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2/11

ざまあしました

ざまあの回です。

嫌な気持ちになられる方はこの回をスルーしてください。

 

 翌日。

 エドモンドは疲れ切った体をソファに投げ出していた。

 全て終わらせた。

 たった半日で。

 証拠を突きつけ、母と家令を追い出し、この家の一切の権限を自分に取り戻した。


 時刻はお昼をとうに過ぎていた。


 エドモンドはフラフラと立ち上がり、鉛のように重い身体を引きずって彼女の眠る自室に戻る。

 ふとドアの前で足を止めた。

 どう声をかければいいかわからない。


 悩んでいるとすぐにドアが開いた。こちらの気配に気づいたらしい。

 そこには夕べの女医が立っており、昨夜よりもさらに冷たい表情で俺を室内に促した。


「奥方様は薬が効いてきたようで、今はぐっすり眠られています」

 彼女が少しでも心休まる状況であったことにほっとして、部屋に足を踏み入れた。


 医師は手拭いを冷たい水で浸しながら説明を始めた。

「奥方様はろっ骨が二本、ヒビが入っておりました。極度の栄養不良で体もかなり弱っております。体中に様々なあざもあるので、日常的に殴られるなどの暴行を受けていた可能性があります」


 その厳しい視線に言い返す。

「俺がやったと思っているのですか?」


 医師はすっと目を細めた。

「私はただの医師で、犯人の特定などできません。ただ、奥方様がこのような状態であったということは証言できますし、記録も残させていただきます」

「証言?貴方は何をしようと言うのだ」

 俺は語気を強めた。

「何もしません。一介の医師が声をあげたところで相手が伯爵家ではつぶされるだけのことですから。ただ、必要とされれば証言する心意気がある程度には、この仕事に誇りを持っているということです」


 医師の視線はまるで俺が加害者とでも言うようで。


「彼女を虐げていたのは俺の母と家令、使用人達だ。先ほど家令は憲兵に引き渡した。母も知り合いの騎士に頼んで拘束し、先ほどその筋で有名な修道院に向かわせた。もうこれ以上彼女に危害を加えることはさせない」


