐えられないかで聞かれたら、耐えられない。

「‥‥彼女を、これ以上傷つけたくないんだ」


 俺の悲痛な声に、しんっと静まり返った。

「奥様を大切に、されているんですね」

「ああ」


 沈黙が覆ってはいるが、その空気は温かく、優しい。

「尊敬しますよ。奥様を大切にして、一緒に寝ながらも不埒なことを全くしない、なんて」

「‥‥‥‥していない、わけではない」

「は?」


 尊敬の眼差しは一瞬にしてジト目に変わった。

「だって仕方がないだろう!無理だよ!何もしないなんて!」

「つまり?キスぐらいは?」

「キスぐらいは‥‥」

「奥様が寝た後にこっそり?それとも同意のうえで?」

「もちろん、寝た後にこっそり」


 あ、さらに軽蔑の視線が加わった?


「キスだけ?」

「キスだけだ!ただその‥‥。範囲は日々拡大しているというか‥‥」


「なんすか?それ!?」

 団長室は爆笑に包まれた。


 俺はやけっぱちになって答える。

「もはやゲームみたいなもんなんだよ!どこまでなら彼女が起きないかっていう!」


 うわー、さいてー。

 でも気持ちはわかる~。


 呆れるような笑い声の中、優しく追い出されながら、俺は団長室を出た。


 最後にもう一度振り返る。


 騎士として駆け回った日々。

 それは自分にとって誇りで、まさに青春とも言える日々だったが。

 忘れてはいけない。自分が騎士としてのプライドに酔いしれている間に痛めつけられた女性がいるということを。

 青春もプライドも何もない日々を強制された女性の存在を。


 襟元に首を沈め、冷たい北風に追われるように騎士団を後にした。


 ***



「長年のお勤め、ご苦労様でした」

 夕食後、夫婦の寝室で、ハーブティーと焼き菓子でささやかなパーティーを開くと、エドモンド様にそう声かけた。


「でもエドモンド様が本当に辞めるとは思いませんでした」

 悪戯っぽく笑うと。

「団員と全く同じことを言わないでくれ。奴らのお願い聞いてたらいつまでたっても辞められないから、もうスパッと決めてきた」

「これでようやくこの家のことに専念できる。貿易も、少しずつ再開していかないといけないしね」


 清々したというような表情に、思わず目を細めて笑った。


「あんなに騎士団の仕事が好きだったのに。まるで人が変わったみたいですね」


 騎士団だけではない、よくしゃべるようになって、良く笑うようになって、私に真っ直ぐに愛の言葉を囁いて、常に私の心配をしてくれて。

 もはや人格が入れ替わったと言ってもおかしくない状態だと思う。


 エドモンド様はふっと呟いた。


「変わるよ。人格だって性格だって。何だって変えて見せる」


 私は驚いて彼を見つめた。


「君を痛めつけて傷つけてきたのが今までの俺なら、そんな人格要らない。全部捨ててやる。二度と君を傷つけないために、何もかも変えるさ」

 その真っ直ぐな濃紺の瞳から目が逸らせなかった。


「本来人間には、いろんな人格や性格を持っているんじゃないかな。ただその時に、どの自我が一番強く出ているか、それだけだと思うよ。そして俺は、アリソルを守れる自分を選んだ」


 ああ。そうか。

 ふいに、全てのものがすとんと落ちた。


 元のアリソル。今のアリソル。

 別人なんかじゃない。どっちも、私だ。

 辛い思い出を忘れられないのも、幸せな環境で笑えるのも、新しいことにチャレンジしてみたい気持ちも、過去に怯えて悪夢にうなされるのも、全部全部、私なんだ。

 エドモンド様に触れられて嬉しいと思う自分も、怖いと思う自分も。


 それで、いいんだ。

 過去を許せなくて彼を傷つけたり、そのことで落ち込んだり、未来に希望を持ったり、優しくされてドキドキしたり。


 全部自分。それでいいんだ。


 ふっと心が軽くなるのがわかった。


「‥‥私は、この家に嫁いできてされた仕打ちを忘れることも許すこともできません」

「‥‥‥‥うん」

 彼が神妙に頷く。


「エドモンド様のことを掛け値なしに信じることが出来るかと言われたら、まだ答えられません」

「わかってる。その分俺が信じるから」

「でも。これからも、過去にとらわれたり、悪夢に怯えたりしながらも。今を楽しんだり、未来を夢見たり」


 私はふわっと笑った。


「そんな風に、少しずつ、歩み寄っていければいいなと思います」


 エドモンド様がその端正な顔を歪ませて、泣きそうな顔でこちらを見た。


「アリソル‥‥‥‥」


「許したわけじゃありませんよ?」

 上目遣いにのぞき込むと、彼は頬を上気させて、幸せそうに笑った。


「うん。わかってる。これから、一生かけて償っていく」

 その言葉に、私は寂しそうに下を向いた。


 償い‥‥。その言葉は、少し寂しい。


「俺は、貴方に償いたいと思っている。ただ、それは、貴方に償う時間が楽しいからなんだ」

 私の心を読んだように、彼が続けた。


 へ?

