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後日談④ 家出、からのめでたしめでたし

これにて後日談終了です。



 一人部屋に入っていくアリソルの腕をつかむことも出来なかった。

 呆然とへたりこむ。


 リー、と呼んでいた。夫である俺ですら呼んだことがない愛称。

 誰よりも近しい間柄だと認識してしまう。

 あいつはまだアリソルを諦めていない。俺から奪う気満々だった。

 アリソルは?

 アリソルもあいつの方がいいんだろうか。


 は。

 乾いた笑いが漏れる。

 俺にはアリソルだけ、アリソルにも俺だけなんて、思い上がりも甚だしい。

 アリソルには俺よりも近しい人間がちゃんといるじゃないか。

 そして少なくとも、ヤツは俺みたいに彼女を不幸のどん底に陥れるようなことはしないだろう。


 一人冷えたベッドに入って見ても、アリソルが俺に背を向けてあいつに向かって歩いていく想像ばかりが絡みついてくる。ぐるぐると良くない妄想で頭の中は忙しく、もんどりうってなかなか寝付けない。

 空が白み始めたころ、俺はようやくうとうとと眠りについた。


 日も高く上った後、ぼうっとした頭のまま部屋の外に出る。


「おはよう。‥‥アリソルは?」

 働かない頭のままに尋ねると、控えていたメイドは何とも言えない顔をした。


「‥‥どうか、したのか?」

 メイドは困ったように下を向いた。

「恐れながら。奥様は今朝早く、出ていかれました」

 途端に俺の眠気がぶっ飛ぶ。

「は!?どこへ!?」

 思わずそのメイドに詰め寄った。

「‥‥‥商会の、方に‥‥」


 なんだ。一瞬にして力が抜ける。

「急な仕事でも入ったのか?」

「それが‥‥、家出、だと」


「‥‥‥‥はあ!!??」


 なんで、どうして!

 ‥‥俺が、バルラガン殿のところに、なんて言ったからか?

 自分で自分を殴りたくなる。

 俺は勢いよくドアを開け、アリソルの部屋に入った。

 無駄な飾りの少ないすっきりとした部屋のテーブルには、一通の封筒が置いてあった。

 焦るように便箋を取り出す。


【ちょっと家出します。商会の二階にいますので安心してください。頭が冷えたら戻ってきますね】


 家出。家出。‥‥いえで。

 完全に頭がフリーズして思考が麻痺している。


 家出?

 家出って「ちょっと」するもの?

 行先告げてるし!

 普通家出って行先教えるか?

 しかもちゃんと戻ってくるって書いてある。


 これ、追いかけていいやつ?ダメなやつ?

 誰か教えて!


 俺は手紙を握り締めたまま、商会にダッシュした。


 ***


 アリソルの、ここぞという時の思い切りのいいお金の使い方は、俺よりよっぽど男前だと思っている。

 王都の一等地に二軒並んで立つ商会は左側が貿易関係の事務所で右側がアリソルのファッションショップ。いきなりこの二軒を手に入れたと思ったら大掛かりな改修を始め、見たこともない全面ガラス張りのお店が出来上がった時は度肝を抜かれた。


 日頃お金を使うことがほとんどない彼女が、こだわりにこだわって完成した店舗。

 ガラスのショーウィンドウからは洗練されたお店が外からまるっと見える造りで。

 その斬新さにも驚いたが、外から見える場所に応接スペースを作ったことにはもっと驚いた。

 下着も扱うお店での買い物を通行人に見られるなんて、腰が引けるんじゃない?なんて俺のいつもの心配はいつものようにあっさり裏切られる。

 常連の上客だけが許されるそのソファで見せつけるように接遇を受けることは、あっという間に貴族の夫人の中で最高のステータスになってしまった。


 まだ開店前の、静かなショーウィンドウを前に、俺は立ちすくむ。

 アリソルはきっとこの二階の事務所にいるのだろう。


 だけど、行ってどうする?

 ってか、そもそもアリソルは何に怒ってるんだっけ?


 夕べのことを思い返す。

 ‥‥俺、バルラガン殿に一方的になじられただけだよな。

 確かに、結婚してからの一年間の俺の非道な振る舞いは許されるものじゃないと思う。ヤツになじられたって仕方がない。

 だけど、一連の流れの中でアリソルがキレるポイント、あったか?

 ‥‥もしかして、バルラガン殿のところに行けって言ったことだろうか。

 だとしたら、俺の側にいたいって意思表示なのか?


