3. 柊周の生誕祭
2101年2月11日、柊周の生誕21年を祝う会が『異次元』で行われた。
「おめでとうあまねっち!」
「柊クン、君も気づけば異次元のベテラン、これからも頼むぜ!」
「違いない! おめでとう!」
「誕生日を祝うという行為はとても人間的です。いいと思います。おめでとうございます」
大空光、今泉敦、五月雨岬、そして霧靄霞が各々の祝辞を柊に述べた。
「ありがとうございます! でも、何だか恥ずかしいな……もう3年目ですよ。これも本当に皆さんのおかげです」
「なにガラにもなくかしこまってんだよ! お前は本当に変わらないな。そういうとこ、俺好きだぜ!」
「いえいえ、僕がこんなに楽しく働けるのも今泉先輩のおかげです! 料理の楽しさ、奥深さを学びました。詳細は省きますが僕にとっては本当に新鮮だったんですよ、このような経験は……」
「おいおい、本当の料理ってのはもっと複雑で時間のかかるもんだぜ。まあ、ここは他と比べりゃちゃんと料理してる方だけどな」
「それは……そうですね。でもまあ、僕にはかけがいのない経験だったんです」
「どうしたの? アマネくんはこれから戦地にでも赴くんですか?」
岬は感傷的な物言いをする柊に訊ねた。
「あ、ん……まあ、そんな気分かもしれませんね……というのは冗談です! ささ、飲みましょう食べましょう!」
柊はここ数日、何気ない日常において感傷的な言動が増えていることを自覚していた。
彼は『特例モード』の21世紀だけではなく、インフィニット・ワールドにおいても敵を作ることのない、穏やかな性格の持ち主だった。しかし一度でもVRLのシナリオをクリアし、ある世界の人生経験が彼の記憶に刻まれていたとしたら、果たして同じような振舞いをしていただろうか。
純粋なVRL初心者である柊周は『特例モード』における特異性とシンクロし、思いがけない結果を導き出すことがあった。霧靄霞の覚醒はその一例である。柊周の存在なくしてホムンクルスに血が通うことなどなかったであろう。
祝いの宴はありとあらゆる感情を高揚させ、取るに足らない会話ですら良き思い出として海馬に色濃く刻まれる。そのような記憶を疑似的に積み上げていくのがVRLであり、AIが導き出した、人類が失楽園に落ちることのない幸福のシステムであった。
『人生が一度切りであった時代は終わった。さあ、無限の人生を記憶に刻もう。物語の数だけ人は幸せに、そして豊かになる』
これはVRL登場時のキャッチコピーである。
人類が衣食住の不安から解放され、病をも完全に克服した世界においては、敢えてそれらの経験をどこかで積まなければ幸福にはなれない、とでも暗示しているかのようだ。
柊が憧れたVRLシステムは、果たして人類に幸福をもたらしたのだろうか。
彼は古都を巡る中で煩悶し、かつて抱いた憧憬は曖昧なモザイク状にかたちを変えていき、やがて疑念を産み落としていくような後味の悪さを感じていた。
宴の神は主役にクロージングの言葉を要求した。
「えー、今日は本当にありがとうございました。昨年も祝っていただきましたが、今年はどういうわけか格別です。ここに凪さんがいないのは残念ですが、何かと忙しいので仕方ありません」
「クールビューティ凪ちゃんがいないのは確かに残念!」
「違いない!」
酔いが回った今泉と岬が囃し立てる。
「ちなみにひかりんの誕生日は5月11日です。今年は予定が空くそうなので、ここでパーティを開催したいと思いますが皆さんいかがでしょうか?」
「賛成! やろうぜ! というかひかりんも11日なんだよな、誕生日」
「おお! 確かに!」
「…………」
無造作に散らばる鉱石が一斉に共鳴したような、そんなざわつきが柊の心の中を去来した。これまで見過ごしてきたかもしれないとても大切な何かが、ごく身近な生活の中に潜んでいるのではないか、と。
「……最後の審判は11月11日、僕とひかりんの誕生日も11日……」