 私はぽかんとした顔で見上げた。


「自分でもよくわからないんだけれど。アリソルがそばにいて、次は君に何をしてあげようかと考えている時間が好きなんだ。それで君が喜んでくれれば幸せだし、笑ってくれればそれだけでもう何もいらないと思える」


「アリソルにしてあげられることがあるという事実が嬉しいんだ」


 私に償うことが嬉しい?

 私を喜ばせることが幸せ?


 私はそんな優しい気持ち、全然持てないのに。

 話をしていて楽しいとか、一緒にいたいとか思うくせに、時折意味もなく恐怖を感じたり、許せない気持ちになったり。

 思い返せば自分の事ばっかりだった。


 そんな私なのに、ただ私が喜ぶことだけを考えてくれている‥‥。


 私はただ呆然と彼を見つめた。


 ***


 一生をかけて償いたい。


 そんな台詞を吐いた俺を見つめるアリソルの表情に戸惑いの色が浮かぶのが見て取れた。

 この想いを一方的に告げるのは、彼女を困らせるだけなのかもしれない。


 だけど。

 想いは言葉にしないと伝わらない。


 少しの沈黙の後、俺は振り絞るように声に出した。


「‥‥‥‥アリソル、君が、愛しい。ずっと、傍にいさせて欲しい」


 そっと手を伸ばすと、アリソルは大人しく触れさせてくれた。

 髪に指を通し、軽く頭を引き寄せる。


「愛してる。アリソル。これからも俺の妻でいてくれないか」

 耳許でそっと囁けば、戸惑いながらも彼女は小さくこくりと頷いた。


 彼女の滑らかな頬に手を添える。

 軽く上を向かせた彼女の深紫の目が俺を映す。


 そっと顔を近づけると、彼女の眼がすっと閉じるのが見えた。

 彼女の柔らかい唇に、自身のそれをそっと落とす。

 軽く触れるだけの口づけの後、少し離して至近距離でもう一度見つめる。


 拒否されなかったという事実に、歓喜に打ち震えそうになる。

 二度、三度と、角度を変えながらまた重ねた。

 啄むような口づけを。

 互いの熱を与え合うように。

 やがてそっと離れると、額と額をこつんと突き合わせた。


 蕩けたような彼女の眼が色気を孕んでその手に思わず力が籠る。

 そんな俺の劣情に気づくことなく、アリソルはふふっと笑った。


「‥‥ファーストキス、です」


「‥‥‥‥え?」


 アリソルはにっこりと笑う。

「だって、結婚式の時もおでこにキスしてくださっただけでしょう?私にとって正真正銘のファーストキスですよ」

 頬を赤らめて囁くアリソルに、俺はぐぐっぅっと唸った。


「‥‥エドモンド様?」

「‥‥‥‥なんでもない」

 彼女を抱きしめる手に力を籠める。


 胸の中に抱え込まれたまま、彼女はいぶかし気に見上げた。

「なんでもないんだ。ごめん。アリソル。本当にごめん」


 不思議そうな顔をしながらも、アリソルは俺に頭を委ねてくれている。


「結局俺は、ずっと君に償い続けていくんだろうな」

「‥‥‥??エドモンド様?」


 俺は困った顔で笑った。

「アリソル。愛してる。ずっとずっと。君だけだ」


 優しく髪を撫でると、アリソルはふわりと笑う。



 まさかの彼女の意識がないうちに散々ファーストキスを奪ったことになろうとは。

 少し考えればわかることなのに。

 この事実は何があっても墓場まで持っていこうと心に誓いながら、彼女を抱きしめ続けた。


 ***


 珍しく日差しの暖かい、穏やかな冬の晴れ間だった。

 アリソルは庭の方が何やら騒がしいことに気づく。


 ショールを羽織って出ると、そこには数人の大工が、あの小屋を解体していた。


 細かく指示していたエドモンド様が私に気づいて駆け寄ってくる。

「そんな薄着で出てきたら風邪ひくよ」

 慌てて上着を脱いでかけてくれる。

 そしてそのまま優しく肩を引き寄せた。


「‥‥小屋を、壊すのですか」

「ああ。君にとって悪夢の根源だろう、この小屋は」

 彼に肩を抱かれ、胸に体重を少し預ける形で、小屋がどんどん解体されていくのを見守る。