「え‥‥お義母さま、‥‥が?」

 ふいにベッドから声がした。

「目が覚めたのか?」

 俺はベッドに駆け寄った。

 上体を起こそうとする彼女を助ける。

「ああ。家令も母ももういない。だから心配しないで安静にしていろ」


 その言葉に、彼女は明らかに安堵した表情を見せた。

 今は彼女に、心休まる空間を与えることが先決だ。


 俺は膝を突いて彼女の手を取り、神妙な顔で彼女を見据えた。


「これまで其方を全く顧みることなく、傷つけてすまなかった。これからは貴方の地位と名誉を回復し、ふさわしい暮らしが送れるよう、全力を尽くすことを誓う」


 アリソルの眉がぴくりと動いた。けれど、それ以上表情が動くことはなかった。


「其方を傷つけた者達は排除した。今、コックがパンがゆとフルーツを準備している。食べられるなら食べて、少しでも体力を回復してほしい」


 しかし彼女の口元はきつく結ばれたままだった。


「パンがゆは‥‥冷めているのですか?」

「え‥‥?いや、‥‥‥‥なぜ?」

 俺の戸惑いに、彼女は抑揚なく答えた。

「熱々だと、いつものように侍女に頭からかけられたときに火傷してしまうので」


 まさかの回答に息を呑んだ。

 後ろに控える女医からの視線がさらに冷たく突き刺さる。


「そのようなことはさせない。昨夜そなたに暴行を働いた侍女はクビにした。今日からはあの者がそなたの世話をしてくれる」


 彼女はドア近くに控えている侍女に目をやり、皮肉気に口角をあげた。

「まあお優しいこと。わたくしを蹴り上げた侍女を追い出して、わたくしの髪を掴んで引きずり回す侍女をおそばに置いてくださるなんて」


「‥‥‥‥は?」

 怒りを含んだ目で後ろの侍女を振り返る。


「それは本当か?」

「いえ、それは!大奥様の指示で!」

 ひっと侍女は情けない悲鳴を上げ、思わず虐げていた事実を認めるような台詞を口走った。慌てて両手で口をふさぐがもう遅い。


 彼女も家から追い出すしかないな。


 そんなつぶやきに、ベッドからかすかな笑い声が聞こえた。

「伯爵様。それではこの家から使用人がいなくなってしまいますよ。護衛騎士だって、私を襲おうとしなかった者はノーツマン卿だけですし」


 ‥‥頭痛がしてきた。この家は、どこまで腐りきっていたのだ。


「もういっそ、全員解雇してしまおうか。もともとこの家は、一介の伯爵風情にしては使用人が多すぎた。お前に誠実に対応してきたという四人を残せば、あとはいてもいなくても変わらない」


 我ながら良い考えだと思った。


「いい考えかもしれません」

 アリソルはようやく目元を緩めた。

「私も嫁いでから世話をしてもらったこともありませんし。その人数でも十分かもしれませんね。でも家令と侍女は必要ですわ。清掃などは通いの使用人でも賄えるでしょうけれど」

「そうだな。近衛騎士団をしばらく休むために一度王宮に戻る予定だから。その際に団長に相談してみるか。団長なら信頼できる人間を斡旋してくれるかもしれない」


「休む?」

 彼女は首をかしげた。昨日より話し方がだいぶん気安くなってきている。

「ああ。さすがに領地をこのまま放置するわけにはいくまい。すぐに近衛騎士団を辞めることは難しいだろうが、三か月ほど暇をもらって伯爵家の立て直しに専念するつもりだ」


 アリソルは、なるほど‥‥と合点のいった顔をした。


 もう一度彼女の前に跪いた。

「母上も家令も追い出した今、昔からこの家を知る使用人もほとんどいない。当面は何かと大変なことも多いだろう。だから‥‥その‥‥。体調が戻ったら‥‥家のことを、手伝って、もらえないだろうか」

 恐る恐る尋ねると、彼女は一瞬驚き、視線を彷徨わせ、それから、小さな声で、はい、と呟いた。


 突然この家は母と家令と言う、主となって回していた二人を失ってしまったが(正確には追い出したのだが)。これからのこの家を、彼女と手を取り合って立て直していける。

 その未来を思うとふわっと心が浮くのを感じた。


「領地も邸宅も、当面は冬支度に心を注ぐ必要がありますね」


 穏やかな言葉が沁みてくる。彼女は理知的で論理的な会話が出来る人だ。

 ヒステリーで感情的な母との会話となんと違うことか。


 思えば話の通じない母との会話が嫌でこの家を避けていたんだった。なのにアリソルのことだけは母の言うことを鵜呑みにしていたなんて。自分の迂闊さに笑えてくる。


「奥方様、良かったですね。でも三日間は安静にしてくださいね。ローラさんにお薬の説明はしておきましたから」

 俺に対する厳しい表情とは打って変わって、優しい表情で女医が話しかけた。

 その態度は却って俺を安心させた。この医師にならアリソルを任せられる。


「先生、ありがとうございました。俺も彼女の回復に全力で努めますから、また診察に来ていただけますか?」

 そう頭を下げると、医師も先ほどよりも柔らかい表情で返した。

「もちろんでございます。奥方様が元気になられますよう、誠心誠意努めさせていただきます」


 医師を見送り、振り返るともう、彼女は深い眠りについていた。


 ***


 屋敷からほとんどの人間を追い出し、家令が横領していた金銭を差し押さえ(と言っても半分近くまで目減りしていたが)、ようやく一息ついた三日後の午後。


 エドモンドは近衛騎士団の団長室に来ていた。


「正直なところ、領地のことを考えるとこのまま辞めるべきなのはわかっているのですが、今突然辞職することは要らぬ憶測を招きそうで。形だけでも三か月の休職と言う形にしていただきたいのです」