『木佐貫黙示録』の解を探す『特例モード』の未来人にとって、重視すべき数字は7と12であった。そこに突然ふっと沸いた数字、11という共時的符合。
「どうした柊クン。マジな顔しちゃって」
真剣というより深刻な表情を浮かべた柊を今泉は訝った。
「あ、いや、そんなに真面目顔でした? 誕生日が同じ日なんて、とても奇遇だなって色々考えちゃいました……」
「そりゃ月も同じだったらインパクトあるけどな、日にちが同じなんて珍しくないだろ。あれ、もしかしてこれ運命で結ばれてるかも、って思っちゃったりしてる?」
「え?」
大空光の身体がピクリと反応した。それを察した柊は慌てて弁明を試みようとした。
「い、いえいえいえまさか! 違いますって! えっとこれにはですね……」
光と違い、今泉と岬はインフィニット・ワールドについて何も知らない。説明に窮し狼狽する柊を見かねたのか、霧靄霞が口を開いた。
「数字は裏切りません。内包する可能性が無限であったとしても、揺るがない真理が数字にはあります。数字は美しいと思います」
「…………」
ふたりは言葉の内容よりも、霧靄霞が自ら語り出したことに驚いた。
「きりもちゃん! いいです! それいいです! そうです、数字は美しい! 数学は美しいのです! 無機質なのに愛に満ちています!」
「あれ? ひかりんは歴女で学部は文学部じゃなかったっけ?」
数学に興味を示す文系歴女を柊は不思議に思った。
「アマネくん何年ひかりんと一緒に働いているんだい、ひかりんはね、ボードゲームやクロスワードパズルも大好物なんだよ。それが理由かは知らないけど、この歴女は意外にも数学がそこそこできるんだよね」
幼馴染の岬は光の意外な一面を自慢げに語った。
「へえ……そんなの知らなかったな。あ、そういえば将棋のゲームも買ってたっけ。あれてっきりキャラ萌えでプレイしているだけかと思ってた」
3年前のクリスマス、柊は光のゲーム購入に付き合った日を思い出し、懐かしんだ。
「キャラ萌えもありますけど、『戦国将棋』シリーズはゲーム性も優秀なんですよ!」
「ひかりんって何気にポテンシャル高いよね。そこうまく引き出せれば就活なんて楽勝だと思うな」
「違いない!」
お決まりのセリフを本家が放った。
「カスミン、僕はこれまで7と12以外の数字は特に注視してこなかった。この2つの数字はキリスト教ではとても重要だし、黙示録にも書かれていたからね。でも、そこから少し離れて考えることも必要かもしれない」
柊は命題に書かれた数字とキリスト教の関係性に縛られることで、自由な発想が奪われていたことに気づいた。
「ところで先輩と岬さんの誕生日はいつでしたっけ?」
柊は既に11という数字の魔力に引きずり込まれていた。
「忘れたんかい! まあいいや。俺は9月8日。ちなみに乙女座のA型だぜ!」
「私は4月15日。残念! 11とは無関係でした!」
「ですよね。こんな狭い関係の中で同じ誕生日が揃ったらそれこそ運命です。いや、どうしたんでしょう僕は。あ、じゃあその日はお祝いしましょう。となると次は4月15日の岬さんが先ですね」
「い、いやいいよ。俺らふたりで祝うから……」
「あ……」
柊はふたりが恋人同志であることを思い出した。
「はいはい一次会は終わり、次行こうぜ! 2次会ときたらカラオケっしょ!」
「お、いいですね! 行きましょう!」
柊の疑念は消えるどころか大きくなっていた。
11という数字には意味がある。しかし根拠はない。だが自信はあった。言うなれば一波鋭のような勘である。
今泉と岬は11と無縁であったが、彼らはインフィニット・ワールドのことを知らない。そのことが逆に自信を強める結果となった。しかしエビデンスに乏しい勘だけでは仲間に切り出すことはできない。
残響と酩酊の心地よさが適度に混じりあうカラオケボックスで、柊はただひたすら、11という謎めいた数字について思考を巡らしていた。