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後日談③ すれ違い



 バルラガン殿が新たに購入したという王都のタウンハウスは、我が家などとは比べようもないほど大きく、荘厳な造りだった。

「知人の伝手で幸運にもこの家を手に入れることが出来てね。でもまだまだ行き届かなくて。不便をかけるかもしれないが」

 彼はそう笑うが、行き届いていないところなど全く見当たらない。


 そして晩さん会には、俺達夫婦とクロムフェルト夫婦しか呼ばれていなかった‥‥。


「リー、今日は来てくれてありがとう」

 バルラガン殿は真っ直ぐにアリソルのところに来る。うーん、相変わらず俺を空気のように扱う節がある。


 もやっとしつつも案内され五人全員が席に着くと、次々と料理が運ばれてきた。

 クルミの乗ったサラダやオリーブとサーモンのピンチョス、裏ごし野菜のクリームスープ、ロブスター、カラメルソールが添えられた冷たいプディング、小さなチョコレート菓子‥‥。

 ‥‥全部、アリソルの好物だ。


「懐かしい。これ、よく一緒に食べましたね!」

 もやもやする俺の隣でアリソルは無邪気に喜んでいる。

「ロブスター!私の誕生日に出してもらったやつ!美味しかったですよね~」

 ニコニコと微笑む彼女にじりりと焦燥が生まれた。


 こいつは間違いなくアリソルに好意を抱いている。

 確信にも似た考えが胸を燻ぶらせる。

 そんな俺の考えなど気にも留めない風で、ヤツは昨日の話を進め始めた。

 一年後に王太子の成婚の儀があること。ウエディングドレスは是非リソルド商会にと王太子ご夫妻が強く望んでいることなどなど。


 さすが数多の商談をまとめてきた石炭王だけのことはある。

 話を聞くうちに、少しずつアリソルもその気になってきたようだ。そう言えば以前から外国の文化にも興味を持ち、いつか旅してみたいと言っていたな。

 なんといっても栄誉この上ない話で、今後の取引にも箔がつく。


 そわそわと落ち着かなくなってきたアリソルは、明らかにこの仕事に惹かれ始めていた。

「でも隣国に赴くとなると、一月はかかりますよね?」

 そうだよな。そこが俺も一番気になるところだ。

「‥‥エドモンド様も一緒に行っていただけるのなら」

 上目づかいで俺に問うその瞳にはすでに好奇心が溢れている。


 彼女を外国にやるなんてとんでもないと考えていたけれど、なるほど、俺も一緒に行けばいいんだ。ちょっとした新婚旅行みたいじゃないか。

「もちろん。大切な妻を見知らぬ国に一人で行かせるわけにはいきませんから。私も当然お供させていただきます」

 余裕をかました表情で涼し気に答えれば、彼女は安心したように笑った。


 それを見るバルラガン殿の表情が一瞬僅かに歪む。しかし次の瞬間、人の好い笑みに変わった。

「良かった。ではまた、詳しい話を詰めていきましょう。バーディン殿、石炭の輸出の件で少し話をしてもいいでしょうか。リー、御主人を少しお借りしてもいいかな?」

 アリソルに向ける穏やかな笑顔とは裏腹に、俺を促す彼の目は仄暗く蠢いていて、わずかな敵対心が感じられた。


 アリソルと俺を離して、何か仕掛けようとしているのか?

 不穏な気配を感じつつも、今の俺に断るという選択肢はない。


「分かりました。アリソル、ちょっとここで待っていてくれる?大丈夫。すぐ終わるから」

 出来る限り笑顔を取り繕って、俺は席を立った。

 後ろには心配顔でクロムフェルト殿が付いてくる。


「では私はケイティ様とお話していますね」

 アリソルが軽い足取りでケイティ殿に向かうのを確認して、俺はふうっと息を吐いた。


 アリソルから離れた途端、バルラガン殿の表情は厳しくなった。

「ウェルから話は聞いている」

 低い声で言い放つ。


「お前がリーをどのように扱っていたか、虐げていたか」

 その顔は強い憎しみの色を湛えていた。

 ああ、やはりその話か。

 ここまでアリソルを溺愛しているこの男が簡単に俺を許すわけがない。俺は即座に身構える。


「ずっと。ずっと準備していたんだ。リーをお前の魔の手から救うために」

 その声も、よく見ると握りしめた拳も震えていた。


「なのに!なんで!?虐げたお前が当然のようにリーの横に立っている?」

 苛立った声でぎろりと睨みつけられる。


「大事な、大事なリーを。凍えさせて、飢えさせて」

「おい、トール!それぐらいにしておけ。今はアリソルの夫なんだから」

 たまりかねたようにクロムフェルト殿が間に割って入ったが。

「それが我慢ならないって言うんだよ!!」


 バルラガン殿の大声に、アリソルが気づいて駆け寄ってきた。

「どうしたの?」


 彼女の心配そうな視線が俺とバルラガン殿の間をせわしなく行き来する。


「リー、そいつから離れろ」

「バルラガン、様?」

 彼の突然の激高に、アリソルは戸惑いを隠せないようだった。

「黙って私のところに来るんだ。何の心配もいらない」

「どうしたの?ねえ、何を怒っているの?」

 動揺のあまり、いつの間にかアリソルのしゃべり方も砕けている。

「私が何も知らないとでも思ったのか?ずっと。ずっと探っていた。リーをあの父親から攫う術を。リーが嫁いでしまった後もこの悪魔からリーを救い出すことだけを考えていた」