 俺の申し出に、団長は神妙に頷いた。


 王宮を守る近衛騎士団の団長を務める彼はキスケール侯爵の弟にあたり、快活で面倒見がよく、部下たちに大変慕われている。人脈も多く、今回も母の修道院の紹介や新しい侍女の斡旋など、あれこれと世話をしてくれた。


「ハーディン副団長の事情はよくわかった。領地の民の暮らしぶりも心配だろう。こちらのことは心配いらないから」

 キスケール団長はそこで言葉を止めると、


 ただなぁ‥‥‥‥

 とぼそっと呟いた。


 うん?と顔をあげる。


 少し躊躇した後、団長は話し始めた。

「領地に戻る前に一度、次の夜会に奥方を連れて出席した方がいいと思う」


 突然の話題転換に俺は首をかしげた。

「夜会?一体何故‥‥」


「ハーディン副団長。今、君達親子が社交界でどのように噂されているのか知っているか?」


 え?俺達母子?夫婦ではなくて?


「副団長が時々話していた、君の奥方の悪評判だが、それを信じている者などいないんだよ。考えてもご覧。高価な宝石を身に着けたご婦人が、夜会に一度も顔を出さない嫁の浪費がひどいと嘆いても誰が信じると思う?正直、お茶会などでは、すでにハーディン伯爵夫人は殺されているのではなどと噂されているんだよ」


 ‥‥は?

 殺す?

 誰が誰を?


 ‥‥衝撃だった。

 だが、実際の彼女の生活を思えばあながち間違いとも言い切れない。

 実際彼女を手助けした友人達がいなければ、彼女の命はとっくに散っていただろう。


 しかし、彼女の体調を考えると、夜会に連れていけるとは思えなかった。


「彼女は今、体調不良で‥‥」

 躊躇いがちに答える俺に、団長はふう、とため息をつく。


「その言い訳がどう捉えられるか、わからないわけじゃないよね?」


 団長の口調は俺への心配を含みつつも、咎めるような声色も含まれていた。


「今週末、公爵家主催の大きな夜会があるだろう。君のところにも招待状が来ているはずだ。この夜会には王都にいるほとんどの貴族が集まる。ハーディン伯爵家への不信感をぬぐうためには、そこに夫人をエスコートして出席するべきだと思う」