「‥‥簡単に、なくなっちゃうものですね」

「君の辛い過去がなくなるわけではないが、すこしでも心を軽くできればと思って」


「‥‥ありがとうございます」

「よかったか?君の、意見を聞かなかったが」


 そう言えば。

 ふと思い当たった。


「エドモンド様はあれ以来、いつも私の意思を確認してくれて、私が嫌がることは一度もしてこなかったですね」

「当たり前だろう」


「当たり前の様で、とても難しいことです。そしてそれが、とても嬉しいのです」

見上げると、エドモンド様と視線が絡み合う。


 ずっと、考えていた。

 これからどうすべきか。

 一人で生きていくことも考えて、事業を立ち上げて。

 自分の足だけで立って、歩いていくことも視野に入れた。


 だけど、やっぱり私は、この人の隣で生きていきたいんだと、気づいた。

 一人の方が傷つかないかもしれない。

 彼を許せなくて当たってしまうかもしれない。


 でもこの人と一緒の方が、人生はきっともっと楽しくて、広がるだろう。


 私はこの、単純でお人好しで、頼まれると断れなくて常に仕事を抱えがちな不器用な夫が。


 愛しいんだ。


「‥‥お慕いしています。旦那様」


 凪いだ瞳で静かに見つめる。


 ヒュッとエドモンド様の息を吸い込む音が聞こえた。


「それは‥‥‥‥。その、夫婦として、という、意味での‥‥?」

 少し狼狽えたような、戸惑ったような表情に、くすっと笑ってしまう。


「はい」

「男と、‥‥女として?」


「‥‥はい」

 あけすけな言い方にちょっと照れる。


「夫婦として‥‥‥‥」


 次の瞬間、強い力でかき抱かれていた。

「アリソル!アリソル!」


 彼の顔がうなじに埋まる。

 背中に回された手も、その声も、わずかに震えている。


「私こそ、こんな私が妻でもよろしいのでしょうか」

「当たり前だ」

「まだまだ旦那様を信じ切ることもできず、恐怖を感じたり、壁を作ったり」

「かまわない。俺が全身全霊をもって愛するから。君は、君の心のままにふるまってくれればいいんだ。愛してる。愛してる、アリソル」


 彼の両目からあふれた涙は、いつの間にか私の肩を濡らしていた。

 彼の頭を優しく撫でる。


 しょうがない人ねぇ。

 心の中でつぶやきながら、優しくなで続けると、エドモンド様はいつまでも身を委ねてくれた。

 こんな風に、穏やかに、二人の暮らしを紡いでいくのも、幸せかもしれない。


「春になったら二人で領地に赴きましょう」

「‥‥いいのか?」


「もちろんです。二人で領地を立て直して、二人で事業を進めて、二人で」

 柔らかな唇で塞がれて、その後は言葉にならなかった。


 後ろ手で押さえられ、何度も何度も、食むように、嘗め尽くす様に。


「‥‥旦那様」

「ん?」

「‥‥みなさんが、見てます」

「ああ」


 横目で見れば、大工達は出来るだけこちらを見ないように、目を背けながら作業を進めている。

「構わない」

「私がかまいます!」


 涙目になりながら真っ赤になって震えながら抗議するが、彼は気にせず抱きあげてしまった。


「旦那様!?」

「アリソル。アリソル。アリソル!」

 

 浮かれ気分で彼女を抱きかかえたまま屋敷に戻る。

「どちらへ行かれるのです!?」


「もちろん寝室へ!」

「え?いや、まだ昼間ですよ、というか、朝ですけど!?」

「関係ない!朝でも夜でも。もう一秒だって待ちきれない!」


「いや、待って待って。だんなさまぁぁぁ!!」


 穏やかな暮らしはどこへ!?





 バタつくアリソルをしっかりと抱え込み、嬉しそうに寝室に連行するエドモンドを、使用人たちは優しく生暖かい目で見送った。


 暖かい日差しが差す冬の朝だった。






これにて完結です。

後日談もアップ予定です。よろしければそちらも合わせてごらんください。

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