 思わずにやける顔を必死で戻す。

 いかんいかん。

 ご機嫌ナナメな奥様を宥めるのに、にやけ顔で行くわけにはいくまい。


 俺は気を引き締め直して二階に足を伸ばした。


「‥‥何やってるの?」

「え?朝ごはんですけど?エドモンド様も食べます?」

 胡乱気な俺に、彼女は涼し気な顔で答えた。


 はあっと頭をかかえて壁に体重を預ける。

「急に家出なんて言うから驚いたよ…」

「あら。ちゃんと行先も伝えたじゃないですか。どうぞどうぞ。お座りください」

 彼女はにこにこと俺に席をすすめた。

 怒っている気配は‥‥ないように見えるが。


「なあアリソル。昨日俺、何か怒らすようなこと、したか?」

 何の探りもなく直球で言っちゃったなとは思うけれど、口に出ちゃったものは仕方がない。

「‥‥わかりません?」

 大好きな葡萄を口に放り込みながら、彼女が答える。

 うーん。やっぱり不機嫌だな。


「‥‥もしかして、バルラガン殿のところに行くかと聞いたことか?」

「わかってるじゃないですか」

 彼女はむくれた顔で答えた。


「ごめん。出て行って欲しいという意味じゃないんだ」

「私にはそう聞こえましたが?」

「ちがう!」

 思わず声を荒げてしまった。

 気まずげに声を落とす。

「違う。むしろ、出て行ってほしくないと、傍にいてほしいと思っている」


「だったらどうしてあんなこと言ったんですか?」

 彼女は真っ直ぐに俺を見据えた。


「ごめん。そんなつもりじゃない。アリソルには出て行ってなんて欲しくない」

 もう一度繰り返す。

 それでも彼女の表情は硬いままだった。

 俺は居ずまいを正した。

「言い方が悪かった。きちんと言葉にするべきだったね」


 彼女は小さくため息をついた。

「それだけじゃないの」

 ん?顔をあげる俺に、彼女は続けた。

「‥‥思い出しちゃったから」

 え?何を?

 戸惑う俺に彼女は続けた。

「あの頃の事、思い出しちゃって、辛くなっちゃったから」


 あの頃‥‥。

 わかってる。俺にはなんの言い訳もできない。

 何も言えなくなってしまった俺との間に沈黙が落ちる。

 アリソルは静かに話し始めた。


「今のエドモンド様が誠実に向き合ってくれていることはわかっているし、ものすごく幸せだと思う」

 彼女の真剣な口調に、黙って聞く。

「だから、過去の事は掘り返すべきじゃないってわかってる。なのに、時々思い出して、突然どうしようもなく胸が痛くなることがある」

 ああ。

 彼女は苦しんでいたんだ。

 楽しそうに笑って、幸せそうに微笑んで。でも一度つけられた心の傷は癒えることなんかなくて。


「でもそれをエドモンド様に言っても困らせるだけでしょう?こんなにも誠意を示してくれているのに」

 苦しそうに眉を歪め、こちらを見た。

「そしたらね。考えてたらなんか、弾けちゃって。一人で悩んでるのが馬鹿らしくなっちゃって。飛び出してきちゃった」


 まただ。また彼女の心の痛みに気づかずに、間違いを犯すところだった。

「でも別れたいとかじゃないの。ただ、ちょっと頭を冷やそうかなって」


 こんな俺なのに、俺の側にいることを諦めないでいてくれる彼女が愛おしい。


「‥‥困ることなんて、ない。全部、俺に話してほしい。寂しい時も、過去を思い出してつらい時も」

「何度も掘り返す女なんてめんどくさいでしょう?」

「まさか。ただ知りたいんだ。アリソルが傷ついた時には、心を痛めた時にはいつもそばで寄り添っていたい。その痛みに気づかずに傷つけるようなことはもう二度と、したくない」