 ‥‥‥‥眩暈がしそうになった。



 ***


 アリソルは鏡の前で何度も確認していた。

 新しく来た侍女のマルタは、子育てでしばらくお勤めを中断していたというがその技術に衰えはなく、パサついた髪もオイルを使ってきれいにまとめてくれた。


 だが、こけた頬もぎょろついた目も、たった一週間では全く戻っていない。痩せすぎて骨と皮のような手足には色気のかけらもなかった。

 義母から取り戻した輿入れ時のドレスは急ぎ手直しをしたが、瘦せ過ぎた体形に合っていないのは一目瞭然だった。

 以前の若々しくはじけるような肌を懐かしく思い返し、小さくため息をつきながら鏡の前で前や後ろを何度も眺め返す。


 細すぎてコルセットが不要なため、ろっ骨の怪我に障りがないことだけ救いだった。


 それでも玄関で彼女を迎えた伯爵様は目を細めて、アリソルを見つめた、

「きれいだよ」

 嬉しげに微笑まれる。

 こんなセリフを言われたことは、初めてだと思う。いや、結婚式の時には言われたかも。

 ‥‥もう思い出せない。


 一年前にこんなセリフを言われたら舞い上がっていたかもしれない。でももう、素直に喜べるには心が擦り切れすぎていた。


「‥‥ありがとう、ございます」

 感情のない声に、彼が少しだけ痛そうな顔をした。



 荘厳なドアの前、彼の腕を取り、二人並んで立つ。きらびやかなホールに入ると、視線が一斉に集まるのを感じた。


 これは私の悪女の噂のせいなのか、それとも義母の更迭の噂が広まっているのか‥‥。頭を巡らし、人々の視線を読み取ろうと視線を動かす。


 ふいに甲高い声が響いた。

「まあ!エドモンド様!今日はどうして私をエスコートしてくださらないのですか!?」


 見ればやたらとフリルの多い、ピンク色のドレスを着た女性がこちらに近づいてきている。

 妻をエスコートしている既婚男性にこのように声掛けをするなんて、どんな常識知らずの令嬢だ。

 妻を閉じ込めながらこんな低レベルの女性と夜会で楽しんでいたなんて。これでよく人のことをふしだらだとか言えたな。

 冷めた思いで、すっと彼から手を離した。


 伯爵様が眉を顰める。

「フローラ嬢。これまでは母に頼まれて君をエスコートしていたが、今日は妻をエスコートしているんだ。申し訳ないが今日は君のエスコートは出来ない」


 はあ。私は大きくため息をついた。

 これまでも侍女や義母からの嫌がらせの中で、夫が夜会で別の女性をエスコートしている話は聞いていた。いい年して、母親のせいにしますか?

 どうしてだろう、少し見直したと思ったら、すぐに残念な側面が出てくる。

 まあ、これまで散々妻以外の女性をエスコートしていたことは、きっと自分に有利に働くだろうと素早く計算した。


「わたくしのことならどうぞお構いなく。伯爵様、どうぞ()()()()()()()この女性をエスコートしてくださいまし」

 さらに一歩離れ、皮肉気に続けた。

「伯爵様にエスコートしていただいたのは今日が初めてでしたが、彼女は毎回エスコートしていらしたんでしょう?」


「いや、それは‥‥」

 彼が口を開いた瞬間。


「アリソル!アリソルじゃないか!よかった、無事で!夜会に出てこられたのか!」

 大股でこちらに歩いてくる男性に、思わず顔がほころんだ。

「ウェル兄さま!お久しぶりです!」


 ***


 アリソルが嬉し気に声をあげるのを、エドモンドは苦々し気に見つめた。

 相変わらず線が細くて無駄に色気のある男だ。金の髪と深紫の瞳がアリソルと同じなのも気に入らない。



「ああ、アリソル。こんなに痩せてしまって。大丈夫なのか?」

 クロムフェルト伯爵令息の大きな声に、さらに視線が集まった。

「ええ。おかげさまで。この一週間は輿入れして初めてベッドで寝ることを許していただけたんですよ!」

 嬉しそうに語るアリソルのよく通る声に、周囲がぎょっとするのが見えた。


 俺は狼狽える。

「アリソル、このような場で何を‥‥」

 その言葉を打ち消すようにクロムフェルト伯爵令息が眉を顰めた。

「ベッドすら使わせてもらえなかったのか!?食事も満足にもらえないと人づてに聞いて心配していたが」

「ええ。でもウェル兄さまがこっそり食べ物と毛布を届けてくださったおかげで、なんとか餓死も凍死もせずに生き延びることが出来ましたのよ」


 微笑むアリソルのその言葉を聞いて、周りの女性陣は恐怖に引きつった目で俺を見た。

「いや、それは‥‥」

 言い淀むと、クロムフェルト殿とアリソルの視線が注がれた。


 ごくりと唾を飲み込む。

 まさかこのような場でアリソルが暴露するとは思わなかった。

 いや、では何を期待していた?悪女の噂をそのままに、泥をかぶり続けることを強いるつもりだったのか?