 クロムフェルト殿の動きも止まった。

 バルラガン殿が大股で俺に近づき、グイッと胸ぐらをつかんだ。

「この男はっ!!リーを飢えさせ、凍えさせ。その間自分はうまいもの食って他の女をエスコートして!」

「やめてっ!!」


 アリソルが俺達の腕をつかんだが、強靭なバルラガン殿の躯体は微動だにしない。俺も抵抗することなくされるがままになっていた。


「しまいにはリーに男達に夜這いをかけさせた!!」

「違う!!」

「同じだ!!!」

 俺の否定はすぐさま打ち消され、激情の赴くまま吐き捨てられる。


「何故のうのうとリーの隣にいられる!?心は痛まないのか!お前に良心はないのか!!」

 俺を睨みつけるその目は血走っている。

「わかってるのか!?お前の家で!粗末な小屋で!庭師やウェル達の助けが無かったらリー、は、リーはとっくにっ!!」

「想像したことあるのか?毎晩毎晩、何人もの男達の慰み者になっていたかもしれないんだぞ!お前が雇った男達の手で!!」


 衝撃が全身を駆け巡った。

 あの時。

 俺は何を思った?何を感じた?

 ぞくっとした震えが背中を駆け抜ける。


 俺がただ、悪女だと聞いていたアリソルが純潔だと知って単純に喜んだ。

 一歩間違ったらどうなっていたか。

 そんなことすら考えなかった。


 俺の胸ぐらをつかんだ手は乱暴に離された。

 俺はそのままへたり込む。


 彼はアリソルに向かって訴えかけた。

「リー。私はリーが白い結婚だとか、白くないとかどうでもいい。ただリーが幸せであればいいんだ。そのために準備してきた」

「だから、行こう」

 そう言って、アリソルにその手を伸ばす。


 俺はただ、絶望に打ちひしがれながらその様子を眺めるしかなかった。


「‥‥行かない」

 彼女は下唇を噛み締めるように、震える声で返した。


「どうしてだ!?この男のところに残るのか!?こんな男の元に!?リーを他の男達に晒させながら、リーの悪口を言いふらしていたような男だぞ!?」


 ああ。

 自分のしてきたことが、アリソルへの残虐な仕打ちが刃物のように俺に突き刺さる。

「私の元に来い。妻だとか妹だとか、なんでもいい。お前の望むようにすればいい。ただ私の隣にいて、生きたいように、好きなようにすればいいんだ。幸せにしてやる」


 彼は間違いなく、アリソルを連れ去るためにこの国に来たのだと思い知る。

 なのに今の俺にはそれを止める術がない。

 呆然と座り込む俺の視界の隅に、アリソルの背中が現れた。


「勝手なこと言わないで!!」

 ぱあーーーん!!!!とはじけるような音がした。


 驚いて見上げれば、アリソルの痛烈な平手がバルラガン殿の頬にヒットしていた。

 バルラガン殿が頬に手をやり、全員の動きが止まっている。

 