 彼女はほっとしたように眉を下げた。

「‥‥そうね、そうかも。うん。これからは出来るだけ向き合って、話すようにするね」

 そして、涙を滲ませて笑った。

「エドモンド様は?エドモンド様が思っていることも教えてください」

「俺?俺は‥‥」


 俺の気持ちも素直に告げるべきなんだろうか。改めて夕べのことを思い返してみた。

「俺は。‥‥腹が立った」

 彼女は真剣な表情で頷いた。

「改めて当時の状況を突きつけられて。アリソルが他の男どもに晒されそうになっていた現実を思い知って、そんな状況に陥れた自分自身に腹が立った。何より」

 一度大きく息を吸って続ける。

「そんな状況にも関わらず、あいつが」


「あいつが君をリーと呼ぶのが、むかついた」

 え?と彼女の眼がまた見開く。


「俺だってアリソルとしか呼んでないのに。俺だって愛称で呼べてないのに。あいつは気安くリーなんて‥‥」

 完全に動きを失ってぽかんとする彼女が可愛らしくてちょっとだけ笑える。


「アリソルもアリソルだ。俺には敬語なのにあいつには砕けた言葉遣いだし」

「えっと?」


「だから」


「だから、俺にも敬語なんて使わないで欲しい」

「エド‥‥モンド、様?」

「エド、と」


 彼女がまた困ったように見上げた。

「エド、と呼んで欲しい」


 アリソルの視線が少しだけ泳いで、それから小さく声に乗せた。

「エド‥‥」

「リー。いや、違うな」

 俺の訂正に、戸惑ったような表情を向ける。

「あいつと同じ呼び方はむかつく。アリー、アリーがいい」


 そう呼ぶと、アリソルはくしゃりと笑った。

「アリー」

「はい。‥‥はい。エド」

「アリー。アリー!」

 気が付けば力強く抱きしめていた。


「エド。夕べは嫌な思いをさせてごめんなさい。もう二度とバルラガン様とは会わないから」

「いや、いいんだ。彼もアリーを大切に思えばこそ、だろう。アリーを彼に渡す気はさらさらないけれども、俺の誠意をきちんと知ってもらうことは必要だと思っている」


 彼女は少し離れて俺を見上げた。

「ありがとうございます。でも、無理はしないで。今の私にはエドが一番大切だから」

「今の?じゃあ昔は誰が一番?」

 俺の突っ込みに、彼女はぷすっと口を尖らせた。

「昔はともかく、今も未来も、エドが一番です!」

 その言い草が可愛くて、思わず声に出して笑ってしまった。

「また敬語になってる」

 彼女の頬をふにっと軽くつまみながら。

「まあ、おいおい慣れてもらうしかないね」


 笑いながらふと気づいた。

 現在と、未来‥‥か。

 その意味を噛み締めると、どうしようもなく嬉しくなってくる。


「ねえエド」

「ん?」

「頼まれた王太子殿下の婚礼衣装の事だけど」

「ああ。受ければいいよ。やってみたいんでしょ?」


 彼女は困ったようにこちらを見た。

「仕事自体は惹かれてる。でもあんな風にエドを蔑ろにするなら受けられない。そのことはきっちりととーたまに釘を刺しておこうと思うの」

 釘を刺す。

 ‥‥石炭王に。


 ぷっ!!

 一瞬フリーズして、次の瞬間吹き出してしまった。

「いいねえ。相変わらず俺の奥様は威勢がいい」

 笑い転げていると愛しの奥様はもうっ!とぷりぷりし始めたけれど、さらに可愛さが増している。

 まあ、頬を引っぱたかれた時のヤツのにやけた顔を考えると効果があるのかどうかは怪しいけれど。俺のことを第一に考えてくれることが嬉しい。


「ありがとう。でも俺なら大丈夫だよ。二人でいれば怖くないから」

「そうね」

 アリソルはふっと息を吐いた後、強い眼差しで俺を見た。

「でも私もとーたまに、今はちゃんと幸せだってわかってもらいたい」


 幸せ。はっきり告げられた言葉に心が温かくなる。

「幸せ?‥‥アリソルは今、幸せ?」

「当たり前じゃない!」

 あまりにも嬉しい言葉に、俺は両手で彼女の頬を包んだ。

「よかった。愛してるよ、アリー」

 これからも、想いは出来るだけ言葉にしていこうと誓う。


「ありがとう。でも、ごめんね?」

「うん?なにが?」

 突然の謝罪の理由がわからなくて戸惑う。

「私、ホントは臆病で。肝心なところはエドに押し付けてる。アパレルの事業だって、思い付きでいろいろ始めたくせに規模が大きくなったら途端にこわくなって代表をエドに押し付けて」

 なんだ、そんなことか。

 嬉しくなって彼女の頭をぐりぐりする。

「そういうアリーの性格、わかってるつもりだけど?」

 からかうように笑うと、ちょっと拗ねた顔で俺の胸に頭を埋めた。

「今回だって、隣国に行ってみたいくせに勇気がなくて、勝手にエドの同行ありきで話を進めちゃった」

 胸の方から声がする。

「俺は嬉しかったよ」

 彼女は驚いて俺を見た。

「俺を頼ってくれて。そんな遠くまで一緒に出かけるなんて、俺にとってはご褒美以外のなにものでもないけど?」

 笑う俺に、彼女の肩の力も抜けたようだった。


「ところで奥様。お怒りは収まりましたでしょうか?よろしければ一緒に家に帰っていただきたいのですが」

 おどけた口調で促せば、彼女は真っ赤になって項垂れた。


「家出するって言って出てきたのに、帰るの早すぎない?」

「いいんじゃない?みんな、待ってるよ」

 そう言いながらも俺は、離さないとばかりに彼女の腰に手を回した。


 こうして、アリソルの初家出は史上稀にみる程短い記録で終了となったのであった。




アリソルに振り回されるエドモンドが好きなのです。

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