 しかしこの事実を認めることは、今後の伯爵家の存続にも関わる。


「其方も伯爵夫人であればこのような場での発言は慎んだ方が‥‥」

 俺はなんとか言葉を濁す。


 アリソルはにっこりと笑った。

「あら伯爵様!わたくし、伯爵夫人の立場には何の未練もなくてよ。そこの貴方。ハーディン伯爵夫人の座をわたくしから譲り受けたいとお思いなのかしら。でしたら喜んでお譲りしますわ。ちなみにハーディン家の伯爵夫人の地位は、一日に食べられるのはパン一切れ。それもカトラリーはおろか、手を使って食べようとすると殴る蹴るの暴行を受けますので、這いつくばって口だけで犬のように食べなくてはならないのですけれど、それでもよくて?」


 ‥‥終わった‥‥。

 思わず遠い目になってしまう。


 周囲からはひっ!と悲鳴のような声が漏れた。

 俺に向けられた視線は、もはや悪魔を見るような恐れを含んだものだった。


 その視線に追い詰められながら、返すべき言葉を探した。

 どうする?

 どう返す?

 事実を認めれば伯爵家にも打撃を受ける。しかしここで無責任な回答をしてしまえば、二度とアリソルの信頼を勝ち取ることはできないだろう。


 一瞬の逡巡の後、俺は腹を決めて頭を下げた。

「家の者たちが其方にひどい仕打ちをしたことについては申し訳なかった。私が家のことをないがしろにしたばかりに君につらい思いをさせた。これからは、誠心誠意償いたいと思っている」


 アリソルは驚いた顔でこちらを見たのが視界の隅に入る。

 俺のセリフに、周囲がすんっと静かになってしまった。


 その沈黙を破るように大声で近づいてきたのは、アリソルの実の父親であるマルメイ侯爵だった。

「なんと!うちの娘にそのような仕打ちをしていたとは!」


 ああ、やっぱり。面倒な奴に知られてしまった。

 元々微妙な力関係の両家。このことを笠に着て、両家の均衡が崩れてしまうかもしれない。

 頭を下げたままの俺の背中に嫌な汗が流れた。



 それを救ったのは聞きなれた涼やかな彼女の声だった。

「あらお父様。実の娘に一切の関心を寄越さず、わたくしがそのような生活を送っていることに気づきもしなかったのはどなたでしたっけ?」


 鈴のようなコロコロと響く声に、助けられたことを実感する。


「いや、わしは‥‥」

「実際、助けてくださったのはウェル兄さまだけでしたわ。そんなお父様が、今更、何か?」


 アリソルの嫌味にたじろいだ侯爵は、ずり、と後ずさって、うやむやに言葉を濁しながら視界から消えていった。


「頭をお上げください伯爵様。事実に気づいてからこのかた、わたくしに人間らしい生活を与えてくださったのは伯爵様なのですから、その点については感謝しているのです」

 ほっと息をついた俺に、彼女は振り返って微笑んだ。


「アリソル、彼のことを伯爵と呼んでいるのか?」

 いい雰囲気になりかけたところをぶち壊してきたのはまたしてもクロムフェルト殿だった。


「ええ。以前エドモンド様とか旦那様とお呼びしたら叱られてしまいましたの。まあ、でも、そちらの令嬢には名前で呼ぶことをお許しになっているようですけど‥‥」

 扇で口元を隠しながらちらりとピンクドレスの女性を見る。


 今、周囲からの視線は完全に俺の方を浮気者認定していた。もう怖くて周りの目を見ることも出来ない。


 クロムフェルト殿がさらにアリソルに歩み寄った。

「ハーディン伯爵家が君の悪評を流しながら裏で君にひどい仕打ちをしていることは十分わかった。今からでも遅くない。僕の家に避難してこないか?誰にも何も言わせない。君を保護したい」

 彼の申し出に奥歯を噛み締める。今の俺には彼女を止める権利はない。


 けれどアリソルはふふっと笑った。

「ありがとうございますウェル兄さま。でも大丈夫です。伯爵様も変わられたとのことですし、今日は輿入れして初めて湯あみもさせていただいたのですよ。きっとこれからはうまくいくでしょう。でも、どうしても耐えられなかったら、助けを求めてもいいですか?」