「嫌い!!とーたまなんて大っ嫌い!!もう二度と口きいてあげないから!!」


 シリアスなこの場に全くふさわしくない、幼い口調で吐き捨てると、座り込む俺の腕をぐいっと引き上げて、彼女は戸口の方に歩き出した。

 と、ふっと立ち止まると後ろを振り返り、キッと睨みつけた。

「ばか!!ばーかばーかばーか!!とーたまのばーか!とーたまなんてもう知らない!」

「行きましょ、エドモンド様」


 アリソルに腕を引かれながら呆然と振り返ると、バルラガン殿はぶたれた頬をさすりながら、その顔は何故か嬉しそうに緩んでいた。


 ***


 アリソルはぐちゃぐちゃになった頭を整理することも出来ず、呆然と馬車から外を眺めていた。

 バルラガン様の台詞が頭の中でリフレインする。


 あの小屋から脱出した直後の夜会を思い出す。あの時は彼に言い寄る女性に対し、自分に有利に働くとしか思わなかったのに。


 エドモンド様が他の女性に笑いかけ、エスコートしながら私を蔑んでいた過去。

 その事実が、今はとてつもなく苦しい。


 何故今、こんなにも胸が痛むのか。

 この苦しさを何というか知っている。


「嫉妬」だ。


 彼は、今はちゃんと私に向き合ってくれているとわかっているのに。

 それでもなお、変えることが出来ない過去にこだわって、苦しくてどうしようもなくなる。

 醜い自分。


 二人は一言も喋らないまま家にたどり着いた。


 ***


 エドモンドはただただ呆然としていた。


 アリソルが今でも俺を完全に許せていないことは分かっている。

 俺よりもクロムフェルト殿の方が気安く感じていることも。


 だけどあいつはダメだ。ヤツだけは。

 アリソルの初恋で、何年もアリソルの心を一人占めして。


 ‥‥アリソルはあいつに敬語を使わなかった。

 大っ嫌いだと叫んでいた。


 俺にそんな台詞を言ったことはない。敬語すら取れていない。

 俺とアリソルの間には未だそんな気安さはない。


 あいつと間にあって俺との間にない信頼関係。

 あいつとの間になくて俺との間に存在する、壁。


 その歴然とした事実に気づいて、なにも言えなくなってしまったのだ。

 馬車の中、気まずい沈黙だけが続いている。

「‥‥あいつは」

 ぼそりと呟くと、窓の外を見ていたアリソルがこちらに顔を向けた。


「あいつは、いや、あいつも、ずっとお前のことが好きだったんだな」

「‥‥‥‥」

 彼女は黙って俺を見ている。


「‥‥あいつのところに、行きたいか?」

「え?」

 アリソルの眼が大きく見開いた。


「傾きかけた領地経営を持ち直したばかりのうちと違ってあいつには唸るほど金がある。爵位だってすぐにもっと上がるだろう」

 彼女の見開いた目が、だんだんと険しくなる。

「俺と違って誠実で、アリソルにもずっと優しくしてくれるだろう。あいつのところに行った方が、アリソルは幸せになれる」

 瞬きもせず見つめ続ける彼女を見返すことが出来ず、最後の方は下を向いてしまった。


 ‥‥‥‥。

 相変わらずアリソルは何も言わない。


 無言のまま馬車は屋敷についた。


 手を差し出した俺に目をやることもなく、彼女は一人で馬車を降りる。

 そして、前を向いた真っ直ぐにまま歩き出した。

 俺はただ黙って後ろからついていく。


 彼女は二階に上がると、少しだけ躊躇した後、部屋のドアを開けた。

 ‥‥二人の寝室ではない、彼女だけの寝室のドアを。


「おやすみなさい」

 一瞬だけ振り返った後ドアの向こうに消えた彼女を引き留めることが出来なかった。


 ***


 一人ベッドに潜り込み、アリソルはぼすぼずと枕を打ち付けていた。


「なにあれ!なにあれ!私にとーたまのところに行けってこと!?」

 怒りのあまり、枕から羽が飛ぶ。


「自分だって、さんざん他の女をエスコートしてきたくせに!」

 あーー!!

 むしゃくしゃして頭を掻きむしった。

 他の女性の手を取ったのなんて過ぎたこと。昔の事。

 頭では分かっている。

 もうすでに謝罪を受け入れて水に流したはずの過去の過ちを、何度も蒸し返すのは大人げない。

 何度も何度も責めるものではない。

 だけど心が追い付かない。


 はあ。

 大きくため息をついた。


 今更なのに、情けないほどに心が痛む。

 一人放置されていた過去が、その裏で他の女性に笑いかけていたエドモンド様の姿が浮かぶ。

 苦しいほどに胸を締め付けられた。

 たぶんそれは、恋を覚えてしまったから。


 むかつく、むかつく、むかつくむかつく!

 怒りを枕に発散して、抑えられない涙がぽろぽろと溢れてきた。

 涙が後から後から溢れてきて、いっそ激情に身を任せて枕を抱きしめて泣き続けた。泣いて泣いて泣いて‥‥ふと思った。


 あれ?

 私が我慢する必要、‥‥なくない?


 過去の事とはいえ、エドモンド様は何の罪もない私をあんなに長期間虐げたのに。

 なのに私が一旦受け入れたら蒸し返しちゃいけないって‥‥、なんか不公平な気がする。

 たまにはこの感情を心の赴くままに吐き出したっていいんじゃないだろうか。


 うん。そうだ。

 ちょっとぐらい困らせてやろう。


 がばっと起き上がると、クローゼットに赴き、ごそごそと荷造りを始めた。


「ローラ、起きてる?」

 ドアを開けて小さく声をかける。

「お願いがあるんだけど」

 私の瞳は少しだけ輝いていたと思う。

 悪戯心で。


「家出をしたいの。プチ家出」



またアリソルが暴走し始めました。

エドモンド、ちゃんと手綱を握れるかな?

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