「は?湯あみもさせてもらえなかったのか?これまでどうしていたのだ」


「布を冷たい水に浸して体を拭くだけだったのです。真冬でも熱がある時でも。もう何度死にかけたことやら」


 ありえない‥‥。クロムフェルト殿は大げさに天を仰ぐと、アリソルの肩に手を置いた。

「困ったらいつでも頼ってくれ。アリソルならどんな時でも大歓迎だから」


 ありがとうございます、と彼女が微笑むと、周囲の女性達もわらわらとアリソルに集まってきた。

「わたくしも力になりますわ!何かあればいつでもご相談ください」

「まさかハーディン伯爵夫人がそのようなつらい日々をお過ごしになっていたなんて。おいたわしい。今度我が家のお茶会にも来てくださいませ。必ずですよ!」

 女性パワーがさく裂したその一角で、気づけば彼女は輪の中心となっていた。


 一人取り残された俺は、ばつの悪そうな団長と目が合う。夜会に誘ったことを後悔しているのかもしれない。しかし、団長の言う通り、今日連れてこなかったら周囲からどう思われていたか、考えただけでも恐ろしい。


「あー、その、なんだ」

 団長はポリポリと額を掻きながら言葉を探している。

「ハーディン君は領地運営のためにしばらく領地に行くんだったな。ご夫人も一緒なのか」


 その言葉に、輪の中心にいたアリソルが顔をあげた。

「キスケール近衛騎士団長様。お久しぶりです。結婚式には足をお運びいただきありがとうございました。なかなかご挨拶することが出来ず申し訳ありません」

 お手本のような淑女の礼をとって挨拶をし、続けた。

「伯爵様に同行し、領地に赴きたいのはやまやまですが‥‥」


 彼女は思案気に首をかしげた。


「これまでは食事を抜かれても、周りに助けてくれる方々がいたおかげでなんとか命を永らえることが出来ましたが、領地では知り合いもおらず、同じ扱いを受けた時に生きていくことが出来ないのです。なので怖くて、なかなか踏ん切りがつかなくて‥‥」


 その言葉に、女性陣から次々と援護射撃の声が上がった。

「ついていく必要なんてありませんわ!」

「そうですとも。王都にだってすべきお仕事はたくさんありますでしょう?」


 その勢いにキスケール団長もたじろぐ。女性が束になると天下の近衛騎士団長でも敵わないらしい。

 どうやら話題を変えることにしたようだ。

「あー。そうか。うん、ご夫人の、男性に関する変な噂も聞こえていたのだが、誤解が解けたようで本当によかった」


 ここでぶっこんでくるか!?団長も意外と天然だな!?

 俺は慌てる。


「ああ。漏れ聞こえております。お義母様がお話しされていたのですよね?どうしてそのような話になってしまったのか、本当に理解しかねます。わたくしはまだ清いままだというのに・・・。伯爵様とも白い結婚のままですのよ」

 被せるようにアリソルが反応した。


 またしても周囲がざわめく。

 白い結婚?まさか。いや、でも。

 え、じゃあハーディン夫人って‥‥。え、まだ?


 その、好奇に満ちた視線が痛くて、俯いた顔をあげることが出来なかった。


 ***


 帰りの馬車は二人とも無言だった。

 伯爵様はちらりと私を見て、何かを言いかけて、口をつぐむ。

 私は体をクッションに預けながらその様子を見ていた。


「‥‥私の言い分をすべて認めるとは思いませんでした」

 ぽそりと呟くと、彼の眼はこちらを真っ直ぐに見据えた。

「君の話は真実だ。なのにあの場でそれを否定したら、俺自身が嘘をつくことになる。そうしたら、二度と君からの信頼は勝ち取れないだろう?」


 その言葉には、彼の真っ直ぐな性格が滲み出ていた。


 これまでの仕打ちを皆に知らしめてやりたかった。そして実際に実行した。なのに、全然すっきりしない。それどころか、逆に陰鬱な気分になるだけだった。


 この人は正義感の強い人だ。

 彼の誠意によって、伯爵家での私の待遇は劇的に改善した。そして今日は彼が認めてくれたおかげで社交界での立場も回復できた。

 それは十分わかっている。

 それでも、彼を信頼するには、心を寄せるには、あまりにもつらい日々が長すぎた。


「伯爵様が領地に行かれている間、タウンハウスの管理はお任せください。侯爵家で一通りのことは学んでいますし、貿易の事業も今はほとんど休止しているようですので、そちらは少しずつ再開していけばいいかと」

 ようやく発することが出来たのはそんな事務的なことだけ。

 それでも私が話しかけたことで、彼の頬が緩むのが見えた。


「ああ。頼む。ところで、あ‥‥アリ‥‥アリソル」

 躊躇いながらも、彼は恐る恐る切り出した。

「その‥‥、今更、虫のいい話だとは思うのだが。よければ、俺のことは‥‥エドモンドと‥‥呼んでもらえないだろうか」

 一瞬驚いて目を見開いた。けれど、自然と眉間は歪んでしまう。


「ですが‥‥」

「自分が過去にどれだけひどいことを言ってきたのかしてきたのか、分かっているつもりだ。だが。もし許されるなら、これからは君に真摯に、誠実に向き合っていきたい。そのためには少しでも、お互いを知っていければと。そう思うんだ。自分でも勝手なことを言っているとは思っている」


 真摯な申し出に、困ったように目線を下に落とす。

「申し訳ありませんがそれは出来かねます」


「そうか‥‥」

 わかりやすく肩を落とす彼に続けた。


「伯爵様はあの家の絶対的権力者であらせられます。そのお方の意向を無視して旦那様と声掛けしてしまった結果、私は伯爵様の怒りを買い、その後、お義母様と家令にさんざん殴られました」

「は?」

 初めて聞かされた事実に彼はわたわたとたじろいでいる。


「俺はそんなつもりで言ったのでは・・・」

「分かっています。貴方様だけは今まで私に手をあげたことはありませんから。ですが。どんなつもりだったとしても、あの家の家長である貴方様の発言はそれだけの力を持つのです。その力を行使したことで私をあの状態にまで追い詰めたのです」


「しかし、母も使用人も全て追い出した。今其方を虐げる者はもうあの家にはいない。心配することはなにもないんだ」

「今は、でしょう?貴方様がその気になられたら、いつでも環境は戻せる。私はそれが怖いのです」


 彼に対する信頼はゼロに等しかった。


 蒼白になる彼を見て、さすがに言い過ぎたかと、少し表情を和らげる。


「伯爵様、私のことはどうぞアリソルとお呼びください。これまで一度も名前で呼んでいただけなかったので、呼んでいただければ嬉しく思います」


 一度も‥‥。呆然と彼が呟く声が聞こえる。


「まだ伯爵様を信頼することは出来ません。しかし、貴方様のおかげであの地獄から脱することが出来たことはとても感謝しています。伯爵夫人としての扱いを受ける以上、それにふさわしい人になり、役割を全うしたいと考えています。これからは、伯爵様の良きビジネスパートナーになれるよう、精進してまいります」


 ***


 ビジネスパートナー‥‥。

 エドモンドはその言葉に言いようのない寂しさを覚えつつも、相応のことをしてきたのだと言い聞かせる。むしろ嫌われて当たり前なのに、受け入れてもらえるだけ良しとするべきなのだろう。


 大切なのはこれからだ。

 どうやってアリソルの信頼を勝ち取っていくか。エドモンドは窓の外を眺めながら思案した。


誤字脱字報告、ありがとうございました